新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

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《上水史年表》○鳥取水道(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆元和2年(1616)
池田光政が鳥取に封を受けると、日置豊前に命じて城下を拡張させた。このとき城内の大部分が良水にとぼしく住民が困っていたので、城東水道谷の湧水を集めて水道を設け、当面の窮状に備えた。これが鳥取水道(鳥取県)の最初であった。その後、寛永9年(1632)池田光仲が備前からこの地に移封されてくるにおよんで、さらに城下を拡張し、改めて中水道と奥水道を増設し、貯水池などを築いて水源の酒養に努め、これを城内、城下の共用井に導いて住民の飲用にあてた。

《上水史年表》○赤穂水道(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆元和2年(1616)
元和二年、池田輝政は播州赤穂の地を領有するようになり、良水の不足を憂え、慶長19年(1614)郡代垂水半左衛門に命じて赤穂水道(兵庫県)を計画させ、同年起工し、元和2年に竣工した。

《上水史年表》○米沢御入水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長19年
慶長五年(1600)関ケ原の役が定まると、上杉景勝が米沢に移封された。家臣直江兼続はこの地の水利が不便な
ことを憂慮して、城内経営と同時に水道を計画し、松川の上流李山村の西村から河水を堰き揚げて、城内や市民の飲用にあて、これを米沢御入水(山形県)と称した。敷設の年月は詳かでないが、慶長19年頃であったと推定されている。

《上水史年表》○駿府用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長14年
徳川家康は駿府に退隠し(慶長12年:1607)、駿府城を修築すると同時に市街の整備に努めた。彦坂九兵衛光政、畔柳寿学を奉行とし、友野宗善らに命じて市区の大拡築を行なった(慶長14年:1609)が、これと同時に駿府用水(静岡県)を開削して、城内や市民一般の用水にあてた。

《上水史年表》○近江八幡用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長12年(1607)
朝鮮から伏見城へ使節が派遣されるようになり、近江八幡で昼食のため休憩し、一時に水を必要とするようになったので、近江八幡水道(滋賀県)を設けたと伝えられている。
徳川家康が朝鮮使節孫文或らを伏見城で引見したのが慶長10年(1605)で、朝鮮使節が幕府に国書を贈呈したのが慶長12年(1607)であったとされているから、いずれにしてもそのころの開設と考えられる。

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