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意外に多い森林からの「水分蒸発量」
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
水源涵養の思想を日本で体系づけたのは、江戸時代の岡山藩の儒者・熊沢蕃山である。彼は自著『集義外書』の中で「山に本草が繁茂していれば盛んに神気が起こり、渇水期にも雨が増加し、川の水を豊かにする」と述べている。
しかし、皮肉なことに蕃山の地元である岡山の農民に、彼の見解と対立する意見があったことが明治の記録に見られる。岡山では雨量が少ないため溜池が多く造られていたが、農民は山の本が無くなれば川の水が増え、溜池にたくさん貯水できることを経験的に知っていた。山で本を伐ると、普段の川の水が減っても、雨が降った時に一気に水が流れるから短期間で溜池は満水になる、結果的に総水量は多くなる、というわけだ。
この問題については、一九三三年の岡山県大旱航の際に、当時の森林測候所の気象部主任平田徳太郎と岡山県技師の山本徳三郎の間に論争が起きている。
平田は、森林には水源山地の保水力を増し、河川の最低水位を高める効用があると説いたのに対して、山本が反論した。彼は、「森林は降雨遮断、蒸散による消費量が林冠による蒸発散抑制量より大きいため流出の絶対量は降雨量に比べてかなり減少する」「森林が成立して雨が増加し、ひいては流出量が多くなることはある特別の場合に限る」「利用に便利なように出てくれる水が増加すると、絶対流出量までが増加したかのように錯覚されがち」だというのだ。
一体どちらが正しいのか。
整理すると、森林が水を呼ぶという発想は、森があれば河川の水が涸れないという経験によっている。また禄地は水分が蒸発しやすいが、森林はそれを抑えるという理屈もある。森林には腐がかかり、空気中の水分を捕らえる効果も見込んでいた。
しかし、実際の研究結果は違っている。「森林科学」第9号に「森林と水に関する研究動向」を発表している名古屋大学大気水圏科学研究所・福嵩義宏教授によると、
「日本の気象条件下では森林からの蒸発散量は水面蒸発量の一入〜一・五倍にも達しており、全国平均で水面蒸発量の約一・三倍になることは明確な推定法により確認されています。ほかの地核面に比べて森林は地面にとって最大の水消費者であり、水面蒸発量に匹敵あるいはそれを上回る値を大気に戻していることは今やあきらかとなっています。林地で蒸発散量が多い理由は蒸発散面である樹冠部は地表から高くて、かつその凹凸が大きいために、熱子不ルギーの動きが大きいから。また森林は雨後に枝葉や幹の表面にTよIミリ程度の水を溜めますが、これも蒸発を促進します」
一方で森林に覆われた山から流れ出る川は、水が干上がることは少ない。逆に岩山などの川は、すぐ涸れてしまうのは事実だ。
だが、いくつかの現地調査によって、一見涸れた川でも、その下には豊富な水が流れていることがわかってきた。
森林のない山は、土砂を流出しやすく川床などに堆積する。この堆積物には大空隙が多くあり、流れる水はその間に取り込まれて伏流水となる。だから人の目には触れない。しかし、砂防ダムなどの下に行くと、渇水期でも水が流れている。水が無くなったわけではなかったのである。
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2011年03月30日
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林は水を溜める「自然のダム」ではない
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
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大気中に酸素を増やす方法
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
専門家に説明を受けると当たり前だと感じるのだが、生物学者の本にも「森林は酸素を放出する」と書かれたものは結構多い。
では、我々が呼吸している酸素はどこから来ているのか。
どこからも供給されていない、といえるかもしれない。古代、地球上の大気は二酸化炭素の濃度が高く、酸素はほとんどなかったが、光合成する生物が現れ、二酸化炭素を石灰岩や有機物である生物体に固定し、かわりに酸素を放出した。現在、死体が石炭や石油、石灰岩になった部分も含めて、その分だけ酸素が大気中に存在するのである。
我々は、昔生産された酸素を呼吸させていただいているに過ぎない。
だから、森林保護の理由に酸素を持ち出すべきではない。さもないと「森林は酸素を出さないから、無くなってもいい」と足をすくわれかねない。森林の大切さを訴えるには、もっと正しい知識によって理論武装すべきだ。ほかにも大事な理由はいくらでもあるのだから。
ところで、森林によって大気中の酸素を増やす方法が一つある。
生長の止まった森林(たとえば原生林)はすぐに伐採することだ。森林面積を無限に広げることはできないのだから、酸素を出さなくなった森林は用無しだ。伐採した木々は、燃やしたり腐らせずに木材か木炭として貯蔵しておく。そして伐採跡地はすみやかに植林して新しい森を生長させる−こうすれば森林は常に酸素を供給してくれるだろう。
自然保護団体は賛成してくれるだろうか?
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森林は酸素と二酸化炭素を自給自足していた
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
ところで私も大人になって、もう少し賢くなった。
植物のなかには光合成を行わない種もいる。たとえばキノコやカビなどの菌類だ。そのほか微生物も光合成をせず、酸素は出さない(ただし、最近の分類学では菌類や原核生物などを植物から分離して第三、第四の生物と考え始めている)。また老木などほとんど生長しない植物もある。これは、光合成量と呼吸量(正確には落葉落枝を加えた量)が均衡しているわけだから結果的に酸素を出していないことになる。もし呼吸量が光合成量を上回ったら、木が痩せる、なんてことはありえないから、即枯れるだろう。つまり植物は、常に酸素を放出しているわけではない。
だが、酸素を出さない植物(菌類、微生物を含む)も、呼吸は必ず行う。この事実に気づいた私は、植物生態学が専門の滋賀県立大学環境科学部の依田恭二教授に確認した。
「植物は、芽が出て、背丈を仲ばし、枝や葉がいっぱいになる時は、光合成が活発に行われて酸素を放出しています。しかし、ずっと生長を続けているわけではありません。生長を止めた木もあるでしょう。枯れると腐って分解されます。すると、二酸化炭素が排出されます。つまり、植物が分解される時には微生物が活動しますが、彼らは酸素を消費するんです。微生物を無視して森林を『地球の肺』扱いするには無理がありますね」
植物が生長している時は、光合成による酸素の生産量が呼吸による消費量を上回っている。しかし、森林全体で見ると、森林の中には生長する草木だけではなく、枯れた草木や落ち葉があり、さらに動物も生息する。
枯れた植物は、やがて分解される。分解して、「上に還る」のだ。植物だけでなく、動物も人間も死ねば「上に還る」。その作業を司るのが菌類や微生物である。
微生物(嫌気性細菌を除く)が活動する際には、酸素を消費する。呼吸するといってもよい。
だから二酸化炭素を放出する。その量は、分解される植物が生長する際に吸収した量とぴったり同じになる。有機物の合成と分解は、裏返しの関係だからだ。なんだかむずかしそうだが、実は単純である。
「おおざっぱなところ、十分成熟した森林では植物の呼吸による酸素消費量と光合成の酸素放出量は、I対2ですね。そして微生物に消費される酸素の量はIに相当します。すなわち森林全体の酸素消費量と酸素放出量は、2対2になって均衡しているんです」
つまり森林の酸素の供給と消費は、プラスマイナス・ゼロ。だから、酸素は森林から外部に出ていかない。森林は、酸素と二酸化炭素を自給自足しており、見かけ上は外部とやりとりしない。当然、「地球の肺」とはいえない。
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森林は酸素の供給源ではない
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
森林を守れという声は高い。
その理由はさまざまだが、なかでも迫力があるのは「森林は、我々の呼吸している酸素を供給している」という主張である。キャッチフレーズは「森林は、地球の肺」。酸素の源が無くなってもいいのか、と迫られれば誰もイエスとは言えないから、このキャッチフレーズを掲げて運動を進めている自然保護団体も少なくない。
また、次のように生態系を説明する自然保護団体による本もある。
「人間をはじめ動物は、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して生きています。逆に、植物の葉は二酸化炭素を吸い、酸素を作ってくれます」
だが、この「地球の肺」なる考え方こそ森林保護運動の理論のなかでも最大の誤りなのだ。最初に強調しておく。森林は酸素を出さない。森林は酸素の供給源にはならない。
私がこのキャッチフレーズに疑いを感じたのにはわけがある。ちょっとした思い出があるからだ。
たしか中学一年の理科の時間に、エンドウマメを使った実験が行われた。まあ詳しく説明するほどの内容ではないが、要するに私は、この実験で「植物も呼吸する」という事実を知って驚いたのだ。この場合の呼吸とは、酸素を吸って二酸化炭素を吐くという意味である。
私はそれまで「動物の呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐くが、植物は二酸化炭素を吸って酸素を吐く」と思っていた。いま考えれば、植物の呼吸と光合成を混同していたのである。
光合成とは、光子不ルギーと水と二酸化炭素から有機物を合成して酸素を出すシステムである。主に葉緑素を持つ植物が行う。呼吸は、有機物を酸素によって分解し子不ルギーと二酸化炭素と水を放出する仕組み。つまり二つは、裏返しの関係なのである。そして動物は呼吸するだけだが、植物は呼吸もすれば光合成もする。
当時の私は、光合成は昼間だけだが、呼吸は夜でも行うから酸素が足りなくならないか、と心配した。しかし植物が、枝葉や幹、根などを生長させている(有機物を増やしている)のは、呼吸より光合成の量が勝っている証拠だ。そこまで考えて、私はようやく安心した。
ありかたい学校教育のおかげで、私は「植物も呼吸する」という知識を身につけたわけだが、植物の呼吸と光合成を混同している人は少なくないだろう。
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