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飯田蛇笏関連記事 山本太郎氏著『俳句』昭和58年7月号より(一部加筆)
誰彼もあらず一天自尊の秋 (『椿花集』)
昭和三十七年、蛇笏終焉の歳に詠んだ句だ。僕はその句業について深く知るわけではないので、これが終の作かどうかはっきりしないが、生涯を孤高のさまで貢いた俳人の、いかにも真情吐露にふさわしい句のように思える。
人みな、その一筋につながり生きるとき、星霜とともに「独り」の想いを深めてゆく。
芭蕉も『笈日記』に
「此道や行人なしに秋の暮」
としるし、僕に身近いところでは白秋また眼疾を病む最晩年
「生きて今亦頼むなし後何ぞ将たや委ねむひとりし砕けむ」(『牡丹の木』)
と歌道精進の終りのしるべに、きびしい一首を彫んで逝った。モのかすかな字あまりには、はや流麗の美学はなく痛恨の声さえこもっている。
蛇笏の場合の「独り」も「誰彼もあらず」なのだ。裏返せば、これらの発句や短歌は「我執」の次元を越えたところで発せられた心意の声で、決して「境涯」をのべきものではない。それ故にこそ「一天自尊」と言い切った語の鋭鋒が僕の胸を刺す。そして一天に厳として立つ富士の姿と蛇笏の映像がさわやかに重なりもするのだ。この場合も季は秋でなければなるまい。
北面から富獄を望む甲斐の村落に住みなした蛇笏には(一般には俗流化し、仲々とらえ難いと想像される)富士の秀句が多い。
ある夜月に富士大形の寒さかな (『山廬集』)
秋の風富士の全貌宙にあり (『椿花集』)
直接″富士″の名をよみこまぬ山居の句をあげれば客観照顧の眼質の凄烈はまだいくらでもあるが、僕は″写生″という言葉のどこか平べったく上げ底の感じより″実相″のほうが(いささか宗教臭はあるけれど)蛇笏の句の発語に近いような気がする。対物・対心レンズの同時作用、すなわち複眼は表現のイロハ、創作の要諦であり、殊更いいつのるほどのことではあるまいが、五七五の一行に呼気をこめる、その切断の妙は、短歌などに比すれば、僕などフリーバースの詩形を模索するものにとって、より親密で学ぶところが多いように思われる。゙
秋風や野に一塊の妙義山 (『山鷹巣』)
行水や盥の空の樅の闇 (『山鷹巣』)
前者の如きマクロの眼、後者が示すミクロの世界。それらがともに混淆してこそ句の焦点深度は深まるのだと納得したい。『山鷹巣』は俳人自ら最も愛着をおぼえると語られた処女句集で、この他フレッシュな視角に満ちた好きな句に多々出会う。
寒食や凡夫の立てるひざがしら
山寺やむざと塵すつ梅の崖
仲秋や火星に遠き人ごころ
ふるさとの雪に我ある大炉かな
幽冥へおつる音あり灯取虫
葬入歯あらはに泣くや曼珠沙華
袷人さびしき耳のうしろかな
地上三尺霧とぶ笠や麦を蒔く
新月や掃き忘れたる萩落葉
ぬぎすてし人の温み・や花衣
巌々と角ふる鹿の影法師
その他、血縁の死にかかおる句にも重厚な作が見える。
冬灯死は容貌に遠からず
火を避けて心の提灯凍るさま
凍てゆるぶ山畑の土うごくかも
五人の息のうち二人を戦場で失った蛇笏の心を想いやれば敢て一句一句の鑑賞など不要のものだ。女児をのこし玉砕した長男をしのぶひとりの父は、孫を抱え、ひとり生きのこるものの苦を、直としてこう記録する。
兵の児を炉にだく霜夜いかにせん
広い意味で蛇笏は主情直入を拒んではいない、と思う。ただ観念に淫するぷ「新興」という名の安易な句作を否定し、時に石川善助の短詩の例をひき、現代詩のなかにも現実直視、語順濃縮があるではないかと幅広い理解を示したりするのである。さらに、一句一行をキリッと立てる彼が、連作について批判的だったのは当然だったかもしれない。
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2011年02月18日
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