新!サブやんの気まぐれ調査研究

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有害獣の「生息調査数」はでたらめだった?
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
私が学生の頃、林業界で問題になっていたのは、ニホンカモシカの食害である。
 各地の山で植林したヒノキの苗が食い荒らされて、丸裸になっていた。林業家にとっては大損害だ。莫大な金と労力をかけて、将来の森を作ろうとしているのに、無駄にされたのである。だが、カモシカは、国の特別天然記念物だから、むやみに駆除できない。
 そこで論争が起きた。カモシカは増えているのか、それとも別の理由で仕方なくヒノキ苗を食べるのか。林業家と自然保護運動家プラス文化庁の争いである。
 林業家は、あきらかにカモシカは数が増えた、だから植林地まで出てくるのだ、と訴えた。一方擁護派は、天然の森を伐ったから食べ物がなくなり、追い詰められて人工林に出てきた、という説を唱えた。苗を食べるのは、ほかに食べ物がないからだという。
 食害の理由を、正反対の原因に求めたわけである。
 私は、当時森林動物学を志しており、卒論にカモシカの生態調査を試みたことがある。もっとも、数度の山ごもりであきらめたのだが(山に三日間こもって、観察できたのは数秒だったこともある。これでめげた)。
 あの論争はどんな結末を見たのか。改めて追跡してみた。
 
推定値は実際の二分の一だった
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
 ニホンカモシカ。ウシ科のこの動物は、日本固有種で大陸系のカモシカ類と比較して、より古い形質を残すとされる。昔から山の民の重要な蛋白源として捕獲されてきたが、たかだか自給自27 間違いだらけの「森林危機」、の論じ方足的消費に過ぎなかったから、種の生存を脅かすまでには至らなかった。
 ところが明治以降、肉食禁止の戒律が消えたのに加え、優秀な銃が導入されたことなどからカモシカヘの狩猟圧は増した。毛皮や角の商品化も捕獲数を増やした。
 結果として、一九三四年に天然記念物に、さらに五五年に特別天然記念物に指定されるまでには激減してしまった。当時はよほどの奥山にしか生息せず、個体数も全国で数千頭まで落ち込んだとされている。それでも密猟は続いたし、国土開発の波によってカモシカは追われる一方だった。中国山地からは姿を消し、九州、四国でも絶滅寸前といわれた。
 ところが現在はどうか。登山をする人なら、ニホンカモシカの目撃者は結構多いはずだ。いや、地域によっては車で林道を走るだけで目撃できる。
 こんな経験をすると、あきらかに生息数は回復しているように思える。
 しかし、本当のところはどうなのかと、生息数の推定を調べてみると、これが結構いいかげんなのである。
 カモシカやシカの場合、生息数を推定するには、通常、区画法と呼ばれる方法が使われる。調査地区をいくつかの区画に分け、それぞれに調査員を配置する。そして一斉に歩き回り、目撃した時間と数、個体の姿形や逃げた方向などをチェックする。それを集計して重なる個体は除きながら、誤差も見込んで数字を出す。一九八三〜八四年の環境庁調査では、カモシカは本州・四国・九州に約10万頭と推定されている。
 これだけでも、大した増加だ。しかし、また別の疑惑が生まれてきた。
 「区画法は、もっとも信用できる方法だといわれています。ところが、最近になって疑問が出てきたんですよ。群馬県でヘリコプターによるカモシカの調査をしたんです。カモシカは縄張りを持っているし、動きが鈍いので、装の落ちている季節なら空からよく観察できますから。そこで何度か行い、同じ地区を区画法の推定値と比べると、約二倍も多かったんです」(農林水産省森林総合研究所関西支所・鳥獣研究室の北原気流さん)
 これまでの推定値は、実際の二分の一だった!
この調査は、群馬県草津から尾根を越した東面の丹下、上沢渡と呼ばれる標高700〜1510メートル地帯で行われた。ヘリ調査と区画法調査の面積は違う(1314ヘクタールと316ヘクタール)ので、単純に比較はできないが、平方キロメートル当たりの個体数は、5・7頭と2・3〜2・96頭。平均では約二倍の差だが、場所によっては三倍、四倍もの差が生まれている。おそらく区画法では、調査員が入ることによって逃げたり隠れたりする個体がいたのだろう。
 
森林の「食害」の犯人は他にもいた
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
 もし全国のカモシカ推定生息数が二倍にもなったら、野生動物の管理について根本的に考え直さなくてはならない。
 「それに食害については、もっと根本的なことを忘れていますね」と北原さんは言う。
 「食害を引き起こすのは、カモシカだけではなくシカも同罪なんです。いや、カモシカより深刻かもしれない。それなのに、ほとんど注目されなかった」
 たしかにカモシカが、ヒノキの苗を食べたのは事実だ。しかし、同じ食性を持つシカについてはあまり触れられなかった。カモシカはウシ科、シカはシカ科とまったく違う動物ながら、その生態は非常に似ている。足跡、フン、そして食痕、いずれをとってもカモシカとそっくり。専門家でさえ区別がむずかしいほど似ているのだ。
 だから、カモシカが食害を起こすなら、シカもヒノキ苗を食べても不思議はない。
 だが、被害に遭っている林業家が「犯人はカモシカ」と断じており、擁護派もカモシカの是非を論じるばかりだった。仮にシカが食べていると気がついても、シカも保護0.対象とするだけに声を上げなかったのだろう。擁護派は、食痕を調べて「カモシカではなく、ウサギ」だという発表もしていた。ウサギなら保護しなくてよいと考えたのだろうか。
 シカは人からすぐ逃げる。二、三百メートルの距離でも気づいて逃げるためシカに気がつかないまま終わる人が多い。ところがカモシカは、人と対面してもすぐには逃げない。むしろ立ち止まって人間を観察する。生態の違いが「犯人はカモシカ」の思いを林栗関係各に抱かせてしまった。しかしカモシカには、共犯者がいたのだ。
 フソカは、性成熟が早くて毎年仔を生みますから、増える速度も11ぃIいと思います。そのうえカモ
シカよりすばやいので目につきにくい。また葉だけではなく木の皮も食べることがわかってきました。角磨きでも樹皮を剥ぎます。これまでカモシカやクマだと思われていた林鳶被害が、シカだった可能性もあるでしょうね」(北原さん)
 今では、シカとカモシカは、あきらかに増えたと確認されている。原因は、天然林を伐ったからだ。原生林の林床には、光が差し込まず餌になる草は少ない。野生動物は、さほど増殖しない。となる。一九五〇年代から七〇年代まで日本全国に造林地が広がったが、それが一時絶滅を心配されたカモシカとシカを爆発的に増加させたのである。
 そのうえカモシカやシカにとって、ヒノキの稚樹は「ほかの食べ物」よりおいしいらしい。草が豊富な時期でも、まずヒノキ菌を狙って食べているからだ。
 もっとも現在、カモシカ論争は一段落している。一九七九年の文化庁、環境庁、林野庁の三庁合意により、ニホンカモシカの保護政策を種まるごとの保護から地域指定に切り換えることになったからだ。全国十五の保護地域を指定し、それ以外の地域では頭数管理を行う予定だ。しかし、それ以前に植林地が減り、被害が目立たなくなった。カモシカが食べられる稚樹は、せいぜい四、五年生までで、それ以上になると背丈が高くなり、おいしい頭頂部にカモシカの口が届かないからだ。やがてカモシカが餌に困り、淘汰が進む可能性もある。
間違いだらけの「森林危機」の論じ方
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
 『緑のダム、人工のダム』(亀田ブックサービス)を書かれた新潟大学の岡本芳美教授によると、基盤岩層の上にある土層は、中腹部でIメートルほどだという。ここに溜まる水の量など、山全体からすればわずかに過ぎない。しかも、豪雨が降ればあふれるし、水が滞留している期間は短く、さらに深い層に水を透過させる役割を持つだけだという。渇水期に湧く水は、森林土壌からではなく、もっと深い母岩部の小空隙に染み込んだ水分である。岩といっても、実際は節理と呼ぶ割れ目が走っていて、かなり深くまで水が染みるようだ。
 割れ目のような小空隙は毛管作用もあって水をなかなか逃がさないから、永く保水し徐々に吐き出す。この空隙の量が渇水期の流出量を決めるが、これは母岩の性質や風化の度合いによって決まるから森林の有無とは関係ない。
 そのほか水源涵養機能説の説く蒸数量の違いも、森林の方が歩が悪い。森林は、自ら生長するために水を消費する。光合成を行うには水が必要なのだ。裸地と森林では森林の方が表面積が広いから蒸発量も多い。事実、先の山本徳三郎の言い分か正しいことは、その後に行われた数々の実験で確かめられている。どれくらい森林が水分を奪うのかは、条件があまりに多岐にわたるので軽々しく決めつけられないが、目本の山の場合なら年間二百ミリ前後だと考えられている。
 森林が空気中の水分を捕らえるという仮説も、谷間など特別な地形ならば可能性はあるが、それも森林による蒸発散量より多いとは思えない。
 では、山に森林は必要ないのか。
 「林地は禄地や草地に比して、蒸発散量は多いが、洪水成分を緩和し、流域からの土砂流出量を             著しく軽減しています。また、蒸発による局地的な損失は、広域的に見ればほかの地域への降水の湧源を供給していることにもなります。それに山地を森林で覆わなくてはならない最大の理由は、土壌浸食を防ぐ点にあると思います。下流の土砂災害の防止や養分保持に森林は無くてはならないのです」(福鴬さん)
 森林に降った雨は、いったん土に染み込み一部は溜め込まれるが、再び土中をゆっくり移動する。そして森林が自ら消費するとともにゆっくりと吐き出す。だから一気に川の流量を増やさない。流量の変化を穏やかにするのだ。これは洪水調節作用である。
 落葉層やふかふかの森林土壌は、降雨を受け止めるクッション作用が大きい。豪雨でも水滴で表土を削られずに済む。そして流れる際も、根が土を抱えているうえ、枝葉・根が水の勢いをなくすから土壌を削ることも最小限に抑える。いうならば、保水力ならぬ「保土力」があるわけだ。
 福嵩教授の研究によると、禄地と百年生の森林を比べた場合、流量の変動幅は、森林があった方が約半分になるという。また時間変動量もずっとなだらかになる。
(森林)保水力より。保土力に効果あり
林は水を溜める「自然のダム」ではない
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
 いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
 だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
 森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
 それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
 私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
 この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
  森林の土壌は、腐葉土などが多くふわふわしているのは誰でも知っている。落ち葉や落ち枝が分解され、土壌動物の活動や根が伸びることによって土壌内に空隙を作るからだ。ここに水を溜めることが水源涵養作用の重要な理屈だったはずだ。
 「土壌の多孔質化によって雨水貯留機能が高まるのは推測できますが、この効果が発揮されるのは中小の出水についてであり、大出水では効果は漸減します。むしろ豪雨に際しての森林の効用としては、大孔隙を通しての排水機能によって崩壊発生を防止している役割があることを評価すべきでしょう」
意外に多い森林からの「水分蒸発量」
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
水源涵養の思想を日本で体系づけたのは、江戸時代の岡山藩の儒者・熊沢蕃山である。彼は自著『集義外書』の中で「山に本草が繁茂していれば盛んに神気が起こり、渇水期にも雨が増加し、川の水を豊かにする」と述べている。
 しかし、皮肉なことに蕃山の地元である岡山の農民に、彼の見解と対立する意見があったことが明治の記録に見られる。岡山では雨量が少ないため溜池が多く造られていたが、農民は山の本が無くなれば川の水が増え、溜池にたくさん貯水できることを経験的に知っていた。山で本を伐ると、普段の川の水が減っても、雨が降った時に一気に水が流れるから短期間で溜池は満水になる、結果的に総水量は多くなる、というわけだ。
 この問題については、一九三三年の岡山県大旱航の際に、当時の森林測候所の気象部主任平田徳太郎と岡山県技師の山本徳三郎の間に論争が起きている。
 平田は、森林には水源山地の保水力を増し、河川の最低水位を高める効用があると説いたのに対して、山本が反論した。彼は、「森林は降雨遮断、蒸散による消費量が林冠による蒸発散抑制量より大きいため流出の絶対量は降雨量に比べてかなり減少する」「森林が成立して雨が増加し、ひいては流出量が多くなることはある特別の場合に限る」「利用に便利なように出てくれる水が増加すると、絶対流出量までが増加したかのように錯覚されがち」だというのだ。
 一体どちらが正しいのか。
 整理すると、森林が水を呼ぶという発想は、森があれば河川の水が涸れないという経験によっている。また禄地は水分が蒸発しやすいが、森林はそれを抑えるという理屈もある。森林には腐がかかり、空気中の水分を捕らえる効果も見込んでいた。
 しかし、実際の研究結果は違っている。「森林科学」第9号に「森林と水に関する研究動向」を発表している名古屋大学大気水圏科学研究所・福嵩義宏教授によると、
 「日本の気象条件下では森林からの蒸発散量は水面蒸発量の一〜一・五倍にも達しており、全国平均で水面蒸発量の約一・三倍になることは明確な推定法により確認されています。ほかの地核面に比べて森林は地面にとって最大の水消費者であり、水面蒸発量に匹敵あるいはそれを上回る値を大気に戻していることは今やあきらかとなっています。林地で蒸発散量が多い理由は蒸発散面である樹冠部は地表から高くて、かつその凹凸が大きいために、熱子不ルギーの動きが大きいから。また森林は雨後に枝葉や幹の表面にIミリ程度の水を溜めますが、これも蒸発を促進します」
 一方で森林に覆われた山から流れ出る川は、水が干上がることは少ない。逆に岩山などの川は、すぐ涸れてしまうのは事実だ。
 だが、いくつかの現地調査によって、一見涸れた川でも、その下には豊富な水が流れていることがわかってきた。
 森林のない山は、土砂を流出しやすく川床などに堆積する。この堆積物には大空隙が多くあり、流れる水はその間に取り込まれて伏流水となる。だから人の目には触れない。しかし、砂防ダムなどの下に行くと、渇水期でも水が流れている。水が無くなったわけではなかったのである。
林は水を溜める「自然のダム」ではない
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
 いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
 だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
 森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
 それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
 私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
 この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
 

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