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森の話

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原発 核融合開発に君臨する原研
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
 さて、日本学術会議力持委核融合部会の『将来計画第二次案』を、日本の原子力委員会(JAEC)は積極的に評価した。それを契機として核融合研究は、科学技術庁主導のビッグ・プロジェクトヘと再編されることとなったのである。
 原子力委員会が一九六七年四月に二度目の改訂を行なった『原子力開発利用長期計画』(いわゆる第三次長計)には、次のI節がもりこまれた。
 「この間のわが国での研究は、プラズマの体系的研究の面で成果を得てきてはいるか、核融合という目的意識を明確にもつ研究開発の面では著しく立ち遅れている。このような時期に、諸外国の研究開発に伍し、積極的に研究開発を推進することが現在の急務である。したがって、わが国においても核融合の実現をめざして、昭和四十四年度にはプロジェクト研究に着手することを目途に、直ちにその準備をすすめる必要がある」
 この第三次長をふまえて、原子力委員会は核融合専門部会を六七年五月に設置し、研究開発の今後の具体的推進方策について検討を開始した。そして翌六八年、原子力委員会は核融合研究開発を「原子力特定総合研究」に指定し、同時に定めた「核融合研究開発基本計画」(第一段階計画、六九年原研は日本の核融合研究開発の中枢機関として君臨し、今日に至っている。
 この第一段階計画の発足を境として日本の核融合は、アカデミズムを主力部隊とした研究分野から、科技庁傘下の官庁研究所を主力部隊とする開発プロジェクトヘと変容を遂げたと見なすことができる。つまり「核融合研究」の時代から「核融合開発」の時代への移行である。
原発 間違って信じていること 引き下げられたハードル
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
 この一九六六年の時点ではじめて、「核融合用プラズマ」という概念が、公式文書のなかに登場したことは注目に値する。『第二次案』の本文中には、新しい「組織体」は、「プロジェクト研究の各段階における(Tlnr)図上の目標およびその達成所要期間を明確に予定すること」と述べられており、またターゲットとして、(T−nr)図上において「ローソン条件」を満たすべきことが明記されている。一言でいえば、ここではじめて、「実用化を前提としたタイムテーブル方式」(または単に「タイムテーブル方式」と略記)が、核融合研究の世界に出現したのである。
 ここで「(T−n7)図」というのは、プラズマのイオン温度(T)を横軸、プラズマの密度(n)と閉込め時間(r)の積を縦軸にとって、核融合炉のエネルギー収支がプラスとなる目安を示すためのダイヤグラムである。
 D−T反応の(T−nr)図を参考までに掲げておく(図1)。三本の曲線(A、B、C)が図中に描かれているが、実用炉級プラズマの目安となるのは「自己点火条件」(曲線A)である。Aの線上またはその上側に達する温度(T)、密度(n)、閉込め時間(r)をもつDーTプラズマを核融合炉の内部でつくりだすことができれば、プラズ
マは外部からエネルギーを注入しなくても自動的に燃えつづけ、こんこんと汲めども尽きぬエネルギーを発生する。
 次に、炉内へのエネルギー注入に用いる電力と、炉から発生するエネルギーとがちょうど釣り合うための条件を「ローソン条件」と呼ぶ(熟から電気への変換係数としては普通、1/3という値が使われる)。曲線Bがそれに相当する。
 核融合装置を運転するには、炉心にエネルギーを注入するエネルギー・ドライバー以外の機器にも莫大な電力を使わねばならない(とくにプラズマを閉じ込めるための磁気容器をつくりだす電磁石は、数万キロワットの電力を消費する)。だからたとえ「ローソン条件」を達成しても、核融合装厦全体としてのトータルなエネルギー収支は大幅なマイナスとなる。それでもローソン条件は、「ゼロ出力」核融合装置を製作したと主張しうる、およそ考えうる最低ラインの指標となるため、関係者たちはその達成を核融合の「科学的実証」と呼び慣わしてきた。
最後に「臨海プラズマ条件」(曲線C)というのは、実用化への道程における「第一のハードル」をさらに引き下げるために、核融合関係者たちが苦心して編み出した作為的概念である。これをクリアーすることの科学的・工学的意義はあまりないが、核融合装置の性能の便宜的な指標として使うこともできなくはない。
 以上に述べた三つの「条件」をごくおおまかな数字で表わすと、表Iのようになる。
原発 間違って信じていること アカデミズムから大型プロジェクトヘ
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
さて、これまでの議論を踏まえたうえで、日本の核融合開発のあゆみを、歴史的視点から批判的に回顧してみたい。
日本の核融合研究の発足に直接のきっかけを与えたのは、前述の一九五五年の第一回ジュネーブ会議である。バーバ議長の開会演説における発言に触発されるかたちで、大阪大学や京都大学で研究が開始された日本の核融合研究の基本方針(ストラテジー)が決定されたのは一九五九年のことである。
その基本方針というのは、大学などの研究者を中心として、プラズマの性質に関するアカデミックな基礎研究を進めることに当面は専念し、大型核融合装置による高温プラズマの発生と閉じ込めの研究は行なわない、というものである。プラズマ核融合の基礎研究の日本における中枢機関として一九六一年、名古屋大学プラズマ研究所が設立された。
一九六〇年代の核融合研究はかくして、中小規模のアカデミックな基礎研究を中心に進められたが、ビッグ・プロジェクト化への指向が一九六六年頃より顕在化する。
日本学術会議原子力特別委員会(力特委)の核融合部会(嵯峨根遼吉部会長)は六六年十月、『将来計画第二次案』をまとめ、公表した。日本学術会議ではその二年前の一九六四年から、核融合研究の将来計画をまとめるための本格的作業に着手し、一九六五年に『第一次将来計画』(六五年四月)を公表している。その発表主体は、日本学                術会議核融合特別委員会(融特委)であった。しかし第一次核融合ブームの冷却化にともない、「融特委」は一九六五年、「力特委」の一部会へと格下げされた。『第二次案』の発表主体の名称が変わったのはその為である。
 このふたつの将来計画の間には、天地ほどの内容の開きがある。
 すなわち『第一次案』では、プラズマの基礎的・体系的研究を軸とした大学など(アカデミズム)の研究を充実させる、というのが主たる強調点であった。それに対し『第二次案』では、科学技術庁傘下の新しい「研究開発祖織体」を設立し、「核融合用プラズマ」の実現をターゲットとする大型のプロジェクト研究を推進することに、主たるアクセントが置かれることとなったのである。
 
原発 間違って信じていること 室温融合フィーバーの実体
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
一九八九年、第三の核融合ブーム到来を予感させる事件が起こった。ふたつの研究チーム(フライシュマン・ポンスのチームおよびジョーンズのチーム)が互いに独立に、「室温核融合」実験に成功したと発表したのである。これは試験管核融合、ビーカー核融合、電気分解核融合、電気化学融合などさまざまな愛称をつけられているが、もっとも無理のない呼び方は「水素吸金属核融合」(または簡略化して単に「金属核融合」)であると思われる。なぜならパラジウムなどの特殊な金属(水素吸蔵金属)の内部に多量の重水素(D)や三重水素(T)を貯めこみ、核融合反応を継続的に発生させる、というのが「室温核融合」の基本的コンセプトであり、ビーカー(試験管)内での重水(D,0)の電気分解というのは、パラジウム内に重水素(D)を貯めこむためのひとつの手段(もっとも簡便な手段であるが、他にも多くの手段がありうる)に過ぎないからである。
もし「金属核融合」により、実用目的に使えるほど大量のエネルギーを取り出せるとすれば、それは「高温プラズマ核融合」代わって、実用化へ向けての核融合開発の主役に躍り出る可能性がある。そのため科学界とジャーナリズムは室温核融合フィーバーの渦に巻き込まれ、実験の追試か世界中の無数の研究者により実施された。
しかし現在までに、「金属核融合」はまったく起こらないか、起こっているとしてもきわめて僅かなエネルギーしか発生しえないという共通認識が、関係者の間で確立したもようである。第三の核融合フィーバーは、「ボヤ」の段階で早々に消火されてしまったのである。
原発 間違って信じていること 打ち砕かれた「究極のエネルギー」幻想
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
しかし一九五〇年代後半の核融合ブームは、たちまち雲散霧消してしまった。楽観ムードばかりが先行し、超高温プラズマを安定的に閉じ込める手法の開拓が遅々として進まなかったのである。
第二の核融合ブームが到来するのはそれから十年余の冷却期間を経た、一九七〇年代前半代前半である。この時代になると、「トカマク」とうドーナツ状の容器(磁気容器)にプラズマを閉じ込め、加熱することにより、核融合炉への人力を上回る出力を取りだす(エネルギー収支をプラスに転ずる)ことができる可能性が、ほぼ確実視されるようになった。そこで核先進国は大型核融合装置の建設計画を練り上げ、一九七〇年代半ばまでに装置開発に着手した。
この時期に開発計画がスタートした代表的大型装置は、アメリカのTFTR(一九八二年運開)、ヨーロッパ連合のJET(一丸八三年運開)、日本原子力研究所のJT−60(一九八五年運開)の三台である。これらの大型装置を中間ステップとし、その次のステップで、「実用炉」に準ずるプラズマ加熱・閉じ込め性能をもつ核融合装置(いわゆる「実験炉」)を建設し、さらにそれに引き続き、数々の「炉工学技術」(炉材料技術、超伝導技術など)を順次、実用ることは間違いない。しかし非常に高価な電力しか生産しえないという決定的デメリットをかかえ、しかもそのデメリットを補うだけのメリット(資源面・環境面・用途面・安全面など)にも乏しいテクノロジーを、カネと時間を湯水のように使って開発することは、どう考えても「合理的」ではない。
核先進国の財政当局者たちは一九八〇年代までにそのことに気づき、核融合開発プロジェクトに対して消極姿勢を示すようになった。第二のブームは終焉したのである。
米・ソは事実上、単独の「実験炉」建設を放棄したと見られる。ヨーロッパ連合と日本はいまだに単独の建設計画の可能性を捨てていないが、風当たりは厳しくなりつつある。

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