新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

森の話

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原発 間違って信じていること 核融合の光と影
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
歴史的に見ると通告一回、世界の科学界では核融合ブームが起きている。
 第一のブームは、一九五〇年代後半に訪れた。このブームに火をつけたのは、一九五五年八月の第一回原子力平和利用国際会議(第一回ジュネーブ会議)における、インド人議長バーバの開会演説における次の一節である。
 「私はあえて予言をする。今後二十年以内に、核融合エネルギーを制御の行き届いたやり方で解放するための方法が発見されるであろう」
 この発言を契機として、それまで秘密裡に「制御熟核融合」(controlled thermonuc1r fusion)の研究を進めてきた米・ソ・英などの「核兵器先進国」が、研究の現状とデータを公表するようになった。そして一九五八年の第二回原子力平和利用国際会議(第二回ジュネーブ会議)において、軍事機密の大半が解除され、世界の「制御熱核
融合」研究の全貌がほぼ明らかにされたのである。
バーバ発言は、一九五〇年代後半における世界の科学界の核融合に関する「楽観ムード」の良き例証となっている。
なぜこの時期の科学者たちの大半が、たいした学問的裏付けもなしに「楽観ムード」にひたることになったかは容易に説明がつく。
第一に、ジュネーブ会議の参加者の大半はいわゆる「原子科学者」(正しくは「核科学者」)であった。第二次世界大戦時の科学技術動員において大きな成果を挙げた彼らは、戦後初期において、自他ともにもっとも能力ある人々として尊敬をかちえるに至っていた。「原子科学者」たちの力を結集すれば、どんな技術的難題もたちどころに解決できるという、今日では非常識としか言いようのない「神話」がまかり通っていたのである。(もちろん「原子科学者」
のみならず、あらゆる種類の科学者の能力が、この時代には著しく過大評価されていた)これが「制御熱核融合」に関する楽観ムードが広がった第一の要因である。
もうひとつの要因は、原子力の「平和利用」(正しくは「非軍事利用」)に関して世界の人々がバラ色のイメージを抱いてくれるよう、核開発先進国の政治家・官僚・財界人・科学者のスポークスマンたちが、一大キャンペーンを展開していたことである。
一九五二年から五三年にかけて米ソが相次いで水爆実験に成功した結果、全面核戦争による人類絶滅の可能性が、世界の人々の間でいよいよ現実昧を帯びて受け止められるようになった。
原子力のとてつもなく大きな「危険」に対する恐怖心をはぐらかし、原子力開発推進への支持をとりつけるには、その「危険」に匹敵するとてつもなく大きな「希望」を力説することが不可欠であった(たとえ 「危険」がリアルであるのに対し、「希望」はイマジナリーなものに過ぎなかったにせよ)。「人類究極のエネルギー」(および「エネルギー問題の究極の解決」などといったキャッチフレーズ)は、そうした状況下で科学者たちによって意図的につくりだされ、意図的に普及させられた、プロパガンダのための宣伝文句であったと思われる(なお、二度にわたるジュネーブ会議開催に象徴される原子力「平和利用」ブーム自体が、核開発のリアルな「影」をイマジナリーな 「光」によって打ち消そうとする政治的プロパガンダに他ならなかった)。
原発 間違って信じていること 核融合は「人類究極のエネルギー」だ
 斜陽化にあえぐ核融合は、プロパガンダで生き残ろうとあがいている
 「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
 核融合という物理現象自体は昔から知られていたし、核融合反応に関する物理学的研究も、実験核物理(原子核物理に関する実験的研究)の一環として、一九三〇年代以降さかんに行なわれるようになった。しかしそれらの研究は、核融合によって莫大なエネルギーを取り出し、実用に供するための研究ではなかった。それらは、サイクロトロンをはじめとする高性能の原子核破壊装置(粒子加速器)を用いて、加速粒子(軽い元素の原子核)と標的の原子核を反応させ、その物理的性質を調べるための、純学問的関心に根差した研究だったのである。
ようやく一九五〇年代に入って、核融合反応から大量のエネルギーを取り出すための研究が本格的に推進されるようになった。
大量のエネルギー生成という目的にとってもっとも好都合の核融合反応は、重水素とトリチウムの反応(D−T反応)である。
(それに次いで容易な核融合反応は、重水素同士の反応(D−D反応)である)。
重水素の原子核も三重水素の原子核もプラスの電荷を帯びているので、電気的に互いに反発しあう(クーロンカ)。この反発力に打ち勝ってDとTが至近距離まで接近しなければ、D−T反応は起きない。
 非常に大きな運動エネルギーをもった重水素とトリチウムのみが、この電気力の障壁を突破できる。加速器でそれらの粒子を超高エネルギーまで加速するのはそのひとつの方法であるが、加速器の運転に莫大な電力が必要なのに対し、発生する核融合エネルギーはごく僅かなので、エネルギー収支をプラスにする見込みはない。
唯一とおぼしき現実的方法は、重水素・トリチウムの混合気体を超高温に加熱することである(粒子の平均運動エネルギーは温度に比例して増大する)。一低度程度のD−Tプラズマ(感電離気体)を高密度、長時間にわたって炉心に閉じ込めることができれば、核融合炉への入力を上回る出力を取り出す可能性が開かれる。これが高温プラズマ核融合の原理である。
意外に多い森林からの「水分蒸発量」
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
水源涵養の思想を日本で体系づけたのは、江戸時代の岡山藩の儒者・熊沢蕃山である。彼は自著『集義外書』の中で「山に本草が繁茂していれば盛んに神気が起こり、渇水期にも雨が増加し、川の水を豊かにする」と述べている。
 しかし、皮肉なことに蕃山の地元である岡山の農民に、彼の見解と対立する意見があったことが明治の記録に見られる。岡山では雨量が少ないため溜池が多く造られていたが、農民は山の本が無くなれば川の水が増え、溜池にたくさん貯水できることを経験的に知っていた。山で本を伐ると、普段の川の水が減っても、雨が降った時に一気に水が流れるから短期間で溜池は満水になる、結果的に総水量は多くなる、というわけだ。
 この問題については、一九三三年の岡山県大旱航の際に、当時の森林測候所の気象部主任平田徳太郎と岡山県技師の山本徳三郎の間に論争が起きている。
 平田は、森林には水源山地の保水力を増し、河川の最低水位を高める効用があると説いたのに対して、山本が反論した。彼は、「森林は降雨遮断、蒸散による消費量が林冠による蒸発散抑制量より大きいため流出の絶対量は降雨量に比べてかなり減少する」「森林が成立して雨が増加し、ひいては流出量が多くなることはある特別の場合に限る」「利用に便利なように出てくれる水が増加すると、絶対流出量までが増加したかのように錯覚されがち」だというのだ。
 一体どちらが正しいのか。
 整理すると、森林が水を呼ぶという発想は、森があれば河川の水が涸れないという経験によっている。また禄地は水分が蒸発しやすいが、森林はそれを抑えるという理屈もある。森林には腐がかかり、空気中の水分を捕らえる効果も見込んでいた。
 しかし、実際の研究結果は違っている。「森林科学」第9号に「森林と水に関する研究動向」を発表している名古屋大学大気水圏科学研究所・福嵩義宏教授によると、
 「日本の気象条件下では森林からの蒸発散量は水面蒸発量の一入〜一・五倍にも達しており、全国平均で水面蒸発量の約一・三倍になることは明確な推定法により確認されています。ほかの地核面に比べて森林は地面にとって最大の水消費者であり、水面蒸発量に匹敵あるいはそれを上回る値を大気に戻していることは今やあきらかとなっています。林地で蒸発散量が多い理由は蒸発散面である樹冠部は地表から高くて、かつその凹凸が大きいために、熱子不ルギーの動きが大きいから。また森林は雨後に枝葉や幹の表面にTよIミリ程度の水を溜めますが、これも蒸発を促進します」
 一方で森林に覆われた山から流れ出る川は、水が干上がることは少ない。逆に岩山などの川は、すぐ涸れてしまうのは事実だ。
 だが、いくつかの現地調査によって、一見涸れた川でも、その下には豊富な水が流れていることがわかってきた。
 森林のない山は、土砂を流出しやすく川床などに堆積する。この堆積物には大空隙が多くあり、流れる水はその間に取り込まれて伏流水となる。だから人の目には触れない。しかし、砂防ダムなどの下に行くと、渇水期でも水が流れている。水が無くなったわけではなかったのである。
 
林は水を溜める「自然のダム」ではない
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
 いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
 だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
 森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
 それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
 私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
 この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
 
大気中に酸素を増やす方法
『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
専門家に説明を受けると当たり前だと感じるのだが、生物学者の本にも「森林は酸素を放出する」と書かれたものは結構多い。
 では、我々が呼吸している酸素はどこから来ているのか。
 どこからも供給されていない、といえるかもしれない。古代、地球上の大気は二酸化炭素の濃度が高く、酸素はほとんどなかったが、光合成する生物が現れ、二酸化炭素を石灰岩や有機物である生物体に固定し、かわりに酸素を放出した。現在、死体が石炭や石油、石灰岩になった部分も含めて、その分だけ酸素が大気中に存在するのである。
 我々は、昔生産された酸素を呼吸させていただいているに過ぎない。
 だから、森林保護の理由に酸素を持ち出すべきではない。さもないと「森林は酸素を出さないから、無くなってもいい」と足をすくわれかねない。森林の大切さを訴えるには、もっと正しい知識によって理論武装すべきだ。ほかにも大事な理由はいくらでもあるのだから。
 ところで、森林によって大気中の酸素を増やす方法が一つある。
 生長の止まった森林(たとえば原生林)はすぐに伐採することだ。森林面積を無限に広げることはできないのだから、酸素を出さなくなった森林は用無しだ。伐採した木々は、燃やしたり腐らせずに木材か木炭として貯蔵しておく。そして伐採跡地はすみやかに植林して新しい森を生長させる−こうすれば森林は常に酸素を供給してくれるだろう。
 自然保護団体は賛成してくれるだろうか?
 

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