新!サブやんの気まぐれ調査研究

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山梨県文化財研究室

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山梨県文学講座 山梨県南都留郡谷村に生まれた壇一雄氏
(『国文学 解釈と鑑賞)』昭和48年6月臨時増刊号 戦後作家の履歴)
【略歴】
明治四十五年二月三日、山梨県南都留郡谷村に生まれた。
本籍地は福岡県山門郡沖端村。父の職業(工業試験所の技師)の関係で東京・福岡・久留米・足利を転々とした。足利中学校・福岡高等学校・東京大学経済学部経済学科卒業。高等学校時代は、ショーペンハウエル、二ーチェ、小林秀雄、佐藤春夫、横光利一、滝井孝作などを愛読。東京大学在学中の二十二歳の折、庄野義信などと同人誌『新人』をつくり、処女作「此家の性格」を発表。これを機に古谷綱武・尾崎一雄・
太宰治・浅見淵らと相識り、佐藤春夫に師事することになる。このころの生活は自由奔放なものであった。
昭和九年四月、古谷綱武らと季刊誌『鶴』を飢刊するも二号で廃刊。
続いて同年十二月、太宰治・津村信夫・中原申也らと『青い花出を創刊』たが、
昭和十年三月『日本浪蔓派』に参加し、同年十二月『日本浪曼派』に発表した「夕張胡亭塾景観」で第二回芥川賞候補となる。
昭和十二年処女作品集『花筐』を上梓し、同年七月応召して以来、除隊後も満州・中国などを遍歴して昭和二十年五月帰国。その時期は野問文芸奨励賞受賞の「天明」以外は、創作活動は沈黙していた。戦後「リツ子・その愛」「リツ子・その死」によって文壇に復帰し、「長恨歌」並びに『新大阪新聞』連載中の「真説石川五右衛門」で第二十四回直木賞を受賞し、のち中間小説・通俗小説も数多く書き、最近では『サンケイ新聞』に「檀流クッキング」なども連載している。

【文壇処女作】
「終りの火」(『人間』昭23・2)は短編で、肺結核で病臥中の愛妻の臨終までを私小説ふうに淡々と描いている。夫の妻へ、幼い子供へ示す愛晴の重層が、死と生の様相を浮きぼりにしていき純粋な魂の在り様が作品の根源となっている。続いて「父子来迎」『作品』昭23・8)たどの発表によりて、いわゆる大作「リツ子・その愛」「リツ子・その死」(昭24、作品社)の端緒につくが、戦前すでに八編の短編を収録した処女作品集『花筐』(昭12、赤塚書房)があり、そのなかの「此家の性格」は、役者買いをする
母親、行方不明であった父親の帰宅、父親と母親とのいさかいなど、暗い家庭が描かれている。だが総じて「花筐」一冊は青春の物語といえる。さらに直木賞受賞の「長恨歌」(『オール読物』昭25・10)、「真説石川五右衛門」(『新大阪新聞』昭25・10〜26・12)などの歴史小説もある。

【代表作品】
『花筐』、『リツ子・その愛』、『リツ子.その死』、『小説太宰治』(昭24、六興出版杜)、「元帥」(『新潮』昭25・6)、『長恨歌』、『真説.石川五右衛門』、『ペンギン記』(『新潮』昭和27.9)、「光る道」(『新潮』昭31・5)。

【評価】
檀の今日までの文学活動は、戦前と戦後との二つの時期に分けて考えられようが、彼の文壇的地位を不動にしたものは、リツ子ものの完成である。「終りの火」が発表されたとき、平野謙は「やはり私としてはその題材の陰惨さにもかかわらず、全篇にながれる一種清爽の印象をすなおに表白する以外にない」(『文芸時評』鯛38、河出書房新杜)と評している。著者自身は、大陸から帰国して、妻の病臥・死、そして敗戦による混迷の状況にあったとき、佐藤春夫から「着の北中南支縦断の旅の思い出から愛妻の死に及ぶ作品を描くならば、それは君の生涯の作品となるだろう」(『出世作のころ』、昭44、読売新聞社)と手紙で明示されたという。リツ子ものにあるのは、まさに愛と死の無垢なるたゆたいの美しさである。檀の文学的資質には、一方、直木賞受賞作品のような歴史小説、あるいは捕鯨船乗船の記録である『ペンギン記』などもあり、また、通俗小説も書きまくっている。著者の文学的交友圏をみても察知できるように、生活を賭けて一つまり生活も文学も異次元のものとするのではなく、全く同次元のものとして文学活動を行なっていく数少ない作家の一人である。たとえば、「火宅」(『新潮』昭38・2)などの一連の作品は、女優恵子との情事を描いたいわゆる恵子ものであるが、そこでは奔放自在な生活記録がそのまま作品となっていて、それなどは生活を遊ぶことのできる著老の文学的資質の一つであろう。そういう意味でも、三島由紀夫が『花筐』の諸編を愛読したということに象徴されるような耽美的ロマンティシズムだけではなく、放縦不覊の快男児的ロマンもあわせもっている。彼の文学的活動をみていくとき、そこに日本浪曼派の系流的痕跡があるのに気づくのである。

【竜門挿話】
直木賞受賞の作品に対して、瀬沼茂樹が「彼はこの種の通俗小説に、自伝的な作品よりも、縦横に才能を発揮できる要因がたぶんに含まれていることは、もはや多く説くまでもない」(「人と文学」『現代文学大系53』昭42、筑摩書房)とみているのは、檀の文学を語るにはなはだ示唆に富んだ意見といえよう。(馬渡憲三郎)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E4%B8%80%E9%9B%84

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