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上水道の歴史

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《上水史年表》○米沢御入水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長19年
慶長五年(1600)関ケ原の役が定まると、上杉景勝が米沢に移封された。家臣直江兼続はこの地の水利が不便な
ことを憂慮して、城内経営と同時に水道を計画し、松川の上流李山村の西村から河水を堰き揚げて、城内や市民の飲用にあて、これを米沢御入水(山形県)と称した。敷設の年月は詳かでないが、慶長19年頃であったと推定されている。

《上水史年表》○駿府用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長14年
徳川家康は駿府に退隠し(慶長12年:1607)、駿府城を修築すると同時に市街の整備に努めた。彦坂九兵衛光政、畔柳寿学を奉行とし、友野宗善らに命じて市区の大拡築を行なった(慶長14年:1609)が、これと同時に駿府用水(静岡県)を開削して、城内や市民一般の用水にあてた。

《上水史年表》○近江八幡用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長12年(1607)
朝鮮から伏見城へ使節が派遣されるようになり、近江八幡で昼食のため休憩し、一時に水を必要とするようになったので、近江八幡水道(滋賀県)を設けたと伝えられている。
徳川家康が朝鮮使節孫文或らを伏見城で引見したのが慶長10年(1605)で、朝鮮使節が幕府に国書を贈呈したのが慶長12年(1607)であったとされているから、いずれにしてもそのころの開設と考えられる。

《上水史年表》○福井芝原用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長12年(1607)松平秀康
福井藩祖松平秀康が封に就くと、国老本多伊豆守富正に命じて芝原の荘の九頭竜川筋に堰を設けて大溝渠をうがち、刻川の流れを引用して福井芝原用水(福井県)を施工した。市民の飲料水に供するとともに、吉田・足羽両郡中約二千余町歩の濯概にあてた。

《上水史年表》○富山用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆慶長10年(1605)前田利家
慶長10年(1605)前田利長は封を世子利常にゆずり、老後は富山城に居住することになり、家臣高山長保に命じて市街地の経営に着手し、富山水道(富山県)を設けた。しかし、当時の水道は・用水の流末または湧水、雨水などを合わせ集めて、防火・排水を目的に計画したもので、飲料水は主として掘丼または掘抜井に仰いだ。

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