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上水道の歴史

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《上水史年表》○甲府用水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆文禄3年(1594)浅野長政
文禄3年(1594)甲府領主となった浅野長政は、甲府用水(山梨県)の工事を進めた。文禄年中に用水路ができたものと伝えられている。この用水は水田濯潮用として使用されただけでなく、上水としても使用されていた。その後、寛永(1624〜1644)、寛文(1661〜1673)、宝永(1704〜1711)に比較的大きな改修工事が行なわれている。

《上水史年表》○ 小石川上水、後の神田上水(『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)
☆ 天正18年(1590)徳川家康
徳川家康は江戸の地に清良な飲料水を供給するため、大久保藤五郎忠行に上水事業の調査を命じた。この調査に基づき開削したのが小石川の上水で、のちの神田上水(東京都)のもととなったものである。一般住民のために飲料専用の公共給水を目的としてつくられた水道は、この神田上水がわが国で最古のものである。最初は手近な所の水源できわめて小規模な水道だったが、必要にせまられてしだいに拡張し、全工事が竣工したのは三代将軍家光の寛永年間(1624〜1644)のことといわれている。
なお、家康入国当時、大久保藤五郎の見立てたこの上水は、江戸市街の東北部に給水していたが、この頃西南部の市街地では、赤坂の溜池の水を引いて上水としていた。この水では不足を生じて、承応3年(1654)玉川上水が開削され、この地域に給水されるまで、溜池の上水が用いられた。

☆天文14(1545)北条氏康
《上水史年表》○ 小田原早川上水(神奈川県) (『日本人と水』歴史読本 新人物往来社編)


小田原早川上水(神奈川県)の施工起源については諸説があるが、北条氏康の(天文14年頃)すでに早川から相当の量の水が小田原城内氏康の館まで届いていたと思われる。城内一円を潤していたかどうかは明らかでない。つまりこの当時のものは、上水といっても、主目的は小田原城を守るために水濠(みずぼり)をひいたもので、その水の一部を城下町で使い余水は灌概用にも供した。一般の住民に上水供給を目的としてつくられたものではない。
・万治二年(1659)、時の城主稲葉正則が江戸水道にならって改修を施した。

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