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山口素堂と松尾芭蕉の部屋
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◆芭蕉 素能筆『奥の細道』(伊丹 柿衛文庫蔵)
<芭蕉の生涯展 芭蕉二百七十年記念 毎日新聞編集部>
芭蕉が素龍に清書させ、自ら外題を認めて座右に所持したという敦賀の西村宗本以外にも、素能筆の『奥の細道』はいくつかあったらしい。本書は巻末の識語の部分が破損しているが、筆蹟から明らかに素能筆写本と判定される。
芭蕉自筆本の世に出ない現在では、西村家本と共に、『奥の細道』の本文研究に欠かすことの出来ない価値ある一本といえよう。
◆芭蕉 『おくのほそ道』(伊丹 柿衛文庫蔵)
中本一冊。芭蕉著。元禄十五年(一七〇二)刊。
<芭蕉の生涯展 芭蕉二百七十年記念 毎日新聞編集部>
京都・井筒屋庄兵衛板。初板本。素龍清書本に忠実。この書世に出て以来、今日まで、奥羽旅行の追隠者が続出している。
◆芭蕉 『芭蕉翁 奥の細道拾遺』(伊賀上野 芭蕉記念館蔵)
中本一冊。萍青縞。寛保三年初冬自序。
<芭蕉の生涯展 芭蕉二百七十年記念 毎日新聞編集部>
月窓団斎序。蓼太郎跋。延享元年(一七四四)六月刊。西村源六板。
芭蕉五十回忌追善集を志していた莎青が、奥州行脚中の蓼太から、旅中に得た芭蕉の遺章を報ぜられたので、それを主とし、自己および江戸座俳人の句を加えて上梓したもの。
◆芭蕉 奥の細道屏風(山形 長谷川吉三郎氏蔵)
<芭蕉の生涯展 芭蕉二百七十年記念 毎日新聞編集部>
蕪村筆。六曲屏風一雙に描いた俳画入り奥の細道。
安永八年(一七七九)秋揮毫。蕪村が其の門入来屯の為に揮毫したものという。
蕪村作の図巻は可成りあるが、かかる屏風仕立のものは珍しい。
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◆芭蕉 松尾半左衛門宛書簡(三通の内一)(芦屋 葦水文庫蔵)
・元禄六年十一月二十七日付
廿二日之書状認置候へ共、」御屋敷まで遠方故」指留置候処、長兵衛殿御」内衆御出候間、追而書申上候。」
(この間断ち切れあり)
つづき申候ハゞ、何とぞとり」とめ申度、さてもく」難義仕候段、御推被遊」可被下候。
もはや御苦労」ニ御座候故如此御座候。先」久ゐヘハさたなしニ」仕候。
あんじられ候而」益なき事ニ候間、」いかていと改行候共、急ニハ」申遣し申まじく候。」
其元へも段々ニハ申」進候まじく候間、左様ニ御」意得可被改候。
およしニも」右之通御よミきかせ被遊」可被下候。以上L
桃 青
霜月廿七日
半左衛門様
この一通は、多分具体的な事柄が綴られていたであろう中段の部分が、何故か切除されて伝えられたため、事の真相を把捉出来ないのが借しまれるが、文面の調子から推測されるところでは、当時芭蕉の身辺に誰か重病に苦しむ病人があったことを思わせる。それは芭蕉にも兄にも妹(およし)にも深いかかわりがあって、かつ伊勢の久居にも関係のある人物らしいが、学界宿題の人物である。執筆年次は元禄五年とする余地もなくはない。
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◆芭蕉 松尾半左衛門宛書簡(三通の内一)(芦屋 葦水文庫蔵)
元禄二年正月十七日付
其元旧年御仕舞曰、」御不自由可有御坐候。
此」方も永々旅がへり、何や」かや取重、毎日毎日客」もてあつかひなどニ而、
冬の」しまひもはつくニ御坐候間、」金子少も得進じ不申候。」
何とぞ北国下向之節」立寄候而成、関あたりより」成とも通路いたし、しミじミ」可申上候。別条無之内、」
細々書状ニも及不申候間、」左様ニ御意得可被成候。」
一、山□(難読)御無事ニ御坐候哉。」御老人無ニ心元存候。
一、七郎左衛門方あねじや人、」御無事ニ御坐候哉。以上」
松尾桃青
正月十七日
半左衛門標
郷里の兄に宛てた一通で、短簡であるにもかかわらず、問題に満ちた書簡である。細道行脚の挙がこの頃すでに具体化していたことを示す文字も貴重であるが、芭蕉が実家に金銭的援助をしてやらねばならないということは、松尾家の生活事情を知る上に重要な手懸りを提供する。更には「山□」「御老人」「あねじや人」などの人物が芭蕉一族にとってどういう間柄のものか、本簡はそういう未解決の問題をもかかえている。
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