私が東京に来た2000年・・・入れ替えの様に実家の家族の一員となったシーズー犬の「ころ助」
11月27日明け方の3:30に天国に逝ってしまいました・・・人間の年齢で言えば72歳です。
実家に来て直ぐに私の元に届いた一枚のポラロイドカメラで写した写真
コロコロっとした姿を見て私が「ころ助」と名前をつけました。
本当に可愛かった・・・
飼い始めて初めての帰省の時、ころ助にとって初対面の私に何故だか大喜び
はしゃいで飛びまわり 思わず干したての羽毛布団の上で楚々をする始末・・・
今でもその時の様子をはっきり覚えています。
まだ「ころ助」が子供の頃、 1人(一匹)で お留守番・・・
ここからは家族の想像になりますが・・・
たぶん 「ころ助」は「もしかしたら2階に誰か居るかも・・・」と、思ったらしく
無謀にもちっちゃな身体で二階に上がり、
誰もいない事を確認・・・
あきらめて一階に下りようとした時に 階段から転げ落ちてしまいました。
最初に発見した母が言う事には転げ落ちるときに繋いであったリードが身体に巻きついて動けずに震えていたそうです。
(家族の不注意で危うく大けがか、もしかすると死んでしまっていたかも・・・と、いう怖い経験をさせてしまいました)
この事件のお陰で「ころ助」は2階に上がる事は出来ても下りる事が出来なくなり、
下りる時は(下りたくなったら)吠えて知らせるようになりました。 必ず家族の誰かが抱っこして一緒に下りることになりました。
いつも人と同じものを食べたがり おねだり顔で皆の周りをウロウロ・・・うるさいくらい吠えまくりウルウルした目で見上げ猛アピール・・・
「人間の食べ物は味が濃いからあげてはダメ〜!!」といった私の忠告も虚しく 父と母はその可愛さに負け つい与えてしまう。
この繰り返しで見事におデブになってしまった時もありました。
帰省した時に私がころ助に向かって「デブ!」と言ったら怒っていた。←分かっていたのでしょうか???
そんな調子で過ごしてきたけど去年の5月に具合が悪くなり、検査をしたら「膵臓癌」でした。
手術をしなければ3カ月、
手術をしても、もって1年との診断です。
父と母は悩みましたが手術を受けました。 大手術です。
手術は成功し、一時は持ち直し元気になりました。
でも、それは一時的なものでした。
白内障も進み殆ど目が見えなくなり手術前から血糖値も上がっていたためインシュリンの注射は毎日欠かさず。耳ももう聞こえません。
病気により確実に老化が進んできました。
徐々に音が聞こえなくなり、見えていた物が見えなくなっていった・・・人間だったら苦痛を訴えるだろうに、我儘も言いたくなるだろうにといった状況の中、その状況を受け入れるかのように最初は壁や戸、家具などにぶつかる事もあったけれども感覚的に家の配置を覚えたのか壁づたいに歩き、ぶつかる事もなくなりました。
その内、おむつになり夜中は母が2時間おきに起きてオムツ交換・・・母も高齢なので
小型犬とはいえ「老老介護」状態でした。 この状況が何カ月も続きましたが寝たきりにはならなかった・・・最後の日まで自分の足で歩いていました。 「ころ助」頑張ったね
でも、天国に行く前の日はもうお水も飲めなかった(きっと、お水を飲む力も残っていなかったのでしょう・・・)
体重は半分になっていたそうです。
息を引き取ったであろう時間に別の部屋に寝ていた父に「お知らせ」をしたようで、
父が明け方目を覚まし、様子を見に行くと、眠るように息を引き取っていたそうです。
抱くと、とても温かかったらしいので息を引き取った直後だったと思います。
やんちゃで甘えん坊
寂しがり屋で食いしん坊
実家に電話するといつも実家の方の電話口で吠えまくり母との会話が中断してしまう事もしょっちゅうだった・・・
家族の中で笑いの中心だった「ころ助」
いなくなって寂しいよ・・・
知らせを受けた時には声にならないくらい号泣してしまったが
離れている私でさえこうなのだから、実家の父と母はどれだけ寂しい事だろう・・・
だから私がいつまでも「寂しい」と父と母に言う訳にいかない・・・
「ころ助」は死ぬと言う事を身をもって家族に教えてくれた。
生きると言う事も教えてくれた。
沢山の笑顔もくれた。
本当にありがとう。
いまごろ天国で元気に飛び回ってるかな・・・お友達は沢山いる?
たまに父と母の夢に出てきてあげてね・・・
14年間、本当にありがとう ころ助。