中途半端

ご無沙汰だけど、生きてはいる

ばーさんの思い出話

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父方のばーさんは、めでたくも20世紀最初の年・1901年の元旦生まれだった。元号で言うなら明治34年。
大正・昭和と生き抜いた平成9年。年始の挨拶も終わり松も取れた頃に、あの世へ行った。
ばーちゃんは100は生きるっしょ、と、みんなフツーに思ってたんだけどね。チョット足りんかったな。


一家揃って親父の実家に引っ越した6歳の時以来、自分は、ばーさんに育ててもらったようなモン。
自営業なんで、昼間は親いないし、家事の大半はばーさんがやってたと思う。
実際、母親が料理してるトコなんて、ばーさん死ぬまでほとんど見たこと無かったし。イヤ、6歳までは核家族だったんだから、やってたはずなんだけどね。全然覚えてないさ(^ ^;)

自分と妹が通った中学も高校も、給食無し・学生食堂無し・購買で昼時だけパン少々販売ってトコで、基本的に弁当持参だった。
いつも母親が作ってくれてたケド、たまに、ばーさん作のこともあった。
味は区別つかなくても、詰め方見れば一発で分かった。


で、これは自分の母親が、じじばばのどっちかから聞いたっちゅう話。
じーさんは元々お百姓なんだけど、いつ頃からかは知らんが、農協だか組合だかに勤めてたらしい。
昼は、勤め先の近所のうどん屋に通ってたとか。来る日も来る日も、ずーっと。
ある日、自分の妻であるところのばーさんに言った。

じーさん:
「頼むけれ弁当してくれ。ワシゃうどんは飽いた」
ばーさん:
「弁当せんならんのじゃったら、勤めていらん!」

……で、じーさんはすごすごと引き下がったとか(- -;)


いつの話なんだろう? 新婚早々だったら、いくらなんでもじーさんが気の毒だな。多分、勤めだしたのはもっとあとだと思うケド。
どうも、ばーさんはお嬢様育ちだったらしい。
イヤ、一度こんなコト言ってたのよ。

「娘時分は髪が長(なご)うての。
 昔は『馬鹿の大頭』言(ゆ)うたんじゃけど、ばあちゃんは髪が多かったけん、女中が二人がかりで洗(あろ)とった。
 お針を習うのに座ったら、畳に届(とう)たんぞね。
 そんなに長(なご)しとったんは、ばあちゃんと庄屋の娘だけじゃった」

……馬鹿の…って、自分で言わんでも(^ ^;)しかもそれを伸ばすですか、ばーさん。


だからって、「勤めていらん」って……ねえ(^ ^;)
コレ、ニュアンスが微妙で、共通語には直訳できない。
意訳すると、「お弁当作らなきゃならないのなら、お勤めなんかしてくれなくて結構ですっ!」みたいなカンジかな。
恐るべし、ウチのばーさん。

「ばーさんの思い出話」書庫の記事一覧

閉じる コメント(5)

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「弁当せんならんのじゃったら、勤めていらん!」アハハ、さすがうわさのおばぁちゃん。そのおばぁちゃんがたまにではあっても永さん姉妹の弁当は作ったんじゃねぇ。馬鹿の大頭の話もヽ(^o^)丿。愉快だねぇおばーちゃん最高!!!

2006/1/25(水) 午後 6:45 rk2*07*223

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永さんのおばあちゃん最高ヽ(^o^)丿

2006/1/25(水) 午後 7:00 rk2*07*223

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じーさんには気の毒っすケド、ばーさん、おちゃめでしょ?(笑)

2006/1/26(木) 午前 6:33 北川 永

「弁当せんならんのじゃったら、勤めていらん!」この一言に私はすっかり永さんおばーちゃんのファンになっちゃったわ♪ご健在の時にお会いしたかったわ。ポチッ☆

2007/2/10(土) 午前 8:54 RAMI

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多分、コレって戦後の話だとは思うんすケドね(^ ^;)母親から聞かされた時には大笑いしたさ。ポチは、すごすごと引き下がった気の毒なじいさまにいただきまーす。

2007/2/11(日) 午前 6:02 北川 永


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