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自分の小学校入学を機に、一家で父親の実家に引っ越した。 理由は、それまで住んでた養鶏場近辺には自分らと同世代の子供がおらず、小学校は「狸が出るような畦道」(母親談)を歩いて何十分トカだったから、らしい。 今思うと、ウチの親って教育熱心だったんだな。物心ついた時には、自分、学校ってのは、小・中・高・大学と行くのがフツーだと思ってたし。 実際には、全然フツーじゃなかったんだけど(^ ^;) 同級生の女のコの中には、大学受験を巡って親族会議になったコもいた。「女が大学、それも短大じゃなくて四年制なんて」ってワケさ。 それを聞いたツレの反応も、「ああ、大変だなあ」であって、「何じゃ、そりゃ?」じゃなかった。まだ、そんな時代だった。 ま、それはさておき。 実家は、蜜柑農家だった。歩いて2分くらいのトコに、主に温州蜜柑を植えてる山があった。 ネーブルとか伊予柑とかがメインの山は、ちょっと離れてて、実はほとんど行ったこと無いから場所もよく知らない。傾斜が急なんで、危ないからガキは入っちゃいかんって言われてたし。 で、その密柑山の方。 蜜柑の収穫は、ここらでは「蜜柑もぎ」と言う。実際には、ちゃんと鋏で切るんだけどね。 この時は、何人か人を雇って作業をする。親父と母親は養鶏の方行ってるし、じーさんは勤めに出てるしで、ばーさん一人じゃムリだから。 蜜柑もぎの時期になると、小学校から帰ってきた自分に、ウチの倉庫の方で作業してるばーさんが、「山におやつ持って行っとおくれ」と言う。 で、台所に行くと、針金入りのナイロンで編んだバケツ型の買い物カゴとやかんが置いてある。カゴの中には、無造作に放り込まれたあんパンとかジャムパンとかの菓子パン。やかんには、沸かして冷ました麦茶。 これが、ばーさん言うところの「おやつ」。 自分は、片手に買い物カゴ、片手にやかんで、麦茶をこぼさんように、よたよたと山に向かうワケやね。 他の作業の時でも、とにかく山に人がいると、「おやつ持って行っとおくれ」。 そんなコトを何年もしてたモンだから、すっかり「おやつ=密柑山で作業する人のための、菓子パンと麦茶」が刷り込まれちまったさ。 いわゆる「おやつ」というか、子供用の菓子類は、戸棚の中にあった。 まあ、自分らの感覚では「戸棚のお菓子」で、「おやつ」じゃなかったケド。 でかい空き缶に、かりんとうとか煎餅とかが入れてあって、食事の前でなければ、勝手に食べて構わんかった。量は、各個の判断に任されていた。 …よく考えるとすげー話かも。でも、食べ過ぎた記憶はないよ。 て言うより、いっぺんに食っちまうと、すぐに補充されるとは限らんから、翌日から寂しいさ(笑) 晩メシの後には、蜜柑とか柿とか、果物もよく食った。たいてい親父が「蜜柑取ってくれ」とか言って、何となくみんなつられて。
「デザート」なんてオシャレな感覚じゃなかったのは、多分、剥かれた皮がお盆に山積みになったからだな(笑) 親父は、ホントに好きだったのか、食餌療法として食ってたのか……多分、両方だけど、比重は4:6で後者(- -;) 夏場は、利尿作用があるってんで、しょっちゅうスイカ食ってたから。 マンゴスチンが果物の女王と呼ばれてるってのも、その頃親父に習った。実物見たのは、二十数年後だけど(笑) あの頃は、まだ、バナナが高級品だったんだよー。お見舞いも、果物の缶詰が多かったし。 マスクメロンてのは、たまにお土産でもらうショートケーキの上に載ってるモンだった。 今や、種類によってはそこらのスーパーでも売られてるモンなあ。 いやはや、隔世の感だわ。 |

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