中途半端

ご無沙汰だけど、生きてはいる

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雪だるま

長野とか新潟とか、雪に慣れてるトコでもシャレにならん積もりっぷりの今日この頃。
確か、小学校か中学校の社会科で、東北かどっかの家は、軒を深くして、雪が積もっても通路は確保する工夫が…とか、梁の組み方に雪の重みを逃がす工夫が、とか、習ったような気がするケド、自分がそんなコト思い出してみても、今の雪害にはなーんの役にも立たんな(- -;)
雪国の皆様にお見舞い申し上げますと共に、無事健勝を切にお祈り申し上げますm(_ _)m


積もるほどの雪には、あんまり縁のないこの辺だけど。
自分の古いアルバムに、でかい雪だるまの写真がある。まだカラー写真出回ってない頃なんで、当然白黒。
高さ150cmくらいの雪だるまには、眉、目、鼻、口が炭で作ってあって、洗面器をかぶってる。
…フツーはバケツだと思うんだケド、何故か洗面器。多分、アルミのヤツ。
隣に、生後半年の自分を抱いた母親。
辺り一面真っ白。
後ろに写ってる鶏舎も、寒さよけの白い寒冷紗張られてるから、ますます真っ白。

母親が手書きしてる日付は、昭和38年1月9日。
いわゆる「三八豪雪」の時。この辺でも相当積もったらしい。
うーむ、自分が生まれて初めて見た雪が、これかい。さすがに覚えとらんケド。

写真の鶏舎、何かちゃちぃカンジで、自分が覚えてるのとは全然違う。
まあ、当然だわな。自分らは、高度経済成長期とともに育った年代だし。
だんだん忙しくなったり、鶏の数が増えたり、倉庫が広くなったり…まさに体感したさ。
一番古い記憶…多分、2歳か3歳頃は、納屋みたいな狭いトコで、裸電球の下、座り込んで卵の仕分けをしてた。
新しい倉庫と、隣に事務所兼従業員の休憩所ができたの、いつだったかなあ。小学生くらい? 多分、今の実家に引っ越した後だったと思う。工事の記憶ないから。
卵は、小さいベルトコンベアーみたいな機械に1コずつ流せば、重量を自動計測して仕分けできるようになった。
卵流すのと、仕分けされたのを箱詰めするのは人間の仕事だったけどね。
あの頃は、ヒビが入ってる卵は、手に持っただけで勘で分かった。さすがに今は鈍ったな。
仕事が終わった倉庫で、実家に帰る前の短い時間、天井の梁をネット代わりに母親とバレーボールやったりもした。まだまだ東洋の魔女の時代(笑)多分、『アタックNo.1』で『サインはV』の頃。


ずっと後になって母親に聞いた話では、雪だるまができるほどの雪が降ったせいで、鶏舎の一部が潰れたらしい。当然、鶏も犠牲になった(- -;)
そんでも雪だるま作ったウチの親父。やっぱ親バカ?(笑)
ま、親父もまだ29歳だったし、滅多と無いチャンスに自分が作りたかっただけかも知れんが。
いやいや、珍しいモンの写真残してくれて、感謝してますって。
死んだ鶏さんは気の毒だったケド。ちゃんと鶏供養してたし、勘弁してなー。

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