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自分が大学生の頃だったかな? デビュー間もないとあるバンドが、テレビの歌番組に出てるトコをたまたま見た。 ソコのボーカルのねーちゃんの衣装がね…。黒がメインの色遣いはケバいワケじゃないケド、何ちゅうかパーツがちぐはぐで、ロックバンドっぽい派手さと言うにもなんだかなー、だった。 発声も歌い方も衣装と同じで、ま、早い話が自分にとっては「うわ、趣味わりぃ〜(- -;)」だったのよ。 自分がそう思った、まさにその時。 横にいたばーさんが、眉をひそめて言った。 「あの下作な風、お見や」 (音読 : あのげさくなふう、おみや) (直訳 : あの下品な格好、見なさいよ) わははは、そのとおりだ、ばーさん!
「げさくなふう」って、ナンカ強烈だなあ。 共通語にすると、フツーの感想になっちまうんだけどね。 |
ばーさんの思い出話
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明治34年に生まれて、平成9年にあの世へ行った、父方のばーさんのコト。
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実家は自営業だったんで、母親が帳簿をつけていた。 使うのは、電子式卓上計算機。実家では「計算機」と呼ばれてた。 間違っても「電卓」なんて軽々しくは呼べん…てか、コレ買ったのは、多分、自分が小学生の頃だけど、そんな言葉はまだ普及してなかったと思う。当然、ムチャクチャ高かったらしい。 「清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った」(母親談) なにしろ、でかかった。イメージとしては、POSになる前のレジを、平べったくしたようなカンジ。 厚みは10cmくらいだったと思うケド、縦横は30cmくらいかなあ? すっげー重くて、コード差して使った。 テンキー式で、記憶装置(MRとかM+とか)と平方根一発計算キーもついてて、四捨五入の切り替えスイッチとか、よく分からんポッチもあった。 表示は16桁くらいだったかな? 0から9までの数字の表示管がタテに重なってて、どれかが光る。それが16コだかずらっと並んでるワケ。 0が一番奥で、9が一番手前だったかなあ? 「950」とかだと、数字がだんだん遠ざかっていくのよ。 ああっ、数字の色がオレンジだったか緑だったか忘れてる〜(T_T) ショック! とにかく、その計算機でもって、いつものように母親が、茶の間のこたつで帳簿をつけていたある日の夜のコト。自分は中学生くらいだったと思う。 細かい状況は忘れたケド、茶の間には自分と母親、そしてばーさん。 時刻は11時頃か、もっと遅かったかも。親が養鶏場から帰ってくるのがだいたい7時前後で、それから晩メシ食ってだから、どうしても夜は遅くなるんだな。 その日に限って、帳簿上の数字が1円合わないらしい。 数字の写し間違いか計算間違いかと、何度もチェックして頭を抱える母親に、ついにばーさんが言った。 「○○さん、1円ぐらいわたしが出したげるけれ、もうお寝な」 (直訳 : ○○さん、1円ぐらいわたしが出してあげるから、もう寝なさいな) ……気持ちは分かるケド。帳簿だからそうはいかんのよ、ばーさん(^ ^;) 余談だけど。 日々の産卵総数とか1羽当たりのエサの消費量とか産卵率とか、その手の単純計算は、自分もやった。 普段はやらんケドね。休みの日に手伝いに行った時なんかに。 父親は慢性肝炎だったから、食後は2時間安静にしてなきゃならん。今は、これ、かえってよくないって言われてるらしいケド、当時は正しい療養法だった(- -;) 昼メシの後、横になってる父親に指導されつつ、このでかい計算機叩いてた。 そう、計算機も、親と一緒に往復してたワケ。何しろ、無いと困るケド、2台も買えんから。 卓上どころか財布にでも入るような小型・薄型、おまけに低価格な電卓が出回ってる今の時代しか知らん人には、想像もつかんだろうなあ。
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ばーさんは、自分では飲まんケド、コーヒーの匂いが大好きだった。 自分がペーパーフィルターでコーヒー淹れた時なんか、「ああ、ええ匂いがする」と言って、ご機嫌だった。 ある日、ばーさんが言った。 「あんた、そんなにコーヒが好きなら、ええコト教えたげよ。 大豆をように炒って石臼で挽いたんを淹れたら、コーヒそっくりなんぞな。 香ばしいてええ匂いがするのよ。今度やったげよわい」 え? いや、別に自分はフツーのコーヒーでいいんだけど。 それに、コーヒーみたいな味になるのは、タンポポの根っこって聞いたコトが……てか、その大豆のって、戦時中に代用コーヒーって言ってたヤツでは…(^ ^;) ドイツが舞台の小説にそういう話が出てきたケド、欧米なら分かるよ。でも、代用しなきゃいかんほど、日本でコーヒー普及してたワケ?? しかも、大都会ならまだしも、ばーさん18かそこらで嫁に来てから、ずーっと松山っしょ。 一体、いつ、どこで飲んだんだ(- -;) それからも、ばーさんは、時々思い出したように同じコトを言った。 どうも、ばーさんにとっては代用品ではなく、単なる「大豆でできるコーヒーみたいな飲料」だったような気がする。少なくとも、匂いはえらく気に入ってたみたいだな。 実家の台所は、農家にふさわしく土間で広かった。 雨が降って外に出られない時には、三和土にチョークで落書きしたりして遊んだ。 L字型に上がり框があって、そこの下、夏でもひんやりしてる奥の隅っこに、石臼が置いてあった。 毎年、秋になると、その辺りからコオロギの鳴く声がした。 親父が死んだ後に、他の部屋に高さを合わせて床を張り、ダイニング・キッチンに改装した。 あの石臼はどうしたんだったかな? 売ってくれって業者がいたケド、庭の飛び石にするってんで、罰当たりなと断ったはず。倉庫にしまったのかなあ? 何度も「今度やったげるけん」と言いつつ、結局そのままになっちまった、大豆コーヒー。
でも、コオロギは、相変わらず、石臼のあった辺りの床下で鳴いてるらしい。 |
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ばーさんは「ちょん格子」って言ったケド、多分「チョンチョン格子」のコトだと思う。 吉原の格の低い店、あるいはそこの遊女のコト…じゃなかったかな? なんでもそのちょん格子が、見世の格子の間からひょいとキセルを突き出して、道行く客の袂をきりきりっと巻き取って引き寄せる、その手並みが実に見事だったらしい。 や、その、文字通り「袖を引かれた」客ってのが、ばーさんの親父さん…つまり自分のひいじいさんなワケですが(- -;) 何でそんなトコに娘連れで行ってたかな〜? 警察関係だったっちゅうし、私服で様子見??? キセルで一本釣りされた親父さんが、どういう反応したのかは、聞いてない。 ついでにその時、ばーさん親子は、人力車に乗車拒否されたそうな。ばーさんは「じんりき」って言ってたケド。 2人を断った車夫は、力士(ばーさんによると「相撲取り」)を乗せた。 親父さん、怒る。 自分達を断っておいて力士なら乗せるとは、一体どういう料簡か。正当な理由があるなら述べてみよ。 ……どうも、正当な理由はなかったらしい。 しかし、人力車の乗車拒否ねえ?
現代のタクシーなら、近すぎると断られるって聞いたコトあるケド、人力車が断る理由って何だろ? 総重量は親子連れの方が軽いかもだし、行き先が気に入らんかったとか? 多分、ばーさん親子より、お相撲さんの方を乗せたかっただけだと思う。 お相撲さんが、それだけ人気あったってコトじゃないかな。心付け弾んでくれてたんかも知れんが。 ホントのトコは、謎。 |
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ばーさんの親父さんは、警察関係かナンカだったらしい。あっちこっち転勤してて、ばーさんから聞いた限りでも、松山、宇和島、東京、対馬、長崎。 当然、家族もついていく。 しかも、まだ電気も通ってなかった宇和島から、次に行ったのが東京だったとか。 そらもう、ものすごいカルチャー・ショックだったらしい。 宇和島に電気が通ったのが明治45年らしいんで、東京行きはそれより前のはず。 どんなに多く見積もっても、ばーさん10歳。多分、もう少し小さかったんじゃないかと思う。 で、家族で日本橋に行った時。ばーさんは、生まれて初めて、自動車と遭遇した。 ばーさん曰く。 「向(む)こから、ばあちゃんの方(ほう)向いて、牛より速いモンが走って来るのよ。 もうたまげて怖ぁて、走って逃げたんじゃけど、後ろついてくるんじゃがえ。 横向いて逃げたらええものを、そんなん分からんけん。お父さんは、ああもうこの子は死んだ思たんじゃと」 幸い、死ななかった。車が避けてくれたから。…よかったな、ばーさん。 しかし、「牛より速い」って……。
ばーさん、素でそう思ったワケ? あのフレーズは、誰かが作ったギャグかと思ってたよ(^ ^;) |



