中途半端

ご無沙汰だけど、生きてはいる

ばーさんの思い出話

[ リスト | 詳細 ]

明治34年に生まれて、平成9年にあの世へ行った、父方のばーさんのコト。
記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

自分が大学生の頃だったかな?
デビュー間もないとあるバンドが、テレビの歌番組に出てるトコをたまたま見た。
ソコのボーカルのねーちゃんの衣装がね…。黒がメインの色遣いはケバいワケじゃないケド、何ちゅうかパーツがちぐはぐで、ロックバンドっぽい派手さと言うにもなんだかなー、だった。
発声も歌い方も衣装と同じで、ま、早い話が自分にとっては「うわ、趣味わりぃ〜(- -;)」だったのよ。

自分がそう思った、まさにその時。
横にいたばーさんが、眉をひそめて言った。

「あの下作な風、お見や」
(音読 : あのげさくなふう、おみや)
(直訳 : あの下品な格好、見なさいよ)

わははは、そのとおりだ、ばーさん!
「げさくなふう」って、ナンカ強烈だなあ。
共通語にすると、フツーの感想になっちまうんだけどね。
実家は自営業だったんで、母親が帳簿をつけていた。
使うのは、電子式卓上計算機。実家では「計算機」と呼ばれてた。
間違っても「電卓」なんて軽々しくは呼べん…てか、コレ買ったのは、多分、自分が小学生の頃だけど、そんな言葉はまだ普及してなかったと思う。当然、ムチャクチャ高かったらしい。

「清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った」(母親談)

なにしろ、でかかった。イメージとしては、POSになる前のレジを、平べったくしたようなカンジ。
厚みは10cmくらいだったと思うケド、縦横は30cmくらいかなあ? すっげー重くて、コード差して使った。
テンキー式で、記憶装置(MRとかM+とか)と平方根一発計算キーもついてて、四捨五入の切り替えスイッチとか、よく分からんポッチもあった。
表示は16桁くらいだったかな? 0から9までの数字の表示管がタテに重なってて、どれかが光る。それが16コだかずらっと並んでるワケ。
0が一番奥で、9が一番手前だったかなあ? 「950」とかだと、数字がだんだん遠ざかっていくのよ。
ああっ、数字の色がオレンジだったか緑だったか忘れてる〜(T_T) ショック!

とにかく、その計算機でもって、いつものように母親が、茶の間のこたつで帳簿をつけていたある日の夜のコト。自分は中学生くらいだったと思う。
細かい状況は忘れたケド、茶の間には自分と母親、そしてばーさん。
時刻は11時頃か、もっと遅かったかも。親が養鶏場から帰ってくるのがだいたい7時前後で、それから晩メシ食ってだから、どうしても夜は遅くなるんだな。
その日に限って、帳簿上の数字が1円合わないらしい。
数字の写し間違いか計算間違いかと、何度もチェックして頭を抱える母親に、ついにばーさんが言った。

「○○さん、1円ぐらいわたしが出したげるけれ、もうお寝な」
(直訳 : ○○さん、1円ぐらいわたしが出してあげるから、もう寝なさいな)

……気持ちは分かるケド。帳簿だからそうはいかんのよ、ばーさん(^ ^;)


余談だけど。
日々の産卵総数とか1羽当たりのエサの消費量とか産卵率とか、その手の単純計算は、自分もやった。
普段はやらんケドね。休みの日に手伝いに行った時なんかに。
父親は慢性肝炎だったから、食後は2時間安静にしてなきゃならん。今は、これ、かえってよくないって言われてるらしいケド、当時は正しい療養法だった(- -;)
昼メシの後、横になってる父親に指導されつつ、このでかい計算機叩いてた。
そう、計算機も、親と一緒に往復してたワケ。何しろ、無いと困るケド、2台も買えんから。

卓上どころか財布にでも入るような小型・薄型、おまけに低価格な電卓が出回ってる今の時代しか知らん人には、想像もつかんだろうなあ。
ばーさんは、自分では飲まんケド、コーヒーの匂いが大好きだった。
自分がペーパーフィルターでコーヒー淹れた時なんか、「ああ、ええ匂いがする」と言って、ご機嫌だった。

ある日、ばーさんが言った。

「あんた、そんなにコーヒが好きなら、ええコト教えたげよ。
 大豆をように炒って石臼で挽いたんを淹れたら、コーヒそっくりなんぞな。
 香ばしいてええ匂いがするのよ。今度やったげよわい」

え? いや、別に自分はフツーのコーヒーでいいんだけど。
それに、コーヒーみたいな味になるのは、タンポポの根っこって聞いたコトが……てか、その大豆のって、戦時中に代用コーヒーって言ってたヤツでは…(^ ^;)
ドイツが舞台の小説にそういう話が出てきたケド、欧米なら分かるよ。でも、代用しなきゃいかんほど、日本でコーヒー普及してたワケ??
しかも、大都会ならまだしも、ばーさん18かそこらで嫁に来てから、ずーっと松山っしょ。
一体、いつ、どこで飲んだんだ(- -;)

それからも、ばーさんは、時々思い出したように同じコトを言った。
どうも、ばーさんにとっては代用品ではなく、単なる「大豆でできるコーヒーみたいな飲料」だったような気がする。少なくとも、匂いはえらく気に入ってたみたいだな。


実家の台所は、農家にふさわしく土間で広かった。
雨が降って外に出られない時には、三和土にチョークで落書きしたりして遊んだ。
L字型に上がり框があって、そこの下、夏でもひんやりしてる奥の隅っこに、石臼が置いてあった。
毎年、秋になると、その辺りからコオロギの鳴く声がした。
親父が死んだ後に、他の部屋に高さを合わせて床を張り、ダイニング・キッチンに改装した。
あの石臼はどうしたんだったかな?
売ってくれって業者がいたケド、庭の飛び石にするってんで、罰当たりなと断ったはず。倉庫にしまったのかなあ?

何度も「今度やったげるけん」と言いつつ、結局そのままになっちまった、大豆コーヒー。
でも、コオロギは、相変わらず、石臼のあった辺りの床下で鳴いてるらしい。

開く トラックバック(1)

ばーさんは「ちょん格子」って言ったケド、多分「チョンチョン格子」のコトだと思う。
吉原の格の低い店、あるいはそこの遊女のコト…じゃなかったかな?

なんでもそのちょん格子が、見世の格子の間からひょいとキセルを突き出して、道行く客の袂をきりきりっと巻き取って引き寄せる、その手並みが実に見事だったらしい。

や、その、文字通り「袖を引かれた」客ってのが、ばーさんの親父さん…つまり自分のひいじいさんなワケですが(- -;)
何でそんなトコに娘連れで行ってたかな〜?
警察関係だったっちゅうし、私服で様子見???
キセルで一本釣りされた親父さんが、どういう反応したのかは、聞いてない。


ついでにその時、ばーさん親子は、人力車に乗車拒否されたそうな。ばーさんは「じんりき」って言ってたケド。
2人を断った車夫は、力士(ばーさんによると「相撲取り」)を乗せた。
親父さん、怒る。
自分達を断っておいて力士なら乗せるとは、一体どういう料簡か。正当な理由があるなら述べてみよ。
……どうも、正当な理由はなかったらしい。

しかし、人力車の乗車拒否ねえ?
現代のタクシーなら、近すぎると断られるって聞いたコトあるケド、人力車が断る理由って何だろ?
総重量は親子連れの方が軽いかもだし、行き先が気に入らんかったとか?
多分、ばーさん親子より、お相撲さんの方を乗せたかっただけだと思う。
お相撲さんが、それだけ人気あったってコトじゃないかな。心付け弾んでくれてたんかも知れんが。
ホントのトコは、謎。
ばーさんの親父さんは、警察関係かナンカだったらしい。あっちこっち転勤してて、ばーさんから聞いた限りでも、松山、宇和島、東京、対馬、長崎。
当然、家族もついていく。
しかも、まだ電気も通ってなかった宇和島から、次に行ったのが東京だったとか。
そらもう、ものすごいカルチャー・ショックだったらしい。
宇和島に電気が通ったのが明治45年らしいんで、東京行きはそれより前のはず。
どんなに多く見積もっても、ばーさん10歳。多分、もう少し小さかったんじゃないかと思う。

で、家族で日本橋に行った時。ばーさんは、生まれて初めて、自動車と遭遇した。
ばーさん曰く。

「向(む)こから、ばあちゃんの方(ほう)向いて、牛より速いモンが走って来るのよ。
 もうたまげて怖ぁて、走って逃げたんじゃけど、後ろついてくるんじゃがえ。
 横向いて逃げたらええものを、そんなん分からんけん。お父さんは、ああもうこの子は死んだ思たんじゃと」

幸い、死ななかった。車が避けてくれたから。…よかったな、ばーさん。


しかし、「牛より速い」って……。
ばーさん、素でそう思ったワケ? あのフレーズは、誰かが作ったギャグかと思ってたよ(^ ^;)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事