中途半端

ご無沙汰だけど、生きてはいる

懐かしい話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

『ジャガーノート』

『親父に習ったこと』の「迷子の心得」でも書いたケド、小学校卒業した春休みに、妹と2人、親父に連れられて初めて飛行機に乗った。
行き先は、東京。
最初の日は、元気なおばちゃんがやってる下宿屋っぽいトコに泊まった。どこだかの社員寮だって聞いた気がするケド、他の人には会わんかったから、ホントのトコは分からん。
覚えてるのは、炬燵のあるフツーの茶の間でメシ食ったコトと、フロ。
「東京のフロは熱いぞ」と、親父から聞いてはいた。
ケド、自分はわりと熱めが好きだったんで、あんま気にしとらんかったら……マジ熱湯かっちゅうほど熱くて、結局湯船には入れんかった(- -;)

で、最初の日か翌日かの夜、映画観たんだよな。多分、渋谷の映画館だったと思う。
それが、『ジャガーノート』
Wikipediaの記事によると…
映画『ジャガーノート』
 ジャガーノート (Juggernaut) は、リチャード・ハリス主演のサスペンス・アクション映画。1974年、アメリカ。日本での公開は1975年3月。

内容
 処女航海に出発した豪華客船”ブリタニック”号にインドの古代神・”ジャガーノート”を名乗る人物が爆弾を仕掛けたと言う脅迫電話が船主の専務に電話が入った。専務はロンドン警察とファロン(演、リチャード・ハリス)率いる海軍の爆発物処理チームと共に犯人逮捕と爆発物処理に挑む。
(以下略)
…ってコトなんで、ロードショーだったみたいだな〜。
……ところで、この記事の記述、「電話」がダブってるし、文章自体ちょっとヘンだな(^ ^;)ま、いいケド。


『東映まんが祭り』みたいなヤツも、1回連れてってもらったかどうかだし、初めてマトモに映画館で観た映画だったかも。少なくとも、字幕付きは生まれて初めてだったんでないかい?
まあ、洋画自体は、親父に付き合って西部劇とかマカロニ・ウェスタンとか観てたケドね、テレビの洋画劇場で。
それに、あの頃は『わんぱくフリッパー』とか『名犬ラッシー』とか『奥様は魔女』とか、海外モンのテレビドラマよくやってたから、洋画に抵抗は無かったな、全然。
ただ、その当時の自分は、よそ国の俳優の名前なんか全然知らんかったし、はっきり言って顔も覚えとらん。今回、ググって初めて、おおっ、リチャード・ハリスがっ、オマー・シャリフがっ、あれはアンソニー・ホプキンスだったんか〜っ! …みたいな(^ ^;)

映画はすっげー面白かった。
途中、ミスで爆弾1コ爆発しちまって、もともと嵐の中だったしで船が思いっきり揺れて浸水して。
立ち入り禁止にしてた区域に入り込んでた子供見つけた接客係のにーちゃんが、降りてくるシャッターの隙間からそのコだけ投げ出して自分は閉じ込められて…ってシーンがあったの、コレだよな、確か。
すっかり爆弾解体モンの定番になった、元祖「赤か、青か」のクライマックス・シーンのセリフは、なんと英語で覚えてるし。…って、たった単語2つだし、ソコだけだけどな(^ ^;)

…と、まあ、そんくらい熱中したワケだけど。
そもそも、なんでいきなり映画、しかも洋物ディザスタ・ムービーだったんかは謎。単に、親父が観たかっただけっちゅう可能性がひじょーに高い。
自分は面白かったからいいケド、妹は途中で寝ちまったはずだ、確か(笑)


ところで、この『ジャガーノート』、イギリス映画になってるサイトもかなり。どっちがホントだ??
監督は一応、アメリカ人だけど、イギリスでやったビートルズの仕事の方が有名…なんかな?
舞台の豪華客船は、イギリスのサザンプトン出航してニューヨークへ…っちゅう設定らしいケド。
てか、そもそも映画の国籍って、ナニで判断するんだ? 制作…資本?? よく分からん。
自分が初めて1人で路線バスに乗ったのは、4歳か5歳の頃。
通ってた幼稚園は通園バスが無くて、保護者が送迎するか集団下校(?)だった。
自分は3年保育…つまり3歳で入園したんで、最初はもちろん親が送迎してた。
ケド、途中から、帰りはバスで親父の実家に帰って、仕事終えた親が夜迎えに来て家に帰るってパターンも増えたワケ。
その時は、集団下校の「近くのでかいバス停まで」ってグループに入って駅まで歩いて、各自がバスを待つ。
ちなみに、ココらでフツーに路線バス走らせてるのは、当時も今も伊予鉄1社だけ。
他のバス会社もあるにはあるケド、長距離バス…なんかなあ? 滅多に見ないし、もちろん乗ったコトもない。
ついでに言うと、郊外電車も市内電車も、伊予鉄だけしかない。

それはさておき。
当時は車掌サンがいて、うにょ〜んと腕木が出る方向指示器が残ってた時代。
自分が乗るべきバスは、漢字3文字なのは分かってても、まだ読めんかったから、行き先表示が3文字のバスを見つけたら、とちとち歩いてって、乗車口で車掌サンに「○○、止まりますか?」って聞いた。
あや〜、今思い出しても懐かしいわ。
一度なんか、違うバスの運ちゃんが、「○○通るんはしばらく来んけん、中で待っといで」つーて、バスの中で待たせてくれたコトもある。その上、バナナ1本もらった(^ ^;)
観光地のバス停だったから、屋根はなくてもベンチはあったんだけどね。覚えとらんケド、冬だったんかもな〜。
いやいや、運ちゃん、ありがとう。顔は忘れたし名前は最初から知らんケド、あの時のコトはちゃんと覚えてるから。

バスに乗ったら乗ったで、たまさか混んでたりすると、大人に埋もれちまって、「降りまーす」て手ぇ上げてんのにシカトされたコトもある(^ ^;)
仕方ないかな、何しろ小学校入学前の健康診断でも、ぎりぎり身長100cmだったんだから。大人の腰まであるかないかってトコ?
確か、その時は2年保育で入った1コ下の妹も一緒で、車掌サンが「次、オーラ〜イ」って朗らかに言ったモンだから、パニクった妹が泣き出したんだよなー。
自分は、も一度「降りますっ!」ってどなって、周りの大人が「降りる言いよるぞ」とかざわついて、気づいた車掌サンが慌ててバス停とバス停の間でバス止めた(笑)
次のバス停でも、全然問題なかったんだけどな。ばーさんの家まで、距離的にはほぼ同じだし。
単に、いつも降りてる駅過ぎると料金が上がるだけでさー。


ちなみに、当時、自分が払ってた運賃は、15円か25円か忘れたケド、とにかく1の位は5円だった。今なら、10円未満の端数は切り上げだけどな。
バスに乗ったら、車掌サンの動向をうかがってて、アナウンスとかドアの開閉とかのスキを見計らって、「○○から△△まで、コドモ1人お願いします」つーて切符買うワケよ。
ごくたま〜に買い損ねて、降りる時に直接現金渡したりもしたケドさ(^ ^;)
定期ならそんな面倒なコトしなくて済むのに、と思う向きもあるだろーケド、帰りだけだから。
それも毎日必ず乗るとは限らんかったしな。
あの頃はまだ回数券も無かったよなあ…??

車掌サンは、首から提げてるデカイがま口みたいな黒いカバンに料金放り込んで、ソコから切符の綴りの束出して、ばらばらっとめくってぱちぱちっと鋏でパンチ入れて、ちぎって渡してくれる。
その、「ぱちぱちっ」がカッコ良くて、すっげーやってみたかったのを、今思い出した。
それは3月1日のコト。
昼間、どーしても市内まで行かなきゃならんくなって、路線バスで出かけた。
(地図上ではココももちろん「市内」なんだけど、口語で「市内」つーた時は、繁華街のある市中心部を指す。何度も合併してでかくなる前の、だいたい昭和初期頃の市域じゃないかな。)
いや〜、ココに住むようになって10年近くなるケド、初めてバス乗ったさ(^ ^;)
歩いて5分のトコにバス停あるんだけどね。

中学入学から高校1年終わるまでは、バス通学してた。
自転車通学に代えてからは、たま〜に乗るだけになって。原付に乗るようになってからはさらに激減。
その後2年ほど広島にいた間は、バス・電車ばっかだったケド、伊予鉄バスはマジ久しぶり。
久々に乗ったバス…てか、久々に座ったバスの座席は、なんかすっげー不安定なカンジ。
こんなだったっけ〜? と思いつつ、ずりずり尻を動かして収まりのいいトコ探したんだけど。
シートベルト無いからさらにヘンなカンジだー(- -;)

降りる駅は、アタリはつけてたけど何駅先か分からんかったから、車内放送しっかり聞こうと思ってた。
20年くらい前、高知とか広島とかでバスに乗ると、「次は○○、ナントカ前です」みたいなフツーの駅名アナウンスの後に、バス停近くの商店だの病院だののコマーシャルが入ってて、何じゃこりゃ〜って大ウケしたんだけど。
……今やココらのバスでもコマーシャル入ってたよ(- -;)
しかし、「バスを降りると安らぎの空間が」って葬祭会館のコマーシャルは、ソレちょっとどうよ(^ ^;)
まあ、路線バス自体、かなり経営苦しい…てか赤字路線も多いコトだし、営業努力だな、仕方ないな。
でも、全然変わってなかったトコも。

「お客様にお願い申し上げます。危険ですので、バスが止まってから席をお立ち下さい。」

こ、このアナウンス…変わってねえ〜〜!(爆笑)

広島ではこんなアナウンス無かった気がするし、第一んな悠長なマネしてたら、運ちゃんに怒られるさ。
バスが止まる時には料金箱んトコ行っとらんと、「降りる人、おらんのですか〜?」とか、すぐマイクで言われたしな。
対して伊予鉄バス、のんびりしてるっしょ?(笑)
まあ、朝晩の通勤・通学ラッシュの時なんかは、それなりに混むんだけどね。でも「積み残し」が出るほどじゃなかったなあ。
ランドセル背負った小学生が、「失礼しまーす」つーて、前の座席の背もたれと客の膝の間に入ってきて立ってたりはしたケド(笑)
ちなみに、小学生でバス通学するのは、附小…愛媛大学教育学部附属小学校だけ。私立の小学校、無かったからな。
今回、自分が乗ったんは昼時だったんで、乗客もまばら。
運ちゃんもけっこー年いってたケド、お客サンもかなり年配の人ばっかだったから、止まるまで動かんのが正解だろうな。減速の勢いでコケたりするしな。


久しぶりのバスは、整理券発券装置も料金箱の位置もすっげー低くて、ナンカ自分が背が高くなったような錯覚起こした。
うーむ、公共の交通機関に関しては、マジ浦島太郎だな。今度、電車も乗ってみるかな〜。
郊外電車も市内電車も、もともとあんま利用しとらんかったケドさ(^ ^;)

開く トラックバック(1)

足の指の関節

中学か高校の頃、妹と足を比べっこしたコトがある。
発端は、靴が合うの合わんの、ドコが当たって痛いの、そういう話からだったと思う。
妹の足は、すらっと縦長で指が長いんで、銀杏の葉っぱみたいな末広がりの自分としては、すっげー羨ましかった。
…安定はいいんだけどねー。関節でかいんで、幅に合わせた靴履くと先が余るんだよなー。その上、靴の種類によっては、小指の付け根の関節に縫い目がモロ当たって履けねーし。

で、その時、気がついた。
自分の小指は、付け根とつま先の間には、曲がるトコは1コしかない。親指も同様。
でも、他の3本は、曲がるトコが2コある。つまり、床に押し付けて力入れると、

  _| ̄ ̄

こんな風に曲げられるワケ。
妹はというと、左足の薬指は2ヶ所で曲がるのに、右足の薬指は小指と同じように1ヶ所しか曲がらん。

なんでだ〜??

で、すぐさま弟の足もチェック。
なんとコッチは、右も左も、薬指の曲がるトコが1コしかないじゃああーりませんか。

なーんーでーだ〜??

遺伝

20歳頃、初めて入った喫茶店でのコト。
注文取りに来たおばさんが、一旦引っ込んだあと、戻ってきて、遠慮がちに話しかけてきた。

「もしかして、○○のはるかちゃん?」
はあ? いかにも自分は永ですが、そちらはどなたさんで??

「△△の新宅の…」
ええと、△△つーたらばーさんの実家だな。新宅の…っちゅうコトは、ばーさんの兄さんの息子の嫁さん…てコトかな? ……知らんがな。

「覚えとらんじゃろねえ、2歳か3歳の時、1回会うただけじゃけん」
………てか、何でアンタそれで自分が分かったですか(^ ^;)

「もう、お母さんそっくり。すぐ分かった」
……あ、あははは、はぁ(- -;) 遺伝、恐るべし。


自分は、ガキの頃から、周り中に「母親そっくりの顔」と言われてた。自分でも、顔と体型は母親似だと思ってたし。
対して妹の方は、誰に聞いても「父親そっくり」。
自分と妹は、区別が付かんくらい似てると言われてて、実際、たまに会う親戚なんかは間違えたケド、単品だと「母親似」と「父親似」に分かれたワケ。
ところが、たった1人、実家の隣のおばさんだけが、自分の方が父親似で、妹が母親そっくりだと主張する。
自分と妹は、そんなはずないのにねー、と不思議がってたワケだ。

自分が28ぐらいの時だったかなあ、親戚の結婚式のスナップ写真で、母親と妹が一緒に写ってたんだけど、ソレ見て驚いた。
妹、母親そっくり。生き写し。おんなじ顔が並んでますがな、みたいな。
自分も一緒に写ってるのもあったケド、どう見ても妹の方が似てる。
…どっひゃ〜、こーれはびっくり。
体型とか手足のバランスとかは親父そっくりな妹だけど、顔は母親似だったんだなー。
いやー、初めて知ったよ…と、認識を改めた。

で。自分の顔が父親に似てると気づいたのは数年前。
自分、写真に撮られるコトってほとんどないし、鏡は左右逆だから気づくの遅かったんだな。
丈夫な内臓とか体型とかは母親そっくりな自分だけど、顔は父親似でしたわ(^ ^;)
好みとか考え方とかは、父親に似てるの昔から知ってたケドね。

周り中でただ1人だったあの「隣のおばさん」は、正しかったワケやね。


ちなみに、弟は、生まれた時からずーーーっと、父方のじーさんそっくり(笑)
でも、立ち居振る舞いは親父そのまま。10歳の時に死んでるから、見て覚えたワケじゃないと思うんだけど。
やっぱ、遺伝、恐るべしだな〜。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事