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焼き飯。 よーやく思い出した、母親が作ってた料理。結構好きだった。 入ってるのは、塩鮭のほぐしたのと、みじん切りの玉ねぎとニンジン。味付けは塩・胡椒だったと思う。 最近の塩鮭は「甘塩」とか「中辛」とかあるケド、昔は、焼いて一日経ったら、腹の方なんて塩の塊みたいになるほど辛いモンだった。ソレをほぐして使うワケ。 「焼き飯」ってったら、コレしか知らんかったな〜。もう30年ほど食っとらんケド…。 うーむ、やっぱり他には思い付かん。 ウチの母親、料理はヘタじゃないケド、ハンバーグもコロッケも自作したことない人だからなあ。 味噌汁は、ばーさんの味だし。 市販のヤツより余所のお宅のより実家の味の方がいい、と思うものは他にもあるケド、ぜーんぶ「ばーさんの味」。 ま、別にいいんだケド。
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懐かしい話
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雛祭りの頃だったかな、ばーさんが毎年作ってたものがある。 白玉粉か上新粉か小麦粉か片栗粉か分からんケド、とにかく粉と砂糖と漉し餡を混ぜて蒸したヤツ。 確か、「蒸し羊羹」と呼んでたはず。 でかい小判型で、菜箸押し付けて筋目を付けてあった。斜めに3本とか、斜め格子とか。 作ってた時期は、雛祭り(この辺は4月3日)だからか花見だからか忘れた。秋祭り(10月7日)にも、作ってたかな……? これが、松山の郷土料理なのか、それともばーさんオリジナルかは知らない。余所で覚えてきたんかも。 あの人の場合、餡餅入り雑煮とかトルティーヤとか、この辺とは縁もゆかりもないもの作ってたからなあ(^ ^;) もう一つ、これも雛祭りとか秋祭りとかの時に作ってた「びっくり羊羹」てのがある。 これは、共通語で言うなら「寒天」。 寒天液に砂糖と漉し餡を混ぜたヤツと、砂糖と缶詰のみかんを入れたヤツが定番。餡入りのは「水羊羹」とも言えるかも。 この「びっくり羊羹」は、小学校時代、同級生には通じなかった。この辺での呼び方じゃなかったんかも。 ……ばーさん、コレもドコで覚えたんだ(- -;) びっくり羊羹の方は、行事がなくても時々作ってた。 寒天は、昔のこととて当然、棒寒天。なので、溶けきってない欠片が入ってたり。自分、ソレが大嫌いで…(T_T) ま、今思えば、それもまたご愛敬なんだけどね。 タイトルとは関係ないけど、ばーさんはごくたまにチーズも作った。近所に住んでた親戚が牛飼ってたんで、牛乳もらってきて。 鍋でぐつぐつ、晒し布の袋で漉して…だったかな? 乳製品全般ダメな自分には、拷問のような匂いだった(ToT) できあがった丸い円盤形の白っぽいチーズを、ばーさんは適当にスライスして、醤油をチョットかけて食った。 ………何故に醤油???
ナンカの本で、「フランスのチーズは、いわば日本における漬け物のようなもの。種類も多いしフランス人の食事には欠かせない」みたいな記述を読んだことあるケド、それとは全然カンケー無いよなあ? |
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アンケートとると、だいたい、カレー、コロッケ、肉じゃが辺りがランクインするらしい。あと、味噌汁とか? 自分の実家は、コロッケは買ってくるモンだったし、家で肉じゃが食った記憶もない。てか、それ以前に、「おふくろの味」じゃなくて「ばーさんの味」だった。 母親が料理してたはずの6歳までの食の記憶はほとんどないし、ばーさんが料理できなくなった頃には、自分が実家離れてたし。 ま、「おふくろの味」=「その家庭の味」だと思えば、ばーさんでも問題ないか。 で、自分の「おふくろ(ばーさん)の味」はというと…。 1 トマトスープ
………って、なんかラインナップがハイカラだぞ、ばーさん(^ ^;)2 マカロニサラダ 3 オムレツ トマトスープは、くし形に切ったトマトと肉団子のコンソメ仕立て。 すっげー簡単だけど、うまいんだ、これが。トマトは、完熟より酸味がある方がよろしい。 ばーさんによると、ホントは、中身くり抜いたトマトに挽肉詰めて、スープで煮るのが正しい作り方らしい。…って、そりゃスタッフドトマトのスープ煮じゃないかと…(^ ^;) ばーさん曰く「めんどいけれ、べっこにした」。わははは、やっぱり〜。 ばーさんアレンジのレシピは、合い挽き肉にチョット強めに塩胡椒して、みじん切りの玉ねぎと卵入れてこねこねして、スプーンで丸めて湯に落とす。火が通ったらトマトを入れて、塩少々で味を調整して終わり。スープには胡椒を入れちゃイカンのだそーな。 でも、自分が作ると、どうにも味が薄い。で、市販のコンソメ少し入れて、胡椒も入れちゃうんだけどね。 ちなみに、トマトはプチトマトでも可。あんまり甘みの強いヤツは向かないかもだけど。 大量に貰って冷凍しといたヤツで作ったことあるケド、団子もトマトもコロコロでかわいかった。 マカロニサラダの基本形は、角切りレタス、マカロニ、さいの目切りのジャガイモ、小口切りの魚肉ソーセージ、缶詰のみかん又は銀杏切りのリンゴ。で、マヨネーズであえる。 時々、キュウリのスライスが入ったり、ソーセージが鶏肉になったりした。 フツーの…てか、ドレッシングかけるようなサラダは、実家では食ったコトない気がする。 レタスは金気を嫌うから、手でちぎった方がいい…なんてコトは、当時は知らんかったなー。 オムレツはチョット謎。 形は厚焼き卵みたいな直方体で、中までしっかり火が通っている。入ってるのは、ジャガイモとニンジンと玉ねぎと鶏肉。全部さいの目切り。たまに、斜め切りのサヤインゲンも入る。 具は、最初っから卵に混ぜて焼く。だから、玉ねぎ以外は先にゆでてある。 ……コレって、今考えると、形こそ違えどはっきり言ってトルティーヤ。俗に言うスペイン・オムレツじゃあるまいか。 ずーっとコレで育った自分は、大学の頃、初めてフランス式のオムレツを見て、もの凄いショックを受けた。 どろどろだわ具は無いわ、こんなんオムレツじゃねえ、と思ったモンだ。だいたい、半熟だから食えねーし(T_T) 世間的には、そっちがフツーのオムレツだと知って、またビックリ。 それにしても……ばーさん、一体ドコでトルティーヤなんか覚えたんだ〜。やっぱ長崎にいた頃か? 次点は、お肉のジュース。
病人用のビーフ・ジュースとは何の関係もなくて、どっちかってと油を使わんすき焼き。 鍋に湯を沸かして、肉と糸こんにゃくと白ネギともやしを入れ、砂糖と醤油で味付け。 コレがなんでジュースなのかは謎。あるツレのトコでは、ほぼ同じ料理を「肉スープ」と称するらしい。その方がまだ分かるな。 コレにしろ親子丼にしろ、ばーさんが作るとかーなり水が多い。なので当然、味は薄め。親子丼なんて、初めて見た人はかき玉汁だと思うかも。 料理の本に載ってる親子丼は、水チョットしか使わないんでビックリした。一応、その通りに調味料合わせてみたら、甘過ぎの辛過ぎ。こりゃ食えん。 3カップほど水足して、よーやくなじんだ味になったさ(^ ^;) ちなみに、自分、正しい親子丼食えません。甘い辛い以前に、卵が半熟なんだモン(- -;) |
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小学校3年生まで、自分は、ホントによく風邪をひくガキだった。 しかも、風邪ひくと必ず自家中毒を起こした。 学校も、しょっちゅう休んだ。 生まれた時は3,300gで、いっちょまえサイズだったのに、その後の発育は亀の歩み。 小学校入学前の集団健康診断の時、小さいのを気にしてた母親は、内科検診担当の医者に相談した。 医者、答えて曰く。 「お母さん、身長100cmには足りてますから、大丈夫ですよ」 ……あんま慰めになっとらんよ、センセ(^ ^;) ま、そんなミニサイズで、色白なんだか血色が悪いんだか(実は両方だ)な顔色だから、見てくれ通りの健康状態と言えんこともなかったんだケド。 幼稚園の頃はもっと丈夫だったはず、と、親は心配する。こんなに休んでいては、授業について行けない。 じじばばは、初孫なので、もっと心配する。 ある日、ついに、ばーさんが実力行使に出た。 自分と、ついでに妹も連れて、四国八十八ヶ所第51番札所石手寺に……ぢゃなくて、その近所のばあちゃんのお宅へ。 その時は、全然ワケ分かってなかったケド、ありゃ拝み屋さんてヤツだな、今思うに。 どんな話したかとかは、全然覚えてない。ただ、前向きと後ろ向きで拝んでもらったのは覚えてる。 そのあと、糸でぶら下げたすっげー小さいぬいぐるみを貰った。人差し指の先くらいの大きさ。 「ずっと持っておいで」と言われたケド、肌身離さずとは言われんかったんで、帰ってから勉強机の脇に吊した。 で、その後。 高校卒業するまでの9年あまりの間で、学校休んだのは合わせて10日ほど(忌引き、インフルエンザ、風疹含む)。 これ、マジ。 ある程度年がいってりゃ、暗示とか思い込みとかあるかも知れんが、何されてるやら見当もついてなかったガキなのに、効果てきめん。 ま、この話すると、「そろそろ身体が丈夫になる時期だっただけ」って言うヤツもいたケドね。 自分にしたトコで、この手の拝み屋さんとか霊能者とか、信じ切ってるワケじゃないし。でも、アタマから否定もしないよ。 「小学3年の時に、あるばあちゃんに拝んでもらってから、病気しなくなった」てのが、自分にとっての事実。真実は、この際どうでもいい。大勢に影響ないし。 あのばあちゃんには、感謝してます。 おかげさまで見かけよりは遙かに頑健。…相変わらず血色悪いし、サイズもミニミニだけど。 ところで、その時貰ったぬいぐるみ。実は、まだ持ってたり(^ ^;) 貰った時のままの木綿糸で、デスクのZライトからぶら下がってる。 以前、コイツを見たツレが「さるぼぼだ〜」って言ったケド、どうも飛騨のさるぼぼとはチョット違う。 赤いのは同じなんだけど、頭がすげー小さい。何にも着てなくて、しかも身体をぎゅうっと縮めてる。手も足も抱え込んで、丸まってるカンジ。 ……実のトコ、何なんだろう、コレ?? どなたかご存じの方、いらっしゃいませんか? …と言いつつ写真がないのは、小さすぎて今のデジカメじゃボケボケだから。
すいません、まともなデジカメ買います(- -;) |
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長野とか新潟とか、雪に慣れてるトコでもシャレにならん積もりっぷりの今日この頃。 確か、小学校か中学校の社会科で、東北かどっかの家は、軒を深くして、雪が積もっても通路は確保する工夫が…とか、梁の組み方に雪の重みを逃がす工夫が、とか、習ったような気がするケド、自分がそんなコト思い出してみても、今の雪害にはなーんの役にも立たんな(- -;) 雪国の皆様にお見舞い申し上げますと共に、無事健勝を切にお祈り申し上げますm(_ _)m 積もるほどの雪には、あんまり縁のないこの辺だけど。 自分の古いアルバムに、でかい雪だるまの写真がある。まだカラー写真出回ってない頃なんで、当然白黒。 高さ150cmくらいの雪だるまには、眉、目、鼻、口が炭で作ってあって、洗面器をかぶってる。 …フツーはバケツだと思うんだケド、何故か洗面器。多分、アルミのヤツ。 隣に、生後半年の自分を抱いた母親。 辺り一面真っ白。 後ろに写ってる鶏舎も、寒さよけの白い寒冷紗張られてるから、ますます真っ白。 母親が手書きしてる日付は、昭和38年1月9日。 いわゆる「三八豪雪」の時。この辺でも相当積もったらしい。 うーむ、自分が生まれて初めて見た雪が、これかい。さすがに覚えとらんケド。 写真の鶏舎、何かちゃちぃカンジで、自分が覚えてるのとは全然違う。 まあ、当然だわな。自分らは、高度経済成長期とともに育った年代だし。 だんだん忙しくなったり、鶏の数が増えたり、倉庫が広くなったり…まさに体感したさ。 一番古い記憶…多分、2歳か3歳頃は、納屋みたいな狭いトコで、裸電球の下、座り込んで卵の仕分けをしてた。 新しい倉庫と、隣に事務所兼従業員の休憩所ができたの、いつだったかなあ。小学生くらい? 多分、今の実家に引っ越した後だったと思う。工事の記憶ないから。 卵は、小さいベルトコンベアーみたいな機械に1コずつ流せば、重量を自動計測して仕分けできるようになった。 卵流すのと、仕分けされたのを箱詰めするのは人間の仕事だったけどね。 あの頃は、ヒビが入ってる卵は、手に持っただけで勘で分かった。さすがに今は鈍ったな。 仕事が終わった倉庫で、実家に帰る前の短い時間、天井の梁をネット代わりに母親とバレーボールやったりもした。まだまだ東洋の魔女の時代(笑)多分、『アタックNo.1』で『サインはV』の頃。 ずっと後になって母親に聞いた話では、雪だるまができるほどの雪が降ったせいで、鶏舎の一部が潰れたらしい。当然、鶏も犠牲になった(- -;)
そんでも雪だるま作ったウチの親父。やっぱ親バカ?(笑) ま、親父もまだ29歳だったし、滅多と無いチャンスに自分が作りたかっただけかも知れんが。 いやいや、珍しいモンの写真残してくれて、感謝してますって。 死んだ鶏さんは気の毒だったケド。ちゃんと鶏供養してたし、勘弁してなー。 |


