中途半端

ご無沙汰だけど、生きてはいる

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流行性感冒

今は、インフルエンザって言う方がフツーだけど、自分のガキの頃は、流感(=流行性感冒)の名称の方が一般的だった。

まだ養鶏場にいた頃だから、4歳か5歳の時、親父・母親・妹が、そろって流感にやられた。
その時に、世の中には「感冒」と「流感」という2つの風邪があるのを知って、単語として記憶した。
で、家族みんなが流感なのに、自分だけ、なんでか無事だった。
これが水疱瘡やおたふく風邪なら、面倒だから一緒にやって、で妹とくっつけて寝かされるトコだけど、幼児に流感はマズイ。
てなワケで、自分は隣接してる養鶏場に預けられた。
フツーなら親父の実家に預けられるトコかもだけど、遠いのよ。松山市の両端みたいなモンだから。
親父も母親も運転どころじゃないし、じじばば免許も車も無いし。
母親の実家は、さらに遠い高知との県境なんで論外。
ナンカ、ホント、着の身着のまま、ってか、身体一つで預けられた…ような気がする。
だって、自分のパジャマじゃなくて、そこのおねーさんの昔の寝巻き借りて寝た記憶が…(^ ^;)

何日くらい隣家にいたのかは忘れた。
他の家族が、何をどうして回復したのかも、知らない。
母親はもと看護婦だけど、本人も患者になっちゃってたからねえ。

しばらくして家に帰ったら、何でか自分だけ風邪ひいた。フツーのヤツ。
ま、インフルエンザよりましか。
中学の時、一度だけやったケド、痛かった。関節が。
おかげで、フツーの感冒と流行性感冒の区別がつくようになったし、何事も経験っちゅうことで。

でも、もう流感はごめんだなあ。
スーパー程度の人混みにしか行かんから、睡眠不足と空気の乾燥に気を付けて、ちゃんとうがい・手洗いしてれば、まずかからんはず。
……相方が、会社でもらってきさえしなければ(- -;)
今年は、予防接種受けたらしいから、大丈夫だと思うケド。でも、予防接種は、型が外れたら何の役にも立たんからなあ。
予防接種の型が当たってることと、鳥インフルエンザウイルスが「人→人」感染するような突然変異を起こさんことを祈るよ。
「ぴこぴこ」ってのは、乳幼児にくわえさせる「おしゃぶり」のコト。ウチではそう呼ばれてた。
多分、胴体の方を強くつまむと、ぴこぴこ音がしたんじゃないかと思う。
ほら、よく幼児用の靴のかかととかに仕込んであるヤツ。あんなカンジ…じゃなかったかな。

自分、おしゃぶり取れるのは、結構遅かった。3歳くらいだったかなあ。くわえてたの覚えてるさ(^ ^;)
多分、もうとっくにやめてなきゃいかんかったのを、「持ってるだけ」とか言ってごまかしてたらしい。くわえてるトコ母親に見つかると怒られたし。「やめんと捨てるよ」と脅されるだけだったケドね。
その頃着てた服は、だいたい胸か腹にでかいポケットがあったから、そこに入れといて、親の姿がない時にくわえるワケ。で、やばい、と思ったら、さっとポケットに(笑)


ある時、見つかりそうになって慌ててポケットに隠そうとしたら、ぽろっと手からこぼれた。
大事なぴこぴこが、敷地の境の金網の下から、外に転がり出てしまった。
ウチの周りはまばらな雑木林で、ちょうど金網の辺りから下りになってて、10メートルほど下の行き着くところは農業用の溜め池。
金網は、その溜め池をぐるっと囲んでいる。当然、出入りのために切れてるトコはあるんだけど、溜め池には絶対に近づいてはいけないと躾られていた。痺れるほど水が冷たくて、すり鉢状に深くなってるから、危ないんだわ。

なので、外から回って拾いに行くなんてことは、思い付かない。
でも、早く拾わないと、親に見つかる。見つかったらそのまま処分される。
必死になって金網の下から手を伸ばしたら、指先が届いた。
よしっ、何とかこっち来い…こっち……あ!

斜面の石ころにかろうじて引っかかってたぴこぴこは、ちょんとつつかれて、ころころとさらに転がり落ちていった。
焦った自分は、さらに手を伸ばした。でも、石ころだらけの地面と下枠に腕が挟まれて、全然届かない。
こ、これはいけん。
ますます焦った自分は、その辺から棒きれを拾ってきた。棒でもってこっちにかき寄せようというワケ。
網の目から棒を突きだすと、斜め下のぴこぴこに届いた。
……届いたケド、それだけだった(T_T)
何故なんだーー!(←3歳児、心の叫び(笑))

その時は、届くのに動かせないのが、すっげー悔しくて悲しかったんだけど。
今考えると、当たり前だわな。斜面の上から斜め下に棒が届いたところで、どうやって上に上げるんだ。しかも、金網の目で棒の可動範囲は限られてるし。
道具を使う、その発想は良かったんだけどねー。


それからしばらく、ぴこぴこは雨ざらし日ざらしでそこに転がってた。
見えるトコにあるだけに悔しさが募ったケド、自分で落っことしたとあっては、もう仕方がない。
でも、かなり長い間、未練がましく取ろうとしてたな(笑)

何年後だったか、ウチの敷地が広がって、金網も数メートル下にカッコいいのが立て直された。
自分は小学生だったと思うケド、日曜に養鶏場の手伝いに連れてかれた時、ぴこぴこを探した。
や、今更どうしようってワケじゃないケド、落とした場所は分かってるし、何となく、何となく(^ ^;)
結局、見つからんかったケドね。


生前、実家の庭で草引きしながら、
「前の家は、ちょうどここら辺に箪笥を置いとって、引き出しの奥に、一個だけ供出せずに隠しといた指輪が…」
と言いつつ、かりかりと地面を熊手でかいていたばーさん。
供出っても、今の若い人にはピンとこないかな。日本は資源がないからね、戦争で輸入が止まるとあって間に不足して、農作物はもちろん、金物、貴金属、馬、果ては犬猫まで、国民から半強制的にかき集めたワケ。貴金属については安く買い上げたっちゅう話もあるケド、その辺はよく知らない。
空襲で家が丸焼けになった後、ばーさんの指輪は、さんざん探しても見つからんかったらしい。何年たっても諦めきれんかったんやね。

自分は、確かにアンタの孫ですわ(^ ^;)

おやつ

自分の小学校入学を機に、一家で父親の実家に引っ越した。
理由は、それまで住んでた養鶏場近辺には自分らと同世代の子供がおらず、小学校は「狸が出るような畦道」(母親談)を歩いて何十分トカだったから、らしい。
今思うと、ウチの親って教育熱心だったんだな。物心ついた時には、自分、学校ってのは、小・中・高・大学と行くのがフツーだと思ってたし。
実際には、全然フツーじゃなかったんだけど(^ ^;)
同級生の女のコの中には、大学受験を巡って親族会議になったコもいた。「女が大学、それも短大じゃなくて四年制なんて」ってワケさ。
それを聞いたツレの反応も、「ああ、大変だなあ」であって、「何じゃ、そりゃ?」じゃなかった。まだ、そんな時代だった。

ま、それはさておき。
実家は、蜜柑農家だった。歩いて2分くらいのトコに、主に温州蜜柑を植えてる山があった。
ネーブルとか伊予柑とかがメインの山は、ちょっと離れてて、実はほとんど行ったこと無いから場所もよく知らない。傾斜が急なんで、危ないからガキは入っちゃいかんって言われてたし。

で、その密柑山の方。
蜜柑の収穫は、ここらでは「蜜柑もぎ」と言う。実際には、ちゃんと鋏で切るんだけどね。
この時は、何人か人を雇って作業をする。親父と母親は養鶏の方行ってるし、じーさんは勤めに出てるしで、ばーさん一人じゃムリだから。
蜜柑もぎの時期になると、小学校から帰ってきた自分に、ウチの倉庫の方で作業してるばーさんが、「山におやつ持って行っとおくれ」と言う。
で、台所に行くと、針金入りのナイロンで編んだバケツ型の買い物カゴとやかんが置いてある。カゴの中には、無造作に放り込まれたあんパンとかジャムパンとかの菓子パン。やかんには、沸かして冷ました麦茶。
これが、ばーさん言うところの「おやつ」。
自分は、片手に買い物カゴ、片手にやかんで、麦茶をこぼさんように、よたよたと山に向かうワケやね。

他の作業の時でも、とにかく山に人がいると、「おやつ持って行っとおくれ」。
そんなコトを何年もしてたモンだから、すっかり「おやつ=密柑山で作業する人のための、菓子パンと麦茶」が刷り込まれちまったさ。

いわゆる「おやつ」というか、子供用の菓子類は、戸棚の中にあった。
まあ、自分らの感覚では「戸棚のお菓子」で、「おやつ」じゃなかったケド。
でかい空き缶に、かりんとうとか煎餅とかが入れてあって、食事の前でなければ、勝手に食べて構わんかった。量は、各個の判断に任されていた。
…よく考えるとすげー話かも。でも、食べ過ぎた記憶はないよ。
て言うより、いっぺんに食っちまうと、すぐに補充されるとは限らんから、翌日から寂しいさ(笑)


晩メシの後には、蜜柑とか柿とか、果物もよく食った。たいてい親父が「蜜柑取ってくれ」とか言って、何となくみんなつられて。
「デザート」なんてオシャレな感覚じゃなかったのは、多分、剥かれた皮がお盆に山積みになったからだな(笑)
親父は、ホントに好きだったのか、食餌療法として食ってたのか……多分、両方だけど、比重は4:6で後者(- -;)
夏場は、利尿作用があるってんで、しょっちゅうスイカ食ってたから。
マンゴスチンが果物の女王と呼ばれてるってのも、その頃親父に習った。実物見たのは、二十数年後だけど(笑)
あの頃は、まだ、バナナが高級品だったんだよー。お見舞いも、果物の缶詰が多かったし。
マスクメロンてのは、たまにお土産でもらうショートケーキの上に載ってるモンだった。
今や、種類によってはそこらのスーパーでも売られてるモンなあ。
いやはや、隔世の感だわ。

クリスマス

ガキの頃、宗教的には縁もゆかりもないのに、カトリックの幼稚園に通っていた。
敷地内に教会があって、そこの2階に住んでおられる神父様が園長先生だった。
当然、クリスマスは盛大にお祝いする。
もう行事の順番なんて忘れたケド、でかいツリーも飾ったし、サンタさんがお菓子配ってくれたり、園児総出のお遊戯会みたいなのもあった。
お遊戯会の最後は、『キリスト降誕劇』だったと思う。突如現れたでかい星に、あっちで羊飼い、こっちで東方の三博士が驚いて…ってトコからだったかな? ヨゼフ様とマリア様が旅してるトコから? はっきり覚えてないや。
ナレーション担当の子がいて、舞台上ではセリフはない。ま、動く紙芝居みたいなモン?
「お花」とか「星」とかでも、とにかくナンカの出番はあるんで、出番まで他の教室で待機するから、通して見たことはないんだけどね。

いや、ホントなら、入園した年は見れるはずだったのよ。
前の方の園児席で、おとなしくお遊戯を見てた自分のトコに、センセがそーっとやって来て、
「はるかちゃん、トイレ行こう」
「行きたくないよ」
「いいから、行こう。おいで」
「???」
ワケ分からんまま、おとなしくセンセについていく自分。
言われた通りムリヤリ用を足したら、真っ白いシーツでぐるぐる巻きにされた。
それから、前に幕が下りてる板張りの床のど真ん中に連れて行かれた。
「はい、足を前に伸ばして座って。座ってるだけでいいからね」
「しんどい」
「ガマンして。いい? 先生がお迎えに来るまで、動かないでね。喋らないでじっとしててね」
「?? …うん」
自分、おとなしくじっとしてたですよ。後ろにひっくり返りそうになりながら。
そしたら、目の前の幕が上がっていくじゃああーりませんか。

………舞台の上だった(- -;)

なんじゃ、こりゃあぁぁ〜。(←心の声)
いつの間にやらヨゼフ様とマリア様が隣にいるし、長いの引きずった子が、自分の前に跪いてナンカ置いてくし……あ、東方の三博士。てことは、『降誕劇』の後半部分ですかい?
そうこうするうちに、舞台上にわらわらと天使だのお星様だの花だのがやってきて、整列して、終わった…んだと思う。
つまり。
ワケ分からんまま、「飼い葉桶のイエス・キリスト」をやってしまったのだった(- -;)


その時、父兄席で見てた母親は、
「気がついたら、はるかがおらん。どしたんじゃろか思いよったら、舞台の上ですまーして座っとるがね」
イヤ、すましてたつもりはないですが。どっちかってと、たまげて固まってたんではないかと。

後で聞いた話だと、その日、イエス様をやるはずだった子が、急に休んだんだそうな。
で、同じくらい小さい子はおらんか、ちうことで、自分にお鉢が回ってきたらしい。
いくら座ってるだけとはいえ、3歳半の幼児にぶっつけ本番やらせるか〜?
我ながら、よくひっくり返りもせずじっとしてたモンだ。


その後、卒園するまで2回のクリスマス会があったワケだけど、自分は相変わらずちっこいままだったんで、あこがれの「天使」も「星」もやらせてもらえず、2回とも「花」だった。紙で作った花のお面、おでこに付けて座ってる役さ(T_T)
何が悔しいって、妹は「星」やったんだよなー。
くそー、生まれた時は自分は標準サイズ、妹は未熟児一歩手前だったのに、大きく育ちおって…。
いや、すくすく育ってよかったことだ。……でも、できれば、5cmほど分けてくれんかなー、なんて。
それでも妹の方がでかいケドな(- -;)

ウサギリンゴ

今回のは、痛い話。流血沙汰なんで、ご注意下さい。


ガキの頃…2歳か3歳頃のコト。
その頃は、親子4人で、養鶏場と同じ敷地内の家に住んでた。
とある昼間、急にリンゴが食いたくなった。たまたま食卓の上にでも、置いてあったんかも。
母親も父親も、仕事をしてる時間帯で、自分は一人で家にいたと思う。妹がそばにいた記憶はないから、多分、母親が連れてたんだろう。
養鶏場の規模としては、そんなにでかくなかったけど、それでも、どこにいるか分からん親を捜すとなると、幼児にはちと広すぎた。
それに、大人の仕事の邪魔をしてはいけない、て言われてたし。
リンゴ食いたいってのは、非常事態でも何でもないし。

……自分で何とかするか?

でも、包丁に触ってはいけない、とも躾られていたワケで……すごーく、迷った。
丸かじりすりゃいいようなモンだが、その頃の自分にとって、リンゴとは、ウサギリンゴにして食うものだった。
いや、いつも母親がそうやって剥いてくれてたからさ。それしか知らんかったのよ(^ ^;)
で、ガマンも丸かじりもできんかった自分は、自分でウサギリンゴを作ることにした。

親の言いつけに背いて……(- -;)
でもね。一応、ガキなりに考えたのよ。
自分は、とっても小さいから、小さい包丁を使うべきだ…って。いや、マジで。
で、椅子持って来て流し台によじ登って、壁際の包丁立てから、一番小さい包丁を取った。
そこまでははっきり覚えてるんだケド、その後、まず切ろうとしたのか皮を剥こうとしたのかは、定かでない。
次の記憶では、すっぱり左手の親指切っちまってた。

痛くなかったわきゃないが、それより何より、マズイ、と思った。
何しろ、絶対に包丁に触ってはいけない、と言われていたのに、親に内緒で使ってこのザマだから。

頭の中は「マズイ」一色なんだけど、血は出てるし。
とりあえず、手近にあったふきんを傷口に押し付けて、ぎゅうっと握った。
握ったまま、ひたすら、困った。
どのくらいそうしてたか、全然覚えてない。
次のシーンは、親父が、名前を呼んだきり、絶句してるトコ。
そらそうだろう、真っ赤に染まったふきん握りしめた我が子が座り込んでりゃさ(^ ^;)
叱られたかどうかも、結局リンゴを食えたのかどうかも、忘れた。多分、大目玉食らったろうケドね。

ただ、「小さいから、小さい包丁を使った」とは、白状したらしい。
後々になっても、自分が理屈っぽいことを言い立てるのに、母親は、そのことを持ち出す。
そりゃ別にいいんだけど、その包丁、たまたま母親が研いだばっかで、切れ味抜群だったんだな(- -;)
例によって親父は、「刃物のケガは、切れ味がいい方が治りが早い」とか言ってた。まあ…でかい血管や神経切らんかったから、言えることだけどなー。


キーボードに手を載せて、ふと視線を落とすと、この時の傷痕が目に入る。
もう一ヶ所、左の人差し指の小さめの傷も。
こっちは、小学生の時、親父が「そんなんしよったら、手ぇ切るぞ」と言うのを聞かずに、固いジャムサンドクッキーを切ろうとしてて、ナイフでやっちまった傷。
それ見た親父曰く「ほれ見ぃ。切ったろが」。
他にも、工作やってて肥後の守で、とか、カッターでうっかりとか、あっちこっち切ったけど、一目で分かるような痕が残ってるのは、この二ヶ所だけ。
やっぱ、親の言うことは聞けってか(笑)

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