梢のぶつぶつ

最近は高い木が少なくなったけれど、それでもこうしてとまっていると遠くのものも見えてくる。

日本人戦争必敗論

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軍靴の音

ぐっちゃ ぐっちゃ

がっぱ がっぱ

ずるっ ずるっ ずるっ

・・・・・・



これが大日本帝国陸軍の軍靴の音である。

明治初年の建軍以来、牛革で作られてきた軍靴は、
1942年には馬革や豚革で作られるようになり、
1944年には鮫革の軍靴が「開発」された。
軍靴は過酷な使用に耐えられるよう、鉄の鋲などでしっかりと止められていたものだったが、
鮫革の「開発」とともに、粗悪な接着剤でくっつけたゴム底の「無鉄軍靴」が登場する。

水棲動物である鮫の皮は陸上動物のそれのように水をはじかず、逆に水を通した。
軍靴の中はすぐに水浸しになり、ゴムの靴底はジャングルの草の上ではよく滑った。
接着しただけのゴム底は行軍にすら耐えず、すぐに剥がれて口を開けた。
やがて、1944年以降に配属された新兵たちは、底の取れた「軍靴の残骸」を引きずって行軍しなければならなくなった。
それが、冒頭に書いた「軍靴の音」である。

補給を軽視し、精神論と思い込みの妄想だけで「作戦」を立案する上層部には、
「戦線を縮小して体勢を立て直す」という根本的決断のできる人物がいなかったようだ。
この軍靴の音にも、それが端的に表れている。

惨憺たる敗戦の後、73年。
この国は何かを学び、何かが変わっただろうか?

いまだに
上に行くほど愚物揃いになる
という社会の仕組みは変わっていないのではないか?

この書庫は基本、転載記事なんだが
そこに書かれていない大日本帝国の敗因について
一つの数字を上げておこうと思う。


日中戦争が膠着状態になり、
日米開戦へと突き進もうとする中
日本は、占領した広大な中国領土を維持・防衛するために
「高度分散配置」という体制をとる。

「高度分散配置」とは、平たく言やぁ、兵士の人数が足りねーんで少人数で分散して広い大陸領土を守れ。。
っつーだけの戦術にすらなってねー愚策のことだ。
「高度」とつけりゃカッコ良さげ♪  って発想が、最近の「高度プロフェッショナルなんたら」と重なるよなぁw(日本の支配層はずっと愚物のままなのかもね)

その防衛密度
平方キロメートル当たり、兵士0.38人。

この状況で、さらにアメリカと戦争おっぱじめよう。。。ってんだ。

負けるに決まってるよな。

小学生でもわかる算数。



これがわからなかったのが
当時の国家中枢部。
「愛国心」や「不屈の精神」でなんとかなる。。
というおよそリアリティのないことを
上だけじゃなく、一般国民まで信じ込んでいた。

そして敗戦後の今も
形を変えて
この国の中枢部は同じことを繰り返している。

転載記事です

とても大事な視点だと思って全部もらってきた。

先の戦争の「反省」というと
謝るか、悲惨さを訴える以外やられてこなかったように思う。

なぜ負けたのか
という「反省」が見当たらない。

過ちを直視して
間違いから学ばなくては
別の形ででも、また同じ過ちをくり返す。

1から順に読んでください。。
私の原発日誌(その623) 
 
 
日本人戦争必敗論(3)
 
 
 
ミッドウェ―海戦に国運を知る
 
 
国運などという言葉を持ち出すと一般の人はすぐ斜めに身構える。
 
運などという言葉は現代人にはなじまないからだ。
 
なんでも運次第という言葉は因果律とはかけ離れた考え方だからであ
 
る。
 
 
岩波新書に石母田正著「平家物語」がある。石母田氏のルーツは石巻
 
市であるが、もともとは伊達藩士であり、ルーツは福島県北部にある。
 
石母田城址も存在する。
 
私はこの本で運命というものを学んだ。
 
『平家物語ほど運命という問題を取り上げた古典も少ないだろう。
 
この物語を読んだ人は、運命、運、あるいは天運、宿運というような言葉
 
が繰り返し出てくることに気がついたに違いない。
 
人間の力のおよび得ないもの、予見しがたい力、歴史と人間を背後に
 
あって動かしている漠然とした力を、この時代の人びとは運命という
 
葉で表現したのである。』
 
なんと感動的な言葉なのだろう。青春にこの本を読む人間は仕合せで
 
ある。
 
「運命」、人生はまことにこの一語に尽きる。いや、人間の運命もそうだ
 
が、国家の運命も、地球の運命もその通りで、人はその未来を知らない
 
だけである、「一寸先は闇」と言うではないか。
 
「登り坂、下り坂、ま坂がある」と言ったのは小泉さんだが、やはり自分
 
の不明を恥じて、宗旨を変え、「満れば缺(か)ける」という運命の真理を
 
誰よりも早く理解し、日本の明日のため、軌道修正をしようとしている。
 
政治家とはまず最初にそういう人であらねばならない。来し方行く末を
 
考え、あらかめ対策を講ずる事が賢明な政治家の役目である。
 
これを知らないのはエセ政治であって、期待してもしょうがない。
 
ただ問題は人々にその運命を理解させることができるかどうかである
 
が、それは神みぞ知るところである。
 
現在の宰相の 寄って来る基盤は財閥である。実兄が三菱におり、また
 
自らも閥族にある。その閥族は何層にも連なり、陰に陽に日本を支配し
 
ていると思っている。
 
自民党の陣笠たちは、財閥とつながっていると安心というわけで、おこ
 
ぼれにあずかろうとして、自民党から離れられない。
 
権力や票のためにではなく、金のためだけである。間もなく自民党の政
 
権は終了するという予感を感じながらも自民党に居続けることは、財閥
 
とつながっていると金になるというただその一点だけである。
 
それでは財閥はどうかというと、これは全く駄目である。
 
なぜなら70年前に連合国によって解体されるまでその運命も予知でき
 
なかった。
 
そんな自分の運命も予知できず、何ら対策も講じ得ずに、解体されるの
 
を待つなんて、信じがたいことである。
 
時の宰相は財閥のいいなりで、使いっぱしりとなり、他国にまで原発を
 
売り込もうとしている。
 
狙いは武器輸出規制の撤廃である。国是を曲げてまで財閥の言うこと
 
を聞いていれば国力を回復できると考える宰相の頭脳はほとんどかわ
 
いそうである。
 
すでに国力の回復は何をやっても無駄で衰亡の一途をたどるという事
 
実をまず理解しなければならないのに、見当違いの方策を一生懸命に
 
ることによって、ますます事態を混迷にしている。
 
すでに衰亡している衰亡の先進国に何も学んでいないのである。
 
GDPを上がると思っていることが痛々しくて見ていられない。
 
株価が上がるとGDPも上がり景気も回復し、税収も増えると思っている
 
んだから、とにかく始末に困る。年金会計に株券がたまるだけで株価が
 
上がっても、国民の年金は財閥の懐に収まってしまうだけなんです。
 
公務員の共済年金だけが無傷ということがその何よりの証明です。
 
厚生年金がただの紙切れになり、公務員の退職者だけが、わが世の春
 
誇ったら、国民がどうなるか、ギリシャよりもひどい結果になります。
 
財閥はそこまで考える人がいません。
 
真田幸村は流れる星を眺めて豊臣家の衰亡を察したという。(笑)
 
そういう政治家は出ないんでしょうか。
  
前置きが長くなりました。
 
今般の目的は戦史から国の歩みを探るという試みですから、多少の演
 
説も我慢していただきたい。
 
さてミッドウェ―海戦である。
 
大日本帝国を破滅に導き、原爆を2個もおとされて無条件降伏して占領
 
され、国民を路頭に迷わせた今次大戦の分水嶺となり、敗北の端緒と
 
なった、ミッドウェ―海戦のミッドウェ―島の図面のコピーができない。
 
ミッドウェ―島は北太平洋に位置し、どちらと言えばハワイ島と日本の
 
間にある。小さなサンゴ礁の島である。
 
ここに米軍は飛行場をこしらえ5千名の兵員と280機もの航空機を待機
 
させていた。
 
連合艦隊はこの島を攻略すべく決断した。すなわちミッドウェ―作戦で
 
ある。
 
しかし奇襲すべき相手から逆に奇襲されて虎の子の空母4隻を失ってし
 
まった。
 
山岡荘八は「小説太平洋戦争」で言う。
 
『ミッドウェ―海戦は、日本側からいえば「大敗北」ともいうべき言いよう
 
もない一大痛恨事であった。
 
この一戦で失ったものは、ただ機動部隊主力の新鋭航空母艦群だけで
 
はなかった。
 
それまで半年以上にわたり、米、英、豪,蘭4カ国の海軍を向こうに回し
 
て、太平、インド両洋を完全に制圧し、無敵艦隊の異名をほしいままに
 
してきた大海軍が、この一戦によって、一挙にその比率上の優勢を失い
 
さらに、必勝の信念と誇りとを失うことになった。
 
その意味では、このミッドウェ―海戦は戦争全体の勝敗を暗示しただけ
 
にとどまらず、民族の未来にまで、多くの教訓を残していった悲劇だった
 
と言ってよい。』
 
なんでこんなことになってしまったのか、歴史家や関係者は言う。
 
「結局作戦指導部、艦隊指導部がみんな馬鹿だったからである。(a8742
 
7氏談)」
 
一つは秘匿されたことになっていた作戦や作戦日までを、町の床屋ま
 
で知っていたこと。
 
米軍は事前に察知し、あらかじめ手ぐすね引いて待ち伏せをしていたこ
 
と。
 
策敵(航空機)がうまく機能せず、米機動部隊を発見できなかったこと。
 
ミッドウェ―島を爆撃した後、策敵機が米機動部隊を発見し、母艦に戻
 
って、急いで爆弾を魚雷に付け替えていたところを米機に急襲されて
 
魚雷や爆弾ごと一緒に吹っ飛ばされ、一発で航空母艦もろとも沈んでし
 
まったのである。
 
後になって、作戦参謀や艦隊参謀、その他関係者が「バカだった、バカ
 
だった!」と言って反省しているからほんとにバカだったのだろう。
 
馬鹿だった!だけでは何の反省にもならない。
 
『その意味では、このミッドウェ―海戦は戦争全体の勝敗を暗示しただ
 
にとどまらず、民族の未来にまで、多くの教訓を残していった悲劇だっ
 
た』
 
馬鹿だったなんて反省をしているから、わが国民はミッドウェ―海戦やこ
 
のたびの敗戦から何も学ばなかった言われてもしょうがないのである。
 
だから、70年後におかしな政治家どもが出てきて時代錯誤をしてしまう
 
のである。
 
わが帝国陸海軍はこのミッドウェ―海戦を境にして、やることなすことが
 
すべてうまくいかず、じり貧になってゆき破滅した。とは冷たい言い方で
 
あるが、事実その通りなんである。
 
ガダルカナル作戦、インパール作戦、サイパン作戦、グアム作戦、レイ
 
テ作戦、硫黄島作戦、沖縄作戦とすべて敗亡の一途をたどった。
 
日本軍の驕慢は中枢から一兵卒まで治らず敗戦を迎えた。
 
敗戦から何も学ばなかった日本人は、かつて蹂躙した隣国諸国の恩恵
 
のおかげで、今日まで復興したのに、経済大国になって、また調子に乗
 
り、隣国諸国をバカにして今日に至っている。
 
また破滅すれば隣国諸国の協力など得られるはずがない。
 
日本はドイツと違い戦後の賠償などろくすっぽ払っていないのである。
 
迷惑をかけた周辺国の恩恵を受けてこれまでやってこれたのに、自ら
 
始めた戦争を全然反省していないから、70年もたってから、また亡霊が
 
出てきてしまった。
 
アベクロニズムとは過去の亡霊のことである。
 
なんのための憲法9条だったんだろう。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 私の原発日誌

,私の原発日誌(その622) 
 
 
日本人戦争必敗論(2)
 
 
インパール作戦
 
 
 
はじめにお断りさせてもらいますが,かつての日本軍と現代の政治家、
 
なかんずく自公民党に対し口をきわめて悪口を言いますが、決して国や
 
国民をバカにしているわけではありません。
 
私は人一倍の愛国者なんです。
 
若い時から、負け戦に興味を持ち、負け戦の生存者たちに取材し、資料
 
を読んで勉強してきました。
 
したがって、勝ち戦には興味がありません。
 
そこから学んできた一端をブログにしています。
 
だからすべて独断と偏見です。読者はすべて本気にされてはいけませ
 
ん。
 
理解できないところは資料を当たったり、ウィキペディアを検索したり、
 
防衛省防衛研究所戦史部発行の戦史叢書で作戦内容などを確認してく
 
ださい。
 
間違ったからと言って苦情を言われても困ります。
 
そういう人は最初から読まないでください。10のうち1くらい参考にして
 
もらえればいいんです。
 
戦争を知らない世代、いわゆるアベクロニズムの政治家と、かつての日
 
本の軍人の思考形式を比較検討してみる試みです。
 
国が滅びる前提としてどのような状況になっていくかのあらましを語りた
 
いと思います。
 
 
 
 
 以下は先般安達太良山に登った時の思い出です。なぜかこのころから
 
ぼんやり、この記事を書かねばならなくなるような予感があった。
 
 
 
イメージ 21
 
下山の道は 前期高齢者には厳しく途中で思わず空を見上げます。
 
 
ああ、ハウチワカエデだ。 
 
腕に[宇都宮市]の腕章を巻いた一団が通り過ぎていく。最後の一人か
 
 
声をかけられた。
 
「大丈夫ですか?」
 
「だめだあ〜。宇都宮連隊の方ですかあ?」
 
「そうですよ」
 
「いやあ、懐かしや宇都宮33師団!インパール以来ですね。」
 
 
「?」
 
宇都宮33師団の214連隊は若松編成で、わが故郷の先輩たちが従軍
 
し、ほとんどの人がインパールで戦死した。
 
 
「このしとうなされている。!訳のわからないこと言い出した」
 
 
インパール作戦 
 
インパールはインド領にあり、ビルマ(ミャンマーの)の北西部に隣接し
 
ている。
 
当時連合軍は、ここから、あらゆる方策を使ってシナ軍に軍需物資を
 
送っていた。
 
当時の連合軍の重要な兵站基地であった。
 
日本軍はこの基地を叩こうとして、遠くインド領まで兵を進め、さんざん
 
な目にあって敗退した。
 
この作戦を強力に推し進めたのは牟田口廉也という人である。部下の
 
参謀長から反対されると、その参謀長を首にし、強引に推し進めた。
 
作戦の最終決定者は参謀総長を兼ねた東条首相で、無謀であることは
 
知りつつも八方ふさがりの時局の開けることを期待した、東条の一種の
 
かけで、従軍させられた将兵はたまったものではなかった。
 
一番大事な物資の補給は当初からゼロだった。そのため部隊は食糧自
 
給のため、ヒツジや牛を一緒に連れて行った、いわゆるジンギスカン作
 
戦と言われた。
 
作戦は「ウ号作戦」と呼ばれ、昭和19年2月25日に発動された。
 
 
防衛省戦史叢書資料
 
 
イメージ 3
 
インパール作戦は 3方向から進行する作戦で行われた。いずれも敗退
 
したが、当ブログは便宜上、当面宇都宮33師団の動向を説明する。
 
のち、無断撤退した31師団について話します。兵の損耗に耐えかねた
 
団長の独断の抗命撤退の件である。
 
宇都宮第33師団(弓 師団長 柳田元三中将)は表の通り17000名
 
が従軍し、2200名が生還した。戦病死14800名損耗率87%である。
 
参加した3師団とも大体似たような損耗率だから惨憺たる結果であっ
 
た。
 
英軍のスミス元帥の回想記「敗北より勝利へ」によると、日本軍の作戦
 
はいつも手に取るようにわかった。
 
パターンが同じなのである。3つか4つのパターンに対処するだけで間
 
に合った。思いもかけない奇手など、絶対なかった。
 
私の言葉で翻訳すると、日本軍の将校はデレ助でバカの一つ覚えのご
 
とく同じパターンを繰り返し、何度も兵を犠牲にして敗退した。
 
しかし、日本軍の下士官は優秀だった。持ち場持ち場を離れず死守し
 
た。下士官の優秀さは世界一であった。
 
と言って将校をけなし、下士官兵をほめている。
 
やはり元帥になるくらいの人は見るところは見ていて過不足がない。
 
当時は中将でインパール方面の最高司令官であった。
 
日本軍の将校は士官学校の本職でも幹部候補生上がりの将校でも、や
 
ることは決まって同じ攻撃パターンだったらしい。
 
学校で習った型だけで戦争ができると思っていた節がある。応用が利か
 
ないのである。
 
前にも言ったが戦争は人間がやるもので、パターンなど決まっているわ
 
けではない。千差万別と言われる所以である。
 
無理にパターンを決めてことにはかろうとするところに日本人の限界が
 
ある。応用が利かないのである。
 
日本人は臨機に対処することができない。だから想定外の状況ではこと
 
ごとく失敗してしまう。
 
原発事故に当たっても国の官僚から、東電のエリート、県の幹部、政治
 
家に至るまで、ことごとくまともな行動をとるものがいなかった。
 
すべて後手後手で被害を拡大させた。
 
これは自衛隊でも同じことで、いかに隠そうとしても隠しきれるものでは
 
ない。逐一記録されている。
 
あんな自衛隊に戦争などできるわけがない。原発が爆発すると、地元
 
の住民をほったらかしにしてみんな逃げてしまったのである。
 
ほったらかしにされた年寄りはみんな死んでしまった。
 
指揮官の頭の中には原発事故の対処は想定外でパニクッたのである。
 
福島市まで逃げ、さらに郡山まで逃げてしまった。
 
任務を忠実に遂行するなどと言ったって、やはり防衛大学卒である。
 
かっての日本軍の将校となんら変わるところがなかったのである。
 
優秀な人には戦争などできない。もっとも馬鹿にもできないが。
 
ここでなぜ日露戦争に勝てたのかという疑問が出てくると思います。
 
日露戦争は偉い人たちがみんな志士上がりだったから、勝てたんで
 
す。偉い人は皆、陸士や海兵を出ていません。みな野戦上がりの指揮
 
官でした。つまり戊辰戦争の生き残りでした。
 
さらに日本にとって幸運だったのは帝政ロシアが末期を迎えていたから
 
です。
 
日本が勝ったというよりはロシアが負けるべくして負けたという方が正し
 
い。要するにロシア側に戦意がなかったからです。
 
日本海海戦は別ですよ。
 
近代戦争はそんなことはあり得ません。防衛大学出のプロだって、日本
 
人の限界があります。
 
応用が利かない、臨機に対処できないことは致命傷なんです。
 
要するに戦争ができない国民なんです。
 
日本人は平和な時にしか力を発揮できない国民だったんです。
 
それが縄文時代から培ってきた国民性なんだから仕方がありません。
 
31師団(烈 佐藤幸徳師団長)の抗命事件
 
 インパールに攻め込んだ師団に31師団があります。インパールに隣接
 
しているコヒマという要衝を占領しました。3師団の中では所期の目標を
 
達成した唯一の師団でしたが、相次ぐ損耗に補給がまったくなかったこ
 
とから、いたずらに死傷してゆく部下を見すごせず抗命を決意し、軍団
 
長牟田口中将の命令を無視し、無断で撤退した。
 
のち大本営は病気ということで解職したが、牟田口も連座し、15軍軍団
 
を解職させられた。差し違えであった。
 
このため31師団は他師団と比べ、生存者が多い。損耗率は30%と言
 
われる。
 
「俺について来い」の日紡貝塚の大松博文監督(のち参議院議員)もこ
 
の時の生還者の一人。
 
15軍軍団長牟田口中将は33師団長柳田中将をくびにし、15師団長
 
山内正文中将は戦場で病没、佐藤幸徳中将は抗命でくびと参加した3
 
団長を全部くびにしたことで有名な人です。
 
押せ押せムードの勝ち戦には強いが負け戦には弱い、日本人の典型
 
みたいな大言壮語型の人で、一番信用のできない人と思います。
 
要するに声を大きくすればいいというタイプで、あまり利口な人でなかっ
 
たことが部下の信頼をなくした最大の原因だったのではないかなと思っ
 
ている。心すべきことである。
 
 
 
日本人は 声の大きい人が主導権を握ってしまう。ガンガンと自分の意
 
見を主張する人がその場をまとめてしまう傾向が強い。その結果は必
 
ず失敗している。弁が立つ人、主張が強い人は頭の回転が速い人のこ
 
とである。
 
頭の回転が早ければ戦争に勝てるものではなく、日本軍はすべての局
 
面で負けてしまった。
 
戦争の訓練を積んだ陸軍大学出の参謀たちが今次の大戦の敗戦の大
 
きな原因である。最たる理由は頭がよすぎたからである。
 
頭脳の優秀さだけでは戦争には勝てないのです。
 
もう一つ理由があります。
 
それは大日本帝国は破滅する運命にあったからです。何をやっても破
 
滅するのでは、何をやっても無駄だったんです。
 
それは次回で取り上げたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 私の原発日誌

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