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最近、ある友人の日記をきっかけにバトンについて考えてみた。
いや、以前からもバトンを目にする度に時々考えてはいた。
あー、バトンとはblogやSNSの日記上で、いろんな質問フォーマットがあって、それを友人に回していくってやつ。説明不要ですわな。
以下、かなり長く重い内容ですが、興味ある人はどーぞ。
あ、読むなら最後まで読んでください。
振り返ってみると、1年前くらいにミュージックバトンなるものを目にしたものが俺にとってのバトンとの初遭遇。
新し物好きの俺は、回ってこないかな?、と当時はミーハー気分。
そして、しばらくして、友人からミュージックバトンが回ってきた。
だが、未だに書いていない。あれから半年以上は経っている。
今に至るまで、3,4のバトンをもらってるが、書いたものは無いと思う。
この時点では、特に意識しる理由もなくめんどくさかっただけで、そのうち書こうとは思っていて、下書きまでしているものもある。
暇なときにアップしようと思ってたが、今ではその気も失せつつある。
それは、「強制バトン」なるものを見てから。そう、こっからが本題。
見た人は絶対書け!という強制的なバトン。
初めは無視してたが、目にする回数が増えるにつれ、不快感を覚えだす。
まぁ、内容はいろいろで、つまらないものから恋愛関係など深いものまであって、それを強制的に書けというわけである。
mixiでは「足あと」残るから、絶対書くように!なんて注釈つけているヤツもいた。ま、当人に悪気は無いやろけど。
多分、これを見たくらいに俺の気持ちが固まった。
「ふざけるな!」
これが最近の率直な気持ちである。
極端な話、ワンクリック詐欺や迷惑メールで一方的に違法的に「20万払え」と言われるのと同類である。
お金かバトンかの違いであって、本質は同じだと思う。
所詮バトンでしょーが、と思う人もいると思う。それが多数派だろう。
しかし、人によって、書きたくないこと、触れられたくないことが質問にあったりしたら、相当に嫌な思いをすることは創造に難くない。
現状は、お遊び程度の内容が多いが、そのうち深い内容のものが出てきたら、人間関係のトラブルにも発展しかねない気がする。
そんなことを考えてたら、既にもらっていた従来のバトンすら書く気が失せてしまったわけである。申し訳ない>友人
まぁ、もらった分についてはそのうち書こうとは思うけど、書いたとしても次の人に渡す気はまったくない。
バトンが流行りだした当初は、blog上に渡す人の名前を書く前に当人にアポをとっている人もいたくらいだ。
それを思い出すと、今の状況はさらに疑問符がついてしまう。普通のバトンでも、相手を指定はするが一方的なのである。
もっと言うと、ネットの出現により片方向の通信が可能になった。それによって、従来のコミュニケーション形式が崩壊しつつある。
※電話の場合、相手が出ないと通信が成り立たないため、双方の合意によってコミュニケーションが成立するが、メールなどでは一方的にコミュニケーションを成立させることもできる
バトンも其の例である。
まぁ、普通のバトンなら友人同士のコミュニケーションとして有効な方法になりえるからよしとして、強制バトンは個人的には以上の理由からかなり不快に思ってしまう。
ただ、普通のバトンも相手を慎重に選んで欲しいなとは思う。
事前にアポをとるくらいのことをしても十分すぎるとは思わない。
自分では予期できない言葉・質問が相手を傷つけることってあるやろ?
てなわけで、ワタクシはバトンに消極的なので、よろしく。
今までバトンを渡してくれた大事な友人、ごめんなさい。
また、強制バトンについては否定的なので、よろしく。
ま、バトンが新しいコミュニケーション方法になりつつあるのは認める。
問題視したいのはルールというかモラルというか、その方法なわけ。
ネットって便利で面白いけど、自由度が高いがためトラブルも多い。
やり方ひとつで、利便性とトラブルがすりかわってしまう。
それを意識して、ネットという新しい文化にふれていきたい。
※書きながらいろいろ書くこと増えて、いまいちロジカルになってないかもしれません。それ以外にも読んでて不快に思われましたらお詫び申し上げます。
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