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久しぶりに実家に帰った。
すると弟も帰ってきていた。
現在大学の教育学部の四年生の弟は
よく私に教育談義を持ちかけ、
「一般人の意見!」
等と言って喜ぶのだが、今回は結構ヘビーな話だった。お題は
「いじめられてる子って何で死ぬの?」
ということ。
私は小・中・高と12年間、いじめられて育った人間だ。
非常に癇の強い子供だった私は周囲から受け入れられにくかったのだ。
しかもとても高飛車だったので、味方もいなかった。
ことあるごとに同級生とぶつかり、教職員からは問題児として煙たがられた。
特に中学生の頃のいじめは酷かった。
家に帰ろうとすると靴が無くなるのは日常茶飯事。
登校すれば机の中に石灰が詰め込まれ、上靴の中に画鋲を並べられた。
基本的に学年中から無視をされ、呼び名は「○○菌」。
学校帰りに男子にかこまれてぼこられたこともある。
バレーボールの授業ではバレー部が顔面に向かってアタックを打ち込まれたものだ。
上級生や不良さんたちからはよくたかられた。
これが最近の出来事なら、マスコミ沙汰だ。
不登校だとか、自殺だとか、そう言う話にならなかったのは、
私が極度の負けず嫌いだったからだ。
私は親には言わなかった。みっともなかったからだ。
「この私がいじめられているなんてかっこわるすぎる」
このプライドが私を生かした。
不登校になったり、まして、自殺なんてしたら、
みんなの記憶の中に
「いじめられて死んだ可哀想な子」
という残り方をするのが嫌、だったのだ。
冗談でない。そんな不名誉な冠詞はいらない!!とずっと思っていた。
だから私は弟にはっきり言ってやった。
「私の経験は全く役に立たないし、参考にならんよ」
「何で?」
「時代が違うし、そもそも、最近の子供に私みたいな変な子、いないでしょ?」
「あぁね。」
って、納得するな!!!
でも、私は最近思う。
いじめられた位で子供が死ぬな。
いじめが発覚して周囲に責められたくらいで、校長が死ぬな!
死んだら、負けだ。
生きていれば、どうとでもなる。
世の中、何とかなるようになっている。
兎に角、死んじゃいけない。
「死ぬな」
と口にするのは簡単だと思うかも知れない。
いじめられている人間の気持ちなんて、本人にしか分からない。
それは分かる。
でも私は死ななくて良い方法を自分の中で見つけ出した。
私が強いのではない。私はどちらかと言うと弱い人間だ。
死ぬ勇気が無かったとも言えるのかも知れない。
だから弱くても良いのだ。
いじめなんて解決するのは無理だ。
人間がいる限り、いじめはなくならない。
大切なのはなくそうと努力する姿勢を大人が見せ、
それを子供に伝えることが必要なのだ。
だから子供も大人も、死んじゃいけない。
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