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船内郵便印が紛れ込んだ郵便物に紛来印として押印されたエンタイアを示してきたが、ちょっと違った使用例。
送付宛先人が移動したために、付箋を付けて転送依頼をした封書に船内郵便印を押印したものである。
( 付箋なしの状態の葉書)
( 付箋が付いた状態の葉書 )
データ
第四軍第十野戦局 明治38年6月8日
→ 渡嶋・函館 明治38年6月14日イ
→ 青森室蘭線 明治38年6月14日 上り便
→ 軍艦 壱岐
ロシア戦争時第四軍第十野戦局から軍艦武蔵号に乗船していた 竹井光積氏に差出された葉書であるが同氏は軍艦壱岐に移動していたのが判明。
付箋を封書に添付して転送を依頼している。
船内印は上り便であるので、函館から軍艦壱岐に転送されている途中に押印されたものと推定される。
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粉来(誤送)郵便
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青森室蘭線の丸一船内印が続いたが、青森函館間の櫛形印があるので紹介。
データ
田沢旧毛紙 1.5銭貼り葉書に 尾道 T6.12.11 で抹消
→ 青森函館間 6.12.13 下二
→ 宛先 志摩・鳥羽町
広島県尾道で大正6年12月11日に差出された葉書が、誤って東北青森から函館へ運ばれてしまった。 廣島から青森まで2日間で届いているので、当時の郵便は現在と変わらない位早く逓送されている。
船内印の最下段に 下二 とあるので、下り(青森→函館)便内で発見され、函館から再び南下して
志摩国(三重県)鳥羽町に配達されたであろう。
櫛形印の使用時期では郵便量が多くなったためか、普通郵便には到着印は押さえられなくなっている。
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もう1通、青函連絡船に紛れ込んだ翌年の年賀状があるので紹介。
(表面)
(裏面 年賀状)
データ
信濃・伊那 M 36.1.1 イ便
→ 青森室蘭線 M 36.1.3 下り便
→ 宛先 木曽福島 (着印なし)
信濃(長野県)内で正月(明治36年1月1日)に差出された葉書が、どう間違ったのか、遠く離れた
津軽海峡を渡る青函連絡船に紛れ込んでいる。青森から乗せられ、船内で仕訳されている時に誤送が発見されたのであろう1月3日の船内印が押されている。
到着印がないので、いつ木曽福島に届けられたか不明であるが、往復同じ程度の時間であったのなら 1月5日頃到着しているはずである。
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今回から少し集まった 青森と室蘭を結んでいた青函連絡船に紛れ込んだ葉書や封書をアップ。
今や本州と北海道は青函トンネルで結ばれているが、トンネルが開通する以前は連絡船が運航されていた。 その青函連絡船内にも係員が乗船しており、郵便の仕訳作業を行っていた。
そんな郵便物の中に、本来津軽海峡を超える必要が無い郵便物が紛れ込むことがあり、発見して送り戻した証拠として、青森室蘭線という船内印を押してあるものがたまに出現する。
データ
信濃・廣津 M35.7.5 ロ便
→ 青森室蘭線 M35.7.8 下り便
→ 渡嶋・函館 M35.7.8 ト便
→ 陸奥・安家 M35.7.12 イ便
信濃・廣津から7月5日に差出された葉書が陸奥(岩手県)を通り越して青函連絡船内に紛れ込んだ。青函連絡船の函館へ向かう船内で粉来に気付き青森室蘭線の船内印を押印、葉書は函館で取り下ろし函館局の7月8日の消印を押して返送。
宛先の陸奥・安家には差出日より1週間後に届けられた。到着印あり。
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4回に渡って消印漏れの切手を鉄道郵便印で抹消した例を続けたので、ちょっと目先を変更。
本来はその船で運ばれるはずではなかった封書や葉書が、船内に紛れ込んで来たのを発見し、
その船内に備え付けられていた 船内印を紛れ込んで来た証拠として押印した例をアップ。
データ
奉天中央 昭和14年7月2日
→ 基隆神戸間 昭和14年7月5日 船内係員 復(修正) 蓬莱 → 八戸 宛
葉書は満州から日本の岩手県八戸市宛に 満州第4次通常2分切手を貼って差出されている。
普通の逓信経路では満洲国内で奉天から大連に運ばれ、そこから門司へ送られ、列車で八戸まで運ばれるはずである。
しかし、この葉書は何かの手違いで、神戸と台湾の基隆(キールン)を結んでいた蓬莱丸という連絡船に乗せられてしまった。 蓬莱丸船内で誤送であるのを発見、船内印を押されて本土へ戻され、八戸へ送られた。 昭和の時代は到着印は押されなくなっている。
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