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横浜線専科

お久しぶりです。
約5か月ぶりの更新となります。

結局、2016年中に205系の各編成の紹介が出来ませんでしたね。
残り2編成のH1編成とH27編成に関しては、もう少々お待ちください。

本日は、2017年1月の横浜線の出来事を整理してみます。

  2017年1月の横浜線

  01月01日 相模線内架線支障のため、横浜線への直通中止
  01月02日 横浜駅での人身事故
  01月05日 H005編成のTK入場
                  鴨居駅付近で凧が架線に引っかかり遅延
  01月06日 小机駅で各駅停車の誤通過
  01月07日 東神奈川駅に東海道53次の浮世絵設置の記念式典を開催
  01月09日 東神奈川-大口間で人身事故
  01月15日 相模原駅にATOS英語放送が追加
  01月20日 公明党都議団が町田駅のスマートホームドアを視察
  01月21日 全線計測の実施(E491系 East i-Eが走行)
  01月30日 長津田駅にCPラインの追加

この中でも、青色の出来事に注目してみたいと思います。

1)横浜線の東京総合車両センターの入出場
   
     横浜線E233系6000番台の検査入場が続いています。
     去年(2016年)の4月、H001編成が入場を始めてから
     約半月から1か月のペースで行われています。
     今後も引き続き、行われそうです。

2)小机駅での各駅停車の誤通過
     
     NHKのWebニュースでも取り上げられました。
   記事によると各駅停車桜木町行きは、120 mの過走したため
     小机駅を通過扱いとして、新横浜まで運転。
     小机駅で下車する予定だったお客様は、下りの各駅停車橋本行きで応対したようです。
     戻れなかった理由としては、小机駅の先にある踏切(新羽踏切)の誤動作を
     避けるための対応みたいです。

     横浜線では、1年に1回ほど誤通過が発生しています。
     去年(2016年)は7月に成瀬で157mの過走が発生しています。

・・・

  以下、作成中です。今後随時更新していきます。

・・・



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横浜線 H8編成


こんばんは,横浜線専科です。
ここまで,25編成の紹介を行ってきました。
早いもので残り3編成となりました。
ここまで続けてこられたのは皆様のおかげ様だと思います。
ありがとうございました。
この調子で残り3編成を紹介していこうと思いますのでよろしくお願いします。

今回は,H8編成を紹介します。

イメージ 1
1)横浜線営業時代のH8編成

1988年11月07日,東カマ8編成として川崎重工業で落成した編成です。
1988年11月中旬,103系カマ58編成と入れ替わる形で営業を開始しました。
1994年11月25日,サハ204-108が近畿車輛で落成し1994年12月03日に8連化。
1996年02月に排障器の設置,1996年07月に転落防止幌の設置,
1996年12月,所属先変更に伴い横フナH8編成と改められます。
2000年07月には,引退時と同じ横クラH8編成と改められます。
2002年頃,緑地黒字幕への変更,2008年04月に前面LED化されました。
2008年から2009年にかけては,開業100周年記念ヘッドマークを付けていました。
2009年に仕切り板の設置,2010年10月にシングルアームパンタとなりました。

イメージ 2
2)100周年記念ヘッドマーク

横浜線100周年の際は,2種類のヘッドマークが取り付けられました。
「おかげさまで100周年 横浜線」と「100th 横浜線 Anniversary」がありました。
H8編成は,後者のパターンになります。
前者は,H7編成・H12編成・H21編成
後者は,H5編成・H8編成・H20編成でした。(計6編成)

100周年記念の編成として選ばれた以外は他の編成と同様の更新がされました。
では,2014年はどうだったのでしょうか。見ていきましょう。

04月28日:一時運用離脱
04月30日:湯河原へ疎開
05月05日:大船へ返却
05月06日:宇都宮へ疎開
05月11日:大船へ返却,運用復帰
06月21日:一時運用離脱,湯河原へ疎開
06月24日:大船へ返却
06月25日:小山へ疎開
06月30日:大船へ返却
07月02日:湯河原へ疎開
07月06日:大船へ返却,逗子へ疎開
07月08日:大船へ返却,湯河原へ疎開
07月09日:大船へ一時返却,湯河原へ疎開
07月14日:大船へ返却,運用復帰
07月30日:運用離脱(最終営業日),小山へ疎開
08月04日:大船へ返却
08月05日:湯河原へ疎開
08月08日:大船へ返却
08月09日:小山へ疎開
08月14日:大船へ返却
08月19日:小山へ疎開
08月24日:大船へ返却
08月25日:湯河原へ疎開
08月28日:大船へ返却
08月29日:小山へ疎開
09月01日:大船へ返却,湯河原へ疎開
09月05日:大船へ返却
09月06日:小山へ疎開
09月11日:大船へ返却,湯河原へ疎開
09月12日:大船へ返却
09月15日:宇都宮へ疎開
09月20日:大船へ返却
09月22日:湯河原へ疎開
09月27日:大船へ返却
09月29日:小山へ疎開
10月04日:大船へ返却
10月10日:EF64-1031で新津配給
10月26日:新潟東港を出港
11月10日:Tanjung Priok港に着岸
11月29日:現地で試運転を実施
12月09日:現地で試運転を実施
12月中旬:KRLジャボタベックで営業開始

まとめてみると,疎開回数が多かったことが分かると思います。
しかし,湯河原→小山(宇都宮)→湯河原とパターン化されていました。

イメージ 3
3)湯河原へ向かうH8編成

この日は,H15編成の様子を見に行こうと思い
大船に向かっているところでした。
歩いていると,向こうから黄緑の電車が近づいていることに気が付いて,
急いで写真が撮れる場所に移動した結果が,上の写真です。
もう少し余裕をもって撮りたかったですが,撮れただけでも良かったです。

イメージ 4
4)運用離脱の2日前のH8編成

最後にみたH8編成です。
2014年7月28日と,そろそろE233系の配備が終盤にかかっている時期です。
2日後に離脱すると思っていませんでしたが,
もう少しで離脱するとは,思っていました。

最後に思い出の写真を載せて終わりたいと思います。

イメージ 5
5)雪の中を走るH8編成

以上となります。
次回は,H1編成を取り上げます。

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横浜線 H17編成


こんにちは,横浜線専科です。
前回はH2編成の振り返りを行いましたが,今回はH17編成です。

イメージ 1
1)横浜線内を走るH17編成

1989年01月13日,川崎重工業で落成した編成です。
1989年1月下旬より103系のカマ60編成と変わる形で営業を開始しました。
1994年11月18日に6扉車であるサハ204-117が近畿車輛で落成,
1994年12月06日には8連化されました。
1994年12月28日に排障器の設置,1996年8月には転落防止幌が設置されました。
2002年頃に黄緑の幕へ変更,2009年1月下旬には前面LED化されました。
H17編成は,最後の幕車として運転を行っていました。

イメージ 2
2)幕車時代のH17編成

2008年から横浜線を撮影することを始めたので,
幕車時代の写真は,数枚しか持っていません。
幕車の写真を多く撮影できなかったことは,残念です…

2009年3月に仕切り板の設置,2010年11月にシングルアームパンタ化しました。

以上が大まかな歴史になります。
次に2014年のH17編成の動きをまとめてみました。

04月20日:一時運用離脱
04月22日:橋本疎開
04月25日:大船へ返却
04月26日:小山疎開
05月01日:大船へ返却
05月02日:運用復帰
05月23日:編成板の盗難が発生
05月25日:仮編成板の取り付け
06月20日:運用離脱(最終運用)
06月24日:尾久疎開
09月30日:大船へ返却
10月03日:EF64-1031を用いて新津へ配給
10月26日:新潟東港を出港
11月10日:Tanjung Priok港に着岸
12月下旬:KRLジャボタベックで営業開始

イメージ 3
3)橋本疎開中の様子

イメージ 4
4)編成板変更後のH17編成

2014年の大まかな流れでした。

最後に試運転の話をして終わりにしたいと思います。
時は2013年に遡ります。橋本で撮影していた時の事です。
いつもと違う時間に,3番線の接近放送が鳴りました。
カメラを構えて待っていると,横浜線205系が見えてきました。
回送電車かなと思っていると…

イメージ 5
5)試運転表示でやってきたH17編成

まさか,試運転表示が見られるとは思っていなかったので,びっくりしました。
何の試運転をやっているのか,当時は分かりませんでした。
しかし後日,横浜線に詳しい方に聞いてみるとホーム検知器試験ということが分かりました。よく見ると前面の足乗せ場に装置が付いています。
(言われるまで気が付きませんでしたが…)

折り返しを見ようと思い淵野辺へ

イメージ 6
6)折り返しの試運転

205系の引退が1年を切っている段階で
横浜線205系の試運転が見られると思わなかったので,嬉しかったです。

イメージ 7
7)最初で最後に見た試運転幕

以上です。
今回は試運転を中心に綴ってみました。いかがでしたでしょうか。

次回は,H8編成を取り上げます。
H8編成と言えば,右往左往した編成でしたね。
2014年をまとめると凄いことになりそうですが,頑張りたいと思います。

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横浜線 H2編成の思い出


こんばんは,横浜線専科です。
最近は,雨が続きますね。
季節が変わりつつあることを示していますね。
今年も残り3か月となったと思うと時の流れは早いものです。

さっそく,本題
今日は,H2編成を振り返りたいと思います。
前回はH22編成を取り上げた時は,多少長くなってしまったので
簡潔にまとめていきたいと思います。

イメージ 1
1)横浜線内を走るH2編成

横浜線H2編成(東カマ2編成)は,1988年09月07日に日本車輛で落成しました。
1988年09月22日,103系カマ69編成と交代する形でデビューしました。
1994年11月16日に近畿車輛で落成した6扉車を増結して,
1994年12月04日に8両編成化されました。
1995年11月に排障器の設置,1996年08月に転落防止幌の設置,
1996年12月,所属先変更に伴い横フナH2編成と改められます。
2000年07月には,引退時と同じ横クラH2編成と改められます。
2002年緑地黒字幕への変更,2007年06月にデジタル無線化に伴う前面LED化,
2009年02月に仕切り板の設置,2009年09月にシングルアームパンタとなりました。

他の編成と同じように更新された編成でした。
では,引退の年であった2014年はどうだったか見ていきましょう。

・2014年のH2編成

01月27日:大宮総合車両センターから出場,当日運用復帰
03月23日:一時運用復帰
03月25日:6扉車を抜き取り7両編成で伊東へ疎開
03月27日:伊東から返却,当日再度伊東へ疎開
04月01日:伊東から返却,当日再度伊東へ疎開
04月04日:伊東から返却,当日再度伊東へ疎開
04月08日:伊東から返却
04月10日:6扉車を取り付け運用復帰
05月25日:一時運用離脱
05月26日:小山へ疎開
05月31日:小山から返却,盗難防止のため編成板の変更
06月02日:運用復帰
06月13日:一時運用離脱
06月14日:湯河原へ疎開
06月17日:湯河原から返却
06月18日:運用復帰
06月24日:一時運用離脱,当日湯河原へ疎開
06月27日:湯河原から返却
06月29日:運用復帰
07月11日:運用離脱
07月15日:小山へ疎開
07月20日:小山から返却
07月21日:本郷台へ疎開,08月30日までに8回,本郷台に疎開される
09月01日:小山へ疎開
09月06日:小山から返却
09月08日:湯河原へ疎開
09月10日:湯河原から返却
09月11日:小山へ疎開
09月15日:小山から返却
09月16日:湯河原へ疎開
09月19日:湯河原から返却
09月20日:小山へ疎開
09月23日:小山から返却
09月26日:EF64-1031で新津へ配給
10月26日:新潟東港を出港
11月10日:Tanjung Priok港に着岸
12月06日:KRLジャボタベックでの営業運転に向けて試運転
12月下旬:KRLジャボタベックで営業開始

H2編成は,長期の疎開ではなく短期的に行われるタイプでした。
そのため,07月11日に最終運用を終えた後には,各地を転々としていました。
どこに何回疎開したかをまとめてみると以下のようになります。

伊東 :4回,15日
本郷台:8回,40日
小山 :5回,22日
湯河原:4回,11日

全般検査を最後の受けた編成でしたので,
恐らく車両走行距離に余裕があったので,色々な場所に疎開したのでしょう。
まとめてみると,結構長くなってしまいました。
205系全編成の中では,2番目の記録の長さになると思います。

イメージ 2
2)大宮総合車両センターへ向かうH2編成

最後の全般検査を受けるために,大宮総合車両センターへ向かう様子です。
205系の入場を最初で最後の見る機会となり思い出に残っています。

毎回恒例の振り返りのコーナーです。

イメージ 3
3)白銀の世界を走るH2編成

撮影日は,2014年2月9日です。
あの大雪の1週間前に降ったときの写真です。
当時は,もう雪景色の中を走ることはないだろうなと思っていましたが,
これを超える雪が横浜線E233系のデビュー前に降るとは予想できませんでした。

イメージ 4
4)筆者が見た最後のH2編成

2014年6月24日,最後に見た写真となります。
当時のダイヤでは47K運用は大船に入庫するであり,
これが最後かなと思いながら撮影した写真です。
実際は,2014年のまとめに書いてある通り疎開はしているものの
復帰して7月11日まで走っています。
私自身は,最後のものになってしまいましたが…

これで,H2編成の振り返りをしめたいと思います。
H2編成は,OM入場を初めて見た編成でしたので印象の強い編成でした。

次回は,H17編成です。
H17編成と言えば,前面行先器最後の幕車ですね。
あとは,試運転ですかね。詳しくはまた次回に書いていきたいと思います。
では,また次回…

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こんばんは,横浜線専科です。
最近は涼しい日が続いていることで過ごしやすいと感じています。
季節の変わり目ということで,体調にお気を付けください。

前回は,H19編成でしたが今回はH22編成です。
今回を含めると残る編成は6編成となります。

イメージ 1
1)横浜線内を走行するH22編成

1989年1月31日に東急車輌で落成した編成でした。
103系のカマ70編成を交代する形で1989年2月にデビューしました。
その後,1994年11月12日に近畿車輛で落成したサハ204-122を組み込み
1994年12月より8両編成での運行を開始しました。

1995年11月,排障器(スカート)の設置
1996年08月,転落防止幌の設置が行われました。
日本でのワールドカップ開催に伴い横浜線の大増発が行われた2002年,緑地黒字の幕への変更が行われました。2008年12月にはデジタル無線化に伴い前面LED化に変更されました。2009年9月にはシングルアームパンタに移行しました。

2014年までの主な流れは多少の時間差はありますが,他の編成と同様に歩んできました。では,2014年はどうだったか見ていきましょう。

2014年のH22編成

03月03日:一時運用離脱
03月04日:逗子へ疎開
03月06日:車両故障を引き起こしたH12編成と交換する形で運用復帰
05月17日:一時運用離脱,当日付けで本郷台に疎開
06月21日:本郷台疎開を7回繰り返したが運用復帰
07月06日:運用離脱
07月07日:6扉車を抜いた上で,京葉車両センターへ疎開
09月16日:京葉車両センターから返却(横浜線内を最後に走った編成)
09月19日:EF64-1031によって新津へ
10月02日:新潟東港を出港
10月15日:Tanjung Priok港に着岸
12月09日:KRLジャボタベックで営業開始

本郷台を7回も行き来した編成でした。
7回は多いと思いますが,今後紹介する編成でこの回数を超える編成が2編成居ます。
本郷台は,大船から一駅と一番手頃な疎開先ということでよく疎開が行われていた場所だったと思います。

イメージ 2
2)逗子に疎開中のH22編成

2014年3月4日に行われた逗子疎開の様子です。
逗子と言えば,根岸線・横須賀線直通の逗子行きが思いつきます。
筆者は,見た事ありませんが聞いたことはあります。

1998年,根岸線経由逗子行きが各停と快速の1本ずつ登場しました。
その後2006年に各駅停車逗子行きが廃止されましたが,快速は残りました。
しかし2008年に快速逗子行きが廃止されることで
横浜線からの直通列車は無くなりました。
僅か10年と限られた間しか走りませんでした。

廃止されてから約6年,横浜線にE233系が入り,横浜線E233用の新たな行先表示器に更新されたわけですが,何故か「鎌倉」「横須賀」「逗子」が入っています。
直通が復活するのでしょうか?よく分からないですが…

イメージ 3
3)橋本電留線で「快速逗子」表示で停泊するE233系

橋本電留線は,時々ですが普段は見る事の無い表示を見ることが出来ます。
逗子までの運転が復活すれば,このように見ることができることでしょう。

少々,話が逸れましたが戻りましょう。
逗子疎開ですが,あの時は情報が錯綜して混乱したことを思い出します。
H22編成が逗子疎開の翌日,「H12編成が逗子に居る」という話が入ってきます。
何故,H12編成がという疑問とH22編成はどこに移動したのだろうかと疑問がわきました。詳しく調べてみると,事の詳細が分かってきました。

2014年3月5日,H12編成が営業中に車両故障を起こし,臨時回送されます。
その後,H22編成と入れ替わる形で逗子に留置されることになります。
H22編成は,臨時回送の形で東神奈川に留置され翌日の3月6日に運用入りします。
H22編成は,車両の補充用として急遽運用入りしたと考えられます。
その後,H12編成は逗子から返却され修理を行い運用復帰を果たしています。

当時は,疎開について調べるのが慣れていなかったために
様々な情報から推察するのは大変だった記憶があります。
今思えば,この出来事で横浜線の動向を調べるノウハウを習得したと感じています。

そして,この編成は特別な記録があります。
2014年9月16日,京葉車両センターから返却とありますが最後に横浜線内を走った205系となります。(相模線等は除きます)
営業運転で最後に走った横浜線内を走った横浜線205系は,H1編成ですが,営業外の列車を含めるとH22編成になります。当時の京葉車両センターへの疎開と返却は,横浜線・中央線・武蔵野線経由で行われていましたので引退後に横浜線内を横浜線205系が走ることになりました。


最後に,思い出の写真を載せてしめたいと思います。

イメージ 4
4)87K運用の小机行

当時の運用番号は,定期運用では列車番号表示器上で表示されるのは,
03K,05K,・・・,51K,53Kしかありませんでした。
ですので,55K以降は珍しいものでした。

何故,この時に87K表示にしていたのかと言いますと
前々行路が,小机行きだったことが関係しています。
東神奈川から小机間は,およそ10分で走行します。
そのため,折り返し準備を含めて30分程度で東神奈川に戻ることが出来ます。
この時に問題になるのが,東神奈川→小机→東神奈川で再度,東神奈川を発車する際に前々行路と同時間代で発車する場合です。
この場合,列車番号が前々行路と重複が発生してしまい,
前々行路と区別が出来なくなってしまいます。
そこで,運用番号に+50する事で区別しています。

ですので,今回の場合は37K運用に+50した87Kで区別しています。
これは,横浜線好きの知り合いの方に教えて頂いたのですが,
当時聞いたときは,目から鱗でした。

イメージ 5
5)青木橋からのH22編成

横浜 〜 東神奈川間にある橋で根岸線に直通する横浜線を俯瞰することが出来ます。
筆者は,横浜に滅多に行きませんでしたのでこの写真は筆者にとっては貴重な一枚となっています。

H22編成を振り返ってきました。
所々,話が逸れて本文が長くなってしまいました。
それほど,色々な思い出がある編成だったということでお許しください。

次回は,H2編成です。
これで残るもあと5編成となりました。
今年中に完結できる気がしてきましたので頑張りたいと思います。
では,また次回にお会いしましょう。

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