おばんの言いたい放題

ぽつり ぽつりの更新 訪問、 許してつかあさい

スピリチュアルな話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

夢の不思議

春眠 暁を覚えず
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんな・・・
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
季節が 
 
やってまいりました。
 
 
 
 
 
 
寝太郎の私は 年中 朝は苦手ですが  ZZZ
 
眠る事が 大好きなので 夢もよく見ます。
 
 
 
朝方 ぐーっと深い眠りに入り 何か夢を見てたんだけど
起きて トイレに行った途端 忘れてしまうのが 常です。
 
 
でも 10年前に見た夢を ふと思い出したり
同じ間取りの家が 何度も 出て来たりします。
 
そんな時は また あの家だ・・・
もしかしたら 前世で住んでた家かもしれないな
なんて 想像しながら 記憶の引き出しに 仕舞いこみます。
 
 
明日は試験なのに まだ何も覚えてないよ〜〜
間に合わないよ〜〜  どうすべぇ 。(゚うェ´゚)゚。  という夢 
 
夢の中でパニクり過ぎて 起きても当分 オロオロしています。
そのうち もう自分は いい年したオバサンで
勉強も 試験も 宿題も しなくていい身分になったんだ と気付いた時
本当に やれやれと安堵します。
 
余程 勉強が嫌いだったようです。
 
OL時代の名残りの夢は 会社に遅刻しそうなのに 口紅が 上手に塗れない。
あとちょっとの所で 手が滑って 唇からはみ出しちゃう。
テッシュで拭って 塗り直すんだけど またズルって (笑)
 
 
 
何度トイレに行っても 行きたくなる・・・
起きたら 膀胱がパンパンだったというのは 皆さんも 経験があるのでは^^
 
 
人間の意識は 氷山のほんの一角で その深層にある 無意識が送ってくる
メッセージが 夢だそうです。
 
起きても 当分現実に帰れない・・・
そんなインパクトのある夢は滅多に見れませんが
 
 
 
数少ない 心に刻まれた 私の夢
 
 
真っ暗 心地よい静寂 
空気は 冷え冷えとしているが 不快ではない
その中で 半年ほど前に亡くなった 母が背中を見せて 座っている。
 
私は そっと近づき 母のうなじに頬をあて 両手で母の肩を 包むように前で組む。
そして もたれて甘えながら 聞いた。
「 今でも 私を娘だって 思ってくれてる?」
 
母は こう答えました。
「 ようこは 未来永劫 私の娘だから 」
 
こんな素晴らしい夢 一生忘れません。
今でも その母の背中の感触を 覚えています。
 
 
一人っ子の私を 舐めるように可愛がってくれた母でした。
 
 
その正反対が 父親
短気で厳しくて 結婚してからも ずっと怖い存在でした。
 
そんな煙たい父を置いて 母が先に逝くなんて 想像もしていませんでした。
スープの冷めない距離で 別居していましたが
父と私は 突然の不幸に お互い気が立っていたせいもあり 猛烈な喧嘩を始め
それは 二年後 父が急死するまで 続きました。
 
 
正直 父が亡くなった時は 母の半分も 悲しみませんでした。
それほど 関係は悪化していました。
 
それなのに 日が経てば経つほど 年月が流れるほどに
私の心を 苦しめるんです。
 
 
こんな夢を よく見ました。
 
年老いた父に もう大丈夫よ、今日から私が 面倒見るからね・・・と
優しく言っている 私
 
 
目が覚めて 父はもう死んだんだって気付き
なんて情けない事をしたんだって 後悔の日々でした。 
 
 
 
父が亡くなってから 今年で13年になりますが
ひと月くらい前に また いつもの夢を見ました。
 
 
父の面倒をみる為に 私がこの家に 引っ越すことになりました。
いつもと違うのは 今回は 夫も登場して 
一緒に引っ越しの荷物の整理をしています。
 
父は コタツに入って その様子を眺めている。
 
夫が 違う部屋に出て行くと 父が 私に言います。
「 あの男は 前向きな男じゃの〜」
生きてた時は 褒めた事 一度もなかったのに・・・
 
それを受けて 私は
「 そうよ、あの人は たとえ私が死んでも 淡々と生きる人よ。」 と応じます。
これは 常から私が思ってた事です。(^_^;)
 
 
ここで 何時ものように 私が言います。
「 今日から 私が世話するから 心配しないでね。」
そして 何時もは言わなかった 一言も付け加えました。
「 あの時は ごめんね、冷たくして・・・」
 
 
それを聞いた父は 私の方を向き こう言いました。
「 そんな事が あったかの〜〜 わしは 覚えとらんが。」
 
それは とぼけているのでもなく 私を 慰めているのでもなく
本当に 私たち親子の間に 始めから そんな葛藤はなかったと思っている顔でした。
 
 
目が覚めても コタツに入って好々爺然とした 父の姿が 消えません。
 
 
もしかしたら 彼岸に渡って 文字通り 仏となった父が
10年以上も 良心の痛みに苦しみながら 生きている娘の重荷を軽くしてやろうと
十万億土の彼方から 夢という媒体を使って 逢いに来てくれたのでは・・・
 
そんな気がして 胸が熱くなりました。
 
 
親というものは 子から受けた仕打ちは 根に持たないものかもしれません。
子が 幸せになってくれるのが 親の一番の望みなんですから 
 
 
他愛ない夢もありますが
自分の心の奥底を覗くような 深い夢を見た時は 
無意識からのメッセージを しっかり受け取りたいものです。
 
 
夫に この父の夢を話したところ こんな返事が
 
 
「 そりゃあ 楽になる夢を見たもんだ!!!」
 
 
 
脳天気な妻と 前向きな夫
 
結婚35年     私たちも いい夫婦になったもんです。
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

たまに 思う

少し前のことですが 知人のご尊父様の葬儀に 参列させていただきました。





イメージ 1
















最近は 葬祭場での通夜、葬儀が 一般的になりましたが 昔は自宅での葬儀が

当たり前の時代がありました。

講中なんていう組織もあったようですが 今も残っているのでしょうか・・・




こんな時代に 我が家の両親は 自宅から送り出しました。

多分 この団地で行われた 最後の葬式かもしれません。

来年は 母の十三回忌です、月日の経つのは 早いものですね。



喘息の発作で入院してから たった一週間の急死でしたので 

心の準備も出来でなかった私は 生きて行けないかもしれないと思うほど 悲しみました。

父が厳しい人だったので 一人っ子の私を 母は 自分の羽に包むようにして 

庇い育ててくれました。

それなのに 私は 自分の楽しみや 遊びを優先させて 友達と遊び歩き

たまにしか 母と付き合ってあげてませんでした。

あんなに早く亡くなるなんて 思ってもいなかった私は もう少し待ってね、

これが 終わったら ゆっくり付き合うからね、

と 母との時間を 後回しにしていましたので 本当に申し訳なかったと 後悔しました。





通夜の晩 父と弔問客との話を 放心状態で聞いていました。


私と折り合いの悪かった父が ある日 私の悪口を言ってたら キッと睨んで

「ようこは 私の命だ!」と 普段は穏やかな母が 凄い剣幕で言ったそうです。

あれには びっくりしたよ〜って・・・


それを聞いた私の胸は 張り裂けてしまいました。

ごめんね  ごめんね  あんなに愛してくれたのに 万分の一も返してあげれなくて〜


亡くなった時より 悲しい瞬間でした。





葬式が終わった翌日は 晴天で 雲ひとつない青空を見上げて 

この空の下 どこを探しても もうあの人はいないんだ〜・・・と 心の底から染み渡るような

強い喪失感におそわれ 真夏なのに震えました。


子供には 分かりませんが 親は いつも愛のオーラで 子供を包んでいます。

どんなに離れていても どんなに年を取っても 夜も昼も 愛のオーラが 包んでくれてます。

母が亡くなって そのオーラが消えたのを はっきりと感じました。

背中が 寒い・・・・ これが 親を亡くした実感でした。





私は お葬式、法事などに行くと 故人を偲ぶとともに 

自分も いつかは あちらの世界に行くんだという事を 必ず 再認識します。
  
棺に向かって 焼香しながら、いつかは自分も そこに横たわる日が来る、必ず 来る!


とても 不吉な事のようですが、これは 逃れようのない 絶対 です。

今 現実に横たわっている故人は その事を 教えてくれているんだと思います。

日々死を考えながらは 生きていけませんので 忘れた振りをしていますが

齢50も過ぎたら 少しは 準備もしておかないといけないような 気もしてきます。





美しく咲く花も いつかは枯れて 落ちる日が来ます。

永久に咲き続ける花なんて この世にありません。


イメージ 2




力いっぱい 咲いたか? 実はちゃんと付けたか? 次の世代に 愛の種を渡せたか?

そんな事を考えたら 私 まだまだ 死ねぬ!

残された時間、ぼやぼやしておれないような 気持ちです。

ぼんやり 韓国ドラマばかり 観てちゃいけませんね、こりゃ〜


 

開く トラックバック(1)

昨日は 瀬戸内の島出身である母の実家に 墓参りに行って来ました。

宇品港から フェリーに40分程 乗ります。

いつみても 変わらない鄙びた風景です。

イメージ 1



海に浮かんでいるのは 牡蛎イカダです。

イメージ 2



この下で 沢山の牡蛎が 育っています。冬の牡蛎は 広島が自慢する名物です。

酢牡蛎といって 生で食べると絶品です。

イメージ 3



こんな風景を見ていると 若い頃 ある瀬戸内の漁師町の民宿に泊まった夜の出来事を

思い出します。

子供が 二人ともまだ小学生でしたので 20年近く前の事になるでしょうか・・・




たまには 親類で一泊して美味しいものでも食べようや〜 とうちの両親が発起人になって

島の民宿で 大宴会を催しました。

総勢20人ほどで 一軒の民家を借り切って 獲れたての魚や海老など 食べたい放題

楽しみました。

昔は民家として使われていたのを そのまま使っていますので、一階の20畳ほどの広間に

女性陣が 二階の8畳の間に男性陣というように 別れて休みました。

民宿の方たちは 全員自宅の方に帰られ その家は客だけになりました。


当時 息子は9歳でしたが パパと一緒に 二階の方に上がって行きました。

広間の周りは 戸が立てられていますが 昔の造りで 上は障子になっていますが

下の方は スリガラスになっていまして 二階からトイレに降りてくる男の方たちが

入って出て行くまで よく見えました。


横になっても なんとなく寝付けずに 階段を下りてくるトイレ行脚を ぼんやりと

眺めながら 夜中の2時を過ぎました。

頭は 冴え渡って眠れそうにありません。二階も 寝静まってもう誰も降りてこなくなりました。


その時 トントントンと軽やかに階段を下りてくる足音がします。

子供の足音です。

今回 子供を連れているのは 私だけですので、息子のKすけしかいないはずです。 

あの子は 小さい頃から おばけが恐くて 一人で夜中にトイレにも行けず いつも私を

起こして ビビリながら 「お母さん おる〜、行っちゃいけんよ〜」と あせって

おしっこを周りに撒き散らす子でした。


その子が こんな古い民家のトイレに 一人で行くなんて ほほーうと感心しました。

白い子供の影が 廊下を回ってトイレに入ります。長い間 出てきませんでした。

心配になって見に行こうと思った頃 バタンと出てきました。

すたすたと歩いて 階段の前に立った時 心の中で私 息子を呼びました。

Kすけ お母さんまだ起きてるよ、こっちで寝たら〜

すると その心の声が聞こえたかのように 立ち止まりすくっとこちらに向きました。

スリガラスを通してその姿が くっきりと見えます。

肩から下を 白いカバーオールのようなもので包んでいるのまで見えました。

なぜか 私も声も出さず ただその白い姿を見つめているだけでした。

時間にして 30秒か1分くらいか・・ 結構長く感じました。


その後 白い影は また階段の方を向きなおして トントンと上がって行きました。

私は 一人でトイレに行って頑張ったと 明日は褒めてあげようと思いながら眠ったみたいです。



翌朝も いい天気で、眠るのが遅かった私は 一番お寝坊してしまいました。

寝起きの悪い息子ですら もう起きてます。


「昨日は 頑張ったね、一人でおしっこ行けたんだね。お母さん見てたよ。」

 返ってきた返事が

「お母さん 行ってないよ〜 一人でいくわけないじゃろ!」



げ〜〜っ それじゃ あの白い子供の影は 誰?


階段前の戸を もう一度見てみますと、肩下から写ったスリガラスの部分は どう見ても息子の

胸から下ぐらいの高さです。

正気でよく見てみますと身長からみて 3,4歳くらいの幼児くらいの大きさになります。

それなのに なぜ息子だと思い込んだんでしょうか・・・

なぜ 声を出さなかったんでしょうか・・・


夫に言っても 夢でも見たんじゃろうって相手にしてくれません。

隣で ビビリの息子まで 薄ら笑ってます。

おかしいな〜  確かに私は起きてたんだけど・・・筈なんだけど・・・


納得のいかないまま帰り いつもの生活に戻り、一週間後 コンビニに現像に出していた

写真を取りに行きました。

なんとなくいやだなって思いながら 写真を取り出してみますと 殆んどの写真に

緑色の光の帯が たゆたうように写っています。

不思議に当時80歳くらいだった祖母がいる写真は 綺麗です。

そのほかは カメラのせいには出来ないほどはっきりと 緑の光が写り込んでいます。


やっぱり・・・あそこの民宿には  



民宿の方に 聞けば何か分かったんでしょうか・・・

もし 白い影と向き合っていたとき 立って行ってあのガラス戸を開けていたら そこに

何を見たんでしょう。

何年経っても あの時の不思議な気持ちは 忘れられません。

皆さんには そんな不思議な体験 ありませんか?


酷暑のお盆  少しは涼しくなっていただけましたでしょうか・・・


イメージ 4

いのち の花 

梅雨に入り 朝のウォーキングも 一日おきのペースです。

今朝は早朝から晴れわたり 雨に洗われた葉っぱがきらきら輝いて 洗濯したての朝の中を

義姉と歩きます。

こうして大好きな人と一緒に 朝一番過ごす事が出来て 一日が気持ちよくスタート出来ます。

義姉は 非常に魂の美しい人で 側にいるだけで優しいオーラに包まれて癒されます。

こんな人になりたいと、私が目標にしてる数少ない人の一人です。



今日もおしゃべりしながら コースも終わりに近づきました。

中学校の校舎の裏は 山の斜面になっています。

ここを通るのは 四日ぶりです。

四日前に通った時は 只の伸びた雑草だったのに 同じ場所かと驚くほど白い花が一斉に咲き揃い

緑の絨毯の上を進んで行く 花嫁の白いヴェールのようです。

イメージ 1



1輪1輪は 平凡な草花ですが 力いっぱい咲いているのが伝わってきますね。

イメージ 2



朝からいいもの見せて貰いました。




さて ウォーキングの最後の山場、心臓破りの階段です。

イメージ 3



二つに分かれていて 一段が十七段の階段になっています。

一気に上って 一休みです。

イメージ 4



瓦の浪の向こうに見えるのは 広島ビッグアーチ・・・15年程前に開催されたアジア大会で

建築された競技場です。今は サッカー、野外コンサートなどに使われています。


さて 一休みして後ろを振り返れば 今まで登った階段の倍の長さの階段です。

イメージ 5



最初は 何回も休んで上がりましたが、最近は 楽勝です。

全部で86段ありますので 一段を一才として 今まで歩いてきた人生を思い出しながら

踏みしめるように上がっていきます。

86段登りきって振り向いた時 そこに私の人生は 一体どんな姿で横たわっているのでしょうか?

まだ後三分の一 残っています。

残りの階段を 一生懸命登ったら 今までの不出来な人生が 少しはましになるでしょうか・・・



登り切った所に今日は いのちの火を燃やし尽くして お迎えを待っている一匹の猫がいました。

イメージ 6



冬の間 姿を見せなかったので もう死んでしまったとばかり思っていた、らっきーとはなの

父親猫です。


どうやら 他の若い猫にテリトリーを奪われて うちの方までパトロール

出来なくなったのかもしれません。   


まるで 皮膚病 猫エイズ 猫白血病 全ての病気に侵されているようです。 

イメージ 7



近づいても もう前のように逃げたりもせず、怯えもせず 弱った身体を 舐めています。

我が家では パパと呼ばれていましたが、長い間近辺 NO1の最強オス猫でした。

先日 紹介した亡きぺぺちゃんの喧嘩相手でした。


元は飼猫だったので 他の野良猫より人間に対して警戒心がなく よくうちの倉庫で昼寝していました。

もう 長くなさそうです。

多分 8歳くらいのはずです。

猫といえども いのちを全うして 静かに死を待っている姿は 威厳さえ感じますね。

座りなおすと 昔の面影が残っています。


イメージ 8



立派な猫の最後の姿です。 



帰ってきて 植木鉢を見ると 花の根元に 白い可愛いきのこが2本 伸びてます。


イメージ 9



あの雑草の白い花も らっきーのパパも この小さなきのこも 地球の上に生まれた生命です。

宇宙の大きさに比べれば 人間も猫も雑草も どれほどの差があるでしょう。

みんな 小さな小さな けれど一生懸命 頑張って咲いた「いのち」の花なんです。


イメージ 10

ペペちゃん 

イメージ 1



イメージ 2


イメージ 3




これは 去年まで我が家の ナンバー1ペットだったプードルのぺぺちゃんです。

6月の23日になくなりましたので もうすぐ一周忌になります。  17歳でした・・・


ペペちゃんは 両親が飼っていた犬でしたが 8才の時母が急死しましたので

我が家で預かる事になりました。

母が亡くなったのが分からなかったんでしょう、 毎日玄関のマットの上に座り

母の帰りを待つ姿を見るが辛いと 父が連れてきました。



私も 母を亡くしたショックで腑抜けのようになっていましたが、母の愛したペペちゃんを

大事にする事が 供養になると思い引き取りました。


トイプードルでも少し大きめで 出産も3度経験し 3度目のお産では 7匹も産んで育てた

丈夫な犬でした。

でも 母がいなくなったのが余程ショックだったのか、預かってそう日にちも経たないのに

歯がポロポロと抜けたり 乳腺腫瘍で2度も手術を受けました。

当時は 私も働いておりましたので 留守番ばかりさせて きっと寂しかったのかもしれません。


住まいもペット不可の狭い社宅のアパートでしたから、 いくら無駄吠えの少ないプードルとはいえ

留守中キャンキャン鳴いて ご近所にご迷惑掛けたかと思います。 

でもぺぺと過ごした日々のお陰で 息子や娘も 優しさや思いやりの気持ちを持てる大人に

成長してくれたんではないかと思います。

 
こちらの家に来てからは 庭も広いので伸び伸びしてくれたと思いますが、猫が 毎年のように

増えて行き、少々肩身の狭い思いをさせたかもしれません。

亡くなる二年前から まっすぐ歩けなくなり同じ所をくるくる回るようになりました。

段々弱ってきて 最後は寝たきりの毎日でした。

イメージ 4



イメージ 5



これは めずらしく猫たちと撮った写真です。これが最後の写真になりました。

イメージ 6




こんな夢を見ました。

無彩色の夢で 動けないペペを抱いてある家の前に立ってます。

戸を開けるとそこに死んだ母が居ます、 私は 抱いているぺぺをそっと母に渡しました。

母も黙って ペペを受け取りました。

ここで 目が覚めました。


何度も 危ない時がありましたが、今度こそペペは逝っちゃうんだって悟りました。

その予感の通り一週間後、 私の腕の中で息を引き取りました。


母と暮らしたのが8年  私とは9年でしたが ぺぺはいつまでも どこまでも 母の犬でした。

最後母に返して 私の役目は終わりました。

父母の飼い犬を預かって その愛犬の面倒を見るのが供養になると過ごしたペペとの9年間・・・

それが終わった事で 私の中の区切りもつきました。

これが本当の父と母との別れだ・・・そんな気がしました。


ぺぺの亡骸は ちゃんと荼毘に付し庭に埋めました。

可愛いフクロウの墓石も置いてあげました。

玄関から見えますので 毎朝 ぺぺちゃんおはよう、行ってきます、ただいま〜など

声掛けれます。

相変わらず 遊び歩いてと思っているかもしれません。

フクロウの目が なんとなく写真のぺぺちゃんの目に似ていませんか?

今頃は 母に見守られて、元気だった時のように走り回っているんではないでしょうか・・・

イメージ 7



私たちに沢山の幸せをくれたぺぺちゃん ありがとう・・・忘れないからね


イメージ 8



今回 こちらの可愛い素材を使わせていただきました。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
ようこ
ようこ
女性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

過去の記事一覧

標準グループ

検索 検索
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
友だち(15)
  • チャチャパパ
  • 3 1 9
  • FLOWERVILLE
  • 空▼・ェ・▼
  • huuminn
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事