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稚斗連絡船

稚斗連絡船とは、樺太庁鉄道と鉄道省が連帯で運航しており稚内と、当時日本施政下であった樺太の本斗(現・サハリン州ネヴェリスク)を結ぶ航路で、1924(大正13)年8月鈴谷丸を以って運行が始まった。75海里(営業粁程140km)

北日本汽船会社が経営し、4月から11月まで毎日1往復、冬季の12月から3月までは隔日で1往復していた。

1922(大正11)年11月鬼志別〜稚内(初代)間を延伸開業し稚内まで全通した。(この時の路線は、後に天北線となる浜頓別経由のルートである)宗谷線が宗谷本線に改称。これを契機に、1923(大正12)年5月、稚泊連絡船が開設された。
その後、樺太の西海岸には交通の便が悪く稚斗航路を確立したものである。本斗港は不凍港だったこともあり計画が実施され、樺太西線と接続していた。

1925(大正14)年以降は、樺太庁命令航路となった。


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