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「逃げ恥」を思って
とにかく「逃げ恥」を総括したいので始めました

ヤフーブログの廃止にともない、アメーバブログに移行しました。
別のアカウントでやっていたブログを移行し、そちらだけ続けて
いくことにしましたので、こちらのブログは閉鎖です。
抹消しないので今後も廃止の日まで記事を書くかもしれませんが
「すずめの食卓」→「レプタふたつ」を中心にしていきます。


「すずめの食卓」は旧新約聖書を読破した記録がありますので
どうしても存続させたかったのです。
今後は気楽な日記にするつもりです。
「逃げ恥」のことを書きたくてはじめたこのブログ、
また星野源や小田和正のことを書いていくと思いますが
「レプタふたつ」で掲載していきます。

レプタふたつとは?
貧しい女がありったけのお金を献金したという聖書の話から
きています。レプタはお金の単位なんですね。

短い間でしたけど、ありがとうございました。
また。

「世界の小田です」


  大型連休の前で、たぶんちょっと早めに横浜アリーナのチケットが

  届くのではないかと推察している。

  今週末くらい?

  席はどうか?セトリはどのくらい変わるか?いろいろ気になるポイントは

  あります。

  
  MCも昔に比べ、ざっくばらんになっていたけど、結構苦労されてるのかな?

  絶対言わないのが家庭(特に奥様の話)。お母さまやお父さまの話は

  昨年もされてましたが、未だかつて奥様に言及されてのを活字でも

  見たことない。


  昔、まだオフコースだったころ、鈴木さんが結婚して、「小田さんは

  どうなんですか?」と話ふられたとき、「世界の小田です」と

  言ってのけたのは記憶に残っている。


  ははははは〜と笑いが起こったのだけど、あれ、マジだったかも。

  いまミュージシャンで俳優のHさんが奥様のことでいまいちうまくいってない

  感じがするけど、女性ファンにとっては「小田さんはみんなのもの」で

  奥様ひとりのものにはしてはならないという不文律があるのかな〜


  それを意識してあのように答えたのかな〜

  アメリカ進出はあまりうまくいかなくて、「世界の小田」とはちょっと

  ならなかったけど、やっぱり小田さんは「世界の小田」なのかもしれないな。

小田和正あるある



  今週、金曜日は小田和正さんの「風のようにうたが流れていた」。

  久しぶりですね。ずっと「クリスマスの約束」だったから。

  で、寝ながら小田和正あるあるを考えてみました。

  ①いつも風が吹いている。(歌詞でよく風ふいてます)

  ②後退はしない(前に進んでいくばかり)

  ③さよならは言わない(と、言いつつ連呼する)

  ④腹筋は100回(なんてじじいだ)

  ⑤パンは固めによくトーストする(映像からすると)

  ⑥妻の話は内緒(昔、女性誌に抜かれただけ)

  ⑦京急線に乗ると安心する(あの振動が心地いいらしい)

  ⑧車はスポーツカータイプ(懲りてない)

  ⑨関西は苦手(とばかりは営業上言えなくなってきた)

  ⑩口は悪い(敬語も使えるけど使う機会が少ない)


  以上がざっと思い浮かびました。

  でも、「声がでちゃう」って発言すごいすね。

  いつまでも出てほしいものです。

  番組、楽しみ

 まだ公演残っているのでネタバレはしませんが、

 これだけは言わせて。

 「最高だった!!」


  アリーナのBブロックなので前の左側。

  3次元の源さんを拝めました


  盛り上がりの場面が何度も何度も。

  笑ったし、リズムに乗ったし、幸せだった〜〜

  また、会いたい。

  追加公演、お願いしたい。


  しばらくは余韻に浸って生きていきます。


  たくさんもらえた金テ銀テもお配りできたし、

  わたしは満足です。



  源ちゃん、ありがとう。

小田和正さんの年賀状




   小田和正さんの年賀状と言っても、今年のじゃなく、昔、友達の

   ところへ来た小田さん直筆の年賀状のことをなんとなく思い出しただけ。

   返事として来たのを見せてもらったことがあった。

   長嶋がバットを持っているイラストつき。

   長嶋だとわかったのは(小田さんがファンなのもあるけど)巨人軍の

   ユニフォームで3番だったから。似顔絵ではなく、かわいい野球少年

   みたいな絵だった。


   その友達とは当時の小田さんちへも行ったことがある。

   いまならストーカーだとかいろいろ問題があるでしょうが、全然

   売れてないころでしたからね〜。確か、部活の練習試合の帰りに

   「近いから」って気軽に寄った覚えがある。残念ながらご不在でしたが。

   薬局があるところではなく、泥亀町というところの公団住宅のような

   アパート。一人暮らしされてた。


   関内のナショナルショールームでの「オフコースの小さな部屋」の

   公開収録の帰りには鈴木康博さんと東横線で一緒だったこともあった。

   背が高いからすごく目立つんだけど、「誰もミュージシャンだとか

   思ってないだろうなあ」と思った。


   当時のファンて、お嬢さまっぽいひとが多くて、銀座のヤマハの

   ショールームのミニライブなんて、他のひとのファッションが気に

   なっちゃって。ベレー帽かぶったひとが前にいて、いかにもお嬢さま

   で自分が体育会系なのがうらめしかった…


   小田さんのお兄さんはわたしの兄の中高の先輩で同窓会名簿で名前を

   拝見してました。実家の薬局におられると(小田さんに似ているから?)

   結構見に行くひといましたよね。

   「ODA」がチェーン店で化粧品を展開していたときは横浜駅周辺の

   店に行って買い物したこともありました。化粧品てどこでも同じ値段

   だからせっかくなら「ODA」で買おうと。関内にもありましたね。


   でも、オフの小田さんに会ったのは青山で偶然出くわしたとき1回だけ。

   ドンクに入って行ったのでパン好きだなあ、やっぱりと思った。

   わたしはデート中だったので追いかけるのは控えました。


   カフェも定着してきましたが、あれ、最初にできたときは素敵すぎて

   一緒に行った友達(さっきのとは別)が早く帰ろうとビビッてしまって。

   あれも青山だったかな。コーヒー無料だったような。建築デザイナーが

   建てたようなしゃれたカフェでした。いまのが落ち着くでしょうね。


   オフコースのアナログレコードは倉庫に眠ってますが、最初は楽譜つき

   だったんですよね。LP盤だから掲載できたのかなあ。

   また出してきて聴いてみたいな。機械がないけど。


   いまは静かに春の特番を待つのみでしょうか。

   小田さんいつまでも元気でいてください。

   まだまだ思い出がほしいです。


   

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