文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

文花拾遺物語

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寝たきりの祖母の傍らに椅子を置いてある、私は用がなければ何時までもそこに座っていました。
祖母が目を覚まして喋りかけてきたらお相手になるし、喋りかけてこなくてもそこに誰かの存在があれば安心するだろうから、ただそこにいる。
祖母が寝てしまうと、ちょっと席をはずして用を済ませます。
お洗濯、お茶碗あらい、家の中のことですから、ドアを開けっ放しにしておけば目を覚ました祖母が声を張り上げて「誰か」を呼ぶのはすぐ分かる。
そうしたらすぐさま返事をして、部屋に飛んでいけばいい。

当時大学生だった私には、当然授業がありました。
特に「厳しい」と評判で、学期初めに受ける講義を選択する時に、先輩たちに「教授レベル」の探りを入れておいたなら回避できたであろうS教授の講義。
ここでいう「教授レベル」というのは決して学術的な意味ではなく、出欠に厳しいだの、提出物に厳しいだの、テストが厳しいだのといった(怠けていても単位をくれるか否か)の基準のことです。
恥ずかしい話と言えば本当にそうなのですけれども、勉強して入った大学で私は別のことに夢中になっていて、望んで入学したはずの「勉強」なんてする気もなくなっていました。
受ける講義の基準は「卒業単位を稼ぐためのポイントをいかに効率的に稼ぐか」のパズルゲームみたいなもの。正直、学生の大半がそうであったと思います。
別のことに夢中になるあまり、講義選択の提出期限ぎりぎりになって適当に選んだ担当教授が(講義に対する真摯さを要求するという意味で)悪名高いS教授のものだったのです。
S教授の授業は出欠日数が評価の最低基準になっていて、○回の欠席で期末試験を受けられるか否かが決まるという第一難関があり、それは問答無用の容赦ないものだったので、みんな欠席回数を計算してポカをしないように気をつけていました。
毎週その日は、午前中にS教授の授業。
「介護」は理由ではありましたけれど、単位を落として卒業に響くようなことがあってはまずいですから、さすがに出ないわけにはいけなかったのです。

その日、家族はみんな出払っていて家には私と祖母の二人でした。
私が授業に出なくてはならないことは分かっていましたから、授業に間に合うように家を出て、一時間もしないうちにヘルパーさんが来て、帰って、夕方にまた来て・・・
私とヘルパーさんをつなぐ数時間、祖母を一人にするのも致し方なし、それぐらいなら大丈夫でしょう、ということで話はついていました。
朝、家族の皆が出勤していって、家には祖母と二人。
私はずうっとベッドの横の椅子に座っていました。
寝てしまったのを見て、席を外して用事を済ませていると呼ばれて、戻って、また用事に立って・・・
家の全部のドアを開けっ放しにして、水道の水音を立てながらも耳だけはすませておいて、私を呼ぶ声を待っています。声がかかるたび、「はぁい」という元気いっぱいの芝居がかった返事をして部屋に走っていくのです。
寂しいのだろうし、それにも増して(ひとりぼっち)は不安なのだとも思うし、それでなくても常に呼吸は苦しいようだし、介護者は私一人ではなく叔母も母もいましたから交代制、介護ノイローゼやストレス的に追いつめられることもなく「一生懸命お世話したい気持ち」を保たせてもらっていました。
我が家の場合は、そういった状況的に恵まれていて「余裕」の余地をたっぷり貰っていたからこその良い子的感覚なのだと思うのですけれども、とにかく祖母が好きだったし、私にとって呼ばれることは嬉しいことでした。
老衰が進み、寝ている時間の長さが不安を感じさせるものになっていたからなおさらです。
そうしているうち、家を出なくてはいけない時間が迫ってきました。
それまでは声がかかるのを待っていたようなものでしたが、出なくてはいけない時間にそれが重なってはいささか困る。
どちらにせよ「行かないで」とお願いされても出て行かないわけにはいかないのですからこちら勝手のご都合主義ではあるのですが、「行かないで」を振り払って出て行くより、たとえ後で目を覚ました祖母が自分を呼ぶことがわかっていても、出て行く瞬間を「自分がいなくてもいい時間」で上手くすり抜けられれば、なんだか気が軽くなったような気がするもの。
音を立てずに準備をし、まったく計算どおり、祖母の寝込みをすり抜けて私は家を出たのです。

電車を乗り継ぎ、大学へ―――
(しまった)
授業の開始時間を間違えたのか、大学までの所要時間の計算を間違えたのか、とにかく単純な私の勘違いで、大学に着いたときには授業はすでにはじまっていました。60分授業で、すでに20分経過・・・
遅刻は20分までしか教室に入れないというのがS教授のルールでしたから、ルール上ではぎりぎり。でも、S教授の授業でそんなことをする度胸のある奴はめったにいません。
けれど、せっかく来たのだし、今後どんな事態で欠席ポイントが重なってしまうか分からないし、と、私は講義の進む教室の後ろドアをそろそろと開けて教室に忍び込みました。
けれど、教授の厳格さゆえに私語のひとつもない教室では、その行為はど派手に目立ったのです。
教授が私の姿を認め、ため息混じりに皮肉たっぷりの叱責が始まりました。
(きた)
遅刻者はいつもこの洗礼を受けるのです。
けれど、教授のストレス発散とも思えるそれを言い切ったあとは、しぶしぶではありますでしょうが出席がカウントされるのですから、その場でだけ石になれば――――
他の人に浴びせられる(腹に据えかねる)を声に溶かしたその小言を聞いたことはあったものの、それまで遅刻の当事者になったことはありませんでした。
今、まっすぐ自分ひとりに浴びせられるその小言を俯いてじいっと聞いて、授業が中断されたほかの生徒が見るものもなくこちらを注視しているなかで、教授の怒りが収まるのを待っていました。
言葉の意味は耳を素通りしていきましたが、なんというか(あぁ私なにやってんだろうな)が頭を駆け巡っていました。
ようやく許され、席につきましたが、20分進んだ授業の内容はもうよく分からなくなっていました。
ノートをとっても意味不明、教授の言葉も分からない、そして、今日の餌食となった自分を見ていたクラス中の目―――
おばあちゃんの介護をしていたんです、という叫びが心の中で渦を巻きだしました。
介護がどれだけ大変か、私はずっと遊んでなんかいない。
お酒も飲みに行ってない映画も見に行ってないお休みの日もどこにも行ってない、今日だって遊んでいたわけじゃない、と。
事実としてそれは屁理屈です。
私は単純に授業の時間を間違っただけで、介護の手間が遅刻の理由でなどないのですから。

心の中でぐちぐち不満をぶつけているうち、もう突然に、それは頭の中に浮かんできたのです。
誰もいない家で、目を覚ました祖母が声を張り上げて誰かを呼んでいる。
声を張り上げて。声を張り上げるのだって苦しいだろうに、でも誰もいない。どんなに呼んでも誰も来ない。
だって私はここにいるし、家族は皆仕事に行ってしまっているし―――
私は何をしているんだろう。今日の授業は遅刻のせいでもうついていけない、あとは終了のチャイムが鳴って開放されるのを待っているだけ。
ここにいる意味はない、私がいる意味がある場所には私はいなくって、こんな意味のないところで時間だけをやりすごしている。
(帰りたいなぁ)
うちに帰りたい。おばあちゃんの隣にいたい。
タイムリミットは迫っているのです。
命のある日々は、何時までも続くことではない。
途切れない映像は、いつも私自身が耳にし目にしているものですからものすごくリアルで、おそらくそれは現実でもありましたろう。

私は、もう大学生にもなって恥ずかしい事ながら、べそをかきだしました。
大人数の前でみっともない恥ずかしい醜態をさらした、という悔しさ情けなさも混じっていましたが、なによりその映像がどうしようもないぐらい切なかった。
そこにいない自分自身が悔しくて悔しくてならなかった。
私は泣くことというのがほとんどなくて、記憶にある中で涙を流したことといえば人の死ぐらいなものでしたけれども、そのときはもう泣きましたね。
下を向いて、ぐずぐすぐずぐす泣きました。
誰も何も言いませんでしたし、教授も何も言いませんでしたし、誰もが(女の子が教授に叱られて泣いている)とでも思いましたろうが、事実は全然別のところにありました。
そうして思った。

(誰も、何も知らないくせになぁ)と。

――その2に続く――

閉じる コメント(4)

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続き続き・・(@0@)〜〜

2006/9/24(日) 午後 11:58 天ママ

んー非常に辛く深い想いを抱いてるんですね・・あなたはとても優しい人

2006/10/30(月) 午後 10:54 [ - ]

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天ママ様、長い文章にお付き合いいただきましてありがとうございますm(__)m

2006/11/11(土) 午後 3:10 [ 雪柳 ]

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lipskayo2001様、お言葉ありがとうございます!この時思ったことなのですけれども、人の優しさって「その人が」というより、周りが「優しくさせてあげるか否か」だって気がしました。周りがその人を追い込めば、どんなに性質のいい人だって汚い思いを抱くし、優しくされればひねくれものだって穏やかな気持ちでいられるものだろうし・・・私はどう考えても我侭モノの部類ですから、もしそう感じて頂けたなら、それは「私は優しくさせてもらっていたな」っていう感じですねぇ。嬉しいです、ありがとうございます。

2006/11/11(土) 午後 3:18 [ 雪柳 ]


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