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――初めての方はその1からお読み下さい――
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/40298216.html
それからしばらくして、祖母は亡くなりました。
S教授の授業はもちろんその学期いっぱい続き、一度休講があったか、なかったか・・・・他の教授よりも「わっ、今日休講!」の喜びを与えてくれなかったことだけは確かです。
そして、最後の授業の日、すべての講義を終えて、教授が突然話し出したのでした。
この学期中に女房が死んだ。
治らない病気で、期日の決まった命だったのだ、と―――
生徒にとってはじめて知る事実でした。
もちろんそんなことを聞く機会もチャンスもありませんから、当然といえば当然ではあります。
教授は、奥様の看取りのことを話していかれました。
聞きながら、教授が私たちの身勝手な「甘え」をあれほど嫌われた理由に思いが至りました。
最後の日々、奥様と少しでも多く一緒にいたかったに違いないのです。後ろ髪引かれる日もあったに違いないのです。
今や貴重な時間を削って、仕事に来る。
そうすると、たいそうな理由もなく、ふてぶてしく遅刻してくる奴が教室に入ってくる。
単位のためだけに、興味もない目をして机を埋めている奴ら―――
それがどれほど悔しいことか、むなしい思いをなさったか。
それは私自身が一番よく知っていることでした。
単純な意味で、ストレスもたまりましたろう。
病人についている間中、人の命に責任を持つということ(もちろん、責任といったってなんにもできはしませんけれど)はもう、怖いことですよぅ。本当に怖いことです。
胸に心臓が収まっていることが実に良く分かる感じがするものです。
病人は24時間苦しんでいるというのに、介護や看護をする方は時折息抜きに行ける(介護者看護者にとって、病人のもとを離れるのはすべて息抜きです。私が授業に行くのも息抜き。)事実を忘れてリフレッシュして戻ることができる。
これね、それだけで罪悪感なのですよね。
誰に言っても慰めてくれる言葉は一つなのですけれども、理屈を真の意味で納得できるか否かはもう悟りみたいなもので。
S教授が、遅刻者を執拗とも思える言葉で叱責するのが常であったことも、その場だけをみていたならヒステリックとも思えましたし、単なるストレス解消にも見えた。
いや、事実ストレス解消でもありましたろう。
けれど、それに対する不満や、授業の後にする教授の人間性を噂しあう理屈も、所詮こちらの非を棚にあげた子供っぽい理屈だった。
そんな小さなことよりももっともっと、教授は大きなものを「あきらめて授業をしていた」。
私たちは、なんにも知らなかった。
「―――女房を棺に納めただけれどね、知っているかい?
人間を棺に入れるとき、関節を外すんだよ。
死体はどんどん腐っていって、内側にたまったガスが、なにかの拍子に物理的に関節を動かしてしまうことがあるんだそうだ。
棺の中で死者が動いたら、そりゃこちらはビックリするわな。
生き返ったかと、こうおもうわな。
だから、関節を、外しておいてやるんだよ」
生きているときには、その上げ下ろしにさえ壊れ物のように気を遣った人の体を、死体となっては骨を折って棺に入れるのだ。
S教授のこの事実は、以前私が胸の中で叫んだことを、今度は自分に向かって叫ばれているようなものでした。
(誰も、何も知らないくせになぁ)
人は、他人が抱えている事情も、苦しみも悲しさも、何も知らない。
それは知らない人の罪ではなく、知らなくて当然だから知らないのだ。
だからこそ、目の前の事実だけをあげつらって物事を断じてはいけない。
その裏に、どんな事情があるとも限らないのだから。
そして。
自分のことは、自分が言わないと人には理解してもらえないということ。
言わなくても分かってくれるなどとは幻想だと、甘えだということを知りました。
そう思って胸に怒りをため、筋違いな攻撃の矢を四方に飛ばすことは、自分にも、他人にも不愉快な痛手を与えるだけだと。
言わないのならどんなことにも我慢するべきだし、理解して欲しかったら胸を割って話すべきだし、自分で選択し、自分の責任範囲で相手に対するべきだって。
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「言わないなら我慢する」「解ってほしかったらきちんと話す」当然のことですがなかなかできません。肝に銘じます。
2006/9/24(日) 午前 10:24
相手に何かを伝えるって、本当に難しいですよね。自分の言いたいことが、70%も伝われば、御の字。もうすぐ子供が生まれますが、コミュニケーションが、しっかりできるよう育てたいですね。あと、言葉の持つ不思議な力を大切にしたい。『水は答えを知っている』と言う本があるんですが、言葉・言霊の力を、水の結晶を通して見せてくれます。言葉を伝える時は、きちんとした、相手を敬った言葉で伝えたいな。
2006/9/24(日) 午前 11:22
ん〜〜重い病で苦しんでいる・・とても大変ですよね・・(;@;)
2006/9/25(月) 午前 0:02
らん様、私も身を持って理解するまでまったく『知らなかった』です。「察してよ!」は我侭にすぎないって。「知らないくせに!」という不満自体があまりに身勝手だって。祖母が教えてくれたんだなぁと思います。
2006/10/1(日) 午前 9:42 [ 雪柳 ]
言葉も、配慮も、コミュニケーションも「感性」と「想像力」が形を取ったものだって思いますもの、ジーヤ様の「感性」を引き継いだチビッコなら素質は充分!に違いないっ。それにしても、親=人生最初かつ最大の存在として、これから子供を導いていく・・・って、一大事業ですよねぇ!同年代(・・・なのにこちとら独身貴族で(T^T))が実際にやっていることだと思うと驚異的。自分にもはたしてできるものか・・・
2006/10/1(日) 午前 9:56 [ 雪柳 ]
ですよねぇ。私の場合は傍から見れば「大往生」と言われる看取りではありましたけれど、それでも・・・かけがえのない存在、代わりのいない存在の命そのものが不安定な場所に共にいる事は、正直、とてもきつかった。もっと辛い思いをなさっている方が現実にいる、それは事実なのですものねぇ。その思いや行為に敬意を払える、それが祖母の教えてくれたことなのかとも思います。
2006/10/1(日) 午前 10:05 [ 雪柳 ]
じっくりと読ませていただきました。視点ずれているかもしれませんが、私は常に残された時間は短いと感じて生きております。それは三十歳を過ぎた頃からの感覚です。だから、仕事でもプライベートでも、私の時間を理不尽に奪う人間には、無性に腹が立ちますね。
2006/10/9(月) 午前 2:25
私も読ませていただきました。それよりはじめまして。みごとな筆力ですね。こんな時間に訪問した甲斐がありました。こちらにもおいでいただいて光栄です。またよらせて頂きますね。
2006/10/28(土) 午前 3:19
ホント文章力がありますね!一文字も目を離さず読ませて頂きました。とても考えさせられる出来事、でも自分がいつ経験するか分からない出来事。訪問できて良かったです。
2006/10/30(月) 午後 11:00 [ - ]
「自分の時間」その貴重さを知っているからこそ、他人の時間へも敬意を払えるのだと思いますし、大切にしようという感覚も生まれるのですよね。自分が充実している時間は、共に過ごす誰かにとっても充実した時間であろうし、また逆もしかりだし(^▽^)連鎖ですよねぇ。そのことを改めて感じました。
2006/11/11(土) 午後 2:31 [ 雪柳 ]
薄紅様、ってお呼びしてしまっていいでしょうか?(綺麗なブログタイトルですねぇ(*^▽^*))お越し頂きありがとうございます!過分なお言葉を頂いてしまって恥ずかしいばかりなのですけれども、この出来事は目を開かされた思いがしました。可愛い猫ちゃん達に会いに、またよらせていただきますね!こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
2006/11/11(土) 午後 2:36 [ 雪柳 ]
歌代様、初めまして!お越し頂きありがとうございます(^^)嬉しいお言葉を頂いて、とても嬉しいです!ありがとうございます。誰しもがパーフェクトではない状況を抱えているのだと頭では理解しつつも、やっぱり自分の物差しでしか物事を見ていなかったし、考えていなかったと気付かせてもらいました。人格者には到底なれないへなちょこものですけれど、そのことを「知っている」だけでもちょっとは違うかなと思ったり・・・またお邪魔させていただきます、どうぞよろしくお願いいたします!
2006/11/11(土) 午後 3:09 [ 雪柳 ]
そう、教授先生のような本当の本音の話を若者は聞きたいのですよね。また、人にはその時々で気づかないことがありますね。ワタクシも今となってはたくさんの人の好意を気づかずにあたりまえ然としていたこと恥ずかしく思います。気が付くのが早いか遅いか、個人差がありますね。。
2006/11/12(日) 午後 8:42
>気が付くのが早いか遅いか〜 Komachi様、そうなのですよねぇ!かつて子供扱いされることに不満があったりしましたけれど、知らないことが多いのが子供なら、その頃の自分なんて本当に子供も子供。大人っていうのは伊達に体が大きくなればなれるってもんでもなさそうです。未熟者雪柳、早く立派な大人になりたい(妖怪人間の気持ちも今ならわかるわ。深いわアニメ。)
2006/11/23(木) 午後 6:51 [ 雪柳 ]