|
【公演データ】
公演名:『東京タワー おかんと僕と、ときどき、オトン』
会場:銀河劇場
観劇日:2007年7月11日(水)19:00公演
【主な配役】(敬称略)
ボク:萩原聖人
オカン:加賀まりこ
彼女:石田ひかり
オトン:林隆三 他
演出:G2
脚本:蓬莱竜太
萩原聖人さんの「ボク」を一言で表すなら「善良」に尽きる、って思います。
本当に優しすぎるくらい優しくて、鈍感で、でも繊細で、小心で・・・本人ですらはっきりと自覚しているか分からないほどのあいまいさで、自分の殻に閉じこもっているような臆病さも、あって。
「彼女」や同居人の「マドロス」への示す情の深さは決して偽りではないんです、それも彼の真実であると同時に、同じ体の中に排他的なものをも住まわせている感じがするんです。
あんなに仲のいい「彼女」でさえも、そこには決して踏み込めないし、踏み込ませない。
踏み込ませないのは、ある種の思いやり、愛情と言い換えられるかもしれないようなもので、そういう繊細な優しさを持っている人なのだけれど、それが相手に深い孤独を感じさせることになるのだと、そこまで思い到ることの出来ない鈍感さもまた、あったり。
全てをひっくるめて「ボク」の器は小さくて、怒りも悔しさも悲しさも愛情も何もかも、感情は常に切なく苦しくあふれ出しているんですよね。
そして、自分からあふれ出した感情を必死にかき集めて笑って誤魔化そうとしている男が、唯一・・・なんだろうなぁ、オカンの存在、なんていったらいいんだろうなぁ。
「素直」なんていう小奇麗な感情じゃなくて、立派なものでもなくって、「護ってほしい」「護ってくれる」「護ってやりたい」――自分本位の甘えも含めて、相手本位の見栄や無理やヤセガマンも含めて、相手に対峙したそのときは、背筋をしゃんと伸ばさせてくれる存在といったらいいのかな。
人は護られることで強くなれるし、護ることで強くなれる。
「ボク」にとって最も強く、もっとも弱い存在の「オカン」、また「オカン」にとってもっとも強きもの、弱きものとしての「ボク」は、愛しているなどというより深い因縁みたいな、親子というのはまこと奇跡のようなものだと思わされました。
「オカン」も「ボク」も、決して他と比較して優れているだとか、特別だなんてことはないんですよね。
この物語だって、どこにでも転がっている道端の石ころみたいなもの。
でもその尊さというものは、伝わる哀しさと幸せの生々しい感覚というものは「本物」で、どんなによく出来た「嘘」であっても太刀打ちできるものではないよなぁと思います。
オカンの死に小さく丸まって泣く「ボク」の姿は、もう芝居とか演技とか云々じゃなかったですねぇ。
母親が死んで、何にも出来なかったしてやれなかったと、無力感と後悔に泣く息子の姿を目の当たりにしたらね。
自分の優しさや、自分が生きている価値を一片も思い出すことが出来ずに、小さな後悔や些細な我侭や、そういうものばかりでいっぱいになって怖くて悔しくて泣いているその姿を見たらね。
(傍らにそんな人がいたら、一緒に泣いてやるしかないだろう)
その表情、オカンの遺体を直視しかかってできない目線のあまりの生々しさ。正直、ここが劇場であることを忘れさせられました。
そういう「ボク」@萩原聖人さんでした。
萩原聖人さんの「ボク」はとにかく優しい。
その優しさこそがあの舞台の上で生きていた萩原版「ボク」の個性なのだけれども、もう一段階、陽と陰のメリハリが効いていたら舞台の陰影が深かったかなぁ、などとも思いました。
失わないと分かっているものに対して振りかざす残酷さとか、日常の瑣末や状況のなかで「オカン」を心底うっとうしく思う身勝手さとか、未成熟な人間が、その狭い心の中で処理しきれない我侭さって、その瞬間の真実として間違いなくある。
そういうものを、萩原さんはつねに「自己嫌悪」と抱き合わせのものとして表現していて、負の感情さえもが客席に不快を与えない優しい、優しい「ボク」でした。
でも、親子の間って、そんなにほのぼのしてるかな?もっと剥き出しの感情で傷つけあう残酷さとかあるよな、とも思うのです。
「負の感情」と「後悔」を抱き合わせじゃなくて、別個のものとして上と下に置いたなら、ドラマはきっと、もっと深かった。メッセージ性も強かった。
でも、それをしたなら、あの劇全体に流れていたのどかな気配はわずかにであっても失われただろうし、家族っていうのはそういう一個一個のリクツだけで動いているわけじゃないというのも事実でしょう。
役者さんの演技としても、演出や脚本も、そこをあえて突っ込んでいないようでした。
この舞台は、そういう剥き出しの残酷さを避けたのかもしれません。
この舞台を作る人たちが表現したかったのは、劇的で生々しい「ドラマ」じゃなくて・・・なんというか・・・極論すれば『メルヘン』だったんだな、って感じがします。
母と息子、父の紡ぐ、童話みたいなあたたかいもの。
「ボク」はオカンの遺書にあった言葉通り『本当に優しい子』だったし、だからこそオカンは本当に幸せで、客席に流れた涙も血の色の混じった苦しいものじゃなくて、はらはらとあったかくて。
何が、というのじゃなしに、全体があたたかい気配をもった舞台だったんです。
加賀まりこさんのオカン、「母」と「自分」と「女」が柔らかくしなやかに溶け合っていて、優しさ、愚かさに溢れた一個の人生がはっきり見えました。
特に、東京に出てきた時、駅のホームに降り立ち、ボクをみつけて手をふるその姿、なんのこともないただそれだけの姿に、それを眼にしたこちらにもうリクツを超えた愛しさと理由の分からない涙が出そうな感情をあふれ出させてくれたところ。
そのあと、東京のボクの家に着いて、晴れやかな明るさの内側から本心が割って出てきたような一瞬、涙が瞳の表面に一瞬にして湧くようになって、顔がわずかに歪んで、台詞の言葉がでてくるあの場面。
観ているこちらがもうはっとしました。
オカンの辛さとか、今までの頑張りとか、後悔とか喜びとか、もう、全部、全部見えて。
胸を突かれるとはこういうことか、と思うほどにズキィンときました。
加賀まりこさん、イメージ的にはどちらかというと華やかで、舞台の配役を見たときも「加賀まりこさんがオカン?」と一瞬戸惑うような気がしたものですけれど、やっぱり素晴らしい女優さんで、本当にお見事な舞台でした。
でも、炭鉱踊り。ちょっと照れがはいったのか、妙に綺麗に踊ってらっしゃいましたね(^皿^♪
オトン@林隆三さん。
なんともいえない色気があって、凄く説得力のあるオトンでした。
病院の待合室で並んだボクとオトンが、顔立ちと言うのじゃなくなんとも言えずにそっくりで、血のつながりの分かちがたさを感じさせる、偽りのない父子に見えました。
あと、特筆したいのは脚本や舞台演出の面白さ!
現在のボクを語り部に使って、過去を回想しながらストーリーを綴っていくのですけれどもね。
コミカルに軽やかに進んでいくテンポがかろやかで、ネタモノ&小細工がいちいち面白いの(^皿^♪
二幕の、ボクが飼うウサギ「ぶどう」役の俳優さん(=着ぐるみウサギ)の、飄々と体温低そうなネタっぷりが最強!最高!大爆笑!!
あと、ゴミタメ状態の「ボク」の家にオカンがやってきたところで終わった一幕と二幕の間の幕間休憩中に、幕を下ろさず、無言のスタッフさんが黙々と部屋を片付けていくんです。
見る見る綺麗になって、掃除も行き届いた風景に(そっか、オカンが来たから部屋が綺麗になるんだ)って設定が分かりやすくて、妙に面白かったですねぇ(^^)
舞台が舞台ゆえの魅力を生んだ演出&脚本だったし、役者さんの演技だったなって思います。
と同時に、映画が描いた世界は別のものだという感じがしたし、本の中に描かれた世界はまた別のものだという感じがしました。
映画も、ご本も、ぜひ楽しんでみたいと感じました。
|
初めまして。履歴からお邪魔してます。
スタッフと加賀さん、お互いの「この人と一緒に仕事してみたい!」っていう思いが叶って、加賀さんがオカン役に決まったと聞きました。
うわ〜。今さらですが観たくなりました。(><)(苦笑)
2007/11/30(金) 午前 0:16
makoto_solid様、いらっしゃいませ!このキャスティング、そんな秘話があったんですか(@▽@!G2さんの演出、舞台空間の制約も可能性も手玉にとって遊ぶようなやんちゃさがあって大好きなんです。加賀さんのオカン、いたずらっぽいCuteさと、人生の切なさと、十色の味をたくさん楽しませて頂きました。今も記憶に蘇りますねぇ・・・
2008/1/6(日) 午前 1:17 [ 雪柳 ]