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【公演データ】
公演名:コクーン歌舞伎 『三人吉三』
会場:シアターコクーン/2階R列5番
観劇日:2007年6月25日(月)18:30開演
【主な配役】(敬称略)
演出/美術:串田和美
和尚吉三:中村勘三郎
お坊吉三:中村橋之助
お嬢吉三:中村福助
十三郎:中村勘太郎
おとせ:中村七之助
研師与九兵衛:片岡亀蔵
土左衛門伝吉:笹野高史 他
《白、白、白・・・》
大車輪の大立ち回りが烈しさを増すほどに、雪と三人吉三のまとう衣装の白が音を吸い込んで、感覚が麻痺するように静かに、静かになっていくんです。
ヴォリュームをあげていく音楽は確かに聞こえているのに、とても静か。
盛り上がるという行為が燃え上がるような熱を生まず、これほどまでに冷たく、静かに心を縛って身じろぎさえも起こさせないようで・・
(こんな思いをさせるものか、歌舞伎は!)
その言葉を覆いかぶせて、力任せに押さえつけた感情がありました。
それが何だったのか・・・一番近い言葉を探せば、怒りだった気がします。同時に、怯えていたのだとも。
一切の不純物が消え去って、目を眩ますほどに強烈な『純粋』が、そこにあったんです。
あまりに澄みすぎて、あまりに真っ白すぎて、人間が人間の肉体を持ったままそこに居ることは――そのなかで「生きる」ことは絶対に不可能なのだと、本能が「恐怖」として教えてくれました。
しかし、それはあまりに美しくて。
感情というより、もはや魂のレベルで、もう痛いほどに、切ないほどに強烈に美しくて。
私がそれ以上を知るまいとしたのは、本能が叫ぶ恐怖と、憧れ、それゆえだったと感じています。
《お坊吉三@橋之助丈》
積もり積もった悪事の記憶が鉛の重さでのしかかり、知らぬ間にじわりじわりと体力を奪われて―――
目を閉じてなお、まぶたの裏にベッタリと描かれている、あの殺人の記憶。
ただの老いぼれと侮った男の痩躯がブワッと真っ黒に膨らんだ、
それはまるで、化け物に命を食わせて体を明け渡し、この金だけに執着しつくしているかのようだった、
追いつめられ竦みあがって、恐怖のあまりに揮った刀は、いともたやすく老人の肉体を切り裂いた、
けれど死なない、斬って、刺して、息こそもうしていないがまだ死なない、
置き去りに打ち捨てた死体は闇に呑まれて視界から消え、もう二度とその姿を現すことこそなかったけれど、
しかし化け物は、人間の形を捨てて姿を変えただけだった。
いつの間にか目の前に鏡が立っている、
そこに写るのは悪夢でも幻影でもない、ただ偽りを偽りどおり、真実を真実どおりに映すだけ。
目をそらすことすら叶わない、そこに映るのは
「自分自身がこそ、もっとも忌み嫌った畜生のありさま」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お坊@橋之助丈が和尚に、お嬢に寄せる信頼・・・信頼という言葉では、ニュアンスが微妙に違う気がするなぁ、
一番近い感覚でいえば親子の間に流れるなにものかような、本能的とも思える「絆」と言ったらいいでしょうか。
良家の子息が盗人に堕ちるまでにどれほどの辛酸を舐めたか、それは今の境遇があからさまに物語っています。
それでもなお、彼は「心を許した」という自分の中の「真実」ひとつで、赤の他人を、その一部は自分自身だと言い切って嘘のない態度を見せるのです。
ほとんど交流とてないままに、その心意気に通じたと「信じた」、ただそれだけの絆であるにも関わらず。
凡人から見れば異常とも思えるくらいに、彼は人間を(自分自身を、そして他人を)信じられる人なんだって、そのことがもう強烈に感じられたんですね。
橋之助お坊のこの心根を理解させられたとき、本気で「はっ」としました。
人格の芯のところを、これほどまでにピュアに保てる、それは本当に稀有なことじゃなかろうか。
誰であろうと、他人との関係に対して、少なくとも自分の心が壊れない程度の保証はかけておくものです。
それが利口であり、心にうっすらと麻酔をかけておくことこそ大人の処世術という理屈もまんざら間違いではありますまい。
けれど、和尚・お嬢の対する橋之助お坊には、それがない。一切ない。
それを愚かと呼ぶなら、彼は大馬鹿野郎だと思う。
けれどこのお坊吉三ほどに信じられる人が、いるだろうか。
いや、「信じたい」人が、いるだろうか。
三人吉三のリーダー格・和尚とて、お坊よりはちっとばかし「利口」であったように思います。
たび重なる悪事についに追われる身となったお坊は、和尚の住む吉祥院へ逃げ込んできます。
そこに人の気配、咄嗟に身を隠すお坊。
入ってきたのは和尚、そしてなんと、敵方の捕り手たちです。
お坊の隠れるその前で、和尚は捕り手に取引を持ちかけられます。
(悪名高いお坊吉三・お嬢吉三を捕らえて引き渡すなら、お前の罪を赦そう)と。
和尚は考えあって、それを承諾してみせます。
捕り手たちを帰し、思案する和尚の前に、隠れていたお坊が姿をあらわす場面―――
裏切りを承知したことを知られて、さすがに動揺する和尚を見上げ、お坊はこう言うのです。
「もういいから、俺を首にして持っていってくれ。
赦されて褒美の金を受け取り、和尚だけでも生きてくれ」と。
そのときのお坊@橋之助丈のまなざし、あまりに一途で、嘘のないそのまなざしが忘れられないんです。
裏切った和尚を咎めるでもない、恨むでもない、諦念はあったろうけど、決して絶望してはいない。
その瞬間、理解できたんです。
お坊は、義兄弟の杯を交わした和尚を信じている。
それは、彼が自分に味方してくれるとか、助けてくれるとかそういうレベルで信じているのじゃなくて、「和尚そのものを信じている」んだって。
だから、和尚が自分たちを裏切る決断をしたことも受け入れて、和尚が生きる道の前に自分の死があることも承知したんだと。
自分の命と他人(=和尚)のそれを同じ天秤に載せて、いささかの利己心をさえ上乗せせずに、自分たちの代わりに和尚が生きること、それを「同じことだと判断した」―――
お坊は、この事態においても「絆」を決して疑わない。
なんと強いことだろう、なんて強烈な純粋!
お坊のまなざしに、和尚が一瞬動揺するように素を見せたその瞬間がくっきりと記憶に残っています。
和尚はお坊に変えられたのだ、何がどうという理屈じゃなくて、その純粋さにアテられたんだと。
和尚はもともと彼らを裏切る気なんかなくて、二人の捕縛を約束したのも計略あってのことでした。
けれど、和尚の心にあったのは純粋に「人間」としてのお坊、お嬢だったろうか。
彼は二人を通して、父の代からがんじがらめにこんがらがった「罪」に対していたようにも思います。
「人間」をすり抜けて、その後ろにあるものに焦点があっていたように感じられました。
それを、まっすぐに和尚本人を見つめてぶつかってきたお坊の強烈な純粋が、一番大切なもののありかを教えたのじゃないかって。
人生に対して斜に構え、幾重にも鎧われたお嬢の本心を引き出したのは、まっすぐにお嬢そのものを見つめたお坊ゆえだったと思う。
不器用な少女が、人生に後悔を残さないためにふりしぼる勇気のようだった「私を殺して」という告白が、極上の愛情表現にも、甘美な甘えにも聞こえたのはそれゆえだと思いました。
お坊の前身が「育ちのいい武家のお坊ちゃま」であるという設定は、転落の幅の大きさを強調するためだけの単純な仕掛けじゃない。
その真の意味、真の価値は、お坊の純粋を生んだ土壌のありかを示すものだったんだと知りました。
真っ白な純粋にべったりと穢いものをぶちまけて、元には戻らぬ変質をさせたことの真の罪を問い、最後は死を以って純粋に返す・・・
倒錯的で詩的な世界に、美しい橋之助丈の肢体が見事に映えていたように思います。
犯したくない穢したくない聖域の品位を持ちながら、そのことにあまりに無自覚なこと。
それゆえに、どこか甘さを含んで、守護欲を掻き立てられるようなフワッとしたところがある―――
橋之助丈のお坊吉三、彼こそがこの舞台にあふれ出す『純粋』の源泉だって、そう感じました。
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なるほど。。私も仕事柄、色々見たいんですが、結局自分流、生き様が、そのまま絵になり、今の所それで通っていますので、いいかと。。。
2008/1/6(日) 午前 4:43
写楽風様、あけましておめでとうございます!本年もよろしくおねがいいたします(^▽^)そうですよね、最後は本当にそこに集約されるのだと思います。橋之助お坊のあの雰囲気は、役の解釈やら、演技術だけで造られたものではおそらくないだろうと。しかし、精神の根っこのところにこの感覚を保っていられるっていうのが、お坊も凄いけど橋之助丈もすごい(笑)並みの感覚じゃありませんよねぇ。
2008/1/6(日) 午前 10:17 [ 雪柳 ]