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★初めての方は「その1」からお読み下さい★
義太夫を読む!第一弾 『新版歌祭文 野崎村』 ―その1―
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/53216454.html
【第3回テキスト 義太夫原文】
「どれ一冊買ひませふ。なんぢや「お夏清十郎 道行恋の濡草鞋」、コレ見や、このお夏は手代と懇ろして、姫路を駆け落ちする道行。ああ同じ娘でも世は様々、わづか三里の大坂へ芝居一つ見にも行かず、今度の大病から目の見へぬ婆の介抱。達者な俺が食ひ物まで、その様に気を付けてたもる孝行娘。もし疲れでも出よふかと、おりやそれを案じるわいのふ。したが百日と限りのある婆が大病、案じるも無理ではない、が玄庵殿の加減の薬で、今朝から末のかさにおも湯が二杯通つた、見かけによらぬ巧者な医者殿。
や幸ひ今日は日和もよし、久松が親方殿へ歳暮の礼に往て来る程に、随分婆に気を付きや」と、言ひつつ脚絆草鞋がけ、紐引き締むれば、
「おお父様とした事が、この短い日にもう昼過ぎ、明日の事になさんせいで」
「何のいやい、年こそ寄つたれこの足に覚えがある。一時三里犬走り、日暮までには戻つて来る。歳暮の祝儀は、これこの藁苞、山の芋は鰻になる。久松が年が明けたらば、われは又お内儀になる。それ楽しみによふ留守せい。どりゃ往て来ふ」と身拵へ、藁苞肩に「うや、ゑいとこな」表へ出でしが、立止まり、
「とりわけ今年は早ふ咲いたこの梅、何よりかよりよい土産と、春待ち顔に咲く花を、手折りて苞に一技を、添へてひょかひょか野崎村、後に見なして出でて行く。
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【原文】
「どれ一冊買ひませふ。なんぢや「お夏清十郎 道行恋の濡草鞋(ぬれわらじ)」、コレ見や、このお夏は手代(てだい)と懇(ねんご)ろして、姫路を駆け落ちする道行(みちゆき)。ああ同じ娘でも世は様々、わづか三里(さんり)の大坂(おおざか)へ芝居一つ見にも行かず、今度の大病(たいびょう)から目の見へぬ婆の介抱。達者(たっしゃ)な俺が食ひ物まで、その様に気を付けてたもる孝行娘。もし疲れでも出よふかと、おりやそれを案じるわいのふ
【解説】
久作の台詞。
購入した本を見てみれば、タイトルは『お夏清十郎 道行恋の濡草鞋』。
なんともベタなタイトルではありますが(笑)
久作がタイトルを見ただけでその内容を言い出すところを見ると、このお夏清十郎の駆け落ち話というのは創作ではなく、姫路で実際に起こりうわさになった実話のようです。
「お夏」の周囲の迷惑を省みず自分の心にだけ忠実な行動に引き比べ、娘のお光はわずかばかりのわがままも口にしない、若い娘の好きそうな繁華街やら芝居小屋やらはすぐそこにあるっていうのに、お光のすることといったら病気で眼の見えない母親を一生懸命看護することばっかり。
それのみならず、元気な自分(=久作)の食事のことまで、健康に気を遣っていろいろと工夫してくれる親孝行な娘なのだ。
若い娘が年寄り相手に、疲れやらストレスやらを発散する機会もなくって、お光のほうが病気になっていしまいはせぬか。俺にはそれが心配だ、と。
さらに久作の台詞は続きます。
【原文】
したが百日と限りのある婆が大病、案じるも無理ではない、が玄庵殿の加減の薬で、今朝から末のかさにおも湯が二杯通つた、見かけによらぬ巧者な医者殿
【解説】
久作の台詞の続き。
百日と限りのある婆が大病・・・っていうのが良くわからないんですけれども、婆=お母さんは長患いをしているんですね、なかなか良くならないし、母親のことが心配でしょうがないっていうのは無理のないことだ。
けど、玄庵殿(=これはかかりつけのお医者様の名前)が調合してくれた薬が効いたのか、今日は食欲もあるぞ、いい傾向だ(^▽^♪と喜んで、そしてこの言葉です。
「見かけによらぬ巧者な医者殿」、見た目はたいした名医にも見えないけど、結構ヤルなぁあの先生(笑)ってなわけです。
久作、こういう軽口をたたくキャラなんですねぇ。
久作の台詞、さらに続いて。
【原文】
や幸(さいわ)ひ今日は日和(ひより)もよし、久松(ひさまつ)が親方殿(おやかたどの)へ歳暮(せいぼ)の礼に往(い)て来る程に、随分婆に気を付きや」と、言ひつつ脚絆(きゃはん)草鞋(わらじ)がけ、紐引き締むれば
【解説】
久作の台詞の続き。
「おっそうだ、今日は日和(天気のこととか、もしかすると「大安」「友引」とかっていう、その日の縁起みたいなことも含まれてるのかもしれないですねぇ)もいいし、久松が世話になっているお店の主人へ年末の挨拶へ行ってこよう」と言い出しました。
ここで出てきた「久松(ひさまつ)」という人物。ご紹介が遅れましたが、彼は訳あってこの家にひきとられ、久作が親代わりをつとめている少年です。
年齢は、久松がわずかばかり年上、お光が年下。血のつながりはないですから、二人は幼馴染とも、兄妹ともつかぬ幼少時代を共に過ごしてきました。
今は大坂の商家「油屋」へ、住み込みの丁稚奉公(=お勤め)に行っています。
久作は、息子久松が世話になっている油屋の主人に、歳暮の挨拶に行ってくると突然言い出し、その準備をはじめました。
【原文】
「おお父様(ととさま)とした事が、この短い日にもう昼過ぎ、明日の事になさんせいで」
【解説】
お光の台詞。
「えーっお父さん、そんな急にー!春といってもまだ日は短いし、もう昼過ぎですよ。今から出たのじゃ、戻ってくる前に夜になっちゃう。別に今日でなくてもいいのだから、明日にしてはどうですか」と引き止めます。
【原文】
「何のいやい、年こそ寄つたれこの足に覚えがある。一時(いっとき)三里(さんり)犬走り、日暮(ひぐれ)までには戻つて来る。歳暮(せいぼ)の祝儀(しゅうぎ)は、これこの藁苞(わらづと)、山の芋は鰻(うなぎ)になる。久松が年(ねん)が明けたらば、われは又お内儀(ないぎ)になる。それ楽しみによふ留守せい。どりゃ往(い)て来ふ」と身拵(みごしら)へ、藁苞肩に「うや、ゑいとこな」表へ出でしが、立止まり
【解説】
久作の台詞。
「心配するな、歳をとったと言ったって若い頃は健脚で鳴らした俺様だ。一時(約2時間)で三里(約12km)、犬にも負けぬスピードですっ飛んで来るわ。日暮れまでには戻るからな」とこりゃ確かに若い人でも敵わぬ勢いです。
歳暮の祝儀、つまり挨拶の時に持っていくお土産は、山芋―天然モノですから、今で言う高級品・自然薯ってやつでしょうか―。運んでいく時傷つかないように藁で周りを囲んでラッピングした形、これが藁苞(わらづと)です。
「山の芋は鰻になる」、これはことわざというか言い伝えみたいなもの。山の芋は、河に入れば鰻になる、って言われていました。
どちらも栄養価が高く精がつく食品なので、住む場所が違うがおんなじようなものだという言われ方をしてたんですね。この言葉は古くから誰でも知ってる、納得してる衆知のこと。そしてそれに続けて言った言葉がこれ。
「久松が年が明けたらば、われはまたお内儀になる」
久松は「何年間はそちらで働きます」って約束の下に油屋で奉公してるんですね、で、その雇用期限が切れたら実家であるここへ戻ってくる。そうしたら、われ=お光はお内儀=奥さんになる―――つまり(お光、そのときは、おまえは久松のお嫁さんになるんだぞ)と言うのです。
「山の芋は〜」で誰もが知ってる、納得してることを言い、それと同列に「われはまた〜」がくる、この言い回しのニクいこと(>▽<)
つまりはねっ、お光を久松の嫁にすることを、ほかならぬ父親が認めたっていうことなんです。
遠出の支度を済ませて、さぁ行ってくるぞ、と立ち上がった久作。表へ出たところでふと立ち止まります。
【原文】
「とりわけ今年は早ふ咲いたこの梅、何よりかよりよい土産(みやげ)」と、春待ち顔に咲く花を、手折りて苞(つと)に一技を、添へてひょかひょか野崎村、後に見なして出でて行く
【解説】
久作の台詞。
表へ出た久作は、表に盛りの花をつけた梅の木に気付き立ち止まってひとりごちます。
「今年はとりわけ早く梅が咲いたな――そうだ、この梅こそが、何よりもいい土産」とその一枝を折り、土産の藁苞に添えて持ち、ひょこひょこと出かけて行ったのです。
『春待ち顔に咲く梅』、これは、お光の暗示ではありますまいか。
人生の「春」―――大好きな人との幸せな結婚を夢見る、お年頃のお光。久松に会いにいくにあたって、実際に伴っていくわけにはいかないお光の代わりに、彼女を連想させる美しい梅を連れて行ってやろう。
お光はこの一枝の如く、綺麗に、可憐に咲きましたよ。
久作の小粋な計らいが点描されています。
――その4 http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/54722479.html に続く――
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