|
【公演データ】
公演名:『鹿鳴館』
会場:劇団四季 自由劇場
観劇日:2006年4月29日
【主な配役】(敬称略)
影山伯爵夫人 朝子:野村玲子
影山悠敏伯爵:日下武史
大徳寺公爵夫人 季子:末次美沙緒
大徳寺公爵令嬢 顕子:岡本結花
清原永之輔:広瀬明雄
清原久雄:田邊真也
飛田天骨:志村要
女中頭 草乃:坂本里咲
宮村陸軍大将夫人 則子:木村不時子
坂崎男爵夫人 定子:大橋伸予 他
《三島由紀夫の絢爛》
なんと艶やかな、なんと美しい!
舞台と正対している体に、体全体を背もたれに押し付けてくるような得体の知れない圧力を感じながら、ただただ目の前に展開する世界を息をつめて観ていました。
一幕目が終わり、なにか、のうのうと座っていることがいたたまれずに、劇場空間から逃げ出すようにして劇場内の螺旋階段をのぼってゆきました。
最上部の踊り場から、紫の色が立ち上ってくるかのような階下の景色を見下ろして一息ついたとき・・・それまではまったく気づかなかったことに気づきました。心臓が早鐘を打っていたのです。
一言でいうなら興奮―――といっても体が熱くなるような興奮じゃない。
冷たい体の中で心臓だけがひどく焦っているような、暗い、不安なざわめきに胸が轟くような。
いや違う、「愛」というこの上なく確かで不確かなものの気高さ貴さ、それに対する憧れのような。
愛の勝利への祈りと同時に、残酷な破滅の影を・・・そう、「望んで」でもいるような。
自分のなかにある光と影を、美意識と悪趣味を、理性じゃなくて本能としてのそれを、むき出しに、あからさまに暴き出してゆくようにさえ思われました。
美しい顔をして。美しい姿をして。
その口からあふれ出す美しい言葉が、美しい若草の緑に覆われた心の表皮を、ざっくりと掘り返してくるようでした。
掘り起こされた土の中には・・・今は栄養分と名を変えた、グロテスクな死骸が埋まっている。
私たちはそれを知らずに、栄養分を吸い上げた草々が柔らかく、咲く花が美しいことだけを、何も知らずにただ綺麗だ、綺麗だと喜んでいるのだと。
その無邪気さ。誰にも咎められるはずもない、しかし確かに存在する深い罪―――
気づかずにいれば、知らずにいられれば、花はただ美しいと喜んでいられたのに。
あでやか、と申し上げました。それは、舞台面のことだけではないのです。
誇り、愛、尊厳が人々を縛っている。その見えない捕縛縄の、なんと美しいこと!
私の生きる現実は卑小で、こんな艶やかな愛は存在しません。これほどまでに美しい誇りも。
これほどまでに華麗で残酷な復讐も!
豪華なのです、夢のように豪華な精神世界。
この世界を描いた三島由紀夫という人、私は不勉強で作品を読んだことがありません。
けれど彼はきっと、本当に美しいものが見えていた人。
そして、本当に残酷なものが見えてしまった人に違いないと思うのです。
こういうものが見えてしまう人は、本当に生きづらかったことだろうなぁ、と思ったことでした。
《美しき伯爵夫人》
美しい戯曲が美しいまま現実に立ち上がるために、劇団四季は見事な役者を揃えたなぁ!と思います。
殊に、影山伯爵夫人・朝子を演じられた野村玲子さん。
劇中で清原久雄が彼女を語る、華やかな麗句がまさにそのままの存在感。
文学上でならいざ知らず、あれほどに言葉を飾って語られても納得させられるというのは見事というほかないと思います。
三島由紀夫の世界から抜け出してきた、といっても決して過言ではありますまい。
口跡の華やかな慎ましさ・・・「華やかな慎ましさ」とは、完全に相反していますでしょう?
しかし、まさに言葉通り。私は言葉を飾ってはおりません。
たとえ手中にしたとしてもその存在を自分のものと確信することのできない・・・そうですね、たとえて言うならあまりに見事な宝石とでもいいましょうか。
宝石は奢りません。持ち主の意志ひとつで抵抗もせず、指を、胸を飾りますけれども、宝石の存在感は決して人に支配されるものではありません。
身につける人がその宝石を身につける「資格」のない人なら、その豪華さは逆に人間の貧相を無言で揶揄するだけ。
逆に宝石の輝きに見合う人であるならば、宝石から寄り添って光を増すものでしょう。
従順に従いながら、決して支配されない。
たとえ持ち主が変わったとしても、高価な品が大切に扱われ、あがめられ尊ばれることにいささかの代わりもない。
そしてその価値に、いささかの代わりもない。
野村玲子さんの朝子夫人は、見事に冷たく、罪深く、そして美しくていらっしゃいました。
《不気味な悪魔》
影山悠敏伯爵@日下武史さん。
大政治家の不気味なスケール、そこに巣食うグロテスクな悪趣味と幼児性には、人の言葉の通じない、不気味な・・・そう、悪魔のような異質感がありました。
勝てない、というか「救えない」存在、壊すことも殺すこともできない、ただ逃げることしか。
混沌とした時代の政治の世界には、こういう怪物が住み着く余地があるということかもしれません。
こういう人物もまた、美しい宝石を絢爛と輝かせるものなのですねぇ!
朝子夫人と並ぶ影山悠敏伯爵は、収まりのいい絵のようにお似合いの構図でした。
飛田天骨@志村要さんも魅力的だったな!
浅ましく残酷な台詞に、官能的な血の色が悪趣味にも美しく想像されました。
殺人鬼の狂気と官能に、いや、ゾクゾクしましたねぇ!
《美しい音の洪水》
この舞台、何が見どころかといったら、その華麗で美しい台詞の洪水ではありますまいか。
舞台が始まったとき、一瞬違和感があったんですよね。
「四季調の台詞回し」とでもいいますか、くっきりはっきりとした劇的な口調、一文字一文字がくっきり浮き立ち、音そのものに揺らぎがない感じ。ちょっとほかでは聴いたことがないものです。
なんといいますか、歌舞伎風にいえば「型」のきっちり決まった台詞回しという感じなのです。感情を溶かす余地のない固さがあって。
けれども、だんだんと「型」の美しさが世界を作り、次第にその世界にすっかり飲み込まれてしまった感じでした。
たぶん、あの台詞を滑らかなしゃべり言葉で綴ったなら、世界そのものが普通の現実に落ちてきてしまって、あそこまでの「圧倒」はなかったやも。
『鹿鳴館』という舞台にはものすごく似合いの台詞回しであったように思います。
そして、台詞を語る役者さんの声のいいこと(*^▽^*)
野村さんは声まで見事にお美しく、大徳寺公爵夫人・季子@末次美沙緒さんのお声は、私たちを一気に明治の美しい時代に運ぶよう。
・・・そして、なんといっても男性陣ですよ!!
影山悠敏伯爵@日下武史さん、清原永之輔@広瀬明雄さん、飛田天骨@志村要さん、それぞれに役と声までも揃えたかのように個性的でぴったりで、口を開くたび聞き惚れるほどにいいお声!
言葉そのものも特殊で、ただ音にするだけでは身に慣れないものでしょうけれども、さすが!言葉を血肉にしていらっしゃいましたねぇ!
大徳寺公爵令嬢・顕子@岡本結花さんのお嬢様語尾が、もうちょっと自然にこなれるとなお魅力的だと思いました。
《端正さとエネルギー》
物語はクライマックス、息詰まる展開、そして朝子夫人と影山伯爵の対決・・・
今回、ここで、本当に残念なんですが、客席にトラブルがあったのです。
舞台はそのままの緊張感で続いておりましたし、気にするまいと思っても・・・気にするまいと思うことが、すでに別の考えに侵入されていたってことだものね(T^T)
正直、私の弱小集中力はぷっつり切れました。
だから、この感覚は舞台そのものの感想じゃないのかもしれない。こっちが気を散らした故なのかもしれないのだけれど・・・
前半、あれほどスケールの大きかった二人が、この対決に至って大きさを失ったように見えました。
偽りの仮面を脱ぎ捨てて、二人の大物が真っ向から対決するというのだもの。
そのパワー、そのエネルギーや如何にと恐ろしくさえ思えますのに、この場面さえもが引き続き品よく、今まで作ってきた美しく端正な虚構のなかにすっぽり収まっているように思えました。
もっともっと不気味な、圧倒的な盛り上がりが欲しかった。
暗く不気味な明治の闇を、命と誇りとを飲み込んだ人間の闇を、滑稽で残酷な鹿鳴館の夜会を包む闇を、もっとくっきりと、もっと巨大に客席にたたきつけて欲しかった。
もし、その暴発するようなエネルギーがあったなら、舞台すべてのスケールが違ってくるだろうと思いました。
|