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【公演データ】
公演名:芸術祭十月大歌舞伎 昼の部
『羽衣(=はごろも)』
会場:歌舞伎座/3階1列1番台
観劇日:2007年10月20日(土)
【主な配役】(敬称略)
天女:坂東玉三郎
伯竜:片岡愛之助
天女が衣を靡かせて天空へと飛び去る、私はその信じがたい光景を確かに・・・肉眼ではありますまいな、しかしそれは写真に残るより鮮やかな真実として私は観た。
ぞくりとしました、典雅な夢を見ているような景色だった。
制約に縛られることは、表現として自由になることだってどなたかが言っていましたけれども、お能の風情で枠を引いたこの舞台、その不自由こそが、夢のような空想を描かせてくれるものだなぁと―――
あの気配を他のなにが表現し得ただろうと思う。
それはもちろん、表現者が玉三郎丈であったことが唯一無二の条件であったのでしょう。
坂東玉三郎という存在が現世の命あるものと思えないのは、これはいささかも言葉を飾る必要もない事実のようなもので、奇跡のような存在という言葉を私もその字面どおりに使いたいと思いました。
生身の腕を振りかざして、己の全てをこの一瞬にかけて天女を抱きとめようとする伯竜@愛之助丈。
あの方の風情の根っこのところには、なんというか、非常に寂しい、哀しい気配がある気がします。
端正な雰囲気のなかにその感覚が一刷毛、すっと刷かれたようなのが人間の業というか、存在の限界というか、そういうもののように思われて、能面のように無表情なまま美しい玉三郎丈との対比が映えていたように思います。
でも、品位の保たれた表情の変化さえもが少々うるさく感じられてしまう気がしました。
それはもはや、この舞台が娯楽本位というのでもなくて、もっと別のニュアンスをたたえたものへ昇華されかかっていたからかなぁとも思います。
顔をキメる時の眉を動かすクセ、舞踊や演技の質によってはそれが面白い愛嬌として魅力と映る時も多いのですけれども、今回はそれを抑えたほうが・・・とも感じました。
演者も舞台もそれはそれは美しく端正で、まるで、いにしえの夢でも眺めているような一幕でした。
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