文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

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『玉緒の「着物」の喜び』

著者:中村玉緒/著
発行所:光文社
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30674965

ご存知・中村玉緒さんが「着物」というファクターを通してさまざまに語る、このご本。

着物を着るのは、女性が着物を着て現われることを「男はん、喜ばはりますえ」がその理由。
言葉面だけだと男性への媚びのように聞こえるかもしれませんけれど、違うんですよ。
玉緒さんは「男はん」をすごいかわいいものに思っていて、喜ばせてあげることが嬉しいの。
自分自身の心遣いやガンバリで、好きな人が嬉しがることが嬉しいの。
そして自分も綺麗なもの纏って、嬉しいの(笑)
そうやって互いに笑顔になっていく。そこに何の理屈も衒いもなくて、チンケなプライドやらご大層な信念やら、そんなん知〜らんがな、と飄々としている風情。

その感覚は「男はん」だけに向けられたものじゃなくて誰にでも。特に若い人に向ける感覚なんかすごく素敵。
大人って、自分自身だって間違ったり恥かいたりの若さ全開!紆余曲折を経て大人になったんだけど、そういう過程を経て得心した「正しいこと(と、彼らが信じていること)」を今は知ってるから、今の若者がかつて自分自身もやってた(そして忘れてる)右往左往を見てはもどかしがったり、ものを知らぬと馬鹿にしたり、それが目新しければ拒否反応に大騒ぎしたり、上から目線、教師目線。
玉緒さんにはそれがないんだなぁ。感覚がニュートラルだし、新しさへの面白がりがあって、若者感覚が分かるといっても決しておもねってるわけじゃない。
一つ一つを厳密に分析すればほんのちょっぴりのズルかったり、ちょっぴりの嘘だったり、我慢、辛抱、他人に押し付けられれば即座に拒否!否定!なこととても、それが廻って幸せとか喜びに跳ね返ってくるならご愛嬌、人生あったかくするテクニック、とあの笑顔で言われればなんとも素直に頷ける気がする。
正直、本を読んでいて、あぁこういうふうに接してもらい、教えてもらえれば、すごい素直に話を聞けるなぁと感心(って言葉も変か)したりして。

天下の成駒屋の嬢さん(トウサン)として。
幼さと「女」の萌えいずる気配の入り混じる、若き銀幕スターとして。
魂ごとほれ込んだ男はん――旦那様・勝新太郎さんの妻として、母として、女性として・・・
着物の美しさ強さに包まれた女一代の景色というのがね、なんというか、キラキラした万華鏡のよう。
その絢爛、谷崎の景色の如く!
今、どんなにお金があろうと豊かであろうと、こうも人生を絢爛に飾ることは無理だろうなぁ。

するする読める、着物のご本。
お着物、着てみます?あなたが綺麗にならはると、あなたの大切な男はん、喜ばはりますえ(^^)

歌舞伎を観るということ、とかけて、未来の自分にすっごい大きなプレゼントをあげること、と解く。
さて、お立会い。そのココロは!

歌舞伎を紹介する際に使う「気軽に楽しめるよ」「庶民の娯楽だったんだから」とのお誘い文句、もちろんまったくの嘘たぁ思いませんけれども、乱暴に言っちゃえばそうそうお手軽なもんではないと思う。

歌舞伎座(やら、上演劇場)に足を一歩踏み入れて、開幕の柝に扉がバタンと閉まりゃ、劇場空間ごとタイムマシンの時間旅行――今現実になってるもので例えるなら宇宙旅行みたいなモンかしらん、日常における感情の振れ幅を一気に振り切っちゃう特大のワクワクがある反面、ノンキばかりでいられぬ緊張感やら怯えやら、せっかくの機会だトコトン観尽くし堪能しなきゃソンだとばかり(=これがアカデミックな気分が抜けきらないばかりに「理解しなきゃ」とおんなじ意味)気合いのフンドシきりりと締めいの、目と耳ギラギラ研ぎ澄ましいの、めいいっぱいの大気負い――
この時点で「気軽」じゃないし(笑)
で、大暢気のチントンシャン(←三味線の音)に出迎えられての芝居一幕。
正直言って、舞台の詳細まで堪能できたらそりゃアナタ、天才です。
「・・・なんかよくわからなかったけどエキゾチック」の気配が、DNAに刷り込まれた『何か』にちらりと触れたなら御の字ってもんではありますまいか。
ま、誰においてもナニにおいても、初手っつうのはそういうもんで、将来の見巧者も「歌舞伎は人生に一度・・・不思議な体験だったわ(遠い目。)」の人も大差なかろうと思います。
大安平成、他に娯楽のない世じゃなし。

ただ、これは私の実体験からなのですけれども。
世の中に「本物」って、ほんの一握り。イエ、歌舞伎だけが本物となんざ言いません。他にもあるよ、もちろん。
本物って、つっこんでつっこんでマニアックに突き詰めた時、表の顔の裏に宇宙空間を持ってるってことだと思います。
何か夢中になっていることを持つ人ならイメージしていただけると思うけれど、その世界の前では子供に還れるんですよね。
本当に面白いものって一見して分かんないんですよ。茫漠としてて、一方の真実がもう一方の嘘みたいな矛盾と思えることさえも突き詰めればひとつの真理に帰結してたりして。
でも好きになると、その難解さこそが醍醐味。知っても知ってもまだ謎なところ、その複雑さ、夢中を湯冷めさせない上質な温泉に掲げられた水質表示みたいなもの。
あはは、マニアックですよう!だから、楽しい。楽しいのだよ。

歌舞伎の宇宙って何だって言うなら、歴史とか伝統とか、堅ッくるしい言葉じゃつまらないからこう言おう。
歌舞伎って何千何万何億の人の人生そのもの、丸呑みに飲み込んじゃっている。
それは教科書に載せられそうな「正史」としてだけじゃなくてね。
一個の人間が最大限に発散させる価値っていうのをそれだけ集めれば、そりゃ深いです。苦しく哀しく、大いに面白く、滑稽なモンです。
それを表現するために、何百年、何百魂が突き詰め研ぎ澄まし、極めきった「形」をとる。それはナチュラルとは程遠いところにある、しかし、思いの凝縮されたそれは、強い。
それを観てしようって言うんだから、一見さんにその価値がわからなくて当然だ。

じゃぁアンタ、歌舞伎世界を知り尽しその味わいを堪能できるまで、つまらぬわからぬを我慢して黙って観ていろってェん?
それがね、上に書いたのなぁ、歌舞伎の中にキラリと潜んだ宝物のようなもんで、コレを掘り当てりゃご果報さまってことでね。
歌舞伎ってな下衆ばったとこで(笑)奥ふかくに宝石仕込んだ大地の大半はただの土。
天上世界の救いはそりゃありがたく尊いが、我らパンピーが欲しいのは現世利益ってなもんで、観てて単純に面白い、これがなきゃ客が来ないでしょ。ほら、松竹さん(←歌舞伎興行の大元締)だって商売だから。
この面白さ、初手の抵抗が和らぐ観劇数回、数十回のうちに、すこおしばかり慣れればすぐに分かるようになります。
(あっ歌舞伎ってただのゴラクだ)って。
ちなみに、初めて観たときにはまったく言葉として耳に届かなかった役者の台詞、義太夫や長唄も慣れてくれば普通に聞きとれるようになります。
私は観劇暦3年ほどですけれども、意味も含めて、8割方は理解できるようになりますねぇ。
要は慣れ、です。

歌舞伎が好きだなんて言うと「高尚なご趣味ですねぇ」なんて褒めてもらえるけれど、嘘、嘘。こちとらただの下衆ですわぁ。
まぁ、そう思ってくれるのはこちらの人格イメージ的にありがたい(_人_)なんで、それこそ典雅なほほえみで「ええまぁ」とお答えいたしておきましょうが。

でも、歌舞伎を観始めて日が浅い時の楽しみって、それは間違いなくあるんですよね。
ピュアでフワフワしてて、春霞のように気分のいい面白さだった。
何を見ても目新しく、何を知っても嬉しくて、ワンダーランドに遊ぶような無邪気なワクワクぶり。
アレもよかった(笑)が、人は子供でばかりはいられない。

少しばかりたつと、目が肥えるって言い方は不遜だけれど、見えてきますよ。芸というものが。
今まで全てが面白かったものが、満足と不満足に分かれてくる。
ここで不思議なのが、初手に苦手だと思っていたりつまらなかったものが急激に楽しくなってくること。
楽しく、というより、舞台が豊潤に満たされているというか、あぁ満足だ来てよかったと胸のうちに幸せが詰め込まれるような感覚が生まれてくることでしょうか。
これを感じると、不思議な逆転現象が生まれてくるんですよね。
それまで、客(=自分)が主、役者は自分を楽しませる存在という図式。
それが、役者が主になる。
ちょっとヘンな感覚だなと思うのですけれども、観させて(魅せて)貰っていることにありがたさが湧く。
尊敬というか、敬慕というか、親しみよりもちょっとキリリとした感覚。
それまで、歌舞伎役者っていうと格式に支えられて偉そう(!!)なのが「なんだよー」とか思っていたりしたわけですけれども、この芸をする人かと思えばそれすら嬉しい。格調高くご立派!(←観客は身勝手(笑))

だんだん分かってきます。
何度も観た同演目、ある舞台での役者さんの演技にいきなり気付くことがあります。
理不尽で矛盾に満ち、理解の外にあった行動に「ああ!!こういうことだったのか!」
その悲しみ苦しみの強烈な純度。
正しい正しくないなどというものではないのです。圧倒され、心に感情の引き出しが増える気がする。
大曲に挑む若手役者さんの壮絶といいたいぐらいの「自分の存在意義をここに賭ける」気力――舞台での居場所は自分で確約するしかないのだな――緩んだ心に鞭をもらう気がする。
歌舞伎というのは、本当に観れば観るほど違います。
役者も違うし、観る自分自身も変わります。
周囲がなぜ泣いているのかわからなかった芝居に涙する日があるのだと、先輩がそう言っていました。

誤解を恐れず言うならば、歌舞伎は―というか、歌舞伎の究極の面白さは―パッと観て分かるものじゃ決してない。
何度も何度も観て慣れて、感性を研ぎ澄ますのです。芸をキャッチするアンテナの精度を上げるのです。
劇評なんかをちらりと見ると、知らない人から見れば「はぁ!?」と思うほど細かいことが書いてあることがあります。
ちらりとした視線のふりだとか、手の角度だとか、そんなのどうでもいいじゃないかと思うようなことが。
でも、観続ければ分かるんです。その一瞬そのわずかが、どれだけ世界を広げるか。
名優は、表に現われるものとしてはほんのわずかな動作で、その人物、その人がどういう人か、どういう過去を背負っているか、膨大な映像を観客の脳裏に描かせるんです。
でも、芸をキャッチするアンテナがなければ、ただのわずかな体のゆれに過ぎない。

味わいたいじゃないですか。すごい価値がそこにあるなら。
味わいつくすためには修行が必要で、役者は日々それをしているから、あとは私が(客席が)味わう舌を持っていればいい。
これを勉強だと、面倒なことだというならまさにそう。手間暇かかるし面倒です。
でも、面白いんだなぁ。
学者が学問を究めようとするとき、彼らはいわゆる「勉強」している感覚なんかじゃ絶対ないと思う。
めちゃめちゃ厳しくて難しいけれど、それを解き明かすことはゲームなんだろうな。
究極の娯楽。大人が夢中になる遊び。

今、このときは修行の時(修行の過程も楽しいのが歌舞伎エライ♪)、今から歌舞伎を観ることは、将来の自分に身の震えるような感動を味わう権利をプレゼントするようなことだと思います。
娯楽に数はあれど、観劇って、年を取ってもいささかの衰えなく、とても長く楽しめる娯楽だと思うし。

押し付けなんかしないけど、無理にとは言わないけど、私は知ってるから言います。
歌舞伎はいいよ。
ほんとに、最高です!

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