文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

江戸&歌舞伎コトバ事典

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竪やの字・立矢の字(=たてやのじ)

【意味】

女帯の結び方。
帯を大きなリボン(=蝶結び)状に結び、肩から腰にかけて斜めに背負うような形にする。
宝暦(1751〜1764)のころ、歌舞伎俳優・二代目瀬川路考が考案したと言われる。

歌舞伎においては、時代物狂言の腰元(=武家に奉公する女性)、武家の娘が結ぶ。

【『竪やの字・立矢の字』お喋り♪】

舞台に居並ぶ腰元衆が揃って結んでいる竪やの字(=立矢の字)。
パキッとした硬質な形のこの帯結び―――いわゆる武家奉公のユニフォームですから色気消しのつもりなのでしょうが、柔らかい曲線で作られた体の線にこれが組み合わさると・・・逆説的にイイ(笑)
ちょっとダサ目?と思えるぐらいのクラシックな制服を着た女子高生が、それゆえにかえって魅力的に、色っぽくみえてしまったりする感じでしょうか(^皿^)

帯って通常の結び方だと、主に腰回りだけを飾り、護る(?)形ですけれど、この結び方だと背中半分が帯の堅い布に覆われちゃうんですよね。
そこにガードの固さを感じつつ・・・裏を返せば半分の「隙」が明確にもなってる。

うーん、こりゃオトノサマとてたまるまい(笑)
女の色気ってね、全開にするより、小出し?隙からチラ見せ?これがより一層効果的でもあるんだな♪と、メモメモ....〆(・ω・。)

・・・って、この感覚はまったく私だけのものかもしれませんが(^皿^)思いません!?

おおっと、話がイケナイ方向に逸れました(^^;
竪やの字語り、ネタはこちら。

『やの字(=蝶結びの部分)をどちらの方向に背負うか』

この帯結びの形は「帯を大きなリボン(=蝶結び)状に結び、肩から腰にかけて斜めに背負うような形」。
つまり、この条件からいくと、形は二通りあります。
●右肩―左腰の斜めラインで背負う
●左肩―右腰の斜めラインで背負う

これ、どちらが正解!と決まっているわけではなく、舞台を観ていても、両方のバージョンが使われているんです。
この違いって何なんだろう、と思いません?

実はこれ、『状況』によって変わるのですって!

屋敷内にいる時は、右肩―左腰ライン。
外出する時には、左肩―右腰ライン。

その理由は、女子といえど武家奉公。
万が一、主君や自分自身が襲われたときすぐに懐剣で応戦できるようにという心得なのだとか。

日本人は右利きが圧倒的多数ですから、懐剣を操るのは右手。
そのとき、右の肩に帯が乗っていては、腕の動きに差しさわりがあります。
ですので、外出等、危険が多い時にはやの字を左に背負い、右手を自由にするのです。

逆に、屋敷内に入る時は身内の侍がいますから、たとえそのような事態になっても戦うのは男の仕事というわけ。
さらに勘繰るなら、刀を使いにくい形にしておくことで女の危険な行動を多少なりとも封じようという心があったのやもしれませんねぇ。

じゃっ、ここで問題!

Q 『道行旅路の花婿』において、腰元・お軽は「やの字」をどちらの方向に背負っているでしょうか?

『忠臣蔵』のヒロインの一人・お軽は、塩冶家に奉公する腰元です。
彼女は、奥方様・顔世御前から文遣いを頼まれ、塩冶判官が登城している足利館へやってきました。
目的は、モチロン奥様からのお手紙を届けること!!!・・・・というのはオモテムキ。
なんせ、そこには塩冶判官の供をして登城した恋人の早野勘平がいるんだもの♪
せっかく来たんだし・・・せっかくだもんちょっとお喋りもしたいよね、ちょっと○○もしたいよね(^皿^)ってなわけで、お軽は上手いこと勘平を外に呼び出して、二人でイチャイチャいたします。

・・・そんな折も折、なんと殿中では塩冶判官が高師直に斬りつけるという刃傷事件が発生してしまいました。
大事件の勃発!当然、事件現場には侵入者も逃亡者も、無責任な流言飛語も許すわけにはいきません。
城の出入り口は即刻封鎖され、外に出ていた勘平とお軽は締め出されてしまったのです。

本来、真面目で勤勉な供侍である勘平は真っ青になります。
どんなに頼もうが喚こうが、城へは入れてもらえない。漏れ聞こえてくる事件のありさまは、敬愛する塩冶判官からは想像もつかぬ、信じることなど出来ようもないことなのです。
嘘か、誠か、主君のお命は今もはやないのか、あるのか、どうなっているのだ、何が起きた!
幼い頃からお仕えした主君の、これほどの一大事に、もっともおそば近くで立ち働くべき自分がなんの役にも立てない―――

勘平はあまりの申し訳なさに腹を切って詫びようとします。
そんな勘平をお軽は必死に止め、今死んでもなんにもならない、お詫びのためにも生きなければと必死に懇願します。
そして、茫然自失の恋人を引き立てるように、ひとまず自分の実家へ落ち延びることとしたのです。

そういう状況で、お軽と勘平が落ち延びていく様を描いた舞踊劇が『道行旅路の花婿』。

このときの状況と、背負う方向のテキストを併せれば答えは簡単♪
こんど舞台にかかったとき、見てみてください(^^)

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女形・女方(=おんながた)

【意味】
歌舞伎で、女の役を演じる男の役者。また、その役柄。
江戸初期に、女歌舞伎が禁止されて以後に現れた。(『大辞泉』より)

【『女形』お喋り♪】

「女形・女方」と書いて、読みは「オンナガタ」。
これが、上記の↑存在を表す正式名称なんですけれども、これとは別の呼び方、聞いたことありませんか?
・・・・・・
そうっ!(・・・今、だれと会話をΣ( ̄□ ̄;)!?)
「オヤマ」って言葉、聞いたことありますでしょ?

私のイメージなんですけれども、文字通り堅く読む「オンナガタ」より「オヤマ」のほうが、ちょっと変則的な読み方にツウっぽいこなれた雰囲気がある気がして、こっちの方がなんとなくイイ♪って思ってました。
読んで字のごとくの「オンナガタ」は、まぁいわばNHKアナウンサー言語的な正解であって、こっちの読み方のほうが本当なんじゃないのかな?って。

でもある時のこと。
TVだったかなにかのインタビューで「オヤマ」と紹介された某役者さんが、やんわりと「オンナガタ、なんですよ」と訂正なさっていたのを聞いて、あれぇっ?と思ったんです。
クラシカルで特殊な響きをもつ「オヤマ」という言葉が間違いで(というより、お嫌で?)「オンナガタ」が正しいと、役者さん自身がわざわざ訂正するということは・・・こりゃ、なんかあるぞ!?と思ったんです。

で、ずうっと興味はあったんですけれども、ついこの前読んだご本に、もしかしてこれが答えか!?という記述を発見しました!
「オヤマ」という言葉の語源は、どちらかというとネガティブな、蔑称に近いものであったというのです。

話はグウーーーーっ遡りまして、歌舞伎発祥の時代よりさらに前。

ありがたい神社仏閣(_人_)・・・といえど霞を食っては生きてもいられず、参詣者のオココロザシにて存続をはかっていました。
神様が降り立つのは幽玄・深淵たる僻地――という訳もあってか知らず、由緒正しい神社仏閣は都会より僻遠の地にあるケースが多々あった。
出雲、熊野、出羽といった超有名どころといえど、参詣者をただ待っているだけでは・・・まぁ、ちょっとアガリが足りないというわけで、神社仏閣側からみずから皆さんのいるところへ出かけていって寄付金をつのるという方法をとります。
いわば押しかけ募金―――って、人聞きの悪い!
神社仏閣に参詣できぬ人々とて、寄付という手段で神仏に手をつかねるチャンスを作ってあげるのです、それもまた救済の道・・・チーン・・・って、私今なぜか神社仏閣側の回し者になってましたが!?
・・・そういうわけで、寄付金募集の集団が全国に散らばってゆくことになります。

善意に縋った募金活動をする時に、むくつけき男性だけがぞろぞろと並んでいるより、女性がいるほうが集金もうまくいく!というわけで、巫女や尼僧も数多く派遣されていきました。
集金方法にも一工夫。信心だけに縋っての地道な活動をするよりも、パフォーマンスで人を集め、一気に集金した方が手っ取り早いし効率もいい。
で、宗教に関連したありがたい歌を歌ったり踊りを踊ったりで、華やかに楽しくエンターテイメント♪で、お代は見てのお帰りというわけ。
・・・と、なってまいりますと、男より女の方がそりゃ綺麗だし、頑張ってれば応援したくなちゃうな〜というわけで、集金成績がどんどん上がってまいります。

集金が多ければ、彼女達を送り出した本家のご機嫌もよくなる、待遇もよくなる、自分自身も潤ってくる!となりますと、巫女、尼とて生身の人間。
いつしか寄付奉納の志より「とにかく、お金!」となってしまいます。
女のもっとも高く売れる武器といえば・・・彼女達はいつしか、地方の金持ちに身を任せ、金を巻き上げるような手段に奔るものさえ出てきました。
こうなってしまうと、もはや故郷には戻れないし、自堕落な生活はもうもとへは戻らない。
出先で落ちこぼれた女芸人たちは、景気のいいところを目指してもうどこへだって行く。なんだってやる―――

なかでも、熊野三山から派遣されてきた比丘尼たちのうち、落ちぶれ果てた一部が「お山の女」(=お山とは「熊野のお山」のこと)と称され、この言葉は手軽な売春婦の代名詞にさえなりました。
これが語源となり、「お山」といえば遊女、それも上等ではない下級遊女を指し、蔑んで呼ぶ言葉となったのです。

歌舞伎芝居が人の興味をそそる存在を題材にして狂言を作る以上、「遊女」という存在は女性役の中でも頻出することになったと思われます。
抑圧され、本能を売り物にして生きる女というのは、外側から見ても、その内面においても深いドラマを生むということなのでしょう。

遊女=お山を演じる芸が深く発展したことで、「オヤマ」という言葉が次第にニュアンスを変え、いつしか歌舞伎役者が女性を演じる芸そのものを表す言葉に転用されていったということらしいのです。

※「オヤマ」の語源には、このほかにも諸説あります

現在、私達が「オヤマ」という言葉から受けるニュアンスに、マイナスイメージや蔑みの意味は含まれていないとはいえ、蔑称から発展した言葉であることは間違いないようです。
現在の辞書には「オンナガタ」=「オヤマ」という書き方をされているものもありますし、語源はどうあれ意味的には完全に換骨奪胎されて「オンナガタ」と同様ですから、決して使ってはいけない言葉であるということはありません。

ただ、「オヤマ」という呼称を好まない人が存在する、というのも事実のようです。


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吸い付けたばこ(=すいつけたばこ)

【意味】
遊里の風習で、キセルにたばこを詰め、遊女自らの唇で吸い付け(=キセルをくわえて息を吸い込み、たばこに火をつけた)たのち、吸口を懐紙でぬぐって、すぐに吸える状態にしたもの。

【『吸い付けたばこ』お喋り♪】

『なじみの女郎の吸い付けたばこで 煙管(=きせる)の雨が降るようだ』

両手にあふれんばかり煙管を握らされ、江戸一番の色男・花川戸助六が言い放つこの台詞。
助六の劇的なモテっぷりを象徴する場面です。

この「キセルを渡す」という行為、「吸い付けたばこ」とは、いったいどういう意味?
この行為、実に色っぽいニュアンスを暗示しているのだそう(^m^*)

遊里の女郎屋では、通りに面した表側に、間口いっぱい格子をつけた座敷(=見世座敷)があり、その奥に花魁が打掛を着て一列にずらりとに並んでお客に姿を見せていました。
これを「張り見世」といいます。
客は「張り見世」を格子ごしに覗き、好みの遊女を品定めするというわけ。
ちょうど、檻に入れられた見世物の美しい動物、といった風情でしょうか。

花魁の膝元には、朱塗りの煙草盆・朱羅宇の煙管(※)が置かれていました。

※羅宇=らお・らう 
煙管(=きせる)の構成のうち、刻みたばこを詰める雁首(=がんくび ※受け皿状の先端部)と吸い口の部分をつなぐ胴部分のこと。
朱羅宇は、その部分が朱色に染められているものということ。

檻に飼われた美獣といっても、もちろん遊女側からだって品定めに歩く男たちを見ています。
外を歩く男に目を留め(あの人に今日のお客になってもらおう―――)
遊女がそう思ったら、たばこの出番。
煙管に刻みタバコを詰め、自らの唇で煙管をくわえて火をつけます。
そうして、すぐに吸える状態にした「吸い付けたばこ」を、格子越しに男に差し出すのです。
男がそのキセルを受け取れば、遊女の誘いに応じる意思表示となりました。

もちろん、遊女は誰彼かまわず「吸い付けたばこ」を差し出すわけではありません。
好感のもてる男にのみ行う、遊女側からのアピールというわけ。
遊女によっては、なじみの贔屓客にしかそのような行為をしない人もいました。

自らの唇で吸い付けるのですもの、これはいわば間接キッス。
ぬぐった吸い口にも、うっすらと紅が残っているやもしれぬ官能的なシロモノ―――
「生理的に受け付けない!」吐き気がするほど嫌な男には、いくら仕事とはいえ自ら望んで与えはいたしますまい。

ですから、たくさんの遊女から吸い付けたばこを贈られるというのは(貴方と今宵一晩・・・ごにょごにょ(笑))を浴びるほどに求められた、「モテ」そのものを暗示しているというわけです(^m^*)

ピンク色の可憐な花を咲かせる「相思草」(=あいおもいぐさ)。
これ、何かといいますと、煙草の異称なんです。
たばこは一度口にすると、時々思い出して忘れられないようになるので、中国で「相思草」と呼ばれるようになったのだそう。
「たばこ」を出会いのアイテムとして使う遊女と客の結び合いを暗示しているようで、ちょっと面白いような名前の妙ではありませぬか(^^)

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待宵の侍従(=まつよいのじじゅう)
物かはの蔵人(=ものかはのくらんど)

【意味】
狂言『貞操花鳥羽恋塚(=みさおのはなとばのこいづか)』に登場する役名。

「待宵の侍従」は同狂言のヒロインの一人。
元は宮仕えの女房(=女官)でしたが、崇徳院の愛を受け男児を出産します。
しかし崇徳院はほどなくして失脚、遠い讃岐へと流罪になってしまったのです。
夫の面影を慕い、幼子と二人の苦しい長旅の末にたどり着いた流刑地で、彼女を待ち受けていたものはあまりに残酷な運命でした―――

「物かはの蔵人」は、流刑地に赴きたい一心で盗みを働こうとした待宵の侍従を哀れみ、彼女に自分の船切手(=船に乗るための許可証。身分証明書のようなもの)を与えるという物語のキーマン。
この行動により彼は後に罪を問われ、切腹させられることとなります。

詳しくは『歌舞伎演目解説』より、「貞操花鳥羽恋塚」詳細あらすじをどうぞ(^^♪
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/19007081.html

【『待宵の侍従/物かはの蔵人』語り♪】

去年、国立劇場で復活上演された『貞操花鳥羽恋塚(=みさおのはなとばのこいづか)』。
闇の色を塗りこめたかのような、悪趣味でいてデンジャラスに華麗な舞台面。
おどろおどろしい底なし沼にぽっかり咲いた、真っ白な蓮の花のような愛の姿―――
南北作品だよなぁ!ってことがよーっくわかる、目をそらして横目で凝視(笑)な感じの作品でした(^^)

この中に登場する二人の人物、待宵の侍従(=まつよいのじじゅう)と物かはの蔵人(=ものかはのくらんど)。
・・・今あなたが思ったことを私言い当ててみせましょう(霊能者雪柳。)
「は?物かはの蔵人?」
待宵の侍従という名前は、まぁなんとなく分かる様な気がいたしますわな。
「待つ」も「宵」もしっとりとした情緒を含んだ風雅な言の葉。
あの時代、女性の呼び名としていかにもこんなのつけそうだ、ってなんとなく納得できる気がします。
でも「物かはの蔵人」って・・・ナゾでしょうっ!?
そもそも何、「物かは」って!?あなた何者!?
・・・と、舞台上の松緑丈にツッコミたくてたまらない自分がいました(←松緑丈、物かはの蔵人役。)
それが、心の片隅に悶々と残っておりましたところ、ついにそのナゾが解明されました!
出展は平家物語。
彼が「物かはの蔵人」と呼ばれるようになった理由、それは、この狂言作品ではかかわりというほどのかかわりも感じさせない「待宵の侍従」との、こんなエピソードゆえだったようなのです。

ある日のこと。
左大将実定が御所を訪れ、つれづれに女房たちとお喋りをしていました。
話はいつしか恋バナに。そして実定はその場にいた一人の女房にこう問いかけました。
「待つ宵、帰る朝、いずれかあはれまされる」
(訳:恋人の訪れを待つ宵、恋人が帰っていく朝、どちらのほうが深く悲しいものだろう)と。
問いに女房が、和歌で答えます。
「待つ宵の ふけゆく鐘の声きけば かへる朝の 鳥はものかは」
(役:愛しい人は来るや来ずやと、虚しい期待と膨らむ不安に慄きさざめく胸を宥めながら待つ夜が、深くしんしんと更けてゆき―――
独り寝の部屋に時を告げる鐘が虚しく響くのを聞く悲しさといったら、これ以上の深い苦しみはありますまい。
その悲しみに比べるというなら、愛しい人と一夜を過ごし、朝お帰りになるのを見送る時の心などどれほどのことがあるでしょう。問題にもなりません)と。

この言い様!
淡々と問いに答えているように見えて、内側に熱い情念がたぎっている様が見えるようじゃありません?
恋をリクツで信じていられるおこちゃまには、この歌は絶対詠めないやろなぁ!
恋の蜜、恋の仇、酸いも甘いも私の上を通り過ぎていった・・・彼女は暗にそれをほのめかしているのでしょう。しかも、そんな気合は少しも出さない涼しい口ぶりで。
あからさまじゃないけれど、知的なオブラートに包まれた刺激的な会話。賢い大人の女オーラが匂うようじゃありません?

実定も「おっ」と思ったのでしょう。
この返答が大変ふるっているというので、この女房は「待宵」と呼ばれるようになりました。

これが「待宵の侍従」の呼び名の誕生(^^)
さてさて「物かは」の蔵人は?

他日、実定は再び御所を訪れ、待宵の侍従を呼び出して夜更けまで尽きせぬ話を楽しみました。
夜明け、実定は名残を惜しみつつ帰宅します。
帰る道すがら、思い出すのは侍従の顔。朝の別れに、悲しそうな顔をしていたなぁ・・・
ふいに、実定は供の蔵人にこう言います。
「別れ際の侍従はひどく名残惜しげで、なんとも可哀想な気がする。お前、ちょっと戻って何とか言ってきてくれ」と。

蔵人は侍従の元に走り戻り、実定になりかわって詠んだ(=代詠した)歌がこちら。
「物かはと 君がいいけん鳥の音の けさしもなどか かなしかるらん」
(訳:あなたが(待つ宵の悲しさと比べれば)とるにたりない、なんのことはないと言ったとかいう夜明けを告げる鳥の音が、今日に限ってどうしてこんなに悲しいのだろう)

それに侍従は涙ながらに
「またばこそ ふけゆく鐘も物ならめ あかぬ別れの 鳥の音ぞうき」
(訳:本当に愛しい人を待つ宵は、夜が更けていく鐘の音が重要でしょうけれど・・・
あなた様との幸せな時間、まだ一緒にいたい思いを無慈悲に断ち切ってしまう鳥の音の、なんと悲しかったことでしょう。
朝の別れは辛くはないだなどと言った自分はなんと物知らず。
本当に辛い別れをしたことがなかったのね)

蔵人が戻り、贈った歌と返歌の様を詳しく報告すると、双方のやりとりの素晴らしさに感じ入った実定は「これだからこそ、お前を遣わしたのだ」と彼を誉めそやしました。

詠みあった歌のなかに登場する「物かは(=そんなことはたいしたことじゃない、問題じゃない)」という言葉は、それ自体も辛いことであるのに「それよりもっと辛いことがある!」と強調する、強い心の叫びを示す語ということだろうと思います。
おそらく、この「物かは」が相当なインパクトだったのでしょう。
この歌の掛け合いが世に広まり、こののちこの蔵人は「物かはの蔵人」の名で呼ばれることになったということです。

単純に直訳すれば「問題ない」の蔵人、ってことになるのでしょうが(笑)
愛の偉大さ、恋の貪欲さを如実に示したこの言葉、またその言葉を選んだ才に対する賞賛が、この名をつけさせたということなのでしょう。

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沓手鳥・不如帰・時鳥・杜鵑・子規(=ほととぎす)

【意味】

ホトトギス科の鳥。その特性から「血を吐く」という意味の隠語として使われる

【『沓手鳥』お喋り♪】

今月歌舞伎座で上演されている『沓手鳥孤城落月(=ほととぎすこじょうのらくげつ)』。
かつて天下を睥睨した豊臣家が、今まさに滅びへ向かって一直線に転げ落ちていくあのドラマに「孤城落月」という言葉は大変似つかわしく思えますけれど・・・
頭にくっついている「ホトトギス」っていうのは?
なにゆえトリですのん?
―――と子供電話相談室にニセ声で電話したくなった人、多いのじゃありますまいか。
(↑いや・・・んなことしようとするのはあなただけだよ(^^;)

ホトトギスは、夏に甲高い声で鳴くあの鳥のこと。
そしてホトトギスには、その特性から「血を吐く」、「血に啼く(=なく)」という凄絶な文学的ニュアンスがかぶせられているのです。

由来はさまざまにあるようですが、まず第一にはその鳴き声。

ほととぎすの鳴声は「帛(=きぬ)を裂くが如し」と言われます。
織り目の詰まった絹を勢いよく裂いた時の音って、聞いたことあります?
人の心の一番不快なところに触る声というか、ぞっとするような・・・元がお蚕という生き物ゆえだからでしょうか、ただの布が、引き裂かれるというそのときに、まるで生き物の様な甲高い悲鳴をあげるのですよね。
蚕の悲鳴にも似たその声と並び称されるホトトギスの声は、咽喉が裂けんばかりの壮絶な甲高さを持っています。
何かに突き動かされるように叫び続けるその鳴きかたと相まって、かつての人々はそこに逃れがたい苦しみに鳴く(=泣く)思いを感じ取ったようです。

また、鳴く姿にも特色があります。

ホトトギスは鳴くとき、口を大きく開けます。そのことで、くちばしの奥に真っ赤な喉までが見通せるのです。
それがまるで悲痛な叫びに咽喉に血を滲ませているようにも見えます。

これらのことから「鳴いて血を吐く」「血に啼く(=なく)」という隠れた意味が生まれました。

また、これらの特色に想を得たと思われるこんな昔話もあります。

昔、仲睦まじく二人で暮らす兄弟がいました。
しかし兄は病を得、ついには目が見えなくなってしまったのです。
盲目の兄を家に残し、弟は日々山を駆け巡っては、目にいいという山芋を取ってきて兄に食べさせていました。
一番いいところは兄に譲り、自分は端っこばかりを食べていたのです。
しかし、弟の思いとはうらはらに、来る日も来る日も暗闇に閉ざされ続ける兄の心はひねくれてゆきました。
そして「自分の目が見えないのをいいことに、弟は隠れて美味しいものばかりを食べているにちがいない」と思い込んだのです。
誤解が恨みに変質してゆき、ついに兄は弟を殺し、恨みをこめてその腹を裂きました。
すると突然、兄の眼が見えるようになったのです。
そして切り裂いた弟の腹の中に見たものは、自分が食べていたものとは格段の差の粗末なものばかりでした。
事実を悟った兄は弟に泣いて詫びますが、当然のことながら奪った命は戻ってはこないのです。
兄は狂ったように泣いて泣いて、咽喉が裂けるばかりに泣き叫び・・・そして倒れ臥しました。
いつしかその体から魂が抜け出し、一羽の小さな鳥になったのです。
その鳥こそが、ホトトギス―――

ホトトギスの鳴き声が「オトトコイシ(=弟恋し)」と聞こえるのはそのためだといいます。

弟殺しの神罰を受けた兄ホトトギスは、毎日過酷な試練を課せられることとなりました。
弟を殺した罪で一日に八千八声、喉から血が出るまで叫ばなくてはならないのです。

また、子供を産んでも自分で育てることを許されず、別の鳥に里子に出さなければならなくなりました。
託卵(=他の鳥の巣に卵を産み付けて自分では育てない)の習性は、愛を営むことを許されないためであるといいます。

これらのことから、心に余りある悲しみや屈辱、神罰に血を吐く思いで苦しむことが「ホトトギス」という名に託されることになりました。

かつての栄華。そして今は落ちかかる城にたたずむ秀頼公、淀の方・・・・
ホトトギスに思いを託したこの物語。

夏の小鳥に名を借りた美しくのどけき響きに、壮絶なドラマを秘めているということなのでしょう。

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