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歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

歌舞伎Book Review

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『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』

著者:坂田藤十郎/著
発行所:世界文化社
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31737031

読んだ後、なんというか「人間、出来ること」の感覚を底上げされたような感じがします。
お言葉ひとつ、お考えひとつがどっしりとした巨木の安定感を持っていて、もはや立派なご神木の貫禄。
でもなにより価値があるのは、その巨木が、今なお地中からぐいぐい水を引き上げて、枝先に新しい命を吹き出す、瑞々しい若さを持っていること!
藤十郎丈の言葉は力強いです、単なる「思想」じゃこれは言えない。
頭じゃない、肉体が語る言葉だから、全てにホンモノの説得力があります。

このご本は一読の価値あり!読んだ後、なんというか心に気力体力が注入されたみたいになりますよ。

『新しい勘三郎 −楽屋の顔−』

著者:関容子/文 下村誠/写真
発行所:文藝春秋
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31505367

十八代目中村勘三郎襲名を記念して刊行された写真集です。
この写真集、なにが珍しいかといえば、その全てが舞台裏、楽屋風景なんです。
顔をする(=化粧をする)、衣装をつける、鬘をつける・・・といったプロセスのうち、中村勘九郎が芝居の世界の住人になっていく姿がずらりと並べられています。

びしいっと張り詰めた緊張が漲るものもあれば、半身が女の男がシュールな姿でくつろぐ様あり(笑)、美男アリ美女アリ、高貴あり卑賤あり、人あり狐あり・・・勘三郎丈の芸域は万華鏡のよう。

あとがきに近い記事の中に「全て白黒写真で〜」との言葉を見つけ、えーっ!?とビックリ(@0@!!
文字通りちょっと前までページをめくっていたんですけど、カラーじゃなかったっけ?と思ったんです。
慌ててページを戻ってみると・・・ホント、全部が白黒だった!

時に内から照る如く美しく、時にグロテスクな白く塗った首だとか、
つぶらで可憐な紅の差し色だとか、
衣装の鮮やかな色合いとか、
鏡をのぞく眼の色だとか、私は全部、オールカラーで見てた。
心に映っていたのは目の前の写真そのものじゃなくて、その向こう、空想の映像を見ていたんだなぁ!とビックリしました。

それは、体臭まで映しこんだお写真が生んだ嬉しい「だまし」だろうし、勘三郎丈という存在のリアリティというか、彼は間違いなくそこにいる!という実在感――
なんていったらいいだろうなぁ、遠い存在ではあるけれど、勘三郎丈はひどく近い場所に「いる」感覚があるんですね。
襲名という行為がそれを強烈に感じさせてくれたみたいで、それを記念して発刊されたこのご本は立派でありながらどこかこう、身近なぬくもりみたいなものがあって。

いうなれば・・・そう、「勘三郎丈みたいな」写真集です。

『秀十郎夜話 ―初代吉右衛門の黒衣―』

著者:千谷道雄/著
発行所:富山房
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19383407

なんと言ったらこの感覚を表現できるのだろ・・・
悲「劇」の要素などないのに、殊に何がというのでもなく、流れる空気そのものにうっすらと物悲しさが刷かれているような。
喜「劇」の要素などないのに、懸命とか、成功とか失敗とか、喜怒哀楽とか、そういうもののいちいちが、なんというともなく滑稽で、おろついた道化が間の悪い舞台をつとめているような・・・
その感覚は、どこまでも平凡で、劇的なものではありません。

このご本の主人公・中村秀十郎丈は、残酷なまでの現実として「選ばれた人間」では、ない。
けれど、秀十郎丈には、彼にしか知らないことがどっさりある。
死の床に就いて骨と皮ばかりになった時にさえ、後進が教えを請いにやってくる――それは、先達への敬意や抽象化された感傷などというよりさらに強く、どこまでもリアルな「必要」があるからです。
極論すれば、大見得を切る花形役者より、リアルな意味で「必要」な存在。
それが「初代吉右衛門の黒衣」中村秀十郎丈がたどり着いた存在価値であったように思われます。

その存在意義を例えるならば「一家の母」のようだ、と思いました。
母たる人は、その誰もが決して特別な女ではないはずです。
平凡で、ある意味では低俗でもあり、護るべき家族を背中に回して立ち回るそのいちいちは懸命で、必死ではあるけれど、それでもなお全てにおいて正しい道を選び取る器量など備えているわけもない。
傍から見れば滑稽でもありましょう。
無償の奉仕の全てが報われることなどありもせず、母が子を裏切ることなどありえない信頼を逆手にとって馬鹿にされ軽くあしらわれることもあるでしょう。
もちろん母とて聖人ではない、愛云々はもはや生ぬるく、もはやこれ以外のツブシが利かなくなった人生への諦めとか、それゆえの現状への執着とか、そういうものをひっくるめて「自分のいるべき場所」に腰をすえた覚悟のようなものが力強い安定感にもなっているわけでしょう。

そんな凡夫を上から見下ろしたなら、個を識別できないぐらいの大衆の中の一人に過ぎますまい。
しかし、子にとって、母に代わる者などいるわけがないのです。
誰にとって特別な人間ではなくとも、その存在が唯一無二の存在として揺らぐことなどない。
理屈ではない、その心根。
身に馴染み、心を汲み取って極まったさまざまな行為。

失って初めて気付くほどの、人生の地の部分を埋めるような目立たぬそれら一つ一つ。
平凡な人間が身に着けたそれが、平凡であるがゆえの愛しさをもってどこまでも尊く、ありがたく、涙が出るほど神々しいとはこのことです。

「母」たる秀十郎丈の「子」は歌舞伎であり、ある意味をもってすれば初代吉右衛門丈でもあったろうと思いました。

個人の聞き書き、というとその人物にほれ込んでの偉人礼賛的雰囲気を想像されると思いますが、千谷道雄氏の筆は残酷とも思えるほどクールであり、秀十郎丈を語る言葉にも容赦はありません。
「歌舞伎界」のみならず「演劇界」が否応なく内包している暗黒面をも描き出し、その世界に住まう人々の描写には、なんというか・・・・
その一つ一つに怒りや憤りをたたきつけた後に、やっぱり、ひどく物悲しいような、切ないような、そんな感じがありました。

歌舞伎本としてではなくても、本当に、心から、お勧めのご本です。

『歌舞伎のかくし味』

著者:山川静夫/著
発行所:淡交社
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30610469

「にぎわいは花の歌舞伎の幕の内 なんぞおもしろい話をやっつけねぇ(抜粋)」

頭に「大」のつくカブキズキが、言いたいこと話したいことを細切れに語った183話、というのがこのご本。
歌舞伎語りの楽しさは身に覚えあり!のカブキズキとしては、こりゃ面白くないわけがありますまい!

これは山川さんの口癖なのかしら?何度か出てくるのですけれど、役者がぽろりとこぼした本音のつぶやきに「その気持、わかるわかる(抜粋)」と切り返す口調がね、弾むように肯くさまが目に見えるよう。
山川さんの心はもはや、その一部分が役者気分なんだなぁ〜ってね、その大人の道楽っぷりに思わず微苦笑も出たりして(^^)

かといってなんでも肯定の追従武士ではなく、好きだからこその苦言も希望もあるのがファンの常。
これは、山川さんの文章ですごく好きなところなのですけれども、何を言うにも「好きだから」の裏打ちが感じられて、視線が温かいんですよね。
先達の芸についても、触らぬ神に祟りなしの通り一遍の賛辞というのじゃなくて、純粋な尊敬と敬意で語っていらっしゃる気配がとても気持ちいいのです。

批評に苦言がなくては嘘ですけれど、理詰めでばっさばさと斬った後には死屍累々といった劇評・俳優評には「この人、芝居観てて楽しいのかな」という感じがどうしてもしてしまう。
もはや研究者と呼んでもいいぐらいの歌舞伎ツウでいらっしゃいながら、この「カブキズキ仲間」感覚を呼び起こさせるところが嬉しいじゃないか〜♪って思います。

故人となった名優から、働き盛りの現代俳優まで、芸と人を語った一文はそれぞれに短いですけれど各人の個性が浮かんできます。
上梓が平成11年ですから、ちょっと古い時点の彼らに対する人物評ですけれども、平成19年の今、山川さんの願いに対する答えが出ている部分もあったりして。

歌舞伎演目に対する豆知識的な一文も「へぇ〜!」がどっさり。とても楽しいです(^^)

『歌舞伎ッタ!』

著者:中村勘九郎(=十八代目中村勘三郎)/著
発行所:アスペクト
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30624414

なんでこんなに面白いのォ!
このご本、一度は読み終わっていたのですが、今、この記事を書こうとまたぱらぱらめくったが運の尽き。
・・・・ハッ!と気付いたら、40分近い時間が過ぎていました(^▽^>
勘三郎丈って、なんていうのかな、人の2倍ぐらいの速度で心臓が鼓動してるのじゃあるまいか!?って思う。
生命力が強いんだろうなぁ、無限に動き回る子供みたいだ。
勘三郎丈のそばにいるだけで、なんかこっちの新陳代謝までよくなってくる気がする(笑)
新説!中村勘三郎ダイエット!
ご本人の舞台を観たらなおの事だろうけれど、このご本だけでも充分、効果はありますぜ。

2007年6月にも待望の『三人吉三』上演決定!今が旬なりコクーン歌舞伎。
このご本では、『盟三五大切』上演時のエピソードがどっさりと紹介されています。
眼目は勘三郎丈と橋之助丈の三五郎×源五兵衛役代わり!
ちょっとした行為に寄せる心情の違い、表情の違いだけでも、言動の全てが同一の演技にかけ離れた個性が出る。別の人間が出現する。
なんて高級なお遊び!

この『盟三五大切』のお写真が出ているのですけれども、一枚画のうちに歌舞伎に演じあげる勘三郎丈と橋之助丈、そして了心役の笹野高史さんが収まっているのがあるのですが、笹野さんのリアルな感じがすごくいい!!
なんていうのか、舞台面が絵に決まりすぎていていかにも芝居らしく、象徴っぽくなってしまうところにリアル一点、悲劇が現実に縛り付けられるように引き締まる感じが面白い!
このお写真だけでも、歌舞伎役者とは違う演技をする人の存在が場面に与える影響を感じさせて、とても面白いです。

歌舞伎演目ごとの解説、舞台を知っていながら読んでも、知らずに読んでもまた面白い。
中でも『刺青奇偶』の舞台が観たいです、上演してくれないかな。松竹さん!!

勘三郎丈と相性のいい役者さんたちとのエピソードも面白い(←って結語がこればっか(^^;)
(『棒しばり』の舞台で)「おれは両手を棒に縛られる男、次郎冠者を一生懸命やっています。
でね、八十助(=現三津五郎丈)の、後ろ手に縛られる太郎冠者は、宇宙一だと思います(抜粋)」
三津五郎丈と踊ると別の次元のものが出来る、将来はもっと上等のものができる、面白がって盛り上がる期待感じゃなくて、静かで確信に満ちた期待を持って演じる舞台。
それが坂東三津五郎丈と勘三郎丈の間柄であるようです。

勘三郎丈に語られると、玉三郎丈がかわいらしくてショウガナイ(^m^*
仁左衛門丈の、おっとりした関西訛りがタマラナイ(^m^*
あっあと、仁左衛門丈って真面目そーうに見えるけど、朴念仁じゃないんだってことがよく分かるいたずらエピソードがあります(笑)

大河ドラマ『元禄繚乱』のこと。
ラストの台詞、あぁこの言葉を知ることが出来てよかった、ってそう思いました。

エピローグの書き出しはこの言葉です。
「俺、歌舞伎っていうものが好きなんです(抜粋)」
そして、エピローグの締めくくりはこの言葉。

「俺は今ここに生きている、歌舞伎役者なんだ(抜粋)」

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