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『秀十郎夜話 ―初代吉右衛門の黒衣―』
著者:千谷道雄/著
発行所:富山房
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19383407
なんと言ったらこの感覚を表現できるのだろ・・・
悲「劇」の要素などないのに、殊に何がというのでもなく、流れる空気そのものにうっすらと物悲しさが刷かれているような。
喜「劇」の要素などないのに、懸命とか、成功とか失敗とか、喜怒哀楽とか、そういうもののいちいちが、なんというともなく滑稽で、おろついた道化が間の悪い舞台をつとめているような・・・
その感覚は、どこまでも平凡で、劇的なものではありません。
このご本の主人公・中村秀十郎丈は、残酷なまでの現実として「選ばれた人間」では、ない。
けれど、秀十郎丈には、彼にしか知らないことがどっさりある。
死の床に就いて骨と皮ばかりになった時にさえ、後進が教えを請いにやってくる――それは、先達への敬意や抽象化された感傷などというよりさらに強く、どこまでもリアルな「必要」があるからです。
極論すれば、大見得を切る花形役者より、リアルな意味で「必要」な存在。
それが「初代吉右衛門の黒衣」中村秀十郎丈がたどり着いた存在価値であったように思われます。
その存在意義を例えるならば「一家の母」のようだ、と思いました。
母たる人は、その誰もが決して特別な女ではないはずです。
平凡で、ある意味では低俗でもあり、護るべき家族を背中に回して立ち回るそのいちいちは懸命で、必死ではあるけれど、それでもなお全てにおいて正しい道を選び取る器量など備えているわけもない。
傍から見れば滑稽でもありましょう。
無償の奉仕の全てが報われることなどありもせず、母が子を裏切ることなどありえない信頼を逆手にとって馬鹿にされ軽くあしらわれることもあるでしょう。
もちろん母とて聖人ではない、愛云々はもはや生ぬるく、もはやこれ以外のツブシが利かなくなった人生への諦めとか、それゆえの現状への執着とか、そういうものをひっくるめて「自分のいるべき場所」に腰をすえた覚悟のようなものが力強い安定感にもなっているわけでしょう。
そんな凡夫を上から見下ろしたなら、個を識別できないぐらいの大衆の中の一人に過ぎますまい。
しかし、子にとって、母に代わる者などいるわけがないのです。
誰にとって特別な人間ではなくとも、その存在が唯一無二の存在として揺らぐことなどない。
理屈ではない、その心根。
身に馴染み、心を汲み取って極まったさまざまな行為。
失って初めて気付くほどの、人生の地の部分を埋めるような目立たぬそれら一つ一つ。
平凡な人間が身に着けたそれが、平凡であるがゆえの愛しさをもってどこまでも尊く、ありがたく、涙が出るほど神々しいとはこのことです。
「母」たる秀十郎丈の「子」は歌舞伎であり、ある意味をもってすれば初代吉右衛門丈でもあったろうと思いました。
個人の聞き書き、というとその人物にほれ込んでの偉人礼賛的雰囲気を想像されると思いますが、千谷道雄氏の筆は残酷とも思えるほどクールであり、秀十郎丈を語る言葉にも容赦はありません。
「歌舞伎界」のみならず「演劇界」が否応なく内包している暗黒面をも描き出し、その世界に住まう人々の描写には、なんというか・・・・
その一つ一つに怒りや憤りをたたきつけた後に、やっぱり、ひどく物悲しいような、切ないような、そんな感じがありました。
歌舞伎本としてではなくても、本当に、心から、お勧めのご本です。
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