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『歌舞伎未来形 新時代をひらく若手役者たち』
著者:小松成美(写真:福岡耕造)
発行所:マガジンハウス
YahooブックスURL: http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30855977
このご本の刊行は2001年、ご登場の各役者さんへの取材はそれよりもっと以前のもの。
染五郎丈の表情にはハムレット的な憂愁のプリンスっぽい気配が漂うし、当時16才の七之助丈に到ってはやんちゃな小動物系のとらえどころのなさがあって、本人寄りというより、思わず保護者寄りの目線になってしまう(笑)
お顔立ちだけを見たって、どなたもが今よりも「男の階段」の数段下にいらっしゃる感じがします。
本著に登場するのは、立場も個性もまったく異なる若手歌舞伎役者さんたち。
市川染五郎丈
中村獅童丈
尾上辰之助(現 松緑)丈
市川春猿丈
中村勘太郎丈
中村七之助丈
澤村宗之助丈
市川男寅(現 男女蔵)丈
市川亀治郎丈
花形としての蕾ほころぶ9名を、小松成美さんが熱意と敬意+たっぷりの愛情で汲み取ったインタビュー&人物評集です。
生い立ち、経歴、背負うもの、それぞれに「立場」があります。
9人の「立場」を垣間見て、その違いと同時にビックリしたのが、全員を繋ぐ揺ぎ無い共通点でした。
恵まれていること、リスクを負っていること、その全てをひっくるめて、彼らは自分の立場を(若干の強がりや、そうありたいという願いを含めて)肯定しているということ。
その「立場」に驕ることがないということ。
人物としては、感性や美意識の切っ先が鋭すぎるほど鋭かったりだとか、歌舞伎というものに全人生ごと心中してかかってしまっていることだとか、はっきり言って(キワモノだな)と思える部分もあります。
ただ、誰もが根底の共通認識としてもっているらしいのは、歌舞伎の巨大なこと、奥深さへの敬意と安心感のようなものでした。
自らの中にある刀が如何に凶暴であろうとも、歌舞伎という鞘はそれを収めてくれると信じている、人生ごと決死のダイブをしても受け止めてくれるスケールを信じている・・・その、なんていうか「信仰心」みたいなものに揺るぎがなくて、それが9人全員に共通しているのが、なにかすごいことのように思えます。
今の世の中に、こういう「絶対的な存在」ってそう多くはないのではないだろうかって。
《それぞれの「言葉」》
「どんな偉大な役者が亡くなっても、幕があがらない日はない。
役者が生きた証である芸は、他の役者の中に生き、吸収されていく。
その積み重ねがあって『役』ができあがっているような気がする」
「(芸とは)僕にとっては闘いです。
闘って、勝たなければおじいさんやお父さんには近づけないと思う。
逃げる場所のない自分は、人生の勝負で負けるわけにはいかないんですよ」
(市川左團次丈について)
「洒脱で艶っぽく、真似のできない色香と品格がある」
「(情熱だけでは)受け入れてくれる舞台はない。
自分の居場所を見つけるためにも、負けるわけにはいかなかった」
「歌舞伎とか、能、狂言、どれも生身の人間にしか伝えられない。
人間がいなかったら滅びてしまう。
その自負は勇気にもなっていると思う」
「本来あるべき位置に手が行ったときに『美』に昇華するわけで、
その位置を人は一生かけて求め続けているのではないだろうか」
「あるべき場所にあればその存在価値は生まれるわけで、
人間だって、いるべき位置をきちんと探し当てれば美しくなれるのかな、と」
それぞれに心を深いところへ引き込んでくれる響きがあって、興味深いものばかり。
《イメージ一転、二転、三転!》
尾上辰之助(現 松緑)丈。
明朗で男性的なお役が吸い付くように似合う、でも、周囲に影響されることのない「自分」がキッパリしていて、容易な親しみやすさというのともなにか違う。
私には芸云々のことは良くわかりません、その個性からくる印象を良くとったことも悪くとったこともありましたが、総じた印象として、この人は観客に媚びない、というのが常にありました。
一歩間違えばふてぶてしいような度胸だし、若手役者さんにしてはやりにくかろう、誤解も生むだろうなぁ、決して器用ではない・・・そう思うと同時に、なんというか、その揺るぎのなさに(これはある意味、見事なもんだなぁ)という敬服さえ感じていたのですが、このご本のインタビューを読んでなにか納得できるものがありました。
彼の言葉を単純に書き抜いたら、誤解を生じさせてしまう部分も充分にありそう。
自信というより自負の気高いことといったら、歌舞伎界の中でも屈指のものじゃありますまいか。
不器用には違いない、謙虚好きの日本人に万人受けする受け答えをしようと思えば、彼の頭脳からいっても必ず出来る。でも彼はそうしない。
嘘に言葉を飾らず、リアルな自分をさらけ出して・・・なんといいますか、尾上松緑丈は世間にケンカを売っているような感じさえするんです。
「(芸とは)僕にとっては闘いです。闘って、勝たなければ。逃げる場所のない自分は、人生の勝負で負けるわけにはいかないんですよ」
芸の上でも、世間に対しても、自ら退路を断ってかかっているように思えるのです。
見守ろう、という甘さを含んだニュアンスじゃなくて、「じゃぁ、あなたの将来を見せてみろ!」と、彼を見つめる視線に一点の妥協も許させぬような。
その、嘘のない生々しい視線を受けて、尾上松緑丈は自らに鞭打つんだなぁと、そんなふうに感じたことでした。
市川男寅(現 男女蔵)丈。
浅草歌舞伎の大ファンから見ると、男女蔵丈の存在はおおどかでゆったりとした、ものの分かる兄貴といった印象。
役者として、というより人間としての紆余曲折を知って「兄貴」への敬愛がいっそう深まってしまいました。
あの体験を経て、人間としての存在感、オーラみたいなものに人を落ち込ませるような暗さがないことに、人としてのスケールの大きさを感じます。
男女蔵丈が人生において選び取ってきた道を一つ一つ辿っていくと、その共通点は常に誰かを助けているってこと。
自分の存在を誰かの支えに、誰かの願いに、心に捧げているところだって感じました。
そしてそれらに犠牲とか義務とかいう暗さを持っていないのが、すごい。
ホントに、優しいし、強い。
人間として信頼の置ける人に違いないって感じました。
一筋縄ではいかない複雑さをブラックホールみたいに吸い込んで、どこか飄々と、ちょっぴりエロく(笑)男女蔵丈が慕われる理由、分かるような気がします。
市川亀治郎丈。
話を聞いていると、ぐわーっと引き込まれていくような独特の感性があって、彼に嵌ったら抜け出せないものを感じますねぇ!
クレヴァーって言葉が文字通りに良く似合う、演劇人にとっては将来カリスマ的な存在になるんだろうなぁって、なんかそんなふうに感じました。
もちろん、私達観客にとっても!
今こんなことを言うの、明らかに早すぎですが(^^;
「亀治郎丈、ホント長生きして!」
そのことが、歌舞伎の、演劇の、日本の・・・いやっ世界の財産ですから、多分!
中村獅童丈。
化粧なしの素顔で役に扮するお写真があるのですが、その顔が凄い!
顔が凄いってのも凄い表現ですが(^^;あのね、浮世絵の顔ありますでしょ?
グゥッと暴力的な力を込めて歪ませた顔で、口なんかが普通だと考えられないような不自然な場所にあって、どうにも凄いような絵。
あれは誇張なんだと思っていましたけれど、このお写真を見て「ウワッ!あの絵、現実なんだ!!」と思いました。
なんて立派なお顔だろう!
現代的に見てもスタイリッシュなお顔立ちですけれど、歌舞伎を演じた時のあのお顔立ちは、強烈に古風で、なんとも立派なんですわ!絵になる役者ってこういうこと!?
《表紙と裏表紙》
表紙は、こちらに背を向けた一条大蔵卿、裏表紙は扇で顔を覆った常盤御前。
(・・・だと思う、お役、あってますよね?)
双方ながらに顔を見せないこのお写真に、収録された9人の若手花形への「まだまだ!」が詰まっているように思えます。
彼らは、バンと正面きって「これが『自分』だ!」と大見得を切れる存在では、まだ、ない。
おそらくご本人たちにとっても、観客にとっても。
その上で、いつか振り向いてくれる、扇を下ろしてくれる、そのときをワクワクと待つこの期待、喜び!
今と未来を思わせる、とても素敵なデザインのご本。
登場する役者さん、著者さん、写真家さんのお心を感じさせる、なんともカッコいい一冊だと思います。
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