文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

文花拾遺物語

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

パクチーが好きです。(告白。)

香菜・コリアンダーとも呼ばれ、アジア料理に多用されるハーブの一種なんですが、これがまた、キャラ濃いんですね〜!
人によっては嫌い…なんて表現ではなまぬるしヽ(*`Д´)ノ!自分内劇薬指定、邪悪視すらされる魔王的存在(…ただの草ですが(=_=;))
しかし魔王は草っても魔王、やはり恐ろしき存在。
いつの間にやら人の心に住みつき、我々をコントロールしはじめる…
あるべきメニューにパクチーがない(あるいは少なめ)→あれ…心にスキマが…(*´д`*)とそこはかとない哀しみを感じたのが初期段階。
そこにパクチー投入→まさに「心のスキマお埋めします」喪黒福蔵的ドーン!です。
完璧なる味の1ピース、味覚ジグソーパズル(5000ピース級)の華麗なる完成!

そんなこんなで、魔王も慣れ親しんでみれば気のいい奴(←草。)で、ピュアな少年の顔なんかも見せてくるので、情もわき愛も育ち、今やわたしはパクチー単独をつまみにお酒が飲めるまでに成長しました。

そうなると願いは「こころゆくまでパクチーを堪能したい」となります。
しかし魔王は(日本では)ヒールヒーローの位置づけであるため、あんまり市民権がありません。
パクチー好き仲間と叶わぬ夢を語り暮らしていたところ…
こんなお店の情報が!!

『パクチーハウス東京』
お店HP: http://paxihouse.com/tokyo/
行く以外の選択肢を選べようか(反語!!)(≧∀≦)

いそいそと予約を入れ、いざ出陣です。
場所は経堂。
地図と引き比べつつ、さすがにここらへんだろうと思った瞬間、フッと・・・
私「パクチーのにおいがする!!」
連れ「・・・いやさすがに・・・それは幻匂(=幻聴の匂いVer.)では」
愛ゆえに嗅いでしまったイメージ香(自己調合)であったやもしれません。
しかし店はすぐそばにありました(ホントに嗅ぎわけたのかもよ!!)
お店のドアを開けると、今度は100%リアルパクチーの香りが風に乗ってキター!

お店は居心地のよさそうなアットホーム風、絵本なんかもおいてあります。ももいろのきりん、なつかしいな〜!
今まで生でワシワシ食べることしか知らなかったパクチーが様々なメニューとして登場します。
こころゆくまでパクチーを!!で夢想してきたイメージが極端すぎたか(笑)お料理それぞれは大人の冷静判断的なパクチー量。極端なことはありません。
たぶん、お料理として一番おいしいパクチー量ってことなんだろうと思う。我々のパクチー中心主義のほうが、お料理としてヘンなのは自明(^^;
追パク(パクチー別途追加)という手段もあったようなのだが、盛り上がりすぎた私たちはその存在に気付かず、八兵衛並みのうっかりぶり。
パクチーそのものは生食が最高で、加熱調理するとちょっと魅力が減るところではあるけれど、添え物じゃなくて食材として調理に使うほどのパクチー量を見たのは初めてだし、いろんなバリエーションが面白かった(^▽^)

しかし!注文品を選ぶだけでも異様なテンション(笑)食事というよりもはやイベント。
世間から不当に(いや、原因は自分がもっているね)虐げられし愛すべき存在、という位置づけが、判官びいきじゃないけど、なんというか同好の士に対する仲間意識も加わって「Yes!パクチー!!」的な楽しさ(どんなんだ!)を生みますね。

そんなこんなで、楽しい「パクチーハウス東京」ディナーだったのでした♪

――初めての方はその1からお読み下さい――
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/40298216.html

それからしばらくして、祖母は亡くなりました。
S教授の授業はもちろんその学期いっぱい続き、一度休講があったか、なかったか・・・・他の教授よりも「わっ、今日休講!」の喜びを与えてくれなかったことだけは確かです。
そして、最後の授業の日、すべての講義を終えて、教授が突然話し出したのでした。

この学期中に女房が死んだ。
治らない病気で、期日の決まった命だったのだ、と―――
生徒にとってはじめて知る事実でした。
もちろんそんなことを聞く機会もチャンスもありませんから、当然といえば当然ではあります。
教授は、奥様の看取りのことを話していかれました。
聞きながら、教授が私たちの身勝手な「甘え」をあれほど嫌われた理由に思いが至りました。
最後の日々、奥様と少しでも多く一緒にいたかったに違いないのです。後ろ髪引かれる日もあったに違いないのです。
今や貴重な時間を削って、仕事に来る。
そうすると、たいそうな理由もなく、ふてぶてしく遅刻してくる奴が教室に入ってくる。
単位のためだけに、興味もない目をして机を埋めている奴ら―――
それがどれほど悔しいことか、むなしい思いをなさったか。
それは私自身が一番よく知っていることでした。

単純な意味で、ストレスもたまりましたろう。
病人についている間中、人の命に責任を持つということ(もちろん、責任といったってなんにもできはしませんけれど)はもう、怖いことですよぅ。本当に怖いことです。
胸に心臓が収まっていることが実に良く分かる感じがするものです。
病人は24時間苦しんでいるというのに、介護や看護をする方は時折息抜きに行ける(介護者看護者にとって、病人のもとを離れるのはすべて息抜きです。私が授業に行くのも息抜き。)事実を忘れてリフレッシュして戻ることができる。
これね、それだけで罪悪感なのですよね。
誰に言っても慰めてくれる言葉は一つなのですけれども、理屈を真の意味で納得できるか否かはもう悟りみたいなもので。

S教授が、遅刻者を執拗とも思える言葉で叱責するのが常であったことも、その場だけをみていたならヒステリックとも思えましたし、単なるストレス解消にも見えた。
いや、事実ストレス解消でもありましたろう。
けれど、それに対する不満や、授業の後にする教授の人間性を噂しあう理屈も、所詮こちらの非を棚にあげた子供っぽい理屈だった。
そんな小さなことよりももっともっと、教授は大きなものを「あきらめて授業をしていた」。
私たちは、なんにも知らなかった。

「―――女房を棺に納めただけれどね、知っているかい?
人間を棺に入れるとき、関節を外すんだよ。
死体はどんどん腐っていって、内側にたまったガスが、なにかの拍子に物理的に関節を動かしてしまうことがあるんだそうだ。
棺の中で死者が動いたら、そりゃこちらはビックリするわな。
生き返ったかと、こうおもうわな。
だから、関節を、外しておいてやるんだよ」

生きているときには、その上げ下ろしにさえ壊れ物のように気を遣った人の体を、死体となっては骨を折って棺に入れるのだ。

S教授のこの事実は、以前私が胸の中で叫んだことを、今度は自分に向かって叫ばれているようなものでした。
(誰も、何も知らないくせになぁ)
人は、他人が抱えている事情も、苦しみも悲しさも、何も知らない。
それは知らない人の罪ではなく、知らなくて当然だから知らないのだ。
だからこそ、目の前の事実だけをあげつらって物事を断じてはいけない。
その裏に、どんな事情があるとも限らないのだから。

そして。

自分のことは、自分が言わないと人には理解してもらえないということ。
言わなくても分かってくれるなどとは幻想だと、甘えだということを知りました。
そう思って胸に怒りをため、筋違いな攻撃の矢を四方に飛ばすことは、自分にも、他人にも不愉快な痛手を与えるだけだと。
言わないのならどんなことにも我慢するべきだし、理解して欲しかったら胸を割って話すべきだし、自分で選択し、自分の責任範囲で相手に対するべきだって。

寝たきりの祖母の傍らに椅子を置いてある、私は用がなければ何時までもそこに座っていました。
祖母が目を覚まして喋りかけてきたらお相手になるし、喋りかけてこなくてもそこに誰かの存在があれば安心するだろうから、ただそこにいる。
祖母が寝てしまうと、ちょっと席をはずして用を済ませます。
お洗濯、お茶碗あらい、家の中のことですから、ドアを開けっ放しにしておけば目を覚ました祖母が声を張り上げて「誰か」を呼ぶのはすぐ分かる。
そうしたらすぐさま返事をして、部屋に飛んでいけばいい。

当時大学生だった私には、当然授業がありました。
特に「厳しい」と評判で、学期初めに受ける講義を選択する時に、先輩たちに「教授レベル」の探りを入れておいたなら回避できたであろうS教授の講義。
ここでいう「教授レベル」というのは決して学術的な意味ではなく、出欠に厳しいだの、提出物に厳しいだの、テストが厳しいだのといった(怠けていても単位をくれるか否か)の基準のことです。
恥ずかしい話と言えば本当にそうなのですけれども、勉強して入った大学で私は別のことに夢中になっていて、望んで入学したはずの「勉強」なんてする気もなくなっていました。
受ける講義の基準は「卒業単位を稼ぐためのポイントをいかに効率的に稼ぐか」のパズルゲームみたいなもの。正直、学生の大半がそうであったと思います。
別のことに夢中になるあまり、講義選択の提出期限ぎりぎりになって適当に選んだ担当教授が(講義に対する真摯さを要求するという意味で)悪名高いS教授のものだったのです。
S教授の授業は出欠日数が評価の最低基準になっていて、○回の欠席で期末試験を受けられるか否かが決まるという第一難関があり、それは問答無用の容赦ないものだったので、みんな欠席回数を計算してポカをしないように気をつけていました。
毎週その日は、午前中にS教授の授業。
「介護」は理由ではありましたけれど、単位を落として卒業に響くようなことがあってはまずいですから、さすがに出ないわけにはいけなかったのです。

その日、家族はみんな出払っていて家には私と祖母の二人でした。
私が授業に出なくてはならないことは分かっていましたから、授業に間に合うように家を出て、一時間もしないうちにヘルパーさんが来て、帰って、夕方にまた来て・・・
私とヘルパーさんをつなぐ数時間、祖母を一人にするのも致し方なし、それぐらいなら大丈夫でしょう、ということで話はついていました。
朝、家族の皆が出勤していって、家には祖母と二人。
私はずうっとベッドの横の椅子に座っていました。
寝てしまったのを見て、席を外して用事を済ませていると呼ばれて、戻って、また用事に立って・・・
家の全部のドアを開けっ放しにして、水道の水音を立てながらも耳だけはすませておいて、私を呼ぶ声を待っています。声がかかるたび、「はぁい」という元気いっぱいの芝居がかった返事をして部屋に走っていくのです。
寂しいのだろうし、それにも増して(ひとりぼっち)は不安なのだとも思うし、それでなくても常に呼吸は苦しいようだし、介護者は私一人ではなく叔母も母もいましたから交代制、介護ノイローゼやストレス的に追いつめられることもなく「一生懸命お世話したい気持ち」を保たせてもらっていました。
我が家の場合は、そういった状況的に恵まれていて「余裕」の余地をたっぷり貰っていたからこその良い子的感覚なのだと思うのですけれども、とにかく祖母が好きだったし、私にとって呼ばれることは嬉しいことでした。
老衰が進み、寝ている時間の長さが不安を感じさせるものになっていたからなおさらです。
そうしているうち、家を出なくてはいけない時間が迫ってきました。
それまでは声がかかるのを待っていたようなものでしたが、出なくてはいけない時間にそれが重なってはいささか困る。
どちらにせよ「行かないで」とお願いされても出て行かないわけにはいかないのですからこちら勝手のご都合主義ではあるのですが、「行かないで」を振り払って出て行くより、たとえ後で目を覚ました祖母が自分を呼ぶことがわかっていても、出て行く瞬間を「自分がいなくてもいい時間」で上手くすり抜けられれば、なんだか気が軽くなったような気がするもの。
音を立てずに準備をし、まったく計算どおり、祖母の寝込みをすり抜けて私は家を出たのです。

電車を乗り継ぎ、大学へ―――
(しまった)
授業の開始時間を間違えたのか、大学までの所要時間の計算を間違えたのか、とにかく単純な私の勘違いで、大学に着いたときには授業はすでにはじまっていました。60分授業で、すでに20分経過・・・
遅刻は20分までしか教室に入れないというのがS教授のルールでしたから、ルール上ではぎりぎり。でも、S教授の授業でそんなことをする度胸のある奴はめったにいません。
けれど、せっかく来たのだし、今後どんな事態で欠席ポイントが重なってしまうか分からないし、と、私は講義の進む教室の後ろドアをそろそろと開けて教室に忍び込みました。
けれど、教授の厳格さゆえに私語のひとつもない教室では、その行為はど派手に目立ったのです。
教授が私の姿を認め、ため息混じりに皮肉たっぷりの叱責が始まりました。
(きた)
遅刻者はいつもこの洗礼を受けるのです。
けれど、教授のストレス発散とも思えるそれを言い切ったあとは、しぶしぶではありますでしょうが出席がカウントされるのですから、その場でだけ石になれば――――
他の人に浴びせられる(腹に据えかねる)を声に溶かしたその小言を聞いたことはあったものの、それまで遅刻の当事者になったことはありませんでした。
今、まっすぐ自分ひとりに浴びせられるその小言を俯いてじいっと聞いて、授業が中断されたほかの生徒が見るものもなくこちらを注視しているなかで、教授の怒りが収まるのを待っていました。
言葉の意味は耳を素通りしていきましたが、なんというか(あぁ私なにやってんだろうな)が頭を駆け巡っていました。
ようやく許され、席につきましたが、20分進んだ授業の内容はもうよく分からなくなっていました。
ノートをとっても意味不明、教授の言葉も分からない、そして、今日の餌食となった自分を見ていたクラス中の目―――
おばあちゃんの介護をしていたんです、という叫びが心の中で渦を巻きだしました。
介護がどれだけ大変か、私はずっと遊んでなんかいない。
お酒も飲みに行ってない映画も見に行ってないお休みの日もどこにも行ってない、今日だって遊んでいたわけじゃない、と。
事実としてそれは屁理屈です。
私は単純に授業の時間を間違っただけで、介護の手間が遅刻の理由でなどないのですから。

心の中でぐちぐち不満をぶつけているうち、もう突然に、それは頭の中に浮かんできたのです。
誰もいない家で、目を覚ました祖母が声を張り上げて誰かを呼んでいる。
声を張り上げて。声を張り上げるのだって苦しいだろうに、でも誰もいない。どんなに呼んでも誰も来ない。
だって私はここにいるし、家族は皆仕事に行ってしまっているし―――
私は何をしているんだろう。今日の授業は遅刻のせいでもうついていけない、あとは終了のチャイムが鳴って開放されるのを待っているだけ。
ここにいる意味はない、私がいる意味がある場所には私はいなくって、こんな意味のないところで時間だけをやりすごしている。
(帰りたいなぁ)
うちに帰りたい。おばあちゃんの隣にいたい。
タイムリミットは迫っているのです。
命のある日々は、何時までも続くことではない。
途切れない映像は、いつも私自身が耳にし目にしているものですからものすごくリアルで、おそらくそれは現実でもありましたろう。

私は、もう大学生にもなって恥ずかしい事ながら、べそをかきだしました。
大人数の前でみっともない恥ずかしい醜態をさらした、という悔しさ情けなさも混じっていましたが、なによりその映像がどうしようもないぐらい切なかった。
そこにいない自分自身が悔しくて悔しくてならなかった。
私は泣くことというのがほとんどなくて、記憶にある中で涙を流したことといえば人の死ぐらいなものでしたけれども、そのときはもう泣きましたね。
下を向いて、ぐずぐすぐずぐす泣きました。
誰も何も言いませんでしたし、教授も何も言いませんでしたし、誰もが(女の子が教授に叱られて泣いている)とでも思いましたろうが、事実は全然別のところにありました。
そうして思った。

(誰も、何も知らないくせになぁ)と。

――その2に続く――

小・中・高とエスカレートの私立校は、受験戦争の苦労は可愛そうだと気遣ってくれた親心のたまものだ。
おかげさまで歪んだ競争に巻き込まれることもなく、12年間の学生時代に波風を感じたことはほとんどなかった。

高校は、制服が可愛いことで有名な女子高。
駅で仲間と屯するのが誇らしかったことを覚えている。
女子大生時代は恋に遊びに、テスト前はそれなりに勉強もして、日々を誠実に過ごしてきた。
大人の大好きな説教の文句―――若いときには苦労すべきだとか、自分を鍛えるべきだとか―――そんな人生の厳しさに立ち向かうことを、別に避けたわけじゃない。

私の人生には、そんなもの「なかったのだ」。

3年前、大学時代からずっと付き合ってきた同級生と結婚した。
彼は空気みたいにさらりとした人で、いい意味での個人主義が徹底していた。
そんな彼といるのは「個人の尊重」という名の奔放な自由があって、とても楽だった。
いつからだろう、彼の奔放さを「無責任」と感じるようになったのは?

理由は明らかだ。子供のせいだ。

結婚一年目で授かった子供に、彼は並一通りに喜んでくれた。
私だって、優しい夫と天使みたいな子供とのホームドラマみたいな生活に、夢は際限なく膨らんでいたのだ。
しかし、十月十日して産まれてきたものは、天使なんかじゃなかった。

甲高く身勝手な、いらつく心に一番引っかかる音波で泣く。
夜寝ない、寝ないだけならまだしも泣き喚く。
こちらの都合も考えず、どうやったって泣き止んでなどくれないのだ。

「よしよし、いい子、いい子・・・ママの心理状況って、子供に伝わるものなのよ」
なんでお義母さんが抱くと泣き止むの?
お義母さんの、あの、勝ち誇った顔!

「子供はかわいいなぁ」
そりゃ機嫌のいいときだけよ。あなたのカワイイは、ぬいぐるみに対するものなの。

「黙らせろ、明日早いんだよ!」
あたしだって寝てない!

いつも二人だけで暗い家に残される。彼は明るい外に出かけていく。
ふと見た鏡の中には、化粧気のない所帯やつれした顔。
あたしは、まだ25なのに!
大学時代の友人。フルメイクの自分の顔。バイトを入れまくってやっとの思いで手に入れたバック―――
(バイトができる自由さえ、なんと贅沢なこと)

この子さえいなければ。

最初はちょっとたたくぐらいだったのだ。わだかまった心のはけ口。
私がこの子に支払う代償に比べたら、たいしたことはないはずだと思う。

泣き喚く時の猿みたいな顔(醜い)
お義母さんの目(これだからオジョウサンは)
父親になったあの人の本心(子供ぐらい自由にできないのか)
(―――ツカエナイ奴)

この子さえいなければ!

子供が、私の行為になすすべなく泣き喚くとすっとした。
けれど、すぐに罪悪感が沸いた。
罪悪感は私自身の尊厳を奪っていくようで、それをさせるこの子が、その存在そのものがムカツクのだ。

夫の浮気に気付いた日、私は子供を平手で打った。おもちゃを片付けないのだもの!
子供は吹っ飛び頭を打った。
やりのこした用を済ませに台所へ立ち、わずかに凪いだ心で戻ってみると、あの子はそのままの姿勢でもう冷たくなっていた。

メアリ・アンは敬虔なクリスチャンであった。

銃社会アメリカにあって、彼女は帯銃をかたくなに拒んでいた。
(主は、あのような殺戮の道具を決してお認めにはならない)
夫と、8才になる一人息子のヨールン。
神の傍らに寄り添い、祝福を受ける穏やかな日常―――アンは一抹の疑問も抱いていなかったのだ。
「あの」事件があるまでは。

その日、アンは近所のマーケットに買い物に出た。
マーケットで母親仲間と会いしばらく話し込みはしたけれど、たいした時間も経っていない。
自宅に戻り、玄関の前で買い物袋を揺すり上げてドアノブに手をかけると、抵抗もなくノブが廻った。
(あら、鍵をかけなかったかしら)
かすかに感じはしたものの、心にかかるほどのことではない。
息子の名を呼びながら廊下を抜け、無造作にキッチンの扉を開いた瞬間―――
アンの目が義眼のように動きを止めた。

男が居る。見知らぬ男が。
棒立ちになるアンに向かって、男は突然腰に差したものをこちらに向けた。その手の内にあるものが何かわかった瞬間、アンの中で何かがスパークした。
男は銃を撃つつもりなどさらさらなかったのだろう、腰を抜かしたアンに怯えるように逃げ去った。

男の足音が耳の奥から消えた瞬間、アンは狂ったように2階に駆け上った。
子供部屋のドアを叩きつけるように開くと、幼い息子の紅茶色の瞳が驚きに見開かれ、こちらを向いている。
「ああ、ヨールン!!」
アンは血を吐く思いで息子の名を呼んだ。

あの瞬間がアンの脳裏に焼きついて、はなれない。
銃を突きつけられ、命が男の手に委ねられた瞬間―――アンの頭の中で、何かが叫んだのだ。

(主は、この弾丸を逸らしてはくださらない)

今、アンの掌には生まれて初めて手にするものが握られている。
女の掌にわずかに余るほどの、あっけないほどの小ささにはいささか拍子抜けがしたほどだ。
夫はもともとアンに帯銃をすすめていたくらいだったし、入手しようと決意した途端にそれは手元にやってきた。

(主よ、お許しください。決して使うことなどありえないのですから。弱い私のお守りなのです)
そう。私と、幼い息子を守るための、お守りだ。

それをポケットに滑り込ませ、アンは家の鍵を鍵穴に差し込んだ。
抵抗感がない――――開いている。
アンの総毛が逆立った。鍵は、閉めて出たはずなのに!

叫びだしたい思いを堪え、アンはポケットの中で「あれ」を握った。冷たい感触が神経を宥める。
(お守りだ。)
ノブに手をかけ、そろそろと開く。
しんと静まり返った家の中は、うすい闇の色に染まっている。
いつ、その闇が凝り固まって人の形の影となるか・・・
(どくんどくん)
心臓が湿った音を立てる。
(どくんどくん)
ドアをひとつひとつ、開いていく。
見慣れた家の中が生気を失い、不気味に静まり返っている。

いくつものドアが開け放たれ、逆立った神経は幾分納まりかけていた。
手の中の冷たいものは、いつしか体温と同じに馴染んでいる。手の内でそれを握りなおし、最後に、寝室のドアを開けたその瞬間―――
正面のクローゼットが、凄まじい音をたてて開いた。

「ばあっ!!」
(あっ、ヨールン!!)頭が叫んだ。
けれど、手の中の銃が一瞬早く火を噴いた。

血が四方に飛び散っている。一瞬前まで滑らかだった彼の胸に、内側から弾けかえるような風穴が・・・
アンは叫んだ。何を叫んだかは分からない。
息子は、自分の死が分かる年齢になってしまっていたのだろう。
狂気に飲み込まれる母親の正気に縋りつくように、最後にこう言った。

「ママン、アイ、ラブ、ユー」

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事