|
悔やむ暇はない 陽気に生きたい
一度きりの かけがえない いのち 聖なる時間(とき)を 楽しまなくては!
ショー「Le Paradis!!」のメインテーマ曲、上記の歌詞は正確ではないと思うのですが、こういう内容のワンフレーズがありました。
文字にしたなら、高揚感のある陽気で華やかなこの歌詞を、銀橋に立った真飛聖さんは、ぎゅっと眉根を寄せて、有無を言わせぬ強い目をして、客席に言葉を叩きつけるように歌い上げました。
『言霊』っていうものを思わせるぐらいの、ハッとするほどの強さで。
祈りにも似ていた、まるで「信じなさい」と言われているようだった。
その言葉を、よけられない剛速球みたいに胸元に投げ込まれて、私は気付いたんです。
震災以来、本当は、笑うことが怖かった。
楽しむことが怖かったんだって。
あたりまえの何不自由ない生活を覆う、靄のような罪悪感がありました。
親が死んでしまった子の、子供を死なせてしまった親の、強制的につきつけられた「我慢」が目の前にあって、自分がどれだけ我慢すれば許されるのか、全財産擲ったっておいつかない、けれどそんなことする勇気もない。
くだらない、なんの生産性もない、頭の中でこねくり回すのはもう馬鹿みたいな極論ばっかり。
そして一歩も動けない。いや、動かない。そのことに誰も文句なんて言わないから。
そんな感情は一文にもならない愚かな自己満足だって、大人の理性は知っているんです。
けれど、心がどうしても納得してくれなかった。
泣き声が聞こえる中で笑うことを、耳を塞いだ子供みたいに理解してくれなかった。
今この時をより良くと望み、大切にすること、大切な人に笑顔でいてもらいたいと望むことが間違いであるわけはないんです。
ただ、衝撃が大きすぎて、恐ろしさに五感の入り口が著しく狭くなっちゃって、いろんなことに臆病にも、わからなくも、なっていた。
平気なつもりでいたけれど、やっぱり、少し、どこかが狂っていた。
真飛さんはわかっているのかもしれない。
客席がそんなうっすらとした後ろめたさをもってここにいることを知っているのではないかと感じました。
誰よりも自問自答したのは、きっと、笑顔でいることを決めた人に違いないから。
今、みんなを笑顔にしようと懸命な努力をする人の勇気というもの、その「覚悟」に思い至りました。
花組生は、電力不足の東京で舞台を上演することの是非に悩み、苦しんだといいます。
舞台の上で、幾多の――劇場の中にはない目も含めて――視線の矢面に立つ人間は、その視線から逃げることは絶対に許されない。
このご時勢に上演を続けることは、ある意味においての批判は避けられないでしょうし(そしてそれは一面において正当である)、もっと言えば、苦しんでいる人を傷つける可能性をさえ、覚悟しないといけない。
なんでもかんでも自粛しておけば、その犠牲で「身の安全」を確保するようなものだから(「身」は対外的な意味でも、自分の精神衛生上においてという意味でも)それはある意味、らくなんですよね。
動かずにいれば、少なくとも、マイナスの可能性は消える。
リスクも、批判も全部背負って、それでも「自分たちにできること、自分たちにしかできないこと(フィナーレ後の真飛さんのご挨拶の言葉です)」をまっすぐに見つめて、動く姿。
芝居での真飛さんからは、「命」というものに対する意志を強烈に感じました。
芝居だ、虚構だという逃げ道を断って、なんの緩衝材も持たずに「死の体感」に生身をさらしていた、そんな印象の、文字通り、火の様な熱演でした。
ショーでは、言葉を、耳を塞いだ手をこじ開けるような力をもって歌い上げた。
そして、真飛さん率いる花組は、舞台に在る全員が全員が同じ意識をもっているようでした。
真飛さんの意識が行き渡っているのか・・・いや、逆かも、全員の意識が真飛さんの意識なのかもしれません。
二つはまったく同じものなのかもしれません。
張り詰めて、軽やかに、笑顔で、そして毅然と、神々しいまでに華やかに、真飛さんはそこに在りました。
義援金への協力を求めて、彼女は、激しい舞台を終えて次の舞台に備えるためのわずかな休憩時間を、一度も欠かさずロビーに立っているのだというのです。
人が健やかであること。
健全であること。
今いる場所で、今この時を、精一杯に生きること。
今、この時を、楽しむこと!
そのことは間違っていない、絶対に間違っていないと、何度も何度もそう言ってくれた。
その言葉が、異様なぐらいの説得力を持っていたのはなんでだったんでしょうね。
私の中の子供が、初めて、心から納得してくれました。
なんというか、ものすごく身が軽くなりました。視界がクリアになった気がしました。
頭でっかちの極論でワケわからなくなってしまっていた思考回路に筋道がついた気がしました。
健全に、凛々しく、雄々しくいくのだ!
義援金は、自分を痛めつけるために出すのじゃない。
健やかに生きていくのに必要な分には手を出さないで、今の私には痛い、けれど、傷口はなめときゃふさがると思える分を振り込む。今日、手続きを済ませました。
やっと出せた!遅かったけれど、やっと出せた。
真飛さんのおかげです。
花組さんの、この舞台をつくる為に動いてくれた人たちのおかげです。
やっと前に進むことができそうな、そんな気がする。
私は本当に、この舞台に・・・そう、魂を、救われた。
もし、真飛さんに伝えることができるなら、一言、こう言いたいです。
「お見事でした!」と。
|