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歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

歌舞伎Review

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歌舞伎の舞台感想です
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七月大歌舞伎『山吹』

【公演データ】
公演名:七月大歌舞伎 夜の部
『山吹(=やまぶき)』
会場:歌舞伎座
観劇日:2006年7月

【主な配役】(敬称略)
辺栗藤次:中村歌六
島津正:市川段治郎
縫子:市川笑三郎

女は誰しも、胸に湧きだす泉を持っています。
幼い頃その水底には何にもなくて、水は湧き出すままにただ清く、透明に胸に満ちていたものです。
年月がめぐり季節が繰り返されるたび、泉を覆う森は落葉を繰り返し、その水底に朽ちた葉をためこんでいきます。
葉は水の中でほろほろと腐り、澱みとなって水底を覆うでしょう。
けれど穏やかに湧く水は、その澱みを揺らして行きはするものの、決して自らを濁らせはしません。そっとしておいてくれたなら、泉は底の澱みなど見えぬげに清いままであったのです。

しかし、悪意の泥足が泉にずかずかと踏み込んできた。
汚物が水を黒く染め、水底から湧く清水の流れさえもが腐臭を運んで水面を翻る―――
(自分の胸から黒い泉が湧いてくる!)
縫子の驚愕が手に取るように分かりました。婚家の仕打ちは、美しい少女が親に守られ、家に護られてひとり静かに見つめていた美しい泉を、一瞬で真っ黒な泥沼に変えたのだと。
怒り憎しみ、呪詛の言葉、ごぼごぼと音をたてて胸の底から浮き上がってくるそれら、無体な足に踏みしだかれて舞い上がる汚物は相手の罪とはいえ、紛うことなき自分のもの。
自分自身がどす黒いものを吹き上げ、自らを汚していく様に、甲高く響く縫子の悲鳴はまるで少女のそれと思われました。
縫子の行動、そのすべては、彼女がその恐怖のあまり、全速力で過去へ―――「少女」へ逃げ込もうとしている、そう思われたのです。

縫子が逃げ込もうとした「少女」という空間は、過去のただ清らかに純粋で、無力な存在ではないように思います。
少女は権力を持っている、権力という言い方はあまりに突飛かもしれませんが、彼女らは弱く、幼く、無力だけれども、誰にも何者にも敵わない力を持っています。
それは何だというならば・・・着物に隠され、日に当たったことのほとんどない腹あたりの皮膚が、この世のあらゆる極上の絹よりも柔らかく、しなやかに薫り高い手触りをもっているということ、それがまばゆいばかりに真っ白であるということ、とでも言えばよいでしょうか。
神様はまるで悪いジョークのように、女の人生のある一点、未熟で甘ったれた乳臭さの抜けない一点に、ある種の頂点を極めたのだと感じることがあります。
彼女たちの権力は輝くばかりの命そのものであり、なんの努力も要らない、ただ時がそこを通過するだけの一瞬の存在そのもの。
この上なく無邪気で、尊くも気高くもあり、この上なく脅迫的で残酷な・・・最も弱く見えて、この世のあらゆることに勝る絶大な力です。
その一瞬、少女はある種の神であり、その住まう場所はすでに現世ではないとさえ思われます。
その存在は崇められ尊ばれるべきであり、住まう池に土足で踏み込むなどという行為には神罰さえ下せるほどの。

島津の存在は、縫子にとって少女時代の象徴、そのすべてであったのだろうと思います。
縫子は島津の引導で死に逃げ込もうとした・・・いや、その本心は島津に救い出されようと願っていたのでしょう。しかし願いは拒絶され、生への道も示されぬままに死への逃げ道を塞がれた縫子の目の前に現われたのが、命すら持たぬ女人形に傅く老爺―――老爺に声をかけたのは絶望ゆえの気まぐれであったやもしれません。けれど彼女の本能は悟っていたのだと思う。美しきものに異様な執念で傅くこの老爺が、自分に再び「少女」の権力を与えてくれると。
かつての、奇跡のような夢のような美しい王座に、再び誘ってくれるのだと。
その行動は異常であったかもしれません。けれど、潔癖で清らかな「少女」は一途に、したたかに身を護ったというだけのことではなかったかと思うのです。
(この老爺に守番を任せれば、胸の泉に土足で踏みこまれることは二度とない)
少女は老爺に権力を揮い、現世との結界の守番を命じたのだと思いました。ただ、その権力が正当なものでない代償として自分自身を捧げて。

老爺との盃ごとは、汚濁に満ちた「現世」からこの上なく清らかな「異界」へ嫁ぐ花嫁の、名残尽きせぬ覚悟の盃ではなかったかと思われました。
命を失って水にほどけかかった鯉の死骸は、異界へ旅立つ餞の肴にこれ以上似つかわしいものはありますまい。

かつて自分の傍らで命そのもののように輝いていた美貌の娘、少女そのものの心で今なお自分を愛していると笑ったこの美女を、自らの手で異界に嫁がせた島津が去り行く彼女の背中へ投げた最後の台詞が、あまりに鮮やかに耳に残って離れません。
(悪夢の先に住まいを定めた縫子を救い出すナイトには、私はなれない)
思いを残しつつも、彼には現世から逸脱する度胸も義理も、いや、愛はなかったのだと。

大人の肉体を持った「少女」の存在は清らかなようでいて、畸形のようでもあって、美しくもまた不気味でもあり、哀れにも、また逆に一種の憧れさえも思われ、観劇後のいつまでも深い思いの蘇る作品でありました。

【公演データ】
公演名:八月納涼歌舞伎 第一部
『慶安太平記(=けいあんたいへいき) 丸橋忠弥(=まるはしちゅうや)』
会場:歌舞伎座
観劇日:2004年8月26日 千秋楽

【主な配役】(敬称略)
丸橋忠弥:中村橋之助
松平伊豆守:市川染五郎
弓師藤四郎:片岡市蔵
忠弥女房おせつ:中村扇雀

《芝居と現実が紙一重!ど迫力の大立ち周り》

(幕府転覆のテロリズム計画を、公儀に掴まれた!)
突如として襲いかかってきた捕り手たちに立ち向かう丸橋忠弥@橋之助丈。
忠弥は世にも聞こえた槍の名手、得意の手槍を奪われるも、豪腕で鴨居を引きちぎるやそれを獲物に、誰をも寄せ付けぬ大暴れ!
鬼神の如き技の冴えで捕り手を蹴散らしてゆくも、倒しても倒しても襲い来る悪夢のような多勢の捕り手に次第に追いつめられてゆく―――

その痛快さが何時しか疲れに、絶望に、多勢に無勢の圧倒的不利に呑み込まれ、その体から自由を奪っていくあたり・・・客席の拍手が、歓声が、次第に不安定な熱を帯びてゆくのが、もう、雰囲気どころじゃなく空気の流れとしてはっきり体感として感じられました。
声を出す、というか、興奮や悲鳴や驚嘆は吐息にさえ音をつけてしまうという感じ。
舞台上の十数人の男たちが意識のすべてを凝らし、一点に集めて、凝縮しきったそこに生まれる一瞬が大技の形を持って見事に決まる、そのたびに、意識などせずとも手が勝手に拍手を爆発させているという感覚。
この大立ち周り、冗談抜きで「一歩間違えば大怪我」が事実としてそこにあるのがはっきりと分かるのですもの。
客席はただ無邪気に喜んでいるばかりじゃない。
大技の一つ一つに胸の中で不安な悲鳴をあげ、その成功に胸のそこから安堵して、一瞬後に喝采が、火をつけられた花火みたいに爆発するのです。

この大立ち周りが25日間、怪我もなく(おありかも知れませんけれども、休演者の報も聞かず)行われていたことに、驚きなんていう言葉では飽き足らないほどの驚異を覚えました。
注意といい、集中力といったって、1,2回の上演ならいざ知らず・・・私たちを喜ばせ、楽しませるために、役者さんはぎりぎりのことをする、その事実を改めて突きつけられたような思いがしました。
事実だけ考えたって、橋之助丈は千秋楽からほんの10日も待たずして次の主演舞台の幕が開くのです。自分の名と顔を看板にして切符を売った公演が。
橋之助丈の体を支え、屋根から飛び降りる全身を受け止め、文字通り体を張って舞台を作り上げた捕り手役のどなたもが同じこと。
この一ヶ月、ご本人は肉体的にも精神的にもどれほどの思いをなさっただろうと思いますし、見守るご家族、関係者さんも同様、いえ、それ以上の思いでいらしただろうとの想像はあまりに容易です。
劇中は夢中でした。幕外の事情は頭を掠める余地もなく、客席は喝采に喝采を重ね、拍手の力強さが違ったのは舞台上の役者さんたちもお分かりだったろうと思います。
でも、なんていうかね、足りないです。感謝し足りないです。
興奮しながら日々の疲れはふっ飛んだし、心のそこからリセットできたし、嬉しくて楽しくて、本当にカッコよくて!
改めてお礼をさせて頂きます。

本当に楽しかった!ありがとうございました!!

《忠弥@橋之助丈の迫力と色気》

忠弥の強いこと、その手の鮮やかなこと!
今回の観劇で忘れられない体験になったことのひとつが、これなのです。
立回りの中心人物である橋之助丈は要所要所で数々の見得を切ってゆくのですけれども、それが不思議なくらいに、立回りの最中にストップモーションになるという不自然さをまったく思わせないのです。
流れの中に溶け込んでいる、溶け込んで際立っている・・・とでも表現すればいいのかな、一瞬、仁王像のような姿がぱっと眼に飛び込んで、客席の意識が「はっ」と凝った瞬間にはもう駆け出している―――
観劇後の今、思い返すとあの場面には迫力のある「映像」の印象が残っているのです。
引きもアップも使えないライブの現実が、自分の中で、大胆な技法を凝らした映像の記憶になっている。パンチが効いて、もう圧倒的に際立っていて。
見得そのもののテンションが、すごく高かったのだと思う!
力が漲っている、というか力が凝り固まってその形になったという感じ。
見得が強さを表す劇的表現だというのなら、武術の名手が、本物の命のやり取りの中でまさに鬼神と化した一瞬の凄み、それがはっきりと感じられぞくりとしました。
それが、人間が強いものに憧れる本能に近い感覚で、もう惚れ惚れするほど魅力的で!

そして、それゆえに激しいギャップを感じた「人間に戻った表情」が切ないぐらいに効いていて。
何者も寄せ付けない強さで暴れながらも、忠弥はもう分かっているのでしょう。
自分は負けた、夢は潰えた―――たとえ望んだ理想の世が訪れたとしても、そこに自分の姿はない。
(おしまいだ)と。
苦悩は矜持を引き裂かれる痛みであり、理想を打ち砕かれた怒りであり絶望でありましたろう。
しかし、理屈で思うより本能的な感覚―――ふっと表情を掠める途方にくれたような虚脱、焦り、追いつめられた動物が醸し出す一種独特の哀れさにも似て、その姿にはえもいわれぬ・・・命のやり取りのさなかに不似合いな表現ではありますけれども、なんともいえぬ色気が纏わりついていて。
細面の端正な半顔を鮮血に染め、家でくつろぐざっくりした着流し姿もそのままに、裾を乱して孤軍奮闘する忠弥@橋之助丈の姿―――
当然ですけれど、甘ったるい色気ではないのです。すっと爽やかな、凛として切ない男の色気。

なにより素晴らしかったのは大立ち周りの迫力です。
疲れも極まったであろう千秋楽にこの動き!橋之助丈の若さだよねぇ!
それだけだって大興奮ですのに、もうひとつ、お役の演技として「凄みを秘めた鬼神の迫力」と「生身の男の色気」が相まって、アクロバティックな迫力にえもいわれぬ味わいを加えていたように思われました。
やっぱり、その瞬間「おおっ!!」と思うのは技術であっても、心に残って反芻して味わう楽しみは「演技」の味わい、芝居の醍醐味はココなんだなぁ♪と思ったことでした。

《捕り手が極める緊迫感!》

橋之助丈に絡む捕り手の皆さんもすばらしかった!
も、じゃ言葉が違うね。が、が正解!失礼しましたm(__)m

捕り物と言ってもいわゆるリアルな剣戟ではなく、捕り手を務める役者さんたちのアクロバティックな技術を使って魅せる舞踊的立回りなのですけれども、なんというか・・・千秋楽のこの舞台、特に後半になっていくに従って、歌舞伎の立回りにありがちな技術と演技が分離した感じが全然なくなっていって。
徐々に危険な技へ向かっていく緊張感がそうさせるのか、演技か素かも分かりませんが、捕り物が大詰めに向かっていくに従って舞台に漂いだしたえもいわれぬ緊迫感・・・本当にドキドキしました。凄かった!
単純な意味のリアルとは程遠いその動きの一つ一つが、「肉薄」という言葉そのものを思わせて、手に汗握る興奮が胸のそこから沸いてくる!

おひとりお一人に見せ場があるようで、その技、たっぷりと楽しませてもらいました♪
そのとき、ふと思ったのがこのナマイキ感想。
とてもキレのいいトンボ(宙返り)をする方がいて、その切れ味といいスピードといい、素人目にも「お見事!」でした。
けれど、その方のトンボは「つわものに投げられて恐れ入った」演技には見えず、単にトンボを返るのが上手い人、という印象。
体操の演技のようにトンボを返るという「技術」を見せているだけ、「演技」ではないように思えたのです。
私は、なべ底大根みたいに芝居の色にしっくり染まったトンボ、演技としてのトンボが見たいんだなぁと感じ、そういう人によりいっそうの魅力を感じたのは面白いことでした。

私は千秋楽の舞台を観させて貰いました。
千秋楽だからという要素もあったのかもしれません。このテンションの高さ、それぞれに集中力が体の中に凝り固まった感じはまさに特筆ものでした!!

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【公演データ】
公演名:十一代目市川海老蔵襲名披露五月大歌舞伎 昼の部
会場:歌舞伎座
観劇日:2004年5月23日

【主な配役】(敬称略)
翁:中村梅玉
三番叟:尾上松緑
千歳:中村芝雀

私は何で歌舞伎を観にいこうと思ったんだろう。今考えても全然理由が見つかりません。
ただ、海老蔵襲名披露の盛り上がりは歌舞伎に興味のなかった当時の私の耳にも自然に聞こえてきましたし、TVやCMにもご出演だった市川新之助丈の男性的な綺麗さ、格好良さにミーハーな思いを抱いていたのは確か。
それまでにも何度か歌舞伎を見るチャンスはあったものの、私にとっては、歌舞伎は娯楽ではなくて芸術品だったんですね。
はっきり言ってわからない。でも、確かに憧れがあったのだと思います。

襲名披露公演の幕開き、5月大歌舞伎最後の日曜日。本当に不意に思い立ちました。
そうだ、今日は歌舞伎を見に行こう!って。

《出迎えの祝い幕》

生成りの地に描かれた、たっぷりとおおらかな海老の王者。
黒々と墨書された「十一代目 市川海老蔵丈江」の字が、心を抑えずに書いたかのように伸びやかな印象の幕が、他の劇場では考えられないぐらい幅広の舞台いっぱいに引かれています。
隙なく端正に染め上げたという技巧を感じさせない、地色がむき出しの感じ、少々粗野な乱暴さと同時に荒い勢いを感じさせます。
それでいて、歌舞伎座独特の香を焚き染めたような空気の中に実に収まりよく座っているのですから、品格のある堂々とした品なのでしょう。

これが、あの新之助さん、いや、海老蔵さんのためだけに誂えられたお祝いの幕なのかぁ・・・
TVで拝見する限りでは、ほぼ同世代(海老蔵丈のほうが若干オニイサンでいらっしゃいますけれども)でもあり、もちろんスターなのですけれども、ことさらに特別な隔世感はありませんでした。
でも、この幕が飾られた舞台は、市川海老蔵襲名披露と銘打たれたこの公演は、彼のものか!そう思ったら・・・歌舞伎座の舞台に立つ市川海老蔵とは、何者なんだろう?という言われも知れぬ思いがしました。

幕は何にも言いません。ただそこで、わずかに揺れているだけ。
そこにいない海老蔵丈が、不思議なまでの存在感でそこに「居る」ことだけを感じさせて、幕開き前の歌舞伎座はざわついていました。

《歌舞伎世界の幕開き!》

ちょっぴり緊張しながら、威儀を正して見つめる舞台―――
強烈なライトに美しい木の色がまばゆく浮かび上がり、セットも、人間も、きっぱりとした原色の色々がえもいわれぬほど収まりよく舞台に座っているのです。
月並みな言い方ではありますが、構図のきっちりした絵のような景色・・・そう、景色という感じです。
そこに現れた3人の人物が、非常に変な表現ではありますが、私には人間っぽく思えませんでした。

翁@梅玉丈の雰囲気は、地に吸い付くようでした。
いや違う、なんというか、地からその形が立ち上がってくるような、木からその形が立ち現れてくるような・・・神々しい、という言葉から大仰な煌びやかさを抜いたような感じ。
薄暗い堂内で、内側から滲む光で穏やかな目鼻を浮かび上がらせているような仏像、という印象が残っています。

千歳@芝雀丈がとにかくお綺麗で!
ふわーっとため息が出るくらいふっくらとたっぷりとしたお綺麗さで、「微笑まれたら幸せになれる」っていう存在があるとすればこういうものかなって思うようでした。
千歳の扮装が吸い付くようにお似合いでしたねぇ!本当にお人形のよう。
途中に入っていた千歳が女性らしさを振りまきながらくだけて踊るパートに、全体の雰囲気から浮き立ったようなリアルな面白さがあって、紅一点の艶かしさが魅力的でした。

そして、三番叟@松緑丈。
「人間っぽくない」の筆頭はこの方、例えるなら・・・例えようなんかないんですけれども、命の入った人形という感じなのです。
表情といい、動きの小気味よさといい、はっきりと「日常とはかけ離れた」存在感。
他の何とも似ていない、ちょっとシュールで、滑稽で、朗らかに明るく、わずかに不気味な、とても不思議な存在でした。

お三方の舞台は、なんていうか・・・人間なのでしょうけれども、どこか「神々の遊戯」っぽい雰囲気があって。
格調高い緊張感の中に大らかさがあって、どこか、理屈めかしてはいない、日本の神話の世界のような香りがしました。

初めての方はその2からお読みくださいm(__)m
團菊祭五月大歌舞伎『歌舞伎十八番の内 外郎売』―その1―はこちらから↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/33813294.html

《例えるなら「産婦人科の待合室」!?》

外郎売へと続く幕間の空気を、なんと表現したらいいものだろう!
会場の空気そのものが内側から膨れ上がるように熱っぽくて、でも、今は誰もがそれを内側に押さえつけて表面上は平静を保っていて。
硬い岩盤の下をマグマが流れている感じとでも言えばいいでしょうか。
立っている場所に一見した変化はないのだけれども、はっきりと地熱が高い、そんな感じ。

抑えきれないざわめきの高さも異常ならば、その雰囲気も独特なものでした。
なんというか・・・浮かれてはいる、でもそれは、期待に全てを委ねきった無邪気なものじゃないように感じられました。どこか緊張してもいるのです。
「不安」といったら語弊がありますけれども、初日の舞台に駆けつけた人たちの胸には単色では表せない思いがあるのだろうなって、そんなことを感じました。

劇場内の「熱」は浮き立つ喜びでもあり、そしてどこか厳粛でもあり・・・
なんかね、ものすごく変な言い方ですけれども、このシュチュエーションが何に似ているっていったら、『出産』って感じだったかも。
喜びと不安が混在するあの空気、純度の高い祈りみたいなものを胸に反芻しながらひたすらに待つあの感じ―――
あっそうか!「“無間地獄”から戻ってきた(記者会見より)」團十郎丈の、まさに生まれ変わっての大舞台だものっ(^▽^)

そんな「産婦人科の待合室」状態の歌舞伎座(笑)
早く早く、ウブゴエをー!!とドキドキする私たちなのでした。

《一コース、黒衣選手!!(←陸上のアナウンス口調で読んで下さいm(__)m)》

時は鎌倉。
天下を手に入れた将軍・源頼朝は、富士野において大規模な巻狩を催すことを決めました。
巻狩といっても、その真の目的は娯楽的なものではなく、多数の御家人を集め、武術の鍛練を示すいわば大軍事演習。
「頼朝が討てと定めた獲物は、彼に心を一にする東国武士が決して逃しはしない」・・・そのことが暗示する恐怖を、今なお油断ならぬ動きを見せる公家側に知らしめるための、鎌倉幕府の面子をかけた一大デモストレーションであったのです。

その重大事の総指揮を執ることを命ぜられたのが、将軍の信任厚い工藤祐経でした。
多忙を極める工藤祐経が、ある日、心安まるひと時を求めて出向いた大磯の廓―――
物語はそこからはじまります。

チョンチョンチョン・・・と細かく刻まれた柝の音に乗せて、定式幕が一気に引き開けられます。
その時の、幕を払っていく黒衣さんのアスリートな身のこなしに瞠目!
上半身を幕に包み込むようにしていらっしゃるから見えるのは足元だけなのですけれども、その足元が「ここはオリンピック会場!?」(+にしては腰が入ってる日本っぽさがナイス(^^;)なダッシュっぷりで!
そうだ、薄い幕といったって、あれだけの容量の布なのだもの。
相当重たいに違いないですのに、一瞬たりともたゆむことなく、たった一人で上手に連れ去るパワーと技術・・・考えるとトンデモナイことだ!!って突然思いました。

幕を払う作業ひとつでも、極められた技は美しいものだなぁ!と、その高速回転する足にむけて大拍手を贈る雪柳でありました。

引きあけられた幕の後ろには・・・
一番最初に目に飛び込んできたのは、墨痕鮮やかに大書された
『歌舞伎十八番 外郎売』
『市川團十郎相勤め申し候』の文字!

うぁぁぁぁぁぁ(T^T)市川團十郎って書いてある!!市川團十郎って書いてある!!(←あっ二回言っちゃった(笑))

歌舞伎十八番の時に見かけるあの看板(←看板?って言い方は変か?)、あれ、いいですよねぇ!
主演役者が「どーん!!」と前に押し出されている感じで、おおらかで豪快で嬉しくなっちゃう。
そうよぅ、アナタを観に来たのよっ!!って気分になるもの。
看板にさえ(心の中で)大向こうをかけまくる雪柳(笑)

工藤祐経@尾上菊五郎丈、お体はそう大きくはないはずなのに、なんであんなに大きく見えるのだろう?
小林朝比奈@坂東三津五郎丈、小林妹舞鶴@中村時蔵丈はじめとする面々の豪華な押し出し。
なんというか、ここまで揃うと舞台に隙がまったくありませんねぇ!
塗りこめられていない隙間がない、全部が絵という感じです。

―――はうあっ!!「その2」でもまだ團十郎丈舞台に登場せず(^^;「その3」へ続く!!先は長いぞ!!―――

【公演データ】
公演名:團菊祭五月大歌舞伎 
『歌舞伎十八番の内 外郎売(=かぶきじゅうはちばんのうち ういろううり』
会場:歌舞伎座
観劇日:2006年5月1日(初日)

【主な配役】(敬称略)
外郎売 実は 曽我五郎:市川團十郎
曽我十郎:中村梅玉
小林朝比奈:坂東三津五郎
梶原景時:市川團蔵
梶原景高:河原崎権十郎
茶道珍斎:片岡市蔵
遊君亀菊:坂東亀寿
遊君喜瀬川:市川右之助
化粧坂少将:市村家橘
大磯の虎:市村萬次郎
小林妹舞鶴:中村時蔵
工藤祐経:尾上菊五郎 他

ここには舞台感想を書きとめておくべきなのですが、この舞台に関しては・・・まともな「感想」ではなくなっているかもしれません。
ただ、記憶を呼び戻した時あの一日がよみがえってくるように、その為にと書き記しておこうと思います。
読んでくださる方には不十分すぎるものやもしれません、初めに「ゴメンナサイ!」

《これが私のご祝儀です!!》

「市川團十郎丈が、帰ってくる!」
5月1日、團菊祭五月大歌舞伎の初日。
私は初日に行くのだとずうっと前から決めていました。チケットはなかったのですけれども、絶対どうしても行くのだと。
観にいくのだという感覚はもはやなくて、ただ、團十郎丈の復帰にお祝いを言いに行きたかったのです。
團十郎丈を舞台に迎える万雷の拍手の中の、そのちっちゃい一員になりたかったのです。
ご贔屓というのは役者のためにお金をかけることのできる人のことだと言いますが、弱小雪柳にはそんなご大層なこと叶いません。
だからね、馬鹿なことしようと思って(^^)
復帰のお祝いに、待ちきれない思いそのままに、馬鹿みたいな時間から幕見に並んでみせよう。
お姿が見たい、ずっと待っていたのですと、お祝いのご祝儀をお金で払えないものならば、体で払ってみせましょうっ、これが私のご祝儀だ!!って!

あはは、なんか馬鹿みたいでしょう(笑)
でも、あの高揚した気分をどうにかするためには馬鹿になりたかったのです(^▽^)

初日の前夜ベッドに入った時から、もう心境は「遠足前の子供」状態。
翌朝、目覚ましも聞かずにガバッと起きるなり、私は歌舞伎座に向かって駆け出しました!
そう、高田馬場に向かう堀部安兵衛@染丈ばりの勢いで!!

チャリをこぎながら、電車に揺られながら、團十郎丈もまだお目覚めではありますまいな〜♪(←何時!?)などと思ってみる(笑)
でもっ!ファンにとってのこの一日は、一分一秒長いものであってほしいのです!

そして、歌舞伎座へ到着。
歌舞伎座の白壁も、まだ寝起きの体温の低さでそこにうずくまっています。
この白壁が血を通わせ、凛とした化粧も済ませて、銀座の街に堂々とそそり立つ頃には―――かの人がここに戻ってきているのだわ。
感慨にひたりつつ、胸の膨らむような時間を待っておりました。

《祭りの開幕!!》

そして時間は飛ぶように過ぎ去り(↑行間2行。一行○時間分(笑))。
空は抜けるような晴天。青い空に日の光を受けた歌舞伎座、赤い幕に染め抜かれた「本日初日」の幕がたとえようもなくお似合い。
私、相当ボケボケしていたんだと思いますが、開場を告げる太鼓が軽やかに鳴り出した時・・・不意に周囲の異変に気付いて、「うわ!!」っとマンガのように驚きました!!
いつの間にか人がすごい!!なんかわらわらと群れている!!
ウワ!!TVクルーまで入ってる!!
チケットを胸に抱えた人たちが、前のめりになるように入り口方向にずらりと顔をそろえていて、幕見の列もいつの間にかとぐろを巻いていました。
人の声が湧き上がるようにざわざわざわとうるさくて、そうだ、今日はお祭りなんだ!ってことに改めて気付いて、思わず怯むぐらいの熱気でした。

なんだかドキドキしてきたんですけど!!
振り返れば、大きな公演ポスターの中に菊五郎丈、そして團十郎丈。
公演ポスターなど見慣れていたはずなのに、ついまじまじと見つめては(もうすぐ開く團菊祭の幕って、このポスターの公演のことなのだよな・・・)と当たり前のことを思います。

・・・人垣が動き出しました。いよいよ開場!!
さあっ、團菊祭の幕が開きます!!

《劇場の神様》

幕見席へと続く‘地獄の階段`を無駄に元気に駆けのぼり(笑) 劇場内に飛び込んだときの、不思議なくらいの新鮮な気持ちをなんと言ったらイイモノカ。
来慣れてきている場所ではあるのですけれども、開場と同時に飛び込んだものですからほとんど場内一番乗りだったんですね。
あの広い歌舞伎座に人影がほとんど見当たらないのです。
しかし死んだような無音ではなくて、真後ろに息遣いを秘めている静けさがしいんと漂っていて・・・劇場そのものが眠りから覚めて、息をし始める瞬間っていうのを、私は初めて体験しました。
なんというか・・・夜中、そこを護っていらした劇場の神様が、役目を終えてふうっとご自分の住処に帰っていく、衣を翻して去った直後の空気の揺らぎみたいなものが、まだ掻き消えずにたゆたっている感じで。
いいものですね。実にいいものでした。

劇場の神様、どうぞ皆さんが、ご自分の望んだとおりの舞台を勤められますように(_人_)

ほんの数分後には、人があふれ出していつもの活気が満ちていました。

席に着いて舞台に顔を振り向ければ、そこには物言わぬ錦糸の緞帳が重たく座っています。
あー、あの真ん中、幕の後ろのあそこに、あと数時間後には團十郎丈が!そう思うと静かに興奮してきます。

《若手の奮闘!》

一幕目は『江戸の夕映』。
若手が大奮闘!見ごたえありましたっ♪
真っ赤な夕映に染められた幕切れは魂そのものの「再生」を思わせて、清涼感高い舞台でした。
そして二幕目『雷船頭』。
この舞踊の何が素晴らしかったかって、その朗らかさで場内を明るく、気分よく盛り上げてくれたこと!
次に続く團十郎丈復帰の『外郎売』を思って、少なからず気負った・・・感傷的にさえなっていた場内の空気を、一気に朗らかで、大らかで、無邪気に明るいものへと導いてくれたことなんじゃないかなぁって思います(*^▽^*)

演目の並びが絶妙ではありませんか!
もちろん、演じ手がその役割を全うしきって素晴らしかった!ってことがその並びを生かしたってことなのだと思います。
舞台の若手俳優さんたちに、「大手柄ッ!」って大向こうでもかけたい気分でした♪

《市川團十郎丈》

外郎売へと続く幕間―――
定式幕が舞台を覆い、今はまだおとなしく静まっています。
しかし薄い幕が内側からわずかに動き、跳ね上がる様子・・・幕内ではもう舞台が始まっている、その気配が、もうそれだけでどうしようもなく嬉しい!!
・・・なんでこんなに嬉しいのだろうなぁ?って不思議なくらいに。

実は、私は、團十郎丈の舞台をそう多くは観させていただいていないのです。
数えるなら両手の指にも余るくらい。
本当に失礼な言い草なのですが、團十郎丈は決して器用な方ではないようにお見受けします。
踊りも、演技も、團十郎丈よりもっと「上手い」人はいらっしゃるって思う。

でも「市川團十郎」の存在に敵う人って、いるだろうか!
團十郎丈の舞台を見たときの喜びって、腹から湧いてくる。体を揺るがすようにして腹から湧いてくる。
四方八方から満遍なく光があたっているような、影ができないほどの明るさ!
理屈じゃないのですよね、諸手をあげて大好き!!って思う(^▽^)
不思議なくらい人をひきつけてしまう方です、愛さずにいられなくしてしまう方です。
團十郎丈は!

柝の音がひときわ高く鳴り響き・・・
さぁ、團十郎丈復帰の舞台『外郎売』の幕が開きます!

――はうあっ!!まだ『外郎売』の舞台まで届いてないっ(^^;その2へ続く――

團菊祭五月大歌舞伎『歌舞伎十八番の内 外郎売』―その2―はこちらから↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/36115176.html


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