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【公演データ】
公演名:宝塚歌劇 月組全国ツアー
『ダル・レークの恋』
会場:神奈川県民ホール/2階9列9番
観劇日:2007年6月17日(日) 16:00公演
【主な出演】(敬称略)
ラッチマン:瀬奈じゅん
カマラ:彩乃かなみ
ペペル:大空祐飛
リタ:城咲あい
インディラ:出雲綾
チャンドラ:越乃リュウ
クリスナ:遼河はるひ 他
男は男であり、女は女なのだ。
差別的な意味ではありません、イメージの型に押し込めようということでもない。
ただ、肉体の形が違うのと同じレベルで、賢さも愚かさも、強さも弱さも、生きていくための疑問とその回答をも、二つの体に分けあってしまった存在なのだと痛感したのです。
二つの性の象徴のような男(騎兵大尉ラッチマン)と女(カマラ姫)が、残酷に、滑稽に、哀しいまでにお互いを求め合うドラマは生々しい迫力に満ちていました。
カマラ姫は自らの高い地位に縛られ、心ならずも、身分の違うラッチマンの求愛を拒みます。
(身分をわきまえなさい、私はあなたではなく、騎兵大尉の制服に恋をしたのです)
しかも裏切りは、男女の仲のみならず――突如として彼にふりかかった火の粉を、恐怖に怯えた彼女は払ってやるどころか見ぬふりで背を向けてしまった。
女は愛を裏切り・・・信じ、心を分け合った「人間」としての彼をも、にべもなく退けたのです。
熱愛はそのままの激しさで変質し、傷つけ傷つけられ尽くしたのちに明らかになる真相―――
今こそラッチマンへの愛をはっきりと自覚したカマラへ、しかし彼は別れを告げて去っていきます。
二度と会わぬと言い残して去った男を求め、王家の姫たる女はどこまでも追い続けるのです。
状況だけみたなら、彼女の存在ほど哀れで滑稽なものはないでしょう。
身分に縛られ、自ら捨てた男に縋りつく身勝手な女。
狂女と呼んで間違いのないあわれな身の上。
そのときの彼女=彩乃かなみさん演じるカマラ姫は、身を飾っていたさまざまな美を捨て去っていました。
光をためた絹のサリー、胸を飾る宝石。
マハ・ラジアの気高い身分。
全てを置き去りにした彼女は、弱々しく萎れ、輝く美貌から光を削り取ったような暗さに沈みながらも・・はっとするほどに強くみえました。
カマラ姫ではない、ただ裸の人間が、溢れるばかりに強いものをたたえていたんです。
女に、男に勝る腕力はありません。その心も、体も弱き存在であることは否定のしようもない。
けれど、女は男の知らぬことを知っている・・・知って、などとは言葉が違う。もはや、理解などというものではないのです。本能にそっと耳打ちをするように、女は神から教えられている。
愛とは何なのかということ。
そして、女は男に、愛とは何であるのかを教えることのできる存在なのだということを。
このことだけは、神が男に腕力を与えたように、女に与えた力なのです。
カマラの強さは、その半ば本能的な確信だと感じられました。
「私は探し続けるのです。生きていくために。彼のために」
カマラが『彼のため』と言った、その言葉に一点の穢れもなかった。
それはまるで、母が「子供のため」と言い切る言葉のように、有無を言わさぬ気高さであったのです。
ラストシーン、舞台にラッチマンの絶唱が響き渡ります。
強く、賢く、気高い男。
しかしその背中に、表情に、削り取られたような孤独がはっきりと存在しています。
彼がいかに強かろうと、世の全てを悟ろうと、その空洞を自ら埋めることは叶いますまい。
それは、神が男から取り上げて、女に与えた一部分だからです。
追い、追われる旅路に果てがあるとも、ないとも、それはもう舞台の描ききる世界からはみ出しています。
インドに咲く仏教神話のような、なんとも不思議な後味の残る作品でありました。
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