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歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

宝塚Review

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宝塚歌劇団の舞台感想です
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【公演データ】
公演名:宝塚歌劇 雪組公演 ミュージカル・プレイ『青い鳥を探して』
会場:東京宝塚劇場
観劇日:2005年1月15日(土)

【主な出演】(敬称略)
ジェイク・マクノートン:轟悠
フィンセント・マクノートン:朝海ひかる
ケイト・フランクール:舞風りら
デニス・ハワード:貴城けい
アンソニー・マクノートン:立ともみ
マザー・フローレンス:邦なつき
鳥占いの老人:飛鳥裕
バーバラ・ブラウン:灯奈美
ジョルジュ・クレベール:未来優希
ミルボン:壮一帆
シモーヌ:音月桂
スーザン:愛耀子
ブレンダ・バートン:白羽ゆり 他

お芝居は若干軽めでコメディ要素たっぷり(^^)・・・と笑って油断していると、ちょっとじんわり。
ほとんど早口言葉と化した台詞の応酬、その鮮やかさだけでも思わず笑っちゃいましたけどっ。
気楽に楽しませてもらいました♪

轟さんが特別出演なさっていて、轟&朝海Wトップの豪華バージョンの舞台でした。
これまで観てきた雪組の舞台って「全員が一丸となった総力戦!」という一生懸命さが伝わってきて、思わず応援したくなるような魅力的な舞台なんですけれども、今回轟さんがドン!と主演に据わった感じはまた雰囲気が違って、なんというか舞台に安定感がありました。

軽さと重さ、絶妙のバランスを操るように演じる轟さんはとってもオトナな雰囲気で、その下で二番手を演じる朝海さんは、とっても自然体な感じ。
私は主演以外の朝海さんを知らないのですけれど、張り詰めた緊張感を持っていない彼女の演技というのは初めてみた気がして、新たな魅力を感じちゃいました。

あと、白羽さんの怪演が・・・忘れたくても忘れられない(笑)

初めての方はその1からお読み下さいm(__)m
「雪組全国ツアー 宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら ―オスカル編―』 ―その1―」はこちらから↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/37318997.html

《君臨するアンドレ》

壮アンドレを一言でいうならば「男の権力を持ったアンドレ」だった、って思います。
存在が大きいのです。ただ、温かく懐の深い「包容力」ともニュアンスが微妙に違う・・・女を包み込む、というより、ちょっと言葉のニュアンスが違いますけれども、君臨している、支配している感じがするのです。
それは押さえつけているだとか縛っているだとか、操っているだとかそういう意味じゃなくてね。
オスカルとアンドレの立場は主従の関係にありますし、オスカルが自分の心に目を凝らすまでは恋愛的にも求める立場にあるわけですけれども、なんというか、人間としての精神的な意味で、男と女が逆転していないという感じがしたのです。

宝塚の決めポーズのひとつに「ゆるぎなく立つ男役の腰の辺りに、満ち足りた笑顔ですがるように寄り添う娘役」という構図がありますけれど、皮肉めいた理屈など抜きにして、素直に幸せな構図だって思う。
ゆるぎない「男の性」を感じさせる壮アンドレと、「女の性」が自然に漂う水オスカルの間には、安定感のあるそのニュアンスがありました。

《壮一帆の視線ジャック!》

壮一帆さんという人は視線の奪い方が乱暴ですよねぇ!なんというか、こちらが「観たい!」と思って視線を奪われるのではなくって、向こうが視線を奪いにくるという感じ。壮さんの姿が目に入ると、ほかを観ようとしていた視線が力技で軌道修正させられちゃうんです。
オーラ、ってことなんだろうなぁ!
存在そのものが野心的で、非の打ち所がないほど格好良くて、ふてぶてしいほどに乱暴に挑みかかってくるその魅力―――
チクショウ!と思いつつも観てしまう。そして魅了されてしまう。
スターという存在は、こういうものかなぁと思いますねぇ。

《水オスカル&壮アンドレ、並びの妙♪》

シャープな容姿や動作から感じる壮アンドレは、輪郭のきっちりした硬質な印象。
お衣装の雰囲気と相まって、引き締まった肉体を感じさせます。
対して、水オスカルは、体の線の回りに、滲むようなふわりとした雰囲気をまとっていらして。
現実には軍服の似合う痩身ですし、一人で立っていらっしゃる時にはことさらにそうは思わせません。ただ、お二人が並ぶと水オスカルの肉体は柔らかいのだなぁと感じさせました。
なんていうかね、体から雰囲気が薫るようなのです。
オスカルの色気ってこういうものか、って思いました。ことさらに女臭く匂わない、凄くいい香り。

壮さん、研ぎ澄まされた雰囲気がシャープで揺ぎない確かさを感じさせる半面、なんとも存在感が硬質すぎて、実際の体の線以上のスケールが見えないという感じもありましたね。
もう少し内面が・・・「芸」が太るといいのにな、って思いました。
今の魅力に内面からあふれ出るスケールが加わったら、もっと大きく見えるだろうに!
きっと、将来の壮一帆さんはそうなられる、って思います(^^)

《なんていい声!》

着任前に単身衛兵隊に乗り込んだオスカル。
衛兵隊士たちから口々の罵詈雑言を浴びせかけられるそこに、衛兵隊を牛耳る男の声が響く―――

その声を聞いた瞬間(うわっ)と思いました。
なんていい声だろう!
あくまで低く、しかし滑らかな響きのいい声なのです。男役のキャリアを積んだ人が余裕たっぷりに響かせるような声なのですけれども・・・声質が若い。作りこまれた粘りがない。
(この人、たぶんベテランじゃない!誰だろう!)
―――そして舞台袖から現れたのがアラン@緒月遠麻さんでした。

第一印象は「若い!」(笑)
ことさら突っ張った役作りに力が入っていて、表情にも気負いがそのままに感じられて。
初登場シーンこそ堅さをかんじたものの、舞台が進行するに従って舞台姿にも余裕が見えてきました。
こちらも落ち着いてよく見れば、声にも、足の長い腰高の体型にも「オンナノコっぽさ」がなく、お化粧も表情も黒っぽい印象の男臭さたっぷりで、実に堂々とした押し出し。
なにより、台詞をまわす声が渋くたっぷりと落ち着いていて!

宝塚の男役って、女性が演じているのがはっきり分かりつつも「男役」の魅力で立っている人と、「男」として立っている人がいると思います。
この「男」として、いうのは、湖月わたるさんだとか、霧矢大夢さんだとか、舞台姿が男にしか見えない人たちの魅力。
それは演技力だけじゃなくて、声質だとか体型だとか、顔立ちといった大前提の要素に恵まれていないとなし得ないもので、本当に貴重な存在だって思います。
緒月遠麻さん、その貴重な一員にエントリーした存在なのじゃない!?って思いました。

この方、いい!これから注目させて頂こう!!

《緒月アランの笑いと男気》

お役の印象としては、真面目で硬い、不器用さを強く感じました。
究極の恥ずかしがりやとでもいうのかな、優しさ素直さなどというものを表に出すのを極度に嫌って、人に付け入らせる隙を与えまいと突っ張っている、そんな感じ。
表情が常に怒りを含んだような厳しさで統一されていて、何時いかなる時にも「男らしさ」に揺るぎがないのです。

そして、おそらくアラン本人の意図とは裏腹に、そうやってカナリ一生懸命に「作った」自分が崩れる瞬間の面白さというのがまた格別で(^m^*!

―――面会に、愛妹ディアンヌがなかなか来ない。
苛立ちもするし・・・かすかな不安にも駆られる。
その微妙な心をことさらに隠そうと必死になるがゆえの、逆になんともいえないくらい滑稽な雰囲気が滲んでいて面白かったですねぇ!
ディアンヌのことを話す人たちに背を向けながらも、背中全部が耳になってる感じがバレバレで(笑)
別に笑わせようと意図したアクションをするでなし、コミカルな言動をするわけじゃないのだけれども、そのニュアンスが「可愛い♪うふふ♪」ぐらいの忍び笑いじゃなくて、もう思い切り笑いたいぐらいおっかしいの!
笑ったら、アランはめっちゃ怒るやろなぁ!って思わせるところがまた(^▽^)
このシーンがこんなにまで面白かったの、今まで見たことなかったわ!

そして、極めつけ爆笑シーン(笑)
栄養失調で倒れた兄を心配する妹を慰めるために言い放った「俺たち、みんな栄養失調さ!!」!
・・・アラン的にはギャグなんですよね、おそらく。
でも、普段ギャグとか言いなれてなさそうな緒月アランのギャグは決定的に下手で(笑)
自虐を笑うブラックユーモアが、ただのブラック発言にすり替わっちゃって、皆シーン・・・みたいな空気が広がって。
(みんな慰めようとしてんのに・・・だめじゃんアラン(><)!!)感がすさまじく、場内に爆笑が沸き起こりました。
切ないその優しさが、不器用さが、なんとも言えずおっかしかったー!!

場面は変わって―――
ブイエ将軍・ジャルジェ将軍(=オスカルの父)に指揮官としての資質を攻め立てられるオスカル。
怒りのままに去ったブイエ将軍を見送り、ジャルジェ将軍はオスカルと二人で話がしたいと、衛兵隊士たちを下がらせます。
その時の、去り際のアランの姿がとても良くて。
衛兵隊側から見れば、二人の将軍の言動はどこまでも鼻持ちならないものであったはずです。
踏みにじられたと感じ、敵意をむき出しに突っかかっていく態度こそ似つかわしくあったかもしれない。
けれど、緒月アランの抑えた態度からは、オスカルへ、そしてオスカルの父親であるジャルジェ将軍への敬意が感じられ、非常に紳士的に感じられたんです。
その態度、その心根が・・・なんていうか、オスカルの存在が、獣のように敏感で直線的だった感情に「信頼」という人間らしさを与えた、という感じがしてね。
とても美しく思われました。

その不器用な一途さは緒月アランの個性として十分魅力的でしたし「こういう男、現実にいるよな」と思わせるリアルな男性像でした。
ただそれが『舞台の上』に乗った時、常に一定な表情や態度に若干変化のなさを感じたのも正直なところ
です。
アランという人は、鬱屈した怒りや悲しみ、さまざまな思いを抱えた男たちを精神的に統率していたリーダーです。
なぜ皆がアランに従ったか。
それを無条件で納得させられる人物というには、まだもうちょっと内面のふくらみが足りないな、と思いました。

――凛々しい男たちに絡む可憐な娘役も♪その3に続く――

【公演データ】
公演名:宝塚歌劇 雪組さいたま公演 宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら ―オスカル編―』
会場:さいたま市文化センター
観劇日:2006年7月7日

【主な出演】(敬称略)
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ:水夏希
ロザリー:舞風りら
アンドレ・グランディエ:壮一帆
ジェローデル:沙央くらま
アラン:緒月遠麻
ジャルジェ夫人:矢代 鴻
ジャルジェ将軍:星原美沙緒
ブイエ将軍:一樹千尋
ダグー大佐:飛鳥 裕
マロングラッセ/シモーヌ:美穂圭子
ベルナール:悠なお輝
ディアンヌ:山科愛
オルタンス:愛 耀子
ルルー:花夏ゆりん
オスカル(少女時代):早花まこ
アンドレ(少年時代):美乃ほのか 他

《水オスカル―――しなやかに、大らかに!》

星組本公演では安蘭オスカル。
雪組本公演では朝海オスカル。
そして私にとって三人目のオスカルが、水夏希さんでした。
とりあえず、リクツ抜きの「素敵だったー!!」をさいたま新都心に向かって叫ばせていただいた後に(笑)水オスカルの印象を語るなら、とてもしなやかで、大らかで(この人は愛されて育ったのだな)と思わせられた、ということでした。

私が今まで抱いていた水夏希さんの印象は、英国風のダンディズムを感じさせるシャープで粋な雰囲気。
お顔立ちも体型もスッキリと男性的で、非常に男役の似合う人だなぁと思っていました。
色気はあふれんばかりですけれども、そこに女性的なニュアンスを感じたことはほとんどなくて。
水夏希さんがオスカル?ピンとこない、というのが観劇前の正直な感想でした(^^>

それが、どうだろう!

水さんのオスカルはとても女性らしく、それが本当に魅力的だったんです。
その女性らしさというのは「女臭さ」ではなく、不自然に歪められていない大らかな「女性らしさ」。
そして、凛とした男性的な言動もまた、偽った姿の不自然な強張りが感じられない。
「私は人間を信じている」という台詞がありましたが、それがものすごく自然に思われました。
あの時代、貴族という特権階級に護られていた人物がなぜそう思うことが出来たのか、本心から「信じられた」のか・・・
水オスカルの姿を見ていて、ふっと感じました。彼女は愛されて生きてきたんだって。
妹が可愛くてならない姉たちに、両親に、彼女を取り巻くさまざまな人々から、幼友達のアンドレからも、さまざまな形の愛を浴びて育ったのだろうなと感じたんです。
彼女の根底にはその甘やかで、美しい記憶がある。
水オスカルの「信念」は、男性的な理屈じゃなくて、女性的な感覚そのものなんだって感じがしました。
だからね、しなやかに強い。衛兵隊士たちを心酔させたその根底にあったものは、結局、母親の前で虚勢を張り続けられない息子の心に似通っていたのではないかな、って。
今回の全国ツアーの脚本は本公演よりも衛兵隊士たちとの交流場面が増え、そのこともこの印象に一役買っていたように思います。

なんていうかな・・・誤解を恐れずに言うならば、水オスカルには安蘭オスカルや朝海オスカルほどの深い苦悩の影が感じられませんでした。
前出のオスカルは、精神的に人間としての足場が危うすぎるくらいの場所に生きていて、それが研ぎ澄まされた凄みでもありましたし、魅力の深みに引きずりこまれるようで、観客としてもフィナーレがなければ精神的に浮き上がってこられないくらいの思いでした。
水オスカルの駆け抜けた人生は悲しかった、切なかった。
けれども、なんとも言えずその「生」が温かであったように思えたのですね。
朗らかで大らかで、こんな表現は語弊があるかもしれないけれど、どこかのどかな印象さえあった。
そのことは決して悪い印象ではなくって、観劇後の晴々とした足取りの軽さは宝塚の醍醐味をたっぷりと味わったあとのそれでした。

『ベルサイユのばら』のような、ドラマティックなストーリーもさることながら、それ以外にも楽しみを満載した舞台―――ビジュアルの華麗さだとか、音楽の美しさだとか、舞台の端々にいたるまで魅力的なキャラクターがたくさん散りばめられていることだとか、台詞歌動きすべてにわたる「型」だとか―――そういう盛りだくさんの舞台を堪能するのに、役者一人一人があまりにも演劇的にリアルに、深刻になり過ぎてしまわない、この大らかな雰囲気というのはひとつの成功例だと思いました。

安蘭オスカル、朝海オスカル、そして水オスカルの演じた人物は「オスカル」という同一人物です。
語る台詞もほぼ同じ、当然のことながら生き抜く道も死に様も、同じ運命に定められています。
それなのに、この三人はどうだろう!まったくの別人といって差し支えないと思う!
もちろん、芝居を受ける相手の違いもあります。
話が吹っ飛びますけれど、朝海オスカルに対するアンドレの役代わり、あれ瞠目するほど効果的だったと思う!
ホント、朝海さん見事に演技が変わっていて、それがそれぞれのアンドレにピッタリで見事だった!!
・・・っと、閑話休題(^^;)

芝居って、本がよければ、役者の技量しだいで本当にいくらでも膨らむのだなって思いました。
『ベルサイユのばら』と宝塚歌劇団、幸せすぎるカップリングだったって、本当にそう思います。

あと、特筆したいのが水オスカルのビジュアル面!
なんというか、もう凄い素敵で。
朝海オスカルが少女漫画的な端正さというならば、水オスカルは劇画チックな迫力。深いニュアンスで描いた絵画のよう。
クール&シャープなビジュアルをふわりとした女性らしい雰囲気で飾った感じ、その自然なこと、素直なこと!
男役・水夏希の笑顔は知っていました。絵に描いたように端正で、笑顔を崩す歪みさえも計算ずくと思わせる、きっちりと作りこまれたカッコよさ。
けれど、「女性」を抑えずにほころばせる笑顔のいいこと!本当にいい!

私は舞台上の水夏希さんしか知りませんけれど(←当たり前。)あんな風に笑う人は信じられる、人間的にいい人に違いない!って勝手に確信(笑)
男役として、そして女性としても、圧倒的に魅力的だって思いました!

――シャープで熱い壮アンドレ、そして・・・カッコいいジェンヌさん発見!!その2へ続く――

【公演データ】
公演名:宝塚歌劇 雪組公演 宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら ―オスカル編―』
会場:東京宝塚劇場
観劇日:2006年4月23日

【主な出演】(敬称略)
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ:朝海ひかる
ロザリー:舞風りら
アンドレ・グランディエ:貴城けい
ジェローデル:壮一帆
アラン・ド・ソワソン:水夏希
ジャルジェ夫人:矢代鴻
ジャルジェ将軍:星原美紗緒
ブイエ将軍:一樹千尋
ダグー大佐:飛鳥裕
マロングラッセ:灯奈美
ベルナール・シャトレ:未来優希
メルキオール:麻愛めぐる
ルイーズ:天勢いずる
ジェロワール:音月桂 他

《朝海ひかるさんのオスカル》

朝海ひかるさん、というか・・・もはや「このオスカルという人」は、どうしてこうも心に巣食うのでしょう。
印象に残るとか素敵だったとかいうのじゃなくて、もはや巣食うという感覚。
目の前にしているときよりも、むしろ今、記憶の中にいる存在を思い起こすときにそれをはっきり感じます。

どこまでもリアルで、どこまでも儚い―――この儚いというのは脆いということでも、弱々しいということでもなくってね。
朝海ひかるさんってビジュアルは可愛らしく見えますけれど、その実、存在感がとても骨太だって思う。むしろ、単純な意味での儚いという印象からは遠いように感じます。
けれども、このお役を演じる朝海さんは「ああいう人は長生きしない」、蝶のような儚さを感じさせました。

心に何者も決して踏み込むことを許さない領域を持っていて、その一線を踏み越えて「向こう」に行ってしまったときには、誰にも、何にも、決して呼び戻すことのかなわない人。
どんなに願っても、たとえ諸手でがっちりと抱きとめていたとしても、決してその存在を縛ることができない、その人の実態は肉体ではなく、「魂」そのもののような人。
死そのものが持つ意味が、肉体的な滅びというより、なにか精神的な「生」を思わせる・・・なんだか、そういう存在と感じられるのです。

《朝海ひかるさんにそっくり!な歌舞伎役者さん》

あっ、顔じゃありません(笑)あしからず!
あんな可愛い女形さんがいたら、そりゃどえらい大騒ぎだろうなぁ!白塗り似合うし(*^▽^*)

私、オスカルを演じた朝海ひかるさんにそっくりな「魅力の質」を持った人を知ってます。
歌舞伎役者の中村吉右衛門丈。
あの鬼平犯科帳の長谷川平蔵役がおなじみの、あの方です。
あの重厚な存在のどこが儚いのだとお思いになるでしょう?
『井伊大老』の、国を守るために人を殺し、国を守るために殺された井伊直弼。
『極付幡随院長兵衛』の、行けば殺される敵の手の内に、ただ誇りのためだけに乗り込んでいった親分長兵衛・・・
現実か芝居か一瞬分からなくなるほどに舞台上で生きるそれらの演技に、美しいものを見据え、後に残す人々に艶やかに笑って、たった一人で誰の手も届かないところに歩いていってしまうような究極の儚さを、凡人である自分はただその背中を見て、ひれ伏して涙を流すことしかできないほどの畏敬の念を感じるのです。
その感覚がね、本当にそっくり。

『ベルサイユのばら』だから、という例えじゃないですけれども・・・・
美しい花が咲いていて、その周りを二匹の胡蝶が舞っている。
胡蝶の一対は花に止まり、しばらく羽根を休めて、そして不意に飛び立った。
じゃれあうようにもつれあい、ふっと目を離して視線を戻したら、もう野原のどこにもいなくなっていた・・・まるで、魔法のように。
美しすぎて神に愛でられ、一瞬にしてその命ごと奪い去られたかのように。
そんなね、そんな感じだったです。

朝海ひかるさんの演技って・・・というか朝海ひかるさんの感情表現って、ほかにはない個性に対するほめ言葉としても、はがゆい物足りなさとしても「不器用」な印象があるのですよね。
もっと『巧く』演じれば万人受けするだろうになぁ、って思うところも確かにある。
でも、その分誠実で、素朴に美しい演技をなさる方です。
静かに燃える熱意が大きな瞳のそこに揺らめくのを見つけたときなど、食い入るように惹き付けられてしまう。
向き合っているそのときよりも、むしろ記憶の中に蘇らせた時にものすごく惹き付けられるのですよね!

私は彼女の演技が大好きです。

《宝塚の伝統と、作品としての完成度》

『ベルサイユのばら』は名作だ、そのことはものすごくよく分かるのです。
美しい名場面の数々はため息の出るような完成度で、その世界を現実のものにする生身の役者さんたちの魅力的なことといったら。
しかし、興奮はぶつぶつと細切れに散らばり、ごめんなさいっ、生意気観客の正直な印象として、手放しで大絶賛を送りたく思う舞台ではありませんでした。

どうしても気になったのは、前半に舞台としての楽しみよりも優先して詰め込まれていたように思う「説明」の冗長さ。
原作があれほどのドラマですもの、舞台の上でそれらすべてを見せることは不可能ですし、物語の前提をかなり端折って上手くまとめた演出なのだって頭ではわかるのですけれども、途中の幕間で、感想が思い浮かばないほどの感覚ってどうかと思う。
幕切れのペガサスちゃんは衝撃でしたけれども!
いや、ペガサスちゃんが空高く舞い上がったときにはさすがに気持ちも高揚しましたけれど・・・いかんせん、可愛いのだわ(笑)

これ、「それを言っちゃぁおしまいよ」なのかもしれないのですが・・・
生意気御免!の一ファン正直感想として、お許しください(_人_)

今回、ロザリー嬢のエピソードが、舞台でかなり大きなウェイトを占めていました。
ロザリー嬢は娘役トップの舞風りらさんのお役です。
もちろん舞風さんのロザリー嬢は素朴で可憐で、魅力的なはまり役だったと思います。
でも、あのドラマの重要度で考えると、ロザリー嬢の占めるウェイトってそんなに高くないと思うのです。
純粋さゆえに、男装の女性に恋してしまった哀しみは分かる、でも・・・
男として生きるしかなかったオスカルが、自分の仕える女王さまの恋人に抱いてしまった恋心の苦しみより重要視されるべきことだろうか?
男として生きることで奪われた女の幸せ、女であるがゆえに阻まれる男の理想の狭間で苦しむ思いより、大切にされるべきことだろうか?
幾重にも裏切られ、ひねくれた心に、真っ直ぐな裸の心を叩き付けられたことで生まれた信頼と尊敬が、報われない愛情に発展していったアランの思いより、重要視されるべきことだろうか・・・
大胆に切り捨てられたいくつものエピソードや感情の絡みの優先順位が、どうしても違うように思えてならないのです。

宝塚は、各組の頂点に位置する男役トップ&娘役トップ同士のカップルを主軸に据えた舞台が鉄則です。
けれど、この舞台はそのゆるがせに出来ないルールに、物語を歪めてまでも詰め込んだようなものと感じられました。
ロザリーの魅力は、オスカルの言葉を借りれば「私の春風」なんですよね。
ふわりと通り過ぎる暖かく心地よい春風の魅力が彼女の真髄とするならば、今回の演出はむしろ過多にすぎる。

宝塚の伝統は大切です、けれどそれと「作品としての完成度」が相容れなかった時、選ぶべき道はどちらなのか。
100年に迫る伝統を誇る宝塚歌劇だもの。

《『ベルサイユのばら』通し狂言化!》

歌舞伎には通し狂言っていう上演形態があります。
普段は長―い物語の中から、見所のある面白い名場面だけを取り出して上演することが常ですが、通し狂言は物語の発端から完結までを順を追って全部上演すること。
長ければ、夜が明けてから夜が更けるまで一日がかりの上演になるといいます。
・・・歌舞伎の古典がそうならば、宝塚歌劇の大古典『ベルサイユのばら』だって・・・どうです?これ!
上映時間など一切気にしないで、もうトコトンすべてのエピソードを舞台の上に作りこむの!
ロザリーにかかわる残酷な運命、首飾り事件、黒い騎士事件、そしてフェルゼン伯の悲しい最後まで、すべてを一挙上演!
だって、それをするに足る原作じゃあありませんか!
どうですぅ、歌劇団さま♪
来る100周年の目玉企画として(^^♪

――その2へ続く――

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――初めての方はその1からお読みください――

《魅力的な「女役」さん!!》

同時に感じたのは、雪組さんって素敵な「女役」さんが何人もいらっしゃるんだなぁってこと(^^)
「娘役」じゃなくて「女役」と呼びたいような、大人の魅力あふれる方たちが!
エンマ・シャンピオーネ@天勢いづるさん。
豪華な美人で、知的でキュート。カッコ良さを感じさせる女っぷりが素敵だったな♪
ロレンツォとフランチェスカが出会ったバー「アナポーラ」のマダム@美穂圭子さん。
さばさばした痩身のお姿に、「乱暴さ」が「品のなさ」と同意語じゃない、潔いカッコ良さを効かせた歌声が素敵だった!!
そして、ノーラ@高ひづるさん・・・っと、この方は専科でいらっしゃいますね(^^>
中年女性の腰の据わった野太さのなかに、綺麗な気品が通っていて素敵でしたね〜。

《三人のタカラヅカズキによる「ラストシーン考」》

このお芝居。ラストシーンがかなりの衝撃です。
衝撃、というかむしろ・・・ドラマが垂直にストンと落ちるスピードが急すぎて、「えっ、えっ!?」という戸惑いと共に幕が下りるというのが適切かもしれません。

ストーリーをはしょって説明すると・・・
※以下ネタばれです!!今後映像等でこの芝居を楽しまれる方はご注意を※

レジスタンスの統率者であることが暴かれたロレンツォは、オーストリア軍に捕らえられます。
しかし、ロレンツォの人柄と才知に感銘を受けたカールハインツは、命懸けでロレンツォを奪還しにきたレジスタンスたちに騙されるふりをして彼を逃がしました。

ついにミラノは侵略者・オーストリアに対して蜂起。
ロレンツォの指揮で一斉に立ち上がったレジスタンスの統率力に、ついにオーストリアは敗北します。
イタリア国民は、ミラノ市民は自らの祖国を侵略者の手から奪い返したのです!
興奮に沸き返るミラノ。そこに、戦場に向かった男たちが戻ってきます。
男は、一直線に愛する家族の下へ。愛する子供の下へ・・・そして、愛するただ一人の女の下へ!

そんな中に、暗い影を負った一人の男がありました。
―――元オーストリア軍指令部情報少佐・カールハインツ。
獄死させるには惜しい男だと・・・オーストリア軍人であった自分が職務を放棄して逃がしたロレンツォ・クローチェ。
しかし、そのことが祖国を敗北に導いてしまったとするならば―――
私には祖国のためにしなければならぬことがある!

思い出のひなげしの丘で、フランチェスカはロレンツォの帰りを待ちつづけていました。
繰る日も、繰る日も・・・
そして、彼女はついにあの懐かしい声を聞くことになるのです!
「フランチェスカー!!」
帰ってきた!
帰ってきてくれた!!
二人は貪るように抱きあい、今このときの幸福を、未来への希望を叫びます。
「幸せになるんだ、そう、これから!」

そこに――――銃声が!
倒れ伏すロレンツォ、突然のことに驚愕し悲鳴をあげるフランチェスカ。
一発の弾丸が、ロレンツォの体を貫いたのです。
なぜ!誰が!?ああどうしてなの!!

そこへ静かな歩みで近寄ってきたのはカールハインツでした。
こうするしかなかった。彼が祖国に命を捧げたのと同様、私も祖国に命を捧げねばならないのだ―――
たった今、ロレンツォを貫いた弾丸を発砲したばかりの焼け付くような銃身を、無言でフランチェスカに手渡すカールハインツ。そして、彼女に自ら背中を向けるのです。
血を吐くような絶叫と共に、カールハインツに向けて銃を構えるフランチェスカ。

遠ざかる意識の中、ロレンツォは心のなかで呟きます。
(カールハインツ、君には一度命を救われた。あの時消えていた命なら・・・君に殺されるなら仕方がないな)

夫の敵・・・でも、どうしても、どうしても撃てない!
銃を握り締めたままくず折れるフランチェスカ。
そして、その傍らでロレンツォの命は尽きるのだった―――

場の空気を染め上げるかのようなハッピーエンドから一転、悲劇のどん底に突き落とされるラストシーン。
美しいひなげしの花畑で、命尽きたロレンツォが倒れ、フランチェスカが地に伏して号泣し、天を仰いだカールハインツが下りていく幕の中に消えていきます。

劇場からの帰り道、話題は『霧のミラノ』のラストシーンについて集中。
では、タカラヅカズキ3人の会話形式で「ラストシーン考」をドウゾー。

M里:「あのラストシーンは・・・ちょっと急展開すぎやしなかっただろうか?」

Y柳:「ああっソコでしょ!?あれは確かに急転直下すぎたよねぇ!ねぇあそこ、カールハインツが『責任をとらねばならない』って言うのなら、彼が自決すればよかっただけじゃないの?」

M子:「いや、やっぱりロレンツォを殺す必要はあったと思うなぁ。あれはカールハインツにしてみれば必然だよ。でもその後、フランチェスカに銃を渡すってのは・・・残酷すぎる!撃っても、撃てなくても、彼女は苦しむことになるでしょうが(><)」

Y柳:「じゃぁカールハインツはロレンツォを殺した後に自決するべきだった?」

M里:「いやぁ、それも・・・フランチェスカだけが取り残されて、舞台に二つの死体が転がっているのは幕切れとしてカナリどうかと思うね〜」

M子&M里&Y柳:「(想像中・・・ハッそれは壮絶すぎるわっΣ(゜□゜*)!!)・・・確かにねー」

Y柳:「・・・というか、この芝居って『ロレンツォ&フランチェスカ=愛』と『ロレンツォ&カールハインツ=男の友情』が二つの主軸だったわけでしょ?
あそこまで愛を高らかに謳いあげておきながら、最後は男の友情で締めくくる・・・って処に、なんていうか『欲張りすぎ』感があるんだよね。逆にぼやけた。」

M里:「どっちかひとつに・・・うーん、それも無理かなぁ。でも、物語のテーマとしてその二つが絶対必要ならばさ、あの場面をもっと丁寧にしっかり作りこむべきじゃない?」

M子:「確かに、制限時間内に終わらせる為に、ばたばたっと『辻褄合わせてドウニカまとめました』感が否めなかったよねぇ」

Y柳「それとさ、私が納得いかないのは、カールハインツに撃たれたロレンツォが『心の中の独白』として彼に殺されたことを納得するってことだよ。納得したのはアリだと思うよ、本当に尊敬しあっている二人なら。でも、それならそれをフランチェスカに告げてあげて欲しかった。そうすれば、彼女はほんのわずかであっても救われるでしょう?」

M里:「確かに!あの展開だと、男同士は納得しあっててそれはそれでいいけど、傍らでフランチェスカが完全に蚊帳の外だよね」

Y柳:「フランチェスカがどうしても残されなきゃいけないんだったら、なにより彼女の心を少しでも救ってあげて欲しかった。たとえば、カールハインツに銃を向けたフランチェスカに、ロレンツォが『撃たなくていい、復讐なんて望んでいない』と伝えてあげてくれたなら・・・彼女は、撃てなかった自分に対して『もしかするとロレンツォは復讐して欲しかったかも知れないのに』っていう後悔だとか罪悪感を抱えずに済むわけでしょ?」

M子:「たしかにそうかもー」

Y柳:「その上でさ、フランチェスカに『そんなことより傍に来い、来てくれ』とでも言って欲しかったなぁ。最後、死んだロレンツォは一人だったでしょう?フランチェスカは離れた場所にくず折れてた。」

M里:「最後のほんのわずかな時間であっても、彼女を傍に引き寄せて彼女の腕の中で死ねたなら、ロレンツォも救われた・・・フランチェスカも救われただろうにね」

M子:「おお、これで『愛』と『男の友情』両方クリアだ」

Y柳:「・・・ついでに、ロレンツォさんには最後の力を振り絞ってもう一曲愛の歌でも歌って欲しかったよ。それが途中で掻き消えていくというのでもいいじゃない」

M里:「聡明なフランチェスカだもん、ロレンツォが男同士の友情として納得して死んでいったんだって知ることができたなら、涙を隠してでもロレンツォの最後を笑顔で看取ってあげる優しさを、最後の最後にロレンツォにあげられたかもしれない」

M子:「死んでいくロレンツォの最大の心残りは彼女を残していくことだろうから、もし彼女が気丈に笑ってくれたならロレンツォも救われたろうにねぇ」

M里:「悲しいねぇぇ」

Y柳:「どうにか、あのハッピーエンドで完結させる方法はなかったものか・・・(T^T)ちくしょー、ラストシーンだけカールハインツの存在が邪魔だ!!(←暴言!!)」

M子:「だからそれは無理だって!」

・・・で、最初に戻る(笑)

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