文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

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【公演データ】
公演名:シネマ落語『落語研究会 昭和の名人 弐』
会場:東劇
観劇日:2011年5月21日(土)13:30開映

【主な出演】(敬称略)
三代目 古今亭志ん朝「船徳」
十代目 金原亭馬生「臆病源平衛」
六代目 三遊亭圓生「引越しの夢」
八代目 林家正蔵「中村仲蔵」

《正蔵さんの「中村仲蔵」!》
 
師匠に対峙した仲蔵は、まだ気付かない――
師匠に、というより、観客に、いやもっと次元が違う、「歌舞伎そのもの」に、斧定九郎の工夫が受け入れられたことを。
師匠の言葉に、その興奮に、徐々にそれを識っていく仲蔵の・・・心理、なんて言いたくないなぁ。なんて表現したらいいんだろう。
奇跡が、キラキラした芸の奇跡が自分自身に降りかかってくる、そのある意味神秘的な超然とした感じと同時に、支えてくれた女房の深い愛情とか想いとか、もっと言えば受け入れてくれた観客たちとの魂の交流、そういうものすごい「人情」の部分、さらには、仲蔵という男自身の――今までの努力とか矜持とか苦労とか、過去、今、未来・・・存在そのもの、男一匹の「生きている価値」が、今、鮮やかに肯定されている!ってこと。
そんなこんなが一気に押し寄せてきて、眼の覚めるような興奮がもう体を駆け上ってくるかのようだった!
すべてに対する祝福というか・・・イヤ、理屈はどうでもいい!「さかえやっ!!」の大向こうでも一発かけて、最高にスッキリしたい気分!

そしてね、さらに圧巻だったのが、その後の始末です。
劇的興奮というならば、その瞬間、最高潮でポン!と観客を放り出すように断ち切っちゃえば舞台効果は最大限に違いないって思うんだけれど、普通、そうすると思うんだけど、正蔵さんは(というか「落語は」かな?)それをしないんですねぇ。
師匠宅から帰宅して、家で待つ女房のもとへ―――「日常」へ、「あたりまえ」へしっかり着地して、最後はギャグであっけないほどストン、と、終わる。

なんていうか、舞台って普通、非日常を「最高級」と位置づけるでしょう。客席を興奮させたなら、その興奮を最高潮のまんま、観客の感情をより天上に近い場所まで持ち上げておいて、パッと手を離しちゃう。
客席は日常までのスカイダイビングを終えるまで、興奮から逃れられない。
ま、その決死感がたまらないものではあるんですけれど、ちょっと、あります。
興奮が見えなくする部分とか、アラを隠す部分とか、そしてやっぱり・・・なんというか、感覚的に、残酷というか、優しくない。スリリングさは、許容量を限定します。
でも、この高座は違う。
最高潮から、観客の手を離さず、きちんと人の住まう場所まで戻ってきてくれる。そして大地を踏んだことを見届けるなりすぐさまくるりと背を向けて、お礼を言うスキも与えずにハイ、サヨナラ!って感じ。
だから、観終わった後、劇中世界の夢から醒めたってほどの倒錯感がなくて、いわゆるハレがましさがほとんどないんですね。ウン、わかった、って感じで平凡な顔して席を立てる。

でもその後、キます!!当たり前だ、最高地点が本物の高さだったんだから!
手をとって下ろしてもらったから、落差にその場では気付かなかったかもしれないけど、たしかにすっごい高い場所での景色を見た事実は事実で、あとから「・・・あれ?あの体験、すごくなかった?」が後からジワジワジワと。
「え?」「あれっ!?」てなもんで、時間差攻撃です。
興奮の助けを借りなくてもちっとも価値の減らない「本物の凄み」をこっそり置いてってくれた。それも理屈らしい「理性」じゃなくて、「本能」って場所に。そんな感じ。
この「こっそり」感が、照れなのか、なんなのか(笑)奥ゆかしいのか!?

それにしても、観客の興奮が、その場でよりむしろ後になって大きなスケールを持つときに、演者である人はもうそこには居ないわけで・・・絶賛も、歓声も、その場では正当に受け取ってませんよね、きっと。
落語家さんという仕事を選ぶ人なら、絶対そういうことに対するストレートな欲望とかあると思うのに。
でもあえて、なのか、たまたま損な芸風というだけ、なのかはわかりませんけれど、それができる芸人って、なんかスケールというか、品というか、やっぱり、「格」というのを感じるなぁ。と感じました。

正蔵さんの語り口は、なんというか、モッタリと牧歌的な印象なんだけれども、口から言葉が出てくる端からそれが全部事実になっていくような不思議なくらいのリアリティ、説得力がありました。
舞台をどんなに楽しんでいても、ふっと気が逸れる――劇場空間の夢から覚めてものを考えちゃう一瞬っていうのがどうしても避けられなかったりするんですが、いや、それがなかったですね。
中村仲蔵の物語に全身で浸かった感がある!
禅じゃないけど、無の境地。与えられるものだけ受け取って、純粋にそれだけになれた!

その感覚を与えてくれたのが、落語っていう芸だってこと、驚きです。
だって言葉だけですよ!+表情と、座布団の範囲でだけの動作。
衣装もなければ、女の役といったって見た目爺さんだし(そりゃそうだ)、声音だって、決して女の声じゃないのに、嘘なんてひとっつもなかった。
心根が本当にあったかくて、亭主を心底尊敬して、信じてる、愛してる、賢くて立派な・・・でもきっと亭主のいないところでは悔しくて泣いたであろう、いい女房が、居た。
不安定な瑞々しさと登り龍みたいな勢いのある、御曹司じゃない叩き上げの、悲哀とハングリー精神を腹にかかえた才能ある役者が、居た。
土砂降りのなか、濡れ鼠になって蕎麦屋に飛び込んできた男の、その清冽な、肉体感!

いやーーーー!!名演って、これかーーーー!!!!
いやーーーーー!!落語って、これかーーーーー!!!!!

これはもう、本物の高座、観たい!!
正蔵さんがいらっしゃるなら私的には絶対外せないお一人ですけれど、もう、お亡くなりだものなぁ・・・

なんていうか、この機会、シネマ落語。
正蔵さんは亡くなる時にその芸ごとあの世にもっていってしまった、それはどんなに音源が残ろうが、映像が残ろうが、究極の意味では事実に違いないんだろうけれど、それでも残してくれたものが与えてくれる喜びとか、興奮とかが、こんなに、大きい。
「資料」という札をつけてどこぞにしまってあったVTRなのだろうと思うのですが、それをちゃんと「娯楽」として提供してくれて、そのことが本当に、このVTRに命を与えたと思うし、私たちにとってありがたいことだと思いました。

きっと、芸を継ぐ人たちにとっても、正蔵さんの芸をこういうかたちであっても知っている人が客席にいて、言いたいことを好き勝手言いまくっていること、腹も立とうが鞭にもなろうと思う。時々、理不尽ではあろうけれど(^^;

團菊じじいならぬ俄正蔵ばばあ(!?)いやせめて正蔵姐さん(懇願!)として、どこかのどなたかの高座を聴きに行きたいです。
どなたがいいのかなぁ?

【公演データ】
公演名:安全地帯 完全復活コンサートツアー2010 Special at 日本武道館
〜Starts&Hits〜 「またね・・・。」
会場:日本武道館/2階南L列47番
観劇日:2010年10月5日(火)19:00開演

【主な出演】(敬称略)
安全地帯

初めての体験、安全地帯コンサートに行ってきました。
いや、圧倒的!この言葉が一番しっくりくる!
玉置さんの魅力って、一言でいうなら「オーディエンスに恋をさせる」ようなものなんだと思います。
武道館の空間で、興奮と大音量と圧倒的なカッコよさ!が体を内側から揺さぶって、うっすらと恋愛に似た感情を起こさせるんですね。
そうなっちゃうともう何をやっても、どんな些細なことでも、いわば「気になるオトコの一挙手一投足」はひとつひとつがクリアに見えるし、本来の意味でのカッコよさはもちろんのこと、ちょっとした油断とか、表情とか笑顔とか、全部バキューン!ってくるんです。
御年52歳と途中のトークで仰いましたが、ウワ、むしろ増量中〜!な色気です。

楽曲の趣向として、途中、客席から一人の女性(おそらく選ばれたファンの一人?じゃないかと思うんですが)が舞台前に据えられた台に乗って、丁度ステージの高さに上半身が出ている状態で待っている、っていうのがあって。
そこへ玉置さんが近づき、女性の前にかがみこむようにして、歌う。
女性が最初は怖気づくように、おずおずと手を伸ばすのを、玉置さんがガッと抱かかえるようにして・・・女性も、もう外聞もなく強く抱きつくのを、その耳元で歌うんですね。
その一連の動きとか、あー、ファンにとって玉置浩二って、カリスマなんだなぁ・・・って感じたりしました。

「あんまりごちゃごちゃ言わず、歌だけ歌いましょう」という玉置さんの言葉通り、たっぷりどっさり、聴かせて頂きました。
ハードな、ライジングとか激しく伴って歌う曲も素敵なら、安全地帯メンバー5人が舞台前方に据えられた椅子に座って演奏する、アコースティックテイストで聴かせる歌も、歌詞がすごくよく聞こえて沁みましたねぇ。
なにより、その奔放な、即興的な「ずらし」というか「アソビ」というか、メロディーに歌詞をのせるセンスっていうのが、すごい・・・音楽的なんだけどため息のような、つぶやきのようなリアルな言葉に聞こえて。
もちろんメロディラインもすごい素敵なんですけど。

先日、自殺をしてしまった韓国のパク・ヨンハさんとは親交があったそうで、この後決まっている韓国でのコンサートで再会できるのを楽しみにしていたのに、52にもなる死にぞこないが生きていて、あんないい青年が召されるなんて無常な感じがします、と語っていました。
「我々もいつか、いきます。今日も、彼、そのあたりに来ているんじゃないかと思うんですよ。パク君、またな」
死がすべての終わりじゃないことが当たり前のような顔をして、武道館の空間に視線を向けて、歌いだす・・・
感情を表現するすべは人それぞれだけれど、この人は、歌、を持っているんだなぁ・・・とつくづく感じました。

しかし、安全地帯の歌・・・その感情の繊細なこと。
自分の心に不感性を気取り始める前の、うっすら哀しくて懐かしい、景色がさぁーっと浮かび上がる。
感情があふれて、でも両手で受け止め切れなくて、指の間からどんどんこぼれていくのを見ているしかない、まるでリアルな記憶みたいな景色とか、見える。
叫んでもどんなふうに足掻いても、体の中から取り出せない感情をどうにか引きずり出したいと懸命になるあの感じ、普段はもう忘れちゃってたなぁって感覚がよみがえったり・・・
最後とか、煽られて会場中が歌っちゃいましたもの。
私の席なんて二階席の奥で、必ずしも熱烈なファンばかりではない場所だったと思うのに、なんかこぶしを上げて歌っちゃった。

アンコールのラスト数小節、まるでオーディエンスに――その心に一歩でも近づきたいとでもいうようにマイクから離れて客席に向かって生の歌声を届けてくれました。
2階席の後方まで、はっきり届いた、玉置さんの、生の声。

終わった後の大興奮はちょっと忘れ難い!
入り口から吐き出される人、人、人が生気に溢れた目をしてて、口々に「めちゃくちゃカッコイイ〜〜〜!!」を繰り返してましたもの。

安全地帯、第一級にカッコイイ!カリスマバンド、なのでした。

【公演データ】
公演名:『東京タワー おかんと僕と、ときどき、オトン』
会場:銀河劇場
観劇日:2007年7月11日(水)19:00公演

【主な配役】(敬称略)
ボク:萩原聖人
オカン:加賀まりこ
彼女:石田ひかり
オトン:林隆三 他

演出:G2
脚本:蓬莱竜太

萩原聖人さんの「ボク」を一言で表すなら「善良」に尽きる、って思います。
本当に優しすぎるくらい優しくて、鈍感で、でも繊細で、小心で・・・本人ですらはっきりと自覚しているか分からないほどのあいまいさで、自分の殻に閉じこもっているような臆病さも、あって。

「彼女」や同居人の「マドロス」への示す情の深さは決して偽りではないんです、それも彼の真実であると同時に、同じ体の中に排他的なものをも住まわせている感じがするんです。
あんなに仲のいい「彼女」でさえも、そこには決して踏み込めないし、踏み込ませない。
踏み込ませないのは、ある種の思いやり、愛情と言い換えられるかもしれないようなもので、そういう繊細な優しさを持っている人なのだけれど、それが相手に深い孤独を感じさせることになるのだと、そこまで思い到ることの出来ない鈍感さもまた、あったり。

全てをひっくるめて「ボク」の器は小さくて、怒りも悔しさも悲しさも愛情も何もかも、感情は常に切なく苦しくあふれ出しているんですよね。
そして、自分からあふれ出した感情を必死にかき集めて笑って誤魔化そうとしている男が、唯一・・・なんだろうなぁ、オカンの存在、なんていったらいいんだろうなぁ。
「素直」なんていう小奇麗な感情じゃなくて、立派なものでもなくって、「護ってほしい」「護ってくれる」「護ってやりたい」――自分本位の甘えも含めて、相手本位の見栄や無理やヤセガマンも含めて、相手に対峙したそのときは、背筋をしゃんと伸ばさせてくれる存在といったらいいのかな。
人は護られることで強くなれるし、護ることで強くなれる。
「ボク」にとって最も強く、もっとも弱い存在の「オカン」、また「オカン」にとってもっとも強きもの、弱きものとしての「ボク」は、愛しているなどというより深い因縁みたいな、親子というのはまこと奇跡のようなものだと思わされました。

「オカン」も「ボク」も、決して他と比較して優れているだとか、特別だなんてことはないんですよね。
この物語だって、どこにでも転がっている道端の石ころみたいなもの。
でもその尊さというものは、伝わる哀しさと幸せの生々しい感覚というものは「本物」で、どんなによく出来た「嘘」であっても太刀打ちできるものではないよなぁと思います。

オカンの死に小さく丸まって泣く「ボク」の姿は、もう芝居とか演技とか云々じゃなかったですねぇ。
母親が死んで、何にも出来なかったしてやれなかったと、無力感と後悔に泣く息子の姿を目の当たりにしたらね。
自分の優しさや、自分が生きている価値を一片も思い出すことが出来ずに、小さな後悔や些細な我侭や、そういうものばかりでいっぱいになって怖くて悔しくて泣いているその姿を見たらね。
(傍らにそんな人がいたら、一緒に泣いてやるしかないだろう)
その表情、オカンの遺体を直視しかかってできない目線のあまりの生々しさ。正直、ここが劇場であることを忘れさせられました。
そういう「ボク」@萩原聖人さんでした。

萩原聖人さんの「ボク」はとにかく優しい。
その優しさこそがあの舞台の上で生きていた萩原版「ボク」の個性なのだけれども、もう一段階、陽と陰のメリハリが効いていたら舞台の陰影が深かったかなぁ、などとも思いました。
失わないと分かっているものに対して振りかざす残酷さとか、日常の瑣末や状況のなかで「オカン」を心底うっとうしく思う身勝手さとか、未成熟な人間が、その狭い心の中で処理しきれない我侭さって、その瞬間の真実として間違いなくある。
そういうものを、萩原さんはつねに「自己嫌悪」と抱き合わせのものとして表現していて、負の感情さえもが客席に不快を与えない優しい、優しい「ボク」でした。
でも、親子の間って、そんなにほのぼのしてるかな?もっと剥き出しの感情で傷つけあう残酷さとかあるよな、とも思うのです。
「負の感情」と「後悔」を抱き合わせじゃなくて、別個のものとして上と下に置いたなら、ドラマはきっと、もっと深かった。メッセージ性も強かった。

でも、それをしたなら、あの劇全体に流れていたのどかな気配はわずかにであっても失われただろうし、家族っていうのはそういう一個一個のリクツだけで動いているわけじゃないというのも事実でしょう。
役者さんの演技としても、演出や脚本も、そこをあえて突っ込んでいないようでした。
この舞台は、そういう剥き出しの残酷さを避けたのかもしれません。
この舞台を作る人たちが表現したかったのは、劇的で生々しい「ドラマ」じゃなくて・・・なんというか・・・極論すれば『メルヘン』だったんだな、って感じがします。
母と息子、父の紡ぐ、童話みたいなあたたかいもの。

「ボク」はオカンの遺書にあった言葉通り『本当に優しい子』だったし、だからこそオカンは本当に幸せで、客席に流れた涙も血の色の混じった苦しいものじゃなくて、はらはらとあったかくて。
何が、というのじゃなしに、全体があたたかい気配をもった舞台だったんです。

加賀まりこさんのオカン、「母」と「自分」と「女」が柔らかくしなやかに溶け合っていて、優しさ、愚かさに溢れた一個の人生がはっきり見えました。

特に、東京に出てきた時、駅のホームに降り立ち、ボクをみつけて手をふるその姿、なんのこともないただそれだけの姿に、それを眼にしたこちらにもうリクツを超えた愛しさと理由の分からない涙が出そうな感情をあふれ出させてくれたところ。
そのあと、東京のボクの家に着いて、晴れやかな明るさの内側から本心が割って出てきたような一瞬、涙が瞳の表面に一瞬にして湧くようになって、顔がわずかに歪んで、台詞の言葉がでてくるあの場面。
観ているこちらがもうはっとしました。
オカンの辛さとか、今までの頑張りとか、後悔とか喜びとか、もう、全部、全部見えて。
胸を突かれるとはこういうことか、と思うほどにズキィンときました。

加賀まりこさん、イメージ的にはどちらかというと華やかで、舞台の配役を見たときも「加賀まりこさんがオカン?」と一瞬戸惑うような気がしたものですけれど、やっぱり素晴らしい女優さんで、本当にお見事な舞台でした。
でも、炭鉱踊り。ちょっと照れがはいったのか、妙に綺麗に踊ってらっしゃいましたね(^皿^♪

オトン@林隆三さん。
なんともいえない色気があって、凄く説得力のあるオトンでした。
病院の待合室で並んだボクとオトンが、顔立ちと言うのじゃなくなんとも言えずにそっくりで、血のつながりの分かちがたさを感じさせる、偽りのない父子に見えました。

あと、特筆したいのは脚本や舞台演出の面白さ!
現在のボクを語り部に使って、過去を回想しながらストーリーを綴っていくのですけれどもね。
コミカルに軽やかに進んでいくテンポがかろやかで、ネタモノ&小細工がいちいち面白いの(^皿^♪
二幕の、ボクが飼うウサギ「ぶどう」役の俳優さん(=着ぐるみウサギ)の、飄々と体温低そうなネタっぷりが最強!最高!大爆笑!!

あと、ゴミタメ状態の「ボク」の家にオカンがやってきたところで終わった一幕と二幕の間の幕間休憩中に、幕を下ろさず、無言のスタッフさんが黙々と部屋を片付けていくんです。
見る見る綺麗になって、掃除も行き届いた風景に(そっか、オカンが来たから部屋が綺麗になるんだ)って設定が分かりやすくて、妙に面白かったですねぇ(^^)

舞台が舞台ゆえの魅力を生んだ演出&脚本だったし、役者さんの演技だったなって思います。
と同時に、映画が描いた世界は別のものだという感じがしたし、本の中に描かれた世界はまた別のものだという感じがしました。
映画も、ご本も、ぜひ楽しんでみたいと感じました。

【公演データ】
公演名:新橋演舞場八月公演
Inouekabuki Shochiku-mix 『阿修羅城の瞳 BLOOD GETS IN YOUR EYES』
会場:新橋演舞場
観劇日:DVD鑑賞 2003年8月8日〜8月30日

【主な配役】(敬称略)

病葉出門:市川染五郎
闇のつばき:天海祐希
美惨:夏木マリ
安倍邪空:伊原剛志
四世鶴屋南北:小市慢太郎
十三代目安倍晴明:近藤芳正
桜姫:高田聖子
祓刀斎:橋本じゅん
呼鉄:右近健一
火縁:山本カナコ
水誼:保坂エマ
樹真:黒石えりか
谷地:山田麻衣子  他

こんなに、こんなに生命いっぱいの舞台というものが存在するのだなぁ!

この舞台は、観客を楽しませるために、役者がその存在価値をめいいっぱいに生きるために、舞台に携わる誰をもが・・・自分自身が「生きる」ために作った、という感じがしました。
それを、客席の横っ面を張り飛ばすかのように強烈にたたきつけてくるようで。

何でそこまでするのかな?なんでそこまでできるかなぁ。
なんかね、迫力とか、娯楽とか、興奮とか、そういうの乗り越えて、強烈に尊いというか、凄いというか・・・あるんだな、こんな舞台。って、そう思いました。
楽しいからというだけじゃなくて、飢えたものが欲するように一気に観てしまいました。
劇場に足を運ぶ人間が、得たくて欲しくてたまらないもの、それを与えてくれる舞台だったって感じています。
劇場空間に居られたならば、どれほど幸せだったかなぁ!
きっと、劇場空間にうっすらと麻薬の煙がながれるような気配がしたに違いないって、そう思います。

【病葉出門@市川染五郎丈】

市川染五郎丈演じる病葉出門(わくらばいずも)、素晴らしく綺麗。なんと美しいことか!
その感覚は、眼を楽しませるというよりなお強く・・・あのね、たぶん、染五郎丈は恋をさせているんだと思います。
劇場空間の中で、女という女、人間という人間を「病葉出門」に惚れさせているんだって。
まったく、そうとしか思えないんですよ。
惚れた男にでもなければ、あれほどまでに、わずかな表情のひとつひとつからその心を汲み取りたい気持ちにはならないだろうし、痛いほど切ない思い、その悲しみに体ごと共鳴することなんてありえない。
もう好きで好きで、愛しくて愛しくて、いつまでも見ていたい。
その姿を目にすることそのものが、満足感と同義語なんです。
悔しいぐらいに好き、本当に、本当にカッコいい!
3時間あまりの非日常、ここまで惚れさせてもらえれば、観客冥利に尽きるってもんだ!

役者の価値って色々あるけれど、俳優一個人の花の時代に、こういう魅力で観客を虜にし、一点の偽りもない熱い視線を存分に浴びることってすごい体験だと思う。
きっと、観客のその視線が、年を重ねる染五郎丈のさらなる色気を引き出すのだろうなぁ。

染五郎丈の、じゃなくて、病葉出門の・・・あっ!いまこう言い換えて、気付きました。私、染五郎丈と病葉出門をまったく分けてない。
染五郎丈が出門で、病葉出門が染五郎丈なんですよ。はまり役って言葉さえも少し違和感を感じるほど、お役とご本人が繋がっているイメージがありますねぇ。

っと!わき道に逸れました(^^;
それで、話を戻して病葉出門の魅力・・・いやぁ、細かく語ればすごいことになりますよね?
舞台をご覧になった方なら今、首が千切れるほど頷いてくれていると思うのですけれども(笑)

何がいいって、その繊細な色気が、一切の雑味を持っていないってことじゃないかなぁ。
甘みではあるのだけれど、舌先に後味を残さないというかね、味そのものはすっと消えて、甘いという記憶だけが尾を引くほどのさりげなさなんです。
すっごい上質の甘みってそうですよね、頂き物でしか食べられないようなショコラだとか、繊細な和三盆だとか、そんな感じ。本質の粋を極めたような、純化された自然さなんです。
かといって、無自覚すぎる粗野な無防備感もない。
姿の一つ一つに程よい端正さが常にあって、なんとも言えずスタイリッシュなんですよねぇ。
魅せる、ってことを本当によく知っているのだなぁと感じます。

テンションの上がった台詞の最高潮が、カン高い独特の節回しで歌うような調子になるところなんか凄く気持ちいい。
こう、声色の真似をしてみたくなるような面白さです。

黒紋付の着流しには濡れたような光沢があり、動作にしたがって、体のラインに沿って光が溜まるようになる。ごくさりげなく、これがなんとも心憎いのですよねぇ!
裾の裏地は紫。これが、剣戟や駆け出した時なんかにぱっと翻ると白い足に紫が映えて、なんともいい絵。
髪の色は、黒に緑をかけているのかな。黒髪が光に透けると色のニュアンスを生むほどのうっすらとしたものですけれど、この鬘の色が凄く綺麗で!
とくに安倍邪空に羽交い絞めにされて上下に並んだときなど、邪空の艶なしの黒蓬髪と出門の緑なす黒髪の対比が効いていて、ライトの光の中で象徴的な絵のようになっていたのが印象に残りました。

いのうえ歌舞伎は、とにかく「絵」に拘るのだなぁ!
役者のカッコよさを最大限に引き出すことに、情熱をかけているのが感じられる。
動きであり、衣装であり、背景であり舞台装置であり、そしてお役そのものにも瑞々しい演じ甲斐を与えてあげている。
役者はやりがいがあるだろうなぁって思いますねぇ!

市川染五郎を語るには、絶対はずせない舞台であり、お役ではないかなと思います。

―闇のつばき@天海祐希さん、安倍邪空@伊原剛志さん・・・魅力的なキャラはまだまだどっさり!!その2へ続く!―

初めての方は―その1―からお読み下さい
http://blogs.yahoo.co.jp/hana_yukiyanagi/45720800.html

《確実なハッピーエンドが見えなくても》

愛に破れ、芸は軽薄な時流に押し流されて受け入れられず、屈辱のうちに仲間たちとも決別した阿国。

「あの」阿国がこの世の仕打ちに怯えて身を縮めるその姿は、哀れとか、可哀想とか、そんな言葉じゃ言い表せないぐらい強烈に悲しくて、残酷なぐらいにリアルで・・・悔しいし、悲しいし、理不尽じゃないかと思うけれど、その命運は苦々しい諦めとともに頷かずにおれない。
その衰退は、建前抜きに、ものすごく「まっとう」なのだもの。

彼女を追い落とした人たちを憎めないのです。
日和見だとか、卑怯だとか、恩知らずだとか、罵りの言葉はいくら思いついても、こぶしを振り上げることは出来ない。
あまりに懸命に、悲しい苦しい犠牲も払い、強さをもってのし上がっていくその姿を「悪役」とは括れない。
その砂の楼閣を、今、笑うことはできない。

打つ手打つ手が裏目に出る、もはや若くもない、阿国は、敗者だ―――
この追いつめられ方、強烈に残酷でした。何をどう打開できるのか、ひとつの可能性も見出せないんです。
お芝居用の「自分がもう一度ヤル気を出せば云々」の甘い状況じゃ全然ない。
もはや本当に八方塞がりだってことが痛いほど感じられて、阿国がこれからどうするのか、まったく想像をシャットアウトされてしまいました。
芝居だって思っていたなら、ひとつやふたつ(こうくるかな〜?)の可能性も見出せたかもしれないけれど、観劇中は完全にのめり込んでいたんだなぁ。そんな余裕もまったくなく、阿国と一緒にただ小さくまるまって震えているばかりでした。

しかし阿国は不死鳥の如く立ち上がります。
なんていうかね・・・未来へ向かって駆け出した阿国の前に、再びの過去の栄光が待っているのか、そのことに確信は持てませんでした。
未来に、単純な意味でのハッピーエンドが控えているのだと無邪気に信じられる要素は何にもなかった。
ただ、そのときすっごく強く感じたんです。
「阿国は大丈夫!」って。
無条件で安心して、見ている私の胸に、霧が晴れて光がさしたような明るさが戻ってきたんです。
その安心感は「阿国は阿国、変わらない」っていう、確信みたいなものでした。
彼女は、変らない。
時代は変わって、世相は変わって、だから未来に、熱狂的に受け入れられた過去の栄光を再び手にすることがあるのかどうかは分からない。
けれど、阿国は阿国だ。
神は、神を崇める衆生などいなくても神として存在するのだ、そのことにいささかも価値を傷つけられるものではない。
猪熊少将に愛し敬われた阿国が、そのままの存在を保ちつ続ける、そう信じられること以上に、この世に確かな価値があることなんてあるだろうか。

阿国のラストは、キッパリした白黒のつかないあいまいなものでした。
全速力で駆け込んでいく道がハッピーエンドに繋がっているのかはわからない。
単純な意味で言えば中途半端、なのにねぇ、この充実感はどうだろう!満足感はなんだろう。

なんとなく感じました。
木の実ナナさんは、一人の女のある一時期を演じたにすぎないのだけれど、こちらには「阿国」その人が見えていたんです。
舞台に乗っている以前にも阿国は生きていたし、以後にも生きている。
その余白を全部埋めて、400年続く歌舞伎の祖と言われるスケールのでっかい女の存在がでーんっと芯に座っていたからこその充実感ではなかったかって。

再演が繰り返されていると聞きますが、さもありなん!
これは間違いなく名作ミュージカルだと思います(^▽^)

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