文花座

歌舞伎、宝塚歌劇団、劇団四季・・・大好きな舞台の感想をつらつらと♪

その他舞台Review

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【公演データ】
公演名:Bugs Under Groove(=バグズ・アンダー・グルーブ)
『グレイゾーン〜ぎりぎりの男たち』
会場:銀座博品館劇場
観劇日:2006年7月17日(千秋楽)

【出演】(敬称略)
TETSU
TAKA
TETSUYA
MASASHI
IYO−P
SHIO

『Bugs Under Groove(=バグズ・アンダー・グルーブ)』公式HPはこちら!↓
http://www.bugs-under-groove.com/index.html

《新体感!初Bugs!》

・・・・・・・・
あっ、失礼いたしました。
今、Bugs Under Grooveの舞台を表現する言葉を探してるんですけれども・・・・

動体視力の限界!
客電オフの暗闇が守ってくれてないと、レディーの尊厳総崩れの大爆笑&大崩壊!
すみませんっ、この中にお医者さんはいらっしゃいませんか!?

そのココロは!

人体にはりめぐらされた筋肉すべての名称をあげつらわなければ、あのダンスの分析は不可能でしょう!

ああもう!なんてへタレな表現だっ(T^T)もういい!!

観劇後の感慨は「こんなものが存在していたんだ!」って新鮮な驚き。
日常の中には確実に存在しない。
舞台が好きでよく観ているといったって、私はこういうものが存在することを知らなかった。
たぶん、ダンスが好きな人でもなければ意識のアンテナが届かない公演だと思います。
私もBugs Under Grooveの存在自体知らなかったもの(^^>

でも、もし、もし・・・自分の中の安定をかき乱してみたいと思っている人がいるならば、本気でお勧め。
なんていうか、生きることが「根付いてしまった」人にこそお勧め。
お芝居の感動が精神を浄化するというのなら、この舞台は澱んだ空気を引っ掻き回して霧散させちゃうような、そしてリセットができるような、そんな感じ。
とにかく、お勧め!友達にも、先輩にも、父や母の世代にだってお勧め!

《Bugsの芝居》

芝居仕立てのストーリーにダンスを組み込んだダンス&アクト物なのですけれども、もうものすごく面白いのです。
繰り出される台詞も動きも意表をつかないものがなくて、ひとつのことに大笑いする自分の笑い声で次のネタ(←ネタ!?)が聞き取れないものだから、笑いも自制しなくちゃいけない。
それぐらい面白い!

激しい乱闘を殺陣仕立てのダンスで表現するのですけれども、本当に「動体視力の限界」並みのスピードで展開されるものだから、女としては不安に駆られるくらいの迫力があります。
そして、その動き・・・この感じを何かに例えるとしたら、サッカーの超一流選手が描くファンタジックな世界という感じでしょうか。
激しい混乱の中に、どこか夢のような、憧れのような、ロマンのような美しさがあるのです。
掛け値なしに、憎らしいほど、カッコいいです(^^)

《Bugsのダンス》

人間だってアニマルなんだから、アニマルとして最強の肉体ってのはやっぱりこの年齢の男性なんだろうって思う。
そんな旬の男性の肉体が、その勢いを殺さずに作り上げるダンスの熱風といったら・・・正直、他の誰もが作る空気の流れとは「スケールが違う」としか言いようがないもので!
体の回りの空気を巻き込んでいくような大きさは、見ているこちらをさらっていくようで、なんとも気持ちを大きくさせますねぇ!

肉体を極めてそれが芸術表現に向かうと、究極の美しさという名の一種グロテスクなものにもなるのでしょうけれども、Bugsのダンスには「生身の男」の体温と色気がきっちりと息づいていて。
男の色気が薫るシュチュエーションっていろいろありますでしょ、たぶん男は気付いてもいないポイントなんですけど、女性の目から見るとマニアックなツボ♪ってとこが(笑)
そういうのが、肉体のきしみの中にあぶりだされてくる。そういうダンス。

私の単純なツボなんですけれども、TETSUYAさんの存在感がとても好きでした。
作りこんだ感じがしない、のびやかな大らかさがあって気持ちがよかった!

そして、もうひとつ感じたこと。
ダンスそのものはとても現代的で、スタイリッシュです。けれどもね、なんというか、なんともいえない「品」を感じるんです。
若者が「自分そのもの!」を発散するだけの一人よがりな風がないというか・・・ダンスは自己表現であると同時に、エンターティメントとして提供するもの、という感覚のある人たちなのだと思う。
ちょっとレビューチックなダンディズムが漂ったり、かと思えばヤンチャな大暴れもあったり、個があれば群もある。ダンスの表情が多彩なのですね。
それがまた、ココロニクイくらい面白かったです(^▽^)

【公演データ】
公演名:新春名作狂言の会
『解説 茂山千三郎×野村萬斎』
会場:新宿文化センター 大ホール
観劇日:2006年1月13日

【出演】(敬称略)
茂山千三郎
野村萬斎

《ファン垂涎の『トーク漫才(!?)』》

興味はあったものの、まったく門外漢だった狂言。
けれど年末に野村萬斎さんの著書『萬斎でござる』を読み、私の触手(←なんの動物!?)がするするする〜っと伸びました。
このご本に詰まっているのは、狂言の何たるか、そしてその芸について。
野村萬斎さんの求める場所を私も見たいと、いても立ってもいられなくなるほどの力強さで!
「狂言」についてというだけじゃないです、「生きるべき場所で生きる人生」について、また「伝統」というものがなんなのか、事実を語る言外に教えてもらいました。
深い。本当に面白い!しかも読みやすいっ!!
興味の如何に関わらず、一読しておいて絶対にソンはないと思います。
オススメです!!↓

※『萬斎でござる』野村萬斎/著
YahooブックスURL→ http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30893306

閑話休題。
読了の端から、今年の狙いどころがきまりました。
「2006年は狂言デビューやな!」
さっそくパソコンを駆使して公演チェック、チケットゲット!(チケットをお譲り頂きましたI様、本当にありがとうございますっm(__)m)

I様がチケットに添えてくださいましたお手紙に、こんな一文がありました。

『千三郎さんと萬斎さんのまったりしたトーク漫才も楽しいです』

読んだ瞬間思ったこと→「おそらくこの二人はこのトークを漫才だとは思っていないに違いない!!」
たぶん普通のトークのつもりなのだ、少なくともお二人は。公演スケジュールにも『解説』としか書いてないし。
それがファンには『トーク漫才』と認識されている・・・漫才どすか(ニヤリ)
というワケで、狂言の舞台はもちろん、妙な期待を胸に抱いてやってきました東京新宿文化センター。

舞台上にしつらえられた能舞台。
舞台中央に長方形の檜舞台、奥に老松が描かれているのが定石だと思うけれど今回は金屏風が立っています。
下手側には橋がかり。その前には3本の松、後ろには2つの石(これも決まりごとなのかな?)舞台の上空には注連縄。
幕は初めからはねていて、剥きだしの舞台がいまは音もなく静まっています。
今にも荘厳な儀式でも執り行われそうな・・・イメージとしてはね、そこにいるものは今なにもないけれど、こう・・・躍動感の澱というかね、命あるものがそこにいた、いや、神様みたいな存在がそこにいた、その名残の雰囲気みたいなのがわだかまっていてね。
不思議で新鮮で、子供のようにワクワクしてしまいました。

と、そこへ、前触れもなんにもなくふいにスウーッと紋付袴姿の男性が進み出てきました。
茂山千三郎さんのご登場です(^^)

《京都のお正月》

千三郎:「皆様、あけましておめでとうございます。
新春名作狂言の会、すでに毎年の恒例ですね、第9回目でございます。
本日は『すおうおとし』・・・っじゃなかった『末広かり』!「す」が同じなものですからねっ(←照れ笑い&イイワケ(笑))と『業平餅』、新春のおめでたい演目をお楽しみいただきます。

解説は、いつもの通りまず私がお話して、途中で野村萬斎くんを呼んで、私が先に次の演目のために失礼して、あとは萬斎くんにお話してもらう、という形でいきます。

我らにとってお正月といいますとね、奉納です。
(京都の有名な社寺をいくつか並べて)などね、いろいろな場所で奉納をさせていただく。
私どもにとって、新年明けても暫くは師走だよなぁなんてね、師も走る忙しさってわけで。
私は、八幡様で『翁』の三番叟をさせていただきました。

京都のお正月なんですけれどもね、ちょっと変わっているのが、年の末、八幡様で竹の繊維で編んだ縄みたいなもの―――これが香りのいいものなんですけれども、それに火をつけて頂いて、こうやって(と手にもったものをぐるぐるまわす仕草をしながら)家まで持って帰るんです。
それをなににするかというと、翌朝、新年のお雑煮を炊くのかまどの火にするんですね。
京都って面白いんですよ、その日は、火のついた縄を振り回したまんま、タクシーでも電車でも何でも乗れる(笑)
電車の車内なんかミョ―にきな臭い感じでね。
で、家に戻ったら、その日を蝋燭かなんかに移して、翌朝までとっておくわけです。
でも、ほら今、うちなんかも電気コンロなわけですよ。この火ィ使うといっても、どうしたものかなァって訳で。
電気コンロで温めたお雑煮の鍋を、蝋燭の火の上をさっと通らせて「・・・これでいいか」ぐらいで誤魔化したりします(笑)

私は地元のラジオでパーソナリティーを務めているんですけれども、それが日曜日(だったかな?)の朝9:00からの放送なんです。
で、今年の新年元旦、丁度日曜日にぶつかったわけでして、元旦から仕事になった。
9時に生放送開始でしょ、その前にラジオ局入りして・・・と考えて逆算すると、家で雑煮を祝うのがどう考えても5時とかになるわけです。雑煮を祝うのも1時間ぐらいはかかりますから。
子供たちに「どうする」と聞くと、皆声を揃えて「嫌だ」って(笑)
で、どうしようもないので、年が明けてすぐ、それやっちゃうことにしたんです。
深夜の2時くらいに。
京都の雑煮って、○○いも(←すいません失念(^^;)が入っているのが定番なんです。こんな(※両手の人差し指と親指で円を作って)でかいやつ。それがお雑煮の大半を占めてデーンと入ってる。
で、これがまずい!!
縁起物なんで仕方ないんですけれどもね、頑張って食べても食べてもなくならない!それどころか汁を吸ってふやけてさらにでかくなっていくわけです。
何かの罰ゲームかと思いますねぇ(笑)
で、そうやって雑煮を食べて、そうなったら餅も食べたいよねっていくつか食べて、お屠蘇もまぁ少し飲んで、さぁ寝ようってなった訳ですけど、そんなに食って寝られるわけない(笑)

京都の正月も、多少簡略化されてね、そんなになったんだなぁ〜なんて思いますけど。
あっうちだけ!?かも知れませんけれどもね(笑)

そのあと奉納を行ったんですけれども、これがもうどえらく寒い日に当たった!
例年にない寒さだっていうソコに狙い済ましたかのように当たりましてね、今日の舞台にも出る○○さん(←御免なさいっお名前失念!)なんか、後見を務めてくれてたんですが・・・「新年らしくきりりと厳しいお顔をなさってた」なんて褒めていただきましたけど、アレ違います。凍死寸前だっただけ(笑)」

《演目紹介『末広かり(=すえひろがり)』について》

「本日ご覧頂く『すおうおとし』・・・あっ違う『末広かり』!
あれぇ、なんで今日は『すおうおとし』になっちゃうんだろ?
(と激しく自問自答(笑)→で、気を取り直して)

『末広かり』の登場人物に「果報者(=かほうもの)」というのがおります。果報者、つまり大金持ちってことです。
登場しての自己紹介は「(声を作って)このあたりに住まう大果報のものにござる」、まぁいわば「俺は大金持ちだ〜」と名乗るわけです(苦笑)
演目によっては「遠国に隠れなき大大名でござる」、これは「俺は遠い国でも噂されてる、超有名人だ〜」と、ね。
また「拙者、ご存知の者でござる」・・・って言われてもお前なんか知らねぇよ(笑)。
名乗りからして、ゴーマンというか大らかというか(笑)狂言に出てくるお大尽ってのはそういうものです。」

「劇中の謡の文句で、ひとつ教えてもらったことがあって。
太郎冠者が、自分のミスで怒った主人の機嫌をなおそうと、都で習い覚えてきた囃子物を面白おかしく謡います。
『傘さすなる春日山 これも神の誓ひとて 人が傘をさすなら 我も傘をささうよ〜』って、このなかに「人」ってありますでしょう。
解説本なんかでも全部「人」になっていますけれども、これ、元来は「ひと」じゃなくて「しゅと」であったのだそうです。
「しゅと」っていうのは、○○の舞台(←演目を仰ったのですが、失念(^^;)で、舞台の前方に居並ぶ家来の山伏のこと。
(※ということは「主従」とでも字をあてるのかな?)
だから『舞台の前で目立たぬように控えている家来達までもが傘をさすんなら、私だって傘をさすよ』というような意味になるのだそうです」

《野村萬斎さんのご登場!》

と、このあたりで妙に突然、野村萬斎さんがご登場になりました。
最前の茂山千三郎さんと同様、狂言師というのは不意打ちが好きなのか!?
なんかね、歩いている姿だけでも不思議な感じのする方で、姿勢がものすごく良いということなのだと思いますが、肩が滑らかに落ちていて重心が低い。体に曲線が感じられない、立雛みたいな感じ(笑)
すうっと登場すると、また声の感じも「不思議〜」な劇的さで茂山さんにご挨拶。
そして舞台に直にお座りになりました。

そうなの、トークといっても椅子があるわけでもなく、お二人は舞台に直に正座なさっていたのです。
能舞台には余計なものを置いてはいけないのかな?とか思ったり、またこういうところがショー化されていないのが大変新鮮でもありました。

――千三郎&萬斎の『トーク漫才』はこれから(^^♪その2へ続く―――

【公演データ】
公演名:九月新派公演『初代水谷八重子 生誕百年記念 九月新派公演 京舞』
観劇日:2005年9月24日 昼の部

【主な配役】(敬称略)
片山春子(=三世 井上八千代):水谷八重子
片山愛子(=四世 井上八千代):波乃久里子
片山博道:国広富之
松本佐多:英太郎
杉浦:安井昌二 他

《演技と現実》

演技がどうだった、演出がどうだった・・・と考えても、何も思い浮かばないのです。
心に残っているあの場面を表現しようとしても、理屈めいた分析の余地なんてまったくない。
舞台の上の水谷八重子さんは、現実と演技が完全に溶け合ってしまっていたのです。
言葉や所作、何気ない仕草、そして舞の姿に到るまで、ただの一瞬だって水谷八重子が透けて見えることがありませんでした。
そこにいたのは「片山春子」を演じる水谷八重子さんじゃなくて「片山春子」ご本人。本人がそこに居ることに、作為や技術や、演技うんぬんの理屈をこねるのは筋違いというものでしょう。
お見事っていう言葉の他に、正直何にも思い浮かびません。

《百の舞い》

自由奔放って言葉がぴったりくるような老婆のわがまま。
それに翻弄される周囲の人間。
あの場面の朗らかで明るい面白味といったら、思い出しても顔が緩んでしまいます(^^)

なんといいますか、私はお弟子さんたちの心であのお師匠さんをものすごく愛してしまっていました。
権高でわがまま、口うるさくて閉口しちゃうような「くそばばあ(by松子(笑))」。
けれどその芸は珠玉のもので、芸に一途で、それを受け取ろうとするお弟子たちには本気で向き合ってくれる。とことん、愛してくれる。
居なくなればどれだけ清々するかって毒づきながら、もし居なくなったらという事を考えるだけで怖くなる。
大切な人。理屈や利害じゃなくて、親みたいに大切な人。

周囲がまるで「こわれものの宝石」みたいに老婆を崇める様が、滑稽でもあり、物悲しいまでに温かく、清らかでもあり・・・
最後の舞に向かう姿を目にした時の、喉もとを締め上げられるように突きあがってくる思いは忘れられません。
舞台へ向かう歩みの一歩一歩を、大切な時を逃がすまいとひたすらに凝視していたあの緊張感。
つえを倒し、「お幕!」と叫んだ声のこと。
百歳の老婆が舞う『猩々』の舞―――

悲しくもないのに、涙が出ました。
あまりにありがたくて、あまりに尊くて、畏れ多くて涙がでました。

「珠玉のひと時」というものが存在するならば、あの空気はまさにそれでした。
本当に、この舞台を観ることができた幸せを感じています。

《才能の形》

才能が固い岩の中に潜む宝石だというならば、三世(=水谷八重子さん)は岩を叩き割って宝珠を手にした才気と鋭さを感じさせます。いわゆる「天才」なのでしょう。
対して四代目(=波乃久里子さん)は、いかにも、鈍。
もちろん宝石は同じ場所に入っているのです。
けれどその取り出し方は、まるで原石を川底に沈めて、柔らかい川の水が固い岩を削り、丸め、長い年月の後にようやっとあらわれ出でたかのようでした。
派手さはない、華やかさはない、けれどあるとき日の光が差し込んだ瞬間、人の目を射る宝珠の輝きを示すように。
その鈍さに、三世がもどかしさを堪えきれなかった思いが良く分かります。
そして、その鈍さをどれほど愛したかも。

ラストシーンの『八島』、不器用な人が練磨に練磨を重ねて掘り出した形がものすごく伝わってきました。
踊りの名手を演じるにあたって、踊りが上手なだけではもちろん駄目なのでしょう。
それだけなら意味が無い。吹き替えを使った方がどれほどいいか。
でも、女優の仕事はそれ以上のものでした。
踊りの形がうんぬん、というのではなく、四世の人となりと才能と生きてきた歴史のすべてが伝わってくる!

なんといいますか、あの舞台には嘘がなかったように思うのです。
「京舞の最高峰」という人間を演じるにあたって、その舞い姿を織り込む趣向は最高に効果的。
けれど、それをできる女優さんが居なければ絶対に成立しないものでしょう。
名作を名作たらしめるのは生身の俳優ゆえ、という当たり前のことがものすごく大きな力で思われました。
そして、その「生身の俳優」を育んでいる劇団新派の実力は、本当に最大の賞賛に値するものだと思いました。

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【公演データ】
公演名:一の会 ゆかた浚い
会場:武蔵野公会堂(パープルホール)
観劇日:2005年8月7日 

【主な出演】(敬称略)
会主:西川扇与一
賛助出演:花柳寿太一郎
賛助出演:藤間達也 他

《ゆかた浚いに行ってきました♪》

ゆかた浚いとは、日本舞踊のお師匠様についてお稽古をしているお弟子さん達の発表会(=お浚い会)のこと。
本式のお浚い会はお衣装をつけて白塗化粧&日本髪の鬘・・・とかなり大掛かりなものになりますが、それを簡略化したもののひとつに「ゆかた浚い」があります。
お衣装はシンプルな浴衣。お化粧も素のままで舞台に立つ、勉強会のようなものだとのこと(^^)

今回は日本舞踊西川流・西川扇与一先生主催の『一の会』に行ってきました♪

・・ちなみに、私は日本舞踊を見る目はまったくありません!(断言!)
感想は自分勝手&感覚レベルのお話でして、分かる方がご覧になったらベツモノだと思います(^^>
生意気御免でお許しください!!

《お立会い!三流派揃い踏みの『七福神』♪》

幕開きは、プロの舞踊家さんによる『七福神』。
「他流派のお三方が、それぞれ自分の流派の『七福神』を並んで踊る」という面白い趣向なのですって!ヾ(@^∇^@)ノ
西川流から、西川扇与一先生。
花柳流から、花柳寿太一郎先生。
藤間流から、藤間達也先生。
コレ、「立合」という形式なのだそうです。

流派の違いってなんだろう?同じ曲なのでしょ?
・ ・・・と思っていましたら、見事なくらいに全然違うっΣ(゜□゜*)!!
振りも全然違うのですが、踊りの「雰囲気」が違う!
藤間流は大らかで芝居っぽい面白味がある。
花柳流は端正で流麗。
西川流もきっちりと端正ですが、花柳よりちょっと野太いような・・・飄逸な味があるみたい。
舞踊家さんの個性もあると思うのですけれども、違いが鮮やかで面白かったです(^^)

面白味のある振りや激しい動きもあるのですが、それらが品のよさにくるまれていて暴発しない。
「箱の中に収められたお祝いの彫刻」みたいな、それ自体にはスケールの大きな躍動感があるのだけれど、収まった場所からはみ出さない端正さみたいなものがあるような気がしました。
これがプロの「御祝儀」かぁ!

お三人ともそれぞれに魅力的ですけれど、藤間達也先生の踊りが素敵だったなぁ。
男らしい太い色気があって、手先やちょっとしたところのニュアンスに含みがあって!

《お師匠様&お稽古場の雰囲気》

お弟子さんの踊りを観ていて感じたことは「とても丁寧に踊っていらっしゃるなぁ」ということでした。
踊りの手がきちんきちんとしているのもあるし、迷いのない振りに「お稽古に裏打ちされているのだなぁ〜」ってことがはっきり分かる。
お弟子さんはもちろん素人です。
観るほうの素人(=私)がナマいいますが、踊りそのものに楽しませてもらうことは、大半の方からは出来ないです。
でも、すっごい爽やかで、楽しかった(^^)

お師匠様がどういう稽古をなさっているのか、それをお弟子さんたちがどういう心で受けているのか、なんとなく分かる気がしました。
上に向かっていこうとする意志がひしひしと伝わってくる感じ。
いいお師匠様、いいお稽古場に違いないっ!と思いました。

・・・それにしても、西川先生のところはお弟子さん美人揃いだなぁ〜。女優さんも多いし。
先生のご趣味(!?)なんだろうか。

《お浚い会のイイトコロ》

お浚い会を観に行くと意欲が掻き立てられるというのがいいですね〜。
だって、観ていて早く帰りたくなっちゃった。帰って、自分がお稽古したくなっちゃいました(笑)

それに、同じ立場にいる方たち(・・・といったらカナリおこがましいぞ!!(^^>)を観ていると、お師匠さまのお手本だけを見ているときには気付かなかったことや、具体的なちっちゃいことに気付いたりします。

「目の中で黒目が動くのは、非常に落ち着きがなく見える」(瞬きより気になる)
「振りが合っていても、慌てると間違ったように見える」(逆に落ち着いていれば、かなりハッタリが効くようだ・・・)
「中途半端に照れるのは、かえって生々しい。ある意味、演者が舞台に酔ってみせるのも客席に対する礼儀だな」(でも、酔いすぎればナルシスト(笑))
「視線が下に逃げると暗く見える」
「首を振るとき大事なのは、1,2,3の形じゃなくて1〜2〜3の「〜」のところがいかに豊かにたっぷりしているかだな。」
「音のカウントをとっているとき、無意識に体が動くらしい。気をつけなきゃ」
「肩が落ちているかどうかっていうのは、思っていたより見た目的にものすごく重要だ」

以上、今日の収穫(笑)

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