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雨濯・・・すべてを洗い流す雨
朝からのじめじめとした雨の勢いが時間と共に増したようだ。まさにバケツをひっくり返したような雨、と外の様子をうかがう。
副官はあまり濡れずに司令部へと行けただろうか、と少し気になる。
その時、キッチンで鈍い物音がした。
はっとして物音の方へ走り寄ると、床におちたコーヒーポットの中身がぶちまけられている。
それを呆然と見つめるビッキーがいる。
「なにしてるんだ!」
朝にいれたコーヒーだったが床から湯気が上がっている。
「だって・・・」
飲めなくなってしまったコーヒーにさすがに悪いと思ったのか、口ごもる。
「これは大人の飲むもので、ビッキーは飲んじゃだめだ!」
おおかたロイの飲んでいるものに興味があって悪戯をしてしまったのだろう、と大声で怒鳴る。
「火傷でもしたらどうするんだ!」
ロイの怒っている姿でさすがにビッキーもしゅんとなる。
「・・・・・・ごめんなさぃ・・」
ぺこりと頭をさげる姿にやっとロイも平静をとりもどした。そのうちにビッキーの顔が歪んでくる。
「・・・でもね・・・ロイに・・・ロイに・・・元気に・・・・ヒクッ・・・」
歪んだ顔からぽろぽろと涙が落ちる。目をこすり、しゃくりあげながら必死に訳を説明しようとしている。
「ロイに・・・・げんきに・・・なってほし・・・かった・・・んだよぉ!」
最後は叫びに近かった。
愕然とした。
元気になってほしくてコーヒーを入れようとしたが、ポットが重くてこぼしてしまったというのか。
こんな小さな子供に心配されるほどの様子だったのだろうか。自暴自棄になっていたのは確かだったが、子供に見抜かれるほどとは思っていなかった。ならば副官の目にどんなふうに映ったのだろうか。
なにかしたい、なんとかしたいという思いは副官からも痛いほどに伝わったのに、気付かぬふりをし、拒絶した。
「・・・そうか。・・・元気に・・・なってほしかったんだ・・・」
涙で濡れた顔が勢いよく頷く。
「・・・きっと、すきなもの、飲んだらげんきになる。」
それで重いポットを持ち上げたものの、カップに注ぐのができなかったというわけだ。
ロイがしゃがんですまなそうに笑う。
「ごめん・・・大声だして」
ビッキーにも笑みが戻り、こくんと頷き、同じ目線になったロイに抱きついた。ロイも小さな背中を抱きしめた。
誰かを抱きしめるっていうのは、こんなにも落ち着くものなんだな・・・と不思議な感覚にひたる。
首に巻きついた腕に赤く変色した部分がある。はっとして腕をつかみ、目を凝らして見る。深くはないが火傷している。
「・・・痛いか?」
ビッキーの泣きそうな顔を覗き込むとふるふると首を横に振る。ビッキーを抱き上げ、蛇口を勢いよくひねって流水で冷やした。
「痛くないわけないだろう?冷やさないと。」
「だいじょうぶだよ。すぐなおる。」
そんなわけない、とお構いなしに流水を流し続ける。きょとんとしてしばらく水が流れるのを見ていたビッキーだったが、そのうちロイの腕から抜け出そうともがきだした。
「おとなしくしてなさい!傷になるだろう?」
「ロイ!ロイったら!ね、降ろして!」
あまりにも暴れて手に負えなくて一旦キッチンに降ろした。するとすぐにその場から離れていく。
「ビッキー!どこに行くんだ!」
呼びかけるとぱたぱたと戻ってきてロイの手を取る。
「こっち!!」
嬉しそうに引っ張って外へと続くドアへと向かう。外は物凄い雨だ。
「ビッ・・・ビッキー!!濡れる!」
「いいの!」
さっき叱られてしゅんとしていたのがウソのようだ。実に嬉しそうに外へと飛び出した。
バスルームでシャワーを浴びていると間違いそうになるくらい強い雨だ。地面を叩きつける雨脚は泥を跳ね上げる。
泥だらけになるのを躊躇することなく、両手を天にむけてその場でくるくる回りだした。
「ビッキー!!」
唖然とするロイに気持ちよさそうにかわいく笑いかける。
「気持ちいいよ!!お水で冷やすなら、雨でもいいでしょ!」
それは衛生上どうなのか、と考えるが、それをこの子に説明するのは至難の業だ。
確かに湿度も高いが気温も高い。雨に当たっても寒くない。それどころか、ビッキーの言うとおり、気持ちいいくらいだ。
すでにロイもずぶ濡れだった。ここまで濡れると不思議とどうでもよくなる。
雨の中で嬉しそうに天を向くビッキーがなんともかわいらしい。ロイもふうっ、と一息ついて空を見上げる。するとビッキーもロイに笑いかける。
「それに、楽しいの!!」
天を向くと容赦なく強い雨が降りかかってくる。髪は額に張り付き、まさに外で浴びるシャワーだ。だが心地よい。
こんな気持ちよく雨に打たれるのは子供の頃以来かもしれない。もう服が濡れるのも関係ない。
ビッキーの奇行に付き合ってやるのも悪くない。いや、それどころか、そうしたかった。
雨空を見上げて全身に雨を浴びる。
子供の頃のロイが目の前に現れた。夢も希望もまだなににも見切りをつけてなかった頃の半ズボンのロイだ。
『忘れちまったのかよ!人の役に立つ人間になりたいって、言ってたじゃねーか!』
・・・そうだったな。
そしてまたイシュバール戦直後、ネズミの天辺の先を見据えていた青二才の若いロイが現れた。
『今のまま大切な人を残して戦場で生き残ってやるなんて言ってるお前こそ、立派な死亡フラグ立ってんぞ!』
・・・確かに。こんなやさぐれた気持ちのまま前線に行ったら完全に撃たれるな。
最後に志半ばで倒れた親友が現れてニヤリと笑う。
『ロイ、お前、やり残したこと多すぎ。』
・・・うん。
雨は優しい。
雨は無能になるから嫌いだった。発火布が濡れるからだ。でもそれは今は必要ない。
発火布もない。部下の目もない。立場も、しがらみも、何もない。
天からの恵は己の汚れた部分も洗い流してくれるんじゃないか、と錯覚しそうになる。今雨に打たれているのはただの30男だ。
こんな雨の中じゃしょぼくれた男が泣いてたって誰にもわかりゃあしない。
「たのしい?」
ビッキーが雨脚に負けないように大声で聞いてくる。
「ああ!すごく!!」
ロイもビッキーと同じくらい大声で答える。
ロイがビッキーを抱き上げると両腕を首に巻きつけてきた。そしてロイの頬にキスをした。
「ロイ!今のロイ、すごくすてき!元気になったよね!」
嬉しいことを言ってくれる。お返しとばかりにビッキーの頬にもキスをした。
「ああ、元気になったよ!・・・思い出したよ。どんな生き方をしたいか。それにはどうすればいいか、やれることはやってみなきゃ、後悔する。」
ビッキーが大きくうなづく。そしていたずらっぽく甘える。
「・・・じゃあ、今度はあったかい雨にしよ?」
ロイがくすりと笑ってビッキーを抱いたまま家の中に入り、バスルームへと直行した。
温かい雨を二人で浴びると心身ともにすっきりした。
雨が全部洗い流してくれた。
次回は暴風雨です。
しっかし暑いですねぇ・・・煮えます。。
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