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주만 섬기리 (主にだけ仕える)
【Key&Sop. つるさん Alto. かめ☆】
* 動画が上手く見られない場合は、こちらからお入りください♪
(歌詞)
날마다 느껴요 주님의 손길이
우리들의 모든 몸과 맘을 어루만져 돌보시는 주님의 놀라운 사랑 억눌림 속에서 자유함으로 인도하셨네 새 생명 내게 주신이 아름다우신 그이름
영원히 주만 섬기리 주 예수님만을 하나님의 외 아들 예수 그리스도 세상 모든 죄 멸하려 곧 다시 오시리 새 생명 내게 주신이 아름다우신 그이름
영원히 주만 섬기리 주 예수님만을 주만 섬기리 주 예수님만
주만 섬기리
【和訳】
日ごと 感じます 主が差し伸べられた御手
私たちのすべての体と心をなでられ お世話をしてくださる主の驚くべき愛 抑圧の中から自由へと導いてくださる 新しい命 私にくださる方 美しいその御名
永遠に主にだけ仕える 主イエス様だけに 神のひとり子 イエス・キリスト この世のすべての罪を滅ぼし 必ず再び来られる
新しい命 私にくださる方 美しいその御名
永遠に主にだけ仕える 主イエス様だけに 主にだけ仕える 主イエス様だけ
主だけに仕える
【動画作成・韓国語和訳:当教会教会員】 教会に通っていると、いろいろな出会いがあるけれど
同じクリスチャンとはいえ、神様の話をしていても
中にはなんともややこしい理論をこねくり回す人や
時には、救われているのなら
絶対に口にしないであろう屁理屈を口にされる方がいて
正直、ビックリ!させられる。
神様のことは頭の知識などでは、絶対にわからない。
まずはイエス様を信じ、救いという新生体験を経ないと
神様からの御霊が投げ入れられないので
霊的なことが全くわからないからね。
それなのに、口先だけの告白や
「周囲から勧められて」だとか
「死ぬまでに信じられるようになればいいのだから」と
一種の希望的観測?のもと
誤った洗礼に与かってしまう人が多く
ホントに困ったことが、日本の多くの教会で普通に行われているのだな、と
私もここにきて、具体的なことをいろいろと知ることになった。
本当に信じていない人には、洗礼は授けてはダメだ。
なぜなら、洗礼という行為をもって
自分も周囲も「クリスチャン」とみなしてしまうし
まさに黙示録に記されている様に
熱いか=救われているか
冷たいか=神様から離れた生き方をしているか
のことを思っても
生ぬるい状態だと、口から吐き出されてしまう。
そうなると、当人も周りもクリスチャンと思っていても
実は、救いには与っておらず…ということだって
ないとは言えないだろう。
そんなことになってしまったら
後が本当に大変だ。
救いの体験があるかないかは
本人が一番よくわかっているはずだからね。
そしてまた、聖書の内容を理解するためには
一般的な書物とは違って
肉の頭脳では理解出来ないものなだけに
受け手側の内住している御霊は絶対に必要だし
何よりも、正しい御言葉の解き明かしの賜物が与えられた
神様がたてられたメッセンジャーを通してしか
御霊をもっての霊的解釈は出来ないのだと思う。
クリスチャンは、何を第一として歩むかを問われた時
きっと誰もが「神様」「イエス様」と答えるであろうが
実際の行動を見ていると、首をかしげたくなることもある。
聖書に出て来る「罪」ということばは
この世における道徳的な罪でも、律法的解釈を持ってのものでもなく
神様から離れている、ということ。
信仰者の生きる価値基準は世のそれにあらず
天の御国の価値基準の中で生かされているからね。
でも、仮に、ちょっとでも道徳的によろしくないことでもしようものなら
非難を浴びせかけ、とことん、そしてコテンパンにやりこめ
時には御言葉を振りかざして信仰さえも奪おうとし
徹底的に排除しようとする。
こういう行為、間近で見せられると
誤った御言葉の解き明かしや
ヒューマニズムを混ぜ込んだ聖書解釈に陥った状態なのだな
と恐ろしく思う。
ならば、こうイエス様がおっしゃっていることに対しても
忠実に守っているだろうか、と問いたくなる。
『あなたに言っておく。7回どころか、7の70倍までも赦し なさい」』
(マタイ18:22)
結局、救いに与っても、正しい御言葉の解き明かしをもって
信仰生活をしていないと
律法主義的な状態に陥るか、あるいは最初から救われていないか
どちらにしても、偽クリスチャンとなってしまい
自分たちの規範に当てはまらないものたちを裁くようになってしまう。
サタンたちは、楽して喜んでいるだろうな、と思うのよ。
だって、自分たちが直に手を汚さずとも
日本人クリスチャンたちの間では
こんなことが常時、行われているのだからね。
結局、主のために、主だけに従います、なんて言いつつも
実際は自分たちのルールを決めて
自分たちが傷つかないように、自分たちの正しさを保つことを
第一としているのではないだろうか、と
私も、身近なクリスチャンの友人たちの話を聞きながら思ってしまう。
祝福も恵みも、神様からのもの。
そして、本当の裁きは、天の御父である神様にしか出来ないこと。
もっとも、ニンゲン生身だから
性格的な相性だとか、反りが合う・合わないといったことはあるけれど
それすらも、肉の次元のこと。
同じ神様を信じ、同じ御霊が分け与えられているのなら
世のことや、それぞれの立場や条件、生活レベルなどは
一切、無関係だし、誰がどこでなにをしていようが
いい意味で気にならないはず。
信仰者にとって、救われた時に得た
初めの愛は、決して忘れてはならないものだと
今日も深く覚えて生きて行きたい、と思った。
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