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吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ

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田中角栄

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西松建設の疑惑事件に絡んで、最近、田中角栄関連の書籍を読んでいる。小沢一郎が田中的金権政治家の生き残りの一人であるとの視点から、田中角栄まで遡って考察してみようという試みだ。

田中角栄という政治家については、田中の死後にその功罪 = 3:7、などどマスコミで書かれた。この功罪3:7説を肯定する側として、立花隆の著書(以下、参照)を

「田中角栄研究」
「巨悪vs言論」

功の方が罪よりも大きいとする側として、田中の側近の早坂茂三佐藤昭子の著書(以下、参照)を

【早坂著】
「オヤジの知恵」
「捨てる神に拾う神」
「駕籠に乗る人担ぐ人」
「怨念の系譜」

【佐藤著】
「田中角栄」
「私の田中角栄日記」

それぞれ読んでいる。

まだ、上記の関連書籍を読んでいる最中でだが、今の段階では、私は政治家としての田中の功の方が罪よりも上回ると考えている。田中の強力に人を引き付ける人柄を全く抜きにしても、今のところそう思っている。

立花隆の著書を読んでいて思うのは、俺(立花)= 絶対的な正義、田中 = 絶対的悪というスタンスだ。例えば「巨悪vs言論」という著書にこういう下りがある(文庫版P11-12)(太字、奈良原)、

「田中の民主主義は、数の論理一本なのである。数さえ握れば、いかなる道理も引っ込めさせて、どんな無理でも押し通せるというのが、田中の民主主義論だった。(中略)この理論をもとに、田中は意識的に派閥拡大をはじめ、本当に自民党の四分の一以上を握る巨大派閥を作り上げてしまうのである。それだけの数を握っていたからこそ、彼は陰のキングメーカーでありつづけることができたのである。その力背景に、彼が狙っていたのは、ロッキード裁判で無罪を獲得することだった。

田中が、金 = 数 = 力、を重視していたのは確かだ。だが、その力の使い道として、いきなり太字箇所のロッキード裁判の無罪獲得をあげている点に、私は立花の薄っぺらな正義感にもとづいた過剰なまでの田中悪玉論を感じ少々辟易するのである。田中が在職中に作成した議員立法、日本列島改造論などの功の部分については、立花の著書ではほとんど触れられていない。

まぁ田中角栄という政治家、人間を浮き彫りにする目的で読んでいる、反証的位置づけの資料であるから、田中の罪の部分にミクロ的に集中し分析する立花の著書もそれなりに有効だと思っている。

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