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昨日の園遊会で物議をかもし出した山本参議院議員の手紙。
議員としては失格であろう。
手紙の内容にもよるが、政治に絡む、個人の主張となるものであるならばNG。だと思う。
彼が議員になれたのは、彼が掲げる「反原発」に対する市民の答え。
彼の「反原発」の理念、意識がどこにあるかはわからないけれど、個人の主張が政治のベクトルを示した結果であるのだから、議員として園遊会に出席した以上は、それらの内容は全て政治的発言になってしまうでしょう。
そもそもが個人では戦えない、ボランティア団体としても力不足。それがうえの議員立候補だったはず。
今になって議員になっても発言権がないなんてのは認識不足だと思う。
タレント議員に求めるもの、そしてタレント議員だからこその強みは情報発信力だと思います。
それを一番に使ったのが前宮崎県知事。
山本議員のやったことは議員としてはバカというしかないけれど、国を憂いての手紙はキチンと陛下の手に渡ったのかと思ってしまいます。
問題の手紙という理由から、そのまま宮内庁で処分されてしまうのであれば、それこそ政治的な運びであり、天皇を政治に利用しないという法律を裏返しに利用しているように思えます。
内容は知らされていないけれど、陛下が読んで「バカ」と言ったら処分してください。
優しい陛下の事だから、原発に対する避難住民たちへの配慮は何らかのカタチになっていくとは思います。
その時、この手紙が「天晴れ」となるかどうか。
それまで山本議員は懸命に動かないとダメでしょう。国を動かすくらいの行動、アピールをせねば。
私は「反原発」ではないけど、推進ではない。
けれど、原発の研究は進めて欲しいと思っています。
有効に利用できるのであればそれに越したことはない。
原爆に侵された国が原発を持つなんてことは、そこに大きな夢があったからだと思う。
夢だけでは空論だけど、実を持てば理論になる。
今の位置はその時点だと思います。
原発の稼動は止めても研究は続けてもらいたい。
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ユッキーさん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。
ほんとに「バカ」と言いたくなります。
議員として本来の筋道からグッとズレてしまっているんですよね。
せっかくTVに関係している過去があるのに、どうしてそれを旨く利用しないのかな。
アントニオ猪木議員は単独で北朝鮮に行ってしまいましたよね。
議会の了承を得ずに行ったことは、同じように愚かな事だけど、責任ということでは猪木議員のほうがまだマシかな。
まあこんな馬鹿な議員がいてもいいかもしれないと多少は思います。
何もせず、党のキマリということに自分の保身を置く議員よりかは、バカだけど人間味を感じることできます。
議員としてはいけないんだけど。もっと勉強して国民のためにがんばってもらいたいです。
2013/11/3(日) 午後 9:35 [ デコ ]
肉のをざわさん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。
私も高校くらいの時はそのように思っていました。
そのうち歴史小説など読むにつれ(ホントの史実とはずれていると思うけど)、少しずつ天皇というものに対して非常に親しみ深いものに感じてきました。
身近な者ということではなく、日本という国の成り立ちについてです。
未だに日本という国が全て理解できていない自分。史実を紐解けば解くほど深みにはまってゆく自分。
天皇は何者なんだと考えると余計に判らなくなります。
たぶんそれを全て答える事のできる人となんていないんじゃないかなと思います。
人にして人にあらず。されど神にあらず。
SF漫画風に言えば天皇=日本かもしれないし。謎です。
そんな天皇に手紙をおくる山本議員。純朴すぎます。
2013/11/3(日) 午後 9:50 [ デコ ]
みんぽぽさん、こんばんわ。
コメントありがとうございます。
自民党の避難住民に対する完全帰還の見直しに対しても、見込みの甘さと言うか、当事者としての責任の無さについては呆れます。
元をいえば事故当初から政府主導で物事を動かしていれば、ここまで軋轢を生むこともなかったと思うし、そもそも、原発の管理という点では国はあまりにも無責任すぎたのだと思います。
原発内の労働条件については東海村の臨界事故のときに話題が上ったのにみんな忘れてしまい、トヨタの派遣社員問題の時も雇用制度に焦点をズラせれてしまって、下請けと元受の本質的な部分をキチンと議題提議しなかったんですよね。
どこの世界でも下請け企業。
民間ならしょうがないこともあるけど、官費を使った事業に対してもその下請けは暗黙の了解となり、デフレ原因の温床になっているんです。
普通にわかっている事なのに。
先日の某TV局の番組打ち切りも、下請け企業の責任になってましたね。
真実を見せてくれるのは誰なんだろう。
2013/11/3(日) 午後 10:30 [ デコ ]
mas*ef*jimo2007さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
私はまだ50を過ぎたばかりですが、少しづつ未来に対して悲観的になっています。
先の社会に対してというより、自分自身に対して、また、未来から想像する今の自分に対してです。
たくさんあると思っていた時間が、なんとなくかなり少なくなってきたと感じた瞬間、恐怖に似た感覚が生まれました。
「死」というものだけではなく「今」の大切さとその「今」が崩れる恐怖です。
若い時のガムシャラさがなくなってきたのは、人生に達観したのではなく、やはり逃げというか未来に対する「今」を守りたいからなんでしょうか。
問題定義しても、その問題と向き合い戦うということが少なくなっています。
「ユトリ」とか「サトリ」とかという世代は時代、社会の流れの中で生まれたものかもしれないけど、時代、社会を作るのはあくまでも人であるという事に目を背けてはいけないんですね。
2014/6/26(木) 午後 6:07 [ デコ ]