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自分の見ている世界。
感じている世界。
価値観を含めての話だが これは個人によって少しづつ違う。
それでもってその意味も違っている。
地域で、人種で、民族で、全然違う。
日本人から見たら大きな不幸が、ある特定の民族にとっては途轍もない幸福だったりする。
一夫多妻制を敷く人々を前時代的、あるいは野蛮と見る場合もあるがそれで果たしてよいのか。
否定してしまっていいのか。
お互いに干渉しない限り、その価値観は不可侵であることが大切でその結果が多様性を生む。
それだけではない。この国の小さな地域においても全ての人は違っていて良いし実際に違っている。
どういうわけだかそれをある型やジャンル分けして理解しようとしてしまう。
あの人はこういう人だ。彼はこういう人だっていう感じで。
そんな簡単なものではないのに。そうやって篩い分けして、グループ分けして、序列をつけて、理解している。
この世の中の事実は恐らくは唯一つだけなのであろう。例えば雨がふったり、嵐が来たり、地震があったり、誰かが何かをしたりと。そういうことは唯一つのことが起きているのだろう。
でも、その捉え方はまるで違う。
最近の例では2010年の大晦日は確かに存在した事実なのだろうがその捉え方はまるで違うだろう。特に意識していなかった人も居ただろうし、その瞬間、カウントダウンを楽しんだ人もいるだろう。
そこにある事実は同じでもその捉え方が異なるとその人の現実はまるで違うものになる。
何が言いたいか?
ひとつには他人の評価に惑わされるなということ。それ自身あまり意味があるとは思えない。聞いて共感することはモチロン有りだと思う。でもそれに引っ張られないように。その評価は自分の評価と一致しているか?自分の価値観から逸脱していないか?ということだ。
もっと分かりやすくいえばどんなことであれ他人に迷惑が及ばなければ自らへの評価は気にするに値するものでは無いということだ。更に言えば仮に自分が疎まれていると感じることがあってもそれが事実を根拠にしていない場合は自信を持ってこれを否定して己の価値を貫くことが大切になる。
イチロー選手もデビュー前にはそのやり方を否定され、試合に出してもらえなかった。疎んじられていたわけだ。その後、新監督になってイチローは日の目を見るのだが諦めて前監督の指示に従っていたら今のイチローは無いだろう。
社会人を20年やっていて思うのはイチローを否定したようなやり方をする人物が実に多いということに気づく。これは例えば上司であったり、教師であったり、場合によっては親であったりする。
だからと言ってこれに流されたり、自分の意思および現実を根拠にする価値観からの離脱をすると必ず後悔する事になる。
共感しえない限りは誰の言うことにも従わないということは実は中々大変なのだがそれが出来なければ多様性ということに矛盾するし、大成することも出来ないだろう。
イチローだけでは無い。世に言う成功者達は皆、己を貫いている。平たく言えば「好き」を大切にした人達だ。そのことをもう一度噛み締めて新年を歩んでゆきたいと思う。
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すばらしいです。新年にふさわしい力強いメッセージに感激。わたしも頑張りたいと思います。
2011/1/8(土) 午後 10:11 [ 君子君 ]
いつもコメントありがとうございます。また遊びに来てください。
2011/1/8(土) 午後 10:20
僕がこーゆー記事を見てて感じるのは、
こと日本の場合、(それが高額の税収を確証できるものでない限り)あらゆる角度から(実現に向けて)社会的なリスクがかかってしまう、ということですね〜。
いわゆる「白い目で見られる」ということもそうですが、つまらないところでこまごまと税金が発生してしまったりもしますし。
ただ、今後はそういったリスクを乗り越え、
「好き」「おもしろい」が(本当の意味で)熱くなっていく時代に突入すると思っています。
そうした時代をどうやって加速させていったらいいか?と考えたとき、
ちょうど自分の読みたかった本に出逢いました〜。
トラバした記事の中で紹介しているので、ご一読をオススメします〜^0^ノ♪
ぽち☆
2011/12/29(木) 午後 5:32
にしむらさん、こんばんは。白い目やら税金は頭の痛いところですね。この国はそういう何と言うかセコイところがありますから。お奨めの本は興味深いですね。今、入手予定です。ありがとうございます。
2012/1/1(日) 午前 2:14