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登山中の日没は大変危険である。明かりが無ければ無数のトラップに足を取られて命も落としかねない。
だからこそ、登山には万一を考えて懐中電灯は必須となる。
でも、若いころの私はそのことを甘く見ていた。何度か危険な目にあっているのに、その日も警戒が足らなかった。
それほど深くない、それでも決して浅くない、ハイキングコースを早朝から登り始めて、余裕で日没までには
帰れる予定だった。
ところが、相棒が疲労のため速度が落ちたため、市道まで2時間の山の中腹で日没を迎えた。これは痛かった。
懐中電灯はあったが1時間も持たなかった。さらに予備の電池もなかった。今思うとありえないのだが
まあ、愚かな若者であったということである。 で、真の闇になった。運の悪いことに月明かりも無い。新月の夜だ。曇り空で月が出ていればある程度は
空の明かりが頼りになるがそれも分からない。 ただ、自分でも不思議なのだが当時、かなりの闇の中で物が見えた。というか見えるように訓練されていたのか?相棒は全く見えず恐怖し足が竦んでいたのだが私は薄らだが物が見えた。そして道も見えた。正確にいうと
それは見ていたのでは無くて五感を総動員して観測していたのだと思う。
幸い市道の手前の分かれ道に出るまでは一本道である。記憶を頼りに降りて行けば何とかなる。でもってやっと沢を超えて林道へ出た。がほっとするのもつかの間、林道の方が勝手が分からない。
街の明かりは木々にさえぎられて全く見えないし、闇もさっきより深まっていた。ただ、それでも私には見えていた。
ただ、不安だったのは市道に出るためには林道のわき道をそれて山道を15分程進む分かれ道に入る必要があった。これは闇の中に闇を見るような作業になるため正直不安だった。当時携帯も無い時代だから助けも呼べないため最悪林道で野宿だと覚悟を決めていた。ほんと迷惑な話です。相棒には悪いことした。
で、しばらく歩いてゆくと 全く見えないのだが わき道に近づいたことが分かった。それを足を杖代わりにして探りながら進むと道らしきところがあったのでそこを歩いてゆくことでやっと遠くに街明かりが見えた時の相棒の安堵した声が忘れられない。彼は恐怖のため闇の中を歩行中、嘔吐を繰り返していた。ほんとすまかなった。
でもって、なぜ、わき道が分かったかというとこれも忘れられないのだが明確な匂いがしたのだ。山道でも無い、林道でも無い、里に通ずる匂い。
私は普段から山の中で遊んでいたので夜目が効くのだが知らないうちに嗅覚も効くようになっていたのだなと改めて知った。ただ、都会暮らしが長くなった今日では年齢も相まってそれらも退化してしまった。先日、知り合いの田舎に遊びに行った時など闇夜で星以外は本当に見えなかった。この時、相棒の不安が初めて我がことになったのだった。この相棒ともここの所忙しくてご無沙汰している。詫びも兼ねて飲みに誘ってみるか。
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でも、今にして考えると、大変貴重
な経験をされましたよね〜
情報過多
なこの時代、その「通過儀礼
」が失われて
しまっているように思えてなりません。
の記事は、僕も昔書いたことがあるので
トラバ
しときますね〜
今まで、「同じ失敗を繰り返さないように、文明の英知を出来るだけ保存して後世のために・・・」という思いで先人たちが今の社会を作ってきたと思うんですが、
それが皮肉にも、別の意味で大変な社会を作ってしまったように思います。
この記事を見ていると、失敗と一口に言っても、人が「おとな」になるための通過儀礼になるものが含まれている可能性もあり、一概には言えないことが分かりますが、
暗闇
2013/10/7(月) 午前 10:49
にしむらさん、昔の思い出話にまでコメント有難うございます。トラバ記事も拝読させていただきました。私も暗闇は平気な方でしたし、闇と一体になる安心感というのもありましたので共感致しました。
2013/10/9(水) 午前 0:57